玉名街道暮の坂
2023/2/10(金) 曇
今日は最高気温13°早朝の気温8°午前は雨が降っていたが、午後から雨が上がったので午後14時からウォーキングに出る。
目的地は、前回の山鹿街道・玉名街道追分石から下った「坂の下」集落内の「暮ノ坂」の石碑と、旧道の現状探訪とする。
先ずは分かり易い「史跡「暮ノ坂」ノ由来」石碑(写真1・2・3参照)を訪れる。
石碑は、井芹川の支流「豆尾川」という小川の右岸にある。旧道は西里小学校方向に延びている。
碑文には、「此の「暮の坂」は加藤清正公が玉名郡横島干拓の折、早朝隈本本城を出発。半高山・吉次峠を経て七里の旧扇崎村行末塘の工事を監督。帰りわ、丁度夕暮になる頃であった、故に此の名がついたと伝えられる。暮の坂の登口に小川が流れてヰる、此の川の名も昔から暮の川と呼ばれ、通行人の憩いの場でもあったと伝えられる。明治十年の西南戦争の時、吉次・木留附近の負傷兵を熊本へ送ったり、薩軍を敗った官軍が此の道を熊本に向かったと云う。熊本城築城四百年を迎えるにあたり、此の由緒ある坂があった事を後世に残すべく有志によりここに石碑を建立した次第である。」とある。
昔の人の健脚ぶりには、ただ敬服するのみである。扇崎は、自転車で行っても往復60km、6時間は見積もらないと危うい。その距離を徒歩で往復するとすれば、夏場であっても日暮れは覚悟しなければならない。「監督」というより現場の士気を鼓舞する「激励」であったと思うが、供もいる小集団でのこの距離の移動は容易ではなかったかと想像する。
石碑の左側に「登口100m→」の石がある。その登口(写真4参照)への路地がある。
路地から右に折れ、この三叉路を右に曲がれば坂道(写真5参照)に続く。
その坂道を登ると新道に出る。その三叉路に小さな祠に地蔵尊(写真6参照)が鎮座する。道祖神の役割も果たしているのか。
先日2月7日訪ねた折の急坂の上の左に行く道(写真7参照)を辿る。この写真の道の先が右方向にUターン気味に下っている。おそらく先ほどの地蔵尊の所に続いていたものと推測する。ここを最後にして帰途に就く。
総所要時間2.5(実2.5)時間(ウォーキングの記事は1万歩以上とする)
寒椿か?山茶花か?
下の写真は、2月8日の県道31沿いに咲いていた花。花は首から落下しているので椿か?
開花は終盤のようである。時期としては山茶花に近いように思う。寒椿か?
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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