円通庵の六地蔵・(塔迫村円通庵・後迫水月庵・瀬田村柳池山安養寺・上陣内村玉岡寺)の観音堂
2022/4/30(土) 晴/曇
今日の最高気温予想21°と比較的涼しい日になりそうなので10時からポタリング出る。
目的地をフードパルくまもと・農業公園・大津町昭和公園の花を眺めて、合志三十三観音霊場の19番札所鉄砲小路観音堂・17番札所古閑原宮内観音堂・16番札所塔迫村円通庵・13番札所後迫水月庵・14番札所瀬田村柳池山安養寺・15番札所上陣内村玉岡寺の巡礼をする。
昭和園を後にして、16番札所塔迫村円通庵(写真7・8参照)を拝する。
円通庵御堂の隣に六地蔵(写真9参照)が鎮座する。台石には天道、人道、餓鬼道、修羅道、地獄道、畜生道の文字がそれぞれに刻んである。
塔迫村円通庵を後にして、13番札所後迫水月庵(写真10・11参照)を拝する。
登り口下の説明板(写真12参照)には、「文永7年(1270)創建との伝を持つ大津の古刹です。旧記によると、「昔鎌倉文応年間(1260)訪れ来た旅僧が17日間正座して『私は旅の僧です。この世を救う弥勒菩薩の出現を待っています。この処は仏との因縁があるので、ここに留まりましょう。』と遺言して土中に埋まり、その後7日間も念仏の磬(石の鉦)の音がしていました。里人たちは不思議に感じ、その場所に石を積み堂を建て『石堂様』と呼んで信仰しました。時代は下り江戸寛永の頃(1624~43)里人の夢に『石堂の墳の宝を掘りなさい。』とお告げがあったので、夜な夜な掘り続けてそして蓋を掘り当て開こうとすると、中から呼ぶ声がしたので穴の中を見ると、1つの光が飛び出して跡は空っぽの穴でした。村人たちは不思議に思い、1宇の庵を建てて聖観音木像を祀った」という由来があります。
当初、庵は大松山下の石堂井樋井手の取入口の付近にあったのを、後年現在の高台に移転しました。宗派は浄土宗にも禅宗にもなり、文化年間からは無住となり、堂守の僧侶もいない時期もあったようでした。・・・」とある。
後迫村水月庵を後にして、14番札所瀬田村柳池山安養寺(写真13・14参照)を拝する。
表の看板に「馬頭観音」とあるが、須弥壇の仏様は私の記憶する馬頭観音には見えないが・・・金網で保護してあるので盗難でもあったのか。
瀬田村安養寺を後にして、上陣内に移動途中「森駅記念碑・上陣内六地蔵・玉岡城跡」前を通る。
15番札所上陣内村玉岡寺(写真15・16参照)に到着し、拝する。現在時刻15時に帰途に就く。
帰路は、市街中心部を避けて、県道341を選択し、17時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)37km→瀬田村柳池山安養寺33km →熊本(自宅)
所要時間7時間(実6時間) 総計70km 走行累計47,993km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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