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熊本から気ままに山と自転車のブログ

沖塘樋門群

沖塘樋門群
2021/2/7(日) 晴
今日の最高気温は16°、出発時の気温12°
今日も暖かく降水確率0%の絶好のポタリング日和に、昨日の沖塘樋門群を目的地に午前10時半から出かける。
ルートは昨日と同じく、宇城市不知火支所横を通る県道338を南進する。浅川を渡った所から県道を逸れて、田圃のなかの農事用道路を走り、砂川を渡る手前で再度県道に戻る。

砂川を渡ると直に左側に一つ目の樋門(写真1参照)が見えた。この面が海側で、波に洗われるからか頑丈な石組になっている。
熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイトの沖塘樋門群の紹介文を転載する。
「沖塘樋門群(おきどもひもんぐん)氷川町 干拓の歴史を伝える沖塘の樋門
氷川町の網道(あみどう)と不知火干拓地の境を通る県道八代不知火線に沿って、網道新地の旧堤防(沖塘)が並び、そこに合計6つの樋門があります。この沖塘の樋門は、嘉永5年(1852年)に完成した網道新地の干拓のために造られたものです。」とある。


内水面側(写真2参照)を覗いてみる。


上記の南側の二つ目の樋門(写真3参照)を見る。


更にその南側の三つ目の樋門(写真4参照)を見る。樋門北に標柱が見えた。


樋門上部に上って「沖塘樋門群」の石碑(写真5参照)を見る。築造したのは、この樋門群だけではない。たぶん干拓地周囲をこの高さの堤防で囲んだであろうと思う。その労力はいかばかりであったろうか。遠景は内水面側。


内水面側(ひろぎ遊水池・八間川)(写真6参照)の景観。


樋門外側(ひろぎ遊水池)(写真7参照)の景観。
道を挟んで遊水池が広がるが、この樋門が造られた当時は海であった。その更に奥に広がる平野は528haあり、昭和42年(1967)国営より干拓された(熊本県・やつしろの干拓の歴史より)。道路敷は、旧堤防跡と思う。


その次の四つ目の樋門(写真8参照)


その次の樋門コンクリート製(写真9参照)で、「熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト」でいうところの「6つの樋門」に入らないのではないかと思う。


その次の五つ目の樋門(写真10参照)


五つ目の樋門は、電動ゲート(写真11参照)となっている。


その次の六つ目の樋門(写真12参照)


その横に「金毘羅宮」(写真13参照)が祀ってある。この樋門群の守護神か。


その神社の道路を挟んだ反対側に「若洲公園」という小さな公園があり、そこから見る遊水池の景観(写真14参照)、遠景は宇土半島の山並み。
この風景を見ながら遅めの昼食を取り、帰途に就く。


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)32km→沖塘樋門群32km→熊本(自宅)
所要時間5.5時間(実4.5時間) 総計64km 走行累計38,445km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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