さんざん迷ったが、結局、お茶会は卵色の付け下げを着用した。
「卵色は顔移りがよい」「似合う」といわれ、確かに自分でもそう思った。だったら、知っている人の多い社中のお茶会に、より似合うほうを着たいという「ミエ」が最終的には勝ったのだ(^^;)。
今回のお茶会の写真。帰宅した後なので、かなり着崩れているのはご容赦ください。
今回は帯をポイントに考えたが、この柄は蜀江文というらしく、帯模様の中ではかなり格式の高いもの。お茶を習い始めた頃、「お茶会着物ほしい熱」に浮かされる中、立ち寄った「きもの青木」で見つけて一目ぼれで購入してしまったものなのだ。
一目ぼれのポイントは、ここ↓
六通の帯なのだけれど、本来は無地のところに、帯の柄とは別の刺繍が施されているのがおわかりだろうか?宝尽くしの模様で、これはこれで非常に可愛らしいので、見えないのがもったいないぐらい。こんな風に見えない部分に手をかけているのにホレてしまったのだ。あいにく模様の格が高すぎて、日頃のしゃれ着にはあまり向かないのがちょっと残念。
上の写真は昨年、友人の結婚パーティーで着たコーディネート。昨日のお茶会とほぼ同じコーディネートだが、帯締めだけ、お祝いということを意識して赤いものにした。お茶席ということで、パーティーでつけた刺繍半襟と伊達衿は今回はしなかった。
地と同色刺繍があるだけのシンプルな付け下げだったので、できれば伊達衿や半襟でアクセントをつけたかったが、お茶は胸元に懐紙やら袱紗やら出し入れするので伊達衿は避けたほうがよいと聞いた。(実際にはしている人も見かけたことがあるが)。半襟も白の塩瀬という。お道具やお茶のおいしさが場の主役なので、着物は華美にせず、出来るだけシンプルに、というのがその理由だとか。
私は制服がいやという理由で、私服の学校を選んだ人間なので、こういう制約には当初、いろいろ疑問や反発を覚えた。でも今は言われたルールはできるだけ踏襲しようと思っている。制約があるほうが、工夫の余地があって面白いと思うようになったからだからだ。
ルールがあるということは、例外もあるということ。それがどういう場合に許されるのか、人によって解釈がまちまちだったりする。私なりに、どの場合にどこまでが許されるのか、そしてそれがなぜなのか考えながら、コーディネートを考えるのは、知的ゲームのようで楽しいのだよ。
たぶん、着物好きはそういう制約の中のルールが好きな人が多いような気がしている。その解釈によって多種多様なコーディネートがあるから、お茶会で人の着物を見るのが楽しい。
今回のお茶会も、内輪のものということもあって、参加者の着物コーディネートは千差万別だった。私はかなり正統派お茶会着物だったけれど、小紋の人もあれば、色留袖の人も。私と同じく付け下げの人は、もっと柄の多いものだったし。小紋の人は、四季の花柄だけれど、菊がかなり目立つので季節を取り入れてそれを選んだそうだ。色留の人はお母様のものということだが、裾模様はやはり菊。
こうしてみると、私のコーデは季節感が乏しかったので、それはちょっと寂しかったかな・・・。(また物欲がむらむらと・・・)
「卵色は顔移りがよい」「似合う」といわれ、確かに自分でもそう思った。だったら、知っている人の多い社中のお茶会に、より似合うほうを着たいという「ミエ」が最終的には勝ったのだ(^^;)。
今回のお茶会の写真。帰宅した後なので、かなり着崩れているのはご容赦ください。
今回は帯をポイントに考えたが、この柄は蜀江文というらしく、帯模様の中ではかなり格式の高いもの。お茶を習い始めた頃、「お茶会着物ほしい熱」に浮かされる中、立ち寄った「きもの青木」で見つけて一目ぼれで購入してしまったものなのだ。
一目ぼれのポイントは、ここ↓
六通の帯なのだけれど、本来は無地のところに、帯の柄とは別の刺繍が施されているのがおわかりだろうか?宝尽くしの模様で、これはこれで非常に可愛らしいので、見えないのがもったいないぐらい。こんな風に見えない部分に手をかけているのにホレてしまったのだ。あいにく模様の格が高すぎて、日頃のしゃれ着にはあまり向かないのがちょっと残念。
