鉄砲小路観音堂・古閑原宮内観音堂
2022/4/30(土) 晴/曇
今日の最高気温予想21°と比較的涼しい日になりそうなので10時からポタリング出る。
目的地をフードパルくまもと・農業公園・大津町昭和公園の花を眺めて、合志三十三観音霊場の19番札所鉄砲小路観音堂・17番札所古閑原宮内観音堂・16番札所塔迫村円通庵・13番札所後迫水月庵・14番札所瀬田村柳池山安養寺・15番札所上陣内村玉岡寺の巡礼をする。
農業公園入口のバラの花を観た後、菊陽町の合志三十三観音霊場の19番札所鉄砲小路観音堂(写真1・2参照)を拝する。
御堂は公民館敷地に併設されていて、公民館前の「鉄砲小路案内図」(写真3参照)には、「鉄砲小路は寛永十二年(1635年)正月、時の藩主細川忠利公の命により創設され、他に類例を見ない大規模な地筒(地鉄砲)の集落である。
そのねらいは、非常の場合に備えての軍備の強化であり、未開墾地の開拓であった。
集落の構成は、総代一名小頭六名、組横目七名で、その他七十余名である。
各屋敷の間口は十五間である。又、中央の道路を挟んで、北側は住居、南側は作業場(シノバ)となっていることも特筆される、東西3.6km整然と並んだ武家屋敷の景観は想像するだけでも異彩を放つものであったであろうと郷土歴史家はいう。」とある。
鉄砲小路観音堂を後にして、17番札所古閑原宮内観音堂(写真4・5参照)を拝する。
説明板(写真6参照)には、「本尊聖観音の厨子の横に石地蔵と素人策の比丘尼像を祀ってある。
伝うる所では、細川忠興の孫与八郎忠恒が寛文五年原野を開墾させ当地に村里を造り、その鎮護のため菅原神社を勧請した。
その後、村人たちが相談して神社裏の杉林の中に堂宇を建立したが、此村は明治の初年まで人口も少なく入道水村内の一寒村に過ぎなかったという、・・・」とある。
菊陽町の合志三十三観音霊場の19番札所鉄砲小路観音堂・17番札所古閑原宮内観音堂を巡礼して、大津町の昭和公園に寄り小休憩とする。
園内のツツジの花は、大方終わっている。
一部品種の違いで咲いている花(写真7参照)もチラホラ見受けられる。天候が良いのと連休中の土曜日という事もあってか、家族連れが多数見られた。この後、大津町の三十三観音霊場巡礼を続ける。(つづく)
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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