オスカルとアンドレの幼い日から成人後までをたどった美しいイラストの次は、悪女ジャンヌの登場。「何ゆえ?」と思ったら、7月22日は、ジャンヌの誕生日だった。
wikiに載っているジャンヌの肖像画。それほど悪女には見えないのだが----。
ジャンヌ---正式にはジャンヌ・ド・ラ・モット・バロア(1756年7月22日~1791年8月23日)は、フランス旧王家バロア家の血を引いていることになっている。その理由は彼女の父ジャック・ド・サン・レミ男爵が、アンリ2世の認知されなかった庶子アンリ・ド・サン=レミの子孫のため。9歳で両親を失ったジャンヌは少女時代、貴族の娘としての教養を身につけるため、ロンシャン修道院の寄宿女学校に入学。22歳の時、修道女になる事を嫌って逃亡した。1780年、ニコラ・ド・ラ・モット伯爵と知り合い結婚した。士官であったこの夫は伯爵を名乗っていたが、本当に貴族であったかどうかは疑わしい。
1786年、首飾り事件を起こし、裁判でジャンヌは有罪となった。監獄でジャンヌは鞭打ちの刑を受けた後、両肩に「V」の焼き鏝(当時の刑法では泥棒、窃盗犯にはフランス語で「泥棒」を意味する「Voleuse」(女性形)の頭文字「V」の焼き鏝を両肩に捺される刑罰があった)を捺された後、終身禁錮刑となった。しかしジャンヌは、たくさんの民衆から同情され、いつの間にかイギリスへと脱走した。
これは首飾り事件の際、ジャンヌがローアン司教をそそのかして買わせたダイヤモンドの首飾りのレプリカ。本物は当時、ジャンヌがバラバラにして詐欺師仲間に分配、それぞれが売却した為に消失。残念。レプリカでこれだけすごいのだから、本物が残っていたら、さぞ迫力があっただろう。何とも豪華な首飾り。
1791年、精神錯乱の発作により窓から転落して死んだ。享年35歳。ロンドンで強盗に襲われたために窓から転落したと言う説もある。ジャンヌはロンドンに脱走した際に、「回想録」と首飾り事件のあらましについて書いた書籍を出版した。
劇画では、彼女には母親違いの妹ロザリーがいる設定となっている。ロザリーは姉を大切に思いながらも悩んだ末、最後はオスカルにその居所を伝える。ジャンヌは「回想録」を出版しているが、文字の読み書きは寄宿女学校で学んだのだろう。実在したジャンヌとその夫を、オスカルと戦わせる。ここでも池田先生のドラマ構築法が功を奏している。架空の人物と実在した人物が、何の違和感もなく会話したり、追い詰めたりと実に巧みに、それでいて自然に物語が流れていく。ロザリーは姉の死を聞いて、どう感じただろうか?もちろん実の姉が亡くなったので悲しいし寂しいだろう。と同時に「オスカルさまに御迷惑をおかけしてしまったけれど、もう姉のことであれこれ思い悩む必要はない。」から、ホッとした部分もあったのではないか?
7月19日 18:57 メッセージをくださったKさま、
初めまして。こちらに返信させていただきます。べル熱を完治させることなく、どうかこのまま持続させてください。とりとめのないことを書き綴ったブログですが、楽しんでいただけたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
読んでくださり、ありがとうございます。
前のアールヌーボー的?なのも素敵でしたが、今回の写真はどこでしょう?ピンクの大理石の柱にモザイクの床、素敵ですね~。
今週はジャンヌの誕生日があるのですね。
バラバラにされた首飾り、今もどこかの誰かの手元にそれとは知らずあるのかしら…。
革命のどさくさに紛れ、宮殿内にあった家具やドレスなどもいくつか持ち出されています。今では個人所有になって、人目に触れない場所でひっそりと眠っている宝たちも多いでしょうね。時折、世界的に有名なオークションなどに出品され、法外な価格が付いて落札されます。でも---できれば本来あった場所に戻してあげたいです。
私もいつかじっくりと…ずっと前に行った時は、鏡の間と庭園で来た証拠写真を撮って、バタバタっとでした(笑)
今週も我が家のカレンダーは先週のままです。マーガレット展を満喫し、グッズ、オル窓のハンカチも買って、付録のクリアファイルにうっとり!その余韻に浸る事にしました。「許せ!ジャンヌ」
週めくりカレンダー、確かに先週のイラストを、引き続き今週も飾っておきたいですよね。マーガレット展、池田先生の原画はどれも美しいです。今度の金曜日はMC12巻の発売日。今月はいろいろと目まぐるしいです。
オスカルの軍靴の足音が響く感じ…想像しちゃいます♪
まだ屈託なく、キャッキャしてたアントワネットやフェルゼンの後ろをカツーンカツーンと…。よく響くくんだろうなぁ。