上の写真は昨年、友人の結婚パーティーで着たコーディネート。昨日のお茶会とほぼ同じコーディネートだが、帯締めだけ、お祝いということを意識して赤いものにした。お茶席ということで、パーティーでつけた刺繍半襟と伊達衿は今回はしなかった。
地と同色刺繍があるだけのシンプルな付け下げだったので、できれば伊達衿や半襟でアクセントをつけたかったが、お茶は胸元に懐紙やら袱紗やら出し入れするので伊達衿は避けたほうがよいと聞いた。(実際にはしている人も見かけたことがあるが)。半襟も白の塩瀬という。お道具やお茶のおいしさが場の主役なので、着物は華美にせず、出来るだけシンプルに、というのがその理由だとか。
私は制服がいやという理由で、私服の学校を選んだ人間なので、こういう制約には当初、いろいろ疑問や反発を覚えた。でも今は言われたルールはできるだけ踏襲しようと思っている。制約があるほうが、工夫の余地があって面白いと思うようになったからだからだ。
ルールがあるということは、例外もあるということ。それがどういう場合に許されるのか、人によって解釈がまちまちだったりする。私なりに、どの場合にどこまでが許されるのか、そしてそれがなぜなのか考えながら、コーディネートを考えるのは、知的ゲームのようで楽しいのだよ。
たぶん、着物好きはそういう制約の中のルールが好きな人が多いような気がしている。その解釈によって多種多様なコーディネートがあるから、お茶会で人の着物を見るのが楽しい。
今回のお茶会も、内輪のものということもあって、参加者の着物コーディネートは千差万別だった。私はかなり正統派お茶会着物だったけれど、小紋の人もあれば、色留袖の人も。私と同じく付け下げの人は、もっと柄の多いものだったし。小紋の人は、四季の花柄だけれど、菊がかなり目立つので季節を取り入れてそれを選んだそうだ。色留の人はお母様のものということだが、裾模様はやはり菊。
こうしてみると、私のコーデは季節感が乏しかったので、それはちょっと寂しかったかな・・・。(また物欲がむらむらと・・・)
季節ものって身につけていても着物に興味無い人には完全にスルーされちゃうんですが、着物を着る人はもの凄く敏感ですよね、「やられた!」みたいな、笑。そんなバトル(?)も楽しいんだよな~。
で、人様に「ヤラレ」てしまうと、次は自分こそ!とファイトがわき、それが物欲につながっていくという循環。終わりがありません…。
「着物のコーディネートって脳トレにいいわよ~」って
いつもおっしゃってます(笑)
ホント、組み合わせって千差万別ですよね。
ルールを踏まえつつ、破るギリギリで遊ぶのって
面白いですよ~。
やっぱりギリギリが好き(笑)
なるほど、脳トレ!
最近とみに物覚えが悪くなっている私ですが、着物を着る限りボケ防止になるかも!?
週に一度は楽しく頭を使うのってきっと精神的にも脳機能的にもよいんでしょうね。
めんどくさがらずに、いろいろコーディネート考えることにします(^^)。
祖母も母もそぅだったし、日舞の先生(♂)や御贔屓さんやいつも御世話になっているピアノ・バーのオーナーも着物です。
自分も仕事柄、稽古着を始め舞台衣装まで着物のオンパレードです ┐(´ー`)┌
幼い頃からとは云え、はつきchanとは縁があったのねぇ \(^_^ )( ^_^) /
でも、私ゃ はつきchanの様に上質で御洒落な着物は持っておりやせん (;^_^A
カンナさんに再会したのも、着物を着るようになってからというのは、もしかしたら着物がつなぐご縁なのかも。
しかし、私の着物が上質っていうのは誤解やわ。ほとんどがリサイクルショップやオークションで色柄だけで選んだもの。各地の名産とか作家ものとか、持ってないし。
これからはもっと厳選していくかなくては。