2023/4/10(月) 晴
今日は最高気温21°快晴の天気に、昨日に続き午後14時からポタリングに出る。
目的地は、昨日辿り着けなかった旧植木町指定文化財の「植木地蔵堂の手洗盤(手水鉢)」とする。
熊鹿ロードを北進し、国道3を横断し植木地蔵公園に着いた。地蔵堂(写真1参照)は、公園北側にある。
御堂の中には、新しい地蔵尊立像(写真2参照)が安置されている。台座もいれて2.5m以上はあろうかと思う。
その右側のスペースに旧地蔵三尊像(写真3・4参照)と思われる立像が、幢身の上に鎮座する。
三尊像の入口左側に手水鉢(写真5・6参照)がある。六地蔵にあるような削り取ったような窪みが見られるので、この手水鉢も相当に古いと思う。
目的の旧植木町指定文化財の「地蔵堂手洗盤(手水鉢)」(写真7・8参照)は、建屋右側の屋外に設置してある。
説明板には、「植木地蔵堂の手水鉢(旧町指定名「植木地蔵堂の手洗盤」)
手水鉢は、寺社に参詣する時に手を洗い、口を漱いで身を浄めるためのもので、桃山時代(十六世紀末)になると、茶の湯の流行によって茶室の脇や庭園に置かれるようになった。
この手水鉢は、安山岩(金峰山系安山岩)を用い、水穴のみを彫り窪め、自然石の形を残したものであるが、茶室などに置かれる蹲を意識したお洒落なデザインといえる。
裏側には、「味取新町四丁目」「享保三戊戌年(1718年)」の記銘がある。
味取新町は、この地域の旧町名で、植木町の中心地でもある。主要交通路である豊前街道・高瀬往還が交差する要所で、宿場町として栄え、参勤交代にも利用されていた。
町の成立は江戸時代中頃で、元禄六年(1693年)あるいは元禄八年(1695年)に味取から分かれたとされている。手水鉢に刻まれた享保三年の記銘は、味取新町の名を原位置に留める最古の史料である。
なお、この手水鉢は、元は八〇m北道側の道沿いにあったが、平成三十年、区画整理の際に現在地に移されている。」とある。
植木地蔵堂を後にして、県道30を東進して立石経由で帰途に就く。その途中、住宅の石垣の上に紅白のツツジの花(写真9・10参照)が見えた。赤いツツジの花は太陽に照らされ輝いている。
立石を過ぎ小糸山にさしかかると、石垣の上に見事な赤いツツジの花(写真11参照)がある。実は、この株の花を見たくてこのルートを選択した。
更に道を進んで、地区の納骨堂の敷地が見事なツツジの花(写真12・13参照)に彩られている。丁度いい時期に行き合わせた。何方の手入れか知らないが、感謝したい。
17時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)11km→植木地蔵堂14km→熊本(自宅)
総所要時間3時間(実2.5時間) 総計25km 走行累計53,479km
植木地蔵堂の手洗盤(手水鉢)確認ならず
2023/4/9(日) 晴
今日は最高気温19°昨日に続き快晴の天気。投票を済ませ午後15時半から、熊本市植木町の元交番横にあるという旧植木町指定文化財の「地蔵堂手洗盤」と、旧植木町指定天然記念物の「辺田野熊野座神社の夫婦杉」を目的地としてポタリングに出発する。
熊鹿ロードを北進し、元植木交番があった所に着いた。現況は小広場(写真1参照)になっている。
手洗盤(手水鉢)は、見当たらない。帰宅してから下記の説明板を良く見たら、地蔵堂は近くの地蔵堂公園に遷座しているいる様である。再度訪問したいと思う。
小広場の交差点方向に「昭和時代の植木地域の様子」の説明板(写真2・3参照)がある。
「植木地蔵堂の手洗盤(手水鉢)」の説明文には、「安山岩自然石の手洗盤で、享保3年味取新町などの陰刻があります。
味取新町は江戸時代に味取から分かれたもので、享保3年(1718)頃は、この周辺において、味取新町と称していたものと思われてます。」とある。
次の目的地、旧植木町指定天然記念物の「辺田野熊野座神社の夫婦杉」に移動する。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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