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熊本から気ままに山と自転車のブログ

廻江の六弥太橋・新の清正公堂

富合町廻江の六弥太橋・新の清正公堂

2024/11/2(土)曇/晴

最高気温26°午前中大雨だったが、正午頃から雨が止んだ。降雨状況を雨雲レーダーで確認し、午後13時からポタリングに出る。目的地は、熊本市南区富合町新の加藤清正公堂とする。

熊鹿ロードを南進し、新幹線側道~石塘~白川左岸沿い~新幹線側道~川尻を経由して富合町廻江(まいのえ)に到着する。廻江橋を北へ渡ると北に橋が見える。旧浜戸川に架かる六弥太橋(写真1参照)である。この六弥太橋に、清正公が関わる話(熊本市ホームページ富合民話コース)がある。「加藤清正公が小西行長の宇土城攻撃のため、浜戸川を挟んで攻防が繰り広げられた。小西軍の庄屋久兵衛はわずか50人で4千人の加藤軍の猛攻をしのいだ。清正公は敵軍ではあるが、久兵衛を讃え、褒美を贈るほか、改名を許し、藤井六弥太となった。六弥太橋は、六弥太がこの橋を守っていたことからこう呼ばれることになったとさ。」とある。

 

六弥太橋を後にして、清正公堂を探しながら南に走り富合中学校まで行く。が、見当たらない。少し後退して、新の集落内を探す。清正公堂は、用水路沿いの住宅の間に東向き(写真2・3参照)に鎮座していた。

 

祭壇には、木製座像が蛇の目紋・桔梗紋の台座に鎮座(写真4・5参照)する。此処にも民話(熊本市ホームページ富合民話コース)が伝わる。「この付近は、かつて沼地であったといわれています。清正公が開墾により田畑にし、米が取れるようになりました。そこで清正公に感謝する農民の手でこのお堂が建てられたといわれています。ここでも7月下旬には、清正公(せいしょこ)さん祭りを開催しています。」とある。ここを折り返し点として帰途に就く。

 

16時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。

熊本(自宅)20km→富合中学校18km→熊本(自宅)
総所要時間3.5時間(実3時間) 総計38km 走行累計60,486km

 

廻江公民館の清正公神像

2024/10/30(水)晴

最高気温26°の夏日となったが思ったほどには暑くない。午後13時からポタリングに出る。目的地は、熊本市南区富合町廻江(まいのえ)公民館の加藤清正公像とする。

禅定寺を後にして、熊本駅前~白川左岸沿い~新幹線側道と走り、富合町廻江に到着する。廻江~南区役所辺りをぐるぐると廻るが、「神像を安置する御堂」と思い込んでいるので、その御堂が目に留まらない。地元の人3・4組にお訊ねするが分からないとのこと。最後に御すがりしたのが、地域コミセンのスタッフの方。資料や電話で調べていただいところ、廻江公民館(写真5参照)内部に鎮座することが分かる。因みに、廻江橋を六弥太橋と話されていた。

 

御堂は新設された公民館建屋と合体(写真6参照)され、祭壇は公民館内部に向いているようだ。ここの清正像に民話(熊本市ホームページ富合民話コース)が伝わる。「・・・清正公の台座には蛇の目と桔梗の紋が付けられています。川がくねくね廻っていたこの地域は、洪水に悩まされていましたが、清正公の治水工事により洪水がなくなりました。毎年7月下旬に、清正公(せいしょこ)さん祭りを開催しています。」とある。

もう一社、清正公堂が富合中学校近くにあるとのことで足を延ばしたが辿り着けず、次回の楽しみとし帰途に就く。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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