熊本から気ままに山と自転車のブログ

熊本城下軍事要衝

加藤清正公銅像
2018/1/5(金) 曇

もう少し切のよい所までと思い、八丁馬場(健軍神社参道)と東バイパス交差点にある「加藤清正公」銅像(写真1参照)まで足を延ばし、帰途に就く。
八丁馬場は、清正公が馬の調練場として23m×1,040mの直線路を整備して健軍神社に参道として寄進したもの。



熊本城下軍事要衝
2017/8/8(火) 曇
最高気温33.4°のなか、熊本城下軍事要衝の探訪ポタリングに出る。
探訪は、熊本城内乾櫓→明八橋→石塘→八丁馬場→黒髪2丁目→見性禅寺→徳王豊前街道切通と、周回する。
熊本城入り口札ノ辻が、肥後の往還の道路起点になっていた(写真1参照)


札ノ辻を左に折れ、法華坂を上り、左に折れ住之江御門の桝形(写真2参照)をと通れば場内二の丸広場に出る。
参勤交代の薩摩の武士が「肥後はなんと不用心なことよ、場内を通すとは。」と言ったところ、「黙って通られよ、さもなくばためになりませんぞ」と城内から声があった、という逸話はこの辺りことか。


被災した戌亥櫓がより近くで見られるというので行ってみた。
これ(写真3参照)が今まで見られた戌亥櫓(いぬいやぐら)。
昨年8/16に来ているが、この櫓も算木積みの角石一本で支えていることに気づかなかった。
戌亥櫓の背景には、宇土櫓、復旧工事中の大天守が見える。


今回解放された堀の中まで下りて見る(写真4参照)と、間違いなく一本足で支えているし、なにより近くで見ると小さな城の天守にも見える迫力を感じる。


城を下り、石塘を見る手前の坪井川に架かる明八橋(写真5参照)を見る。
草で本体が見えないが石橋である。
藩政時代には、門があり明け六つに開き暮れ六つに閉ざされていた。
橋より城側が新町地区、橋を渡って南側が古町地区。古町地区は一町一寺の周到に考えられた防衛の町割りなっている。
門は、明治8年廃止され板橋から石橋に架け替えられた。石工は、皇居二重橋を架けた橋本勘五郎である。


橋上から坪井川を見る(写真6参照)。
明らかに人口の掘割である。


清正公が熊本城を築城したころまでは、白川が慶徳堀辺りから大きく熊本城方向に蛇行し、坪井川に合流していた。
加藤忠広公の時代に、白川は現在のような直線になる。
坪井川は、この掘割を流れて井芹川と合流し、石塘(写真7参照)で白川と分離されて別の河川となった。
古町地区を抜けるとこの石塘に続く。
数万の軍隊といえども縦隊で進行せざるを得ないこの石塘を薩摩街道としたという話もあるが、長六橋は慶長六年の架設だからその地理的整合性は・・・?
写真左が坪井川、右白川。
長六橋は、白川が蛇行していた時代に現在の洗馬橋辺りに架設され、その後(河川改修後?)現在地に架け替えられて、石塘を通っていた薩摩街道も付け替えられた。元の所にあった橋は洗馬橋と称したものと思う。
清正公が整備した当初の薩摩街道に白川を渡る橋はなく、世安町・二本木の間の旦過の瀬を渡ったものと思う。


石塘を後にして八丁馬場(写真8参照)に移動する。
幅23m×長さ1.040mあるという。


解説盤(写真9参照)には、清正公が馬の調練場を造り、健軍神社の参道として寄付したとあるが、他に目的はなかったか?
日向往還は、九州山地を越え御船町に下りて来る。となれば、こちらの方が地理的には近い。
また、兵員・人夫として農民を動員すれば、集合場所の機能をもっていたのではないかとも想像する。


もう一つの、古代からの要衝子飼橋の北側、熊本大学西通用門から西に行った住宅地の中に長さ200m程の広場(写真10参照)がある。
ここは豊後街道沿いで、同じような目的で設けられた軍事施設と思われる。


上記場所から黒髪小学校の横を通り、西に真っすぐ行った所に見性禅寺(写真11参照)がある。
写真は鐘楼であるが、望楼にも見える。
この位置は、東は大津街道に続き北は合志市を通る古代の幹道に続く要衝にある。西南戦争時薩軍は、この幹道沿いの合志市二子山古墳上に砲台を築いた。
見性禅寺を後にして、西進し瀬戸坂を上ると京町台に上がる。
ここを左に折れれば、関ケ原戦のとき西軍に属して負けた立花宗茂の家臣団を清正公が預かり住まわせた柳川小路である。


旧3号線に出て北進すれば、徳王町辺りの豊前街道(写真12参照)はこのような切通となる。これもまた防衛上の要衝といわれている。


この先7kmほど先に植木町菅原神社がある。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→八丁馬場14km→熊本(自宅)所要時間4時間(実3時間) 総計32km 走行累計21,639km


熊本城関連ブログ(2016/4/26)
熊本城地震被災状況


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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