川島加藤神社・外嶋宮・池辺吉十郎墓
2019/7/15(月) 晴/時々曇
今日は、気温31°真夏日予報。少し遅めの午前11時半出発。
目的地は、菊池市大浜町外嶋住吉神社。
国道208の豊岡橋先のお弁当屋さんで昼食とする。ここまで自宅から1時間。
菊池川堤防道路に出て南下する。
大浜町は、菊池川が曲がる石刎(ばね)のある位置辺りで堤防道路を降りて南下する。
と、加藤神社(写真1参照)があった。ここは川島地区。名前の通り加藤清正公が堤防改修をするまでは、菊池川の中州であったろうと思う。清正公の河川改修により干拓地が開け、尊崇の気持ちがこの神社になったであろうと推測する。
説明板(写真2参照)では、7月23日が神楽奉納の日という。本妙寺の屯写会の日と同じである。
加藤神社を後にしてさらに南下して、大浜地区に着いた。
幸いにも町内案内図の掲示板があり、神社とお寺の記号に誘導され外嶋宮(写真3参照)に到着した。
境内摂社の祠(写真4参照)が並んである。拝殿右側にも2基ある。
ここ外嶋宮にある玉名市指定文化財の説明板(写真5参照)は、500石積の廻船の1/10模型、絵馬「大浜港」、天保15年(1844)高麗犬像があるという。
(説明板内天保15年1884は1844の間違い)
その天保15年献納の高麗犬(写真6・7参照)
「肥後国玉名郡外嶋宮縁起」の石碑(写真8参照)があるが、悲しいかな漢文でかいてあり全く読めない。
その横に青銅製の「愛郷の碑」文(写真9・10・11参照)がある。
外嶋宮を後にしてさらに南下すると、道路正面に神社が見えてきたので立ち寄る。
島崎神社(写真12参照)という産土神社である。
説明板(写真13参照)は、土地の人は大明神さんと呼び、神社裏手の高地、丘陵の突端に祠として祀られていたとある。
更に南下して横島町中心地を目指していたところ、「池辺吉十郎の墓」という表示板があったので表示に従って坂を上る。
山頂まで半分ほどの所であろうか、玉垣で囲われた墓碑(写真14参照)があった。
墓碑銘は池辺重章とある。
その横に説明板(写真15参照)がある。
長崎で処刑され、仮埋葬されていた遺骨を受け取ってこの墓に埋葬したとある。
さらにその横に「池辺吉十郎重章之碑」というモニュメント(写真16参照)がある。
これで池辺重章の謎が解けた。
ここを最後として伊倉経由で帰途に就く。
途中「竹崎」というバス停(写真17参照)があった。
宇城市竹崎城跡説明板には、蒙古襲来絵詞の竹崎季長出身地は玉名市天水町竹崎であろうとあった。思わぬ発見に少し感動する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km→池辺吉十郎の墓31km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実4.5時間) 総計62km 走行累計29,261km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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