熊本から気ままに山と自転車のブログ

渡鹿菅原神社・津久礼若宮八幡宮

渡鹿菅原神社・津久礼若宮八幡宮
2020/12/5(土) 晴

最高気温15°、10時過ぎから渡鹿菅原神社→上津久礼眼鏡橋→古閑原眼鏡橋→入道水眼鏡橋の予定でポタリングに出る。
久しぶりに頬にピリッとする風邪を受けて明午橋方向へ走る。こんな風が気持ち良いと、好んで走った頃もあったが、本音を言えばもう少し暖かい方が良いと思うこの頃である。

明午橋を渡り直ぐ左折して、白川右岸に沿って遡る。堤防道路を走ると渡鹿堰(写真1参照)が見える。


右側に水分神社・渡鹿菅原神社(写真2参照)の看板が見えた。


鳥居(写真3参照)を潜り境内に入る。
境内には縄文時代の貝塚があり、熊本市指定文化財になっていると云う。


右側に石の由緒書(写真4参照)がある。
「・・・延喜三年(903年)菅原道真公が没せられたので神の森早鷹天神となった。ついで、天正十六年(1588年)に熊本城主加藤清正公が、白川から田迎、出仲間方面への田畑の水路(一、二、三の井手)をうるおす為に渡鹿堰を完成された。清正公は大喜悦され、堰の守護神(水分神)と早鷹天神の分身(菅原道真公)を尊崇するようにと現在地に神社を創建された。この渡鹿堰の水路で三千町歩の田畑から見事な肥後米が生産された・・・」とある。


境内摂社に荒神社と早鷹神社(写真5参照)が祀られている。


説明板(写真6参照)では、早鷹神社は大山津見神(自然神)と菅原道真公が祭神とある。


集落の村直りと一緒に遷宮された若宮八幡宮(写真7参照)の鳥居。


説明板(写真8参照)には、「・・・鳥居の石柱には「延宝八年正月吉日」「氏神当所移従」の文字が刻まれており、遷宮と村直りとともに現在の土地に移転建立されました・・・」とある。


津久礼若宮八幡宮を後にして、古閑原眼鏡橋に移動するが、その記事は後日としたい。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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