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熊本から気ままに山と自転車のブログ

円通寺跡・大宝山円通寺観音堂

大宝山円通寺観音堂
2022/4/17(日) 晴

今日の最高気温予想23°。今日は合志川上流部の「菊池・合志三十三観音霊場巡礼」に10時過ぎからポタリングに出た。
今日の目的地は、菊池三十三観音霊場の10番伊萩観音堂、9番大宝山円通寺、合志三十三観音霊場3番平村観音堂、4番小原村観音堂、5番高永妙巣庵観音堂を巡礼する。

伊萩観音堂を後にして、円通寺(写真6参照)に移動する。
円通寺石門右後ろの岩壁の「大悲」の文字が、白く塗られている。文字が彫られたたのは江戸後期と云われている。


石門を潜って左側の案内板(写真7参照)には、「第宝山円通寺史跡。円通寺は延久の昔1070年菊池初代藤原則隆公の建立するところにして往年は名鑑の誉れ高かりしが、中葉以降衰微荒廃するに至れり。岩本区民之を痛惜し相議りてその境内を区長を中心に区民の献身的努力と熱意に依り昭和52年4月に公園となす。
本堂境内から稲山方面に亘り、円通寺首座が十年在職中に春山和尚の供養塔、十六羅漢、十三石仏像等の彫刻を残しておるが、中でも入口の石門は有名である(県指定文化財1988年)
本堂左側岩壁に見ゆる大悲の大文字は江戸後期に彫られたものと言われる。更に四国八十八ヶ所にちなんだ円通寺八十八ヶ所は眺めもよく一度は巡拝されるがよかろう。・・・」とある。


円通寺観音堂(写真8参照)は、岩壁の前に建立されている。


その手前下段に「鞍岳馬頭観音圓通寺堂」(写真9・10参照)が鎮座する。石の観音立像が安置されている。


御堂前に、牛の石造(写真11参照)に奉納されてある。



円通寺跡
2019/2/11(月) 曇
今日は午後から晴れとの天気予報に期待して、午前からポタリングに出る。
(結果、一度も太陽を見ることなく寒い一日だった)
熊鹿ロードを逸れ、鐙田から明徳、野々島と走り、泗水町からは合志川堤防道路をひたすら遡る。
近くに円通寺跡があるはずとスマホで検索し移動する。
2~3kmの所に円通寺跡(写真1参照)は、あった。


熊本県重要文化財円通寺石門(写真2参照)は、説明盤に天保(1830~1844)の頃、この寺を復興した自忍和尚により造られたと考えられているとある。


説明盤(写真3・4参照)では、円通寺は寺伝によると菊池氏初代藤原則隆が延久年間(1069~1079)に山城国から本尊を移し開いた由緒ある名刹であるとしている。


石門を潜ると右側に岩本地区公民館と、左側に池(写真5参照)がある。
池には錦鯉が泳ぎ、蓮が植えてある。花の季節が想像される。


その畔に、円通寺公園案内図(写真6参照)がある。
「・・・円通寺八十八か所は眺めもよく一度は巡拝されるがよかろう」とあるので巡拝することにする。
私も巡拝を、とお考えの方は靴底がしっかりした物を履かれることをお勧めします。


崖面の窪みに石仏(写真7参照)が鎮座し、寺名と番号を記した札が設置してある。


崖面の窪み(写真8参照)は、古代の横穴墓にも見える。


この耳が大きな羅漢様(写真9参照)は、分厚い書物を手にしていらっしゃる。
いくつになっても書を読み、人の話はよく聞くべしということか。心しなければと思う。


一番奥の石仏(写真10参照)は、石楠花を前にして御座る。
ここも花の季節は美しかろうと思う。


この稲荷大明神(写真11参照)の所の浄土寺の石仏が49番でほぼ半分巡拝。
横穴に鎮座するお稲荷様も珍しいが、上部は古墳にも見える。
この地区の古い歴史を現すお稲荷様か?
「古代は生きている(彩流社)」という本の「洞窟に祀られた原初のイナリ」という項目の中に「京都の蚕の社(秦氏系)には岩屋の中に稲荷が祀られており、近くの「天塚古墳」(秦氏系)では前方後円墳の石室に稲荷神が祀られている」とある。また、「『日本書紀』に出てくるアマテラスの「岩戸隠れ」の話も、イナリ神を太陽神に替えた物語だったと考えられよう。」の文がある。


ここで14時。国道325に出て昼食を取り、帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)33km→円通寺跡32km→熊本(自宅)所要時間6時間(実5時間) 総計65km 走行累計27,598km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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