「マリー・アントワネット最期の日々(下)」では、「ベルばら」でもおなじみのジャルジェ将軍とフェルゼンについて触れている。
劇画ではオスカルの父として設定されたジャルジェ将軍。実在するジャルジェは王政崩壊の少し前、ルイ16世から少将を任命され、国王一家がヴェルサイユを去り、パリのテュイルリー宮殿に軟禁されてからは王妃の通信係を務めた。冷静で思慮深く果敢な人物だったので、アントワネットは心から信頼を寄せ、身を隠してパリに残るようにと特別に頼んだ。ジャルジェ将軍は何度か、国王一家救出の計画を立て資金を調達した。アントワネットが最後の手紙と王の最後の思い出の品を託したのも彼だった。ジャルジェ将軍が試みた国王一家救出計画は挫折。最終案として子どもたちを残し、王妃だけを救出する計画を提案したが、アントワネットはそれを拒否した。ジャルジェ将軍はパリを離れ、イタリアのトリノに行き、まもなくサルディーニア国王に仕える。パリを去る決意をしたジャルジェ将軍に、アントワネットはこう告げる。「さようなら。出発なさると決めておられるのなら、早いほうがいいと思います。(略)またいつか皆で会えればどんなに嬉しいことか。あなたが私たちにしてくださった何もかもに、感謝してもしきれません。これでお別れです。アデュー。なんて残酷な言葉でしょう。」
下巻ではフェルゼンについて、約10ページ割いて書いている。フェルゼンとアントワネットが互いに愛を告白しあったのは、二人が出会ってから10年後の1783年7月15日頃らしい。この日のことをフェルゼンは日記に記している。容姿については、背が高く整った顔立ち、青い目で最初は誰もが彼を「天使のように美しい」と思った。しかしアメリカ独立戦争に出兵した後、フランスに戻ってきたとき、急激に10歳くらい老けていたという。1786年、デヴォンシャー公爵夫人がロンドンの自宅に彼を招いた時、友人の一人にフェルゼンについて、こんなことを書いている。「ミセスB(王妃のこと)が彼を愛しているというので、どんなにか素晴らしい美貌を期待していたのですが、ここでは皆彼を醜いと感じました。確かに素敵な目をしていて、まずまずの顔でとても貴族的です。ありがたいことに私の好みではありませんが。」うわぁ~、何ともキツイお言葉。
外見はともかく、フェルゼンの人となりについては好印象のものが多い。非常に上品で礼儀正しく、控えめで目立たない。男性同士の付き合いは慎重で、女性に対しても慎み深い。フランス人のような機知や華やかさ、軽さはなかったが、注目の的になっている時でさえ、決して出しゃばらない賢明さがあった。アントワネットが惹かれたのは、こうしたフランス人ぽくない部分だったのかもしれない。アントワネットから好意を持たれていると感じていても、思い上がったりすることはなく自制心を持ち続けた。
1787年4月からは1人で誰も知られずに、週に2~3度馬でプチ・トリアノンを訪れ、王妃の小部屋の上にある二つの小さな部屋を自由に使っていた。当時プチ・トリアノンの続き部屋には、スウェーデン式のストーブが置かれていた。フェルゼンからアントワネット宛ての手紙に「上に泊まる。」と書かれているものがある。
革命勃発後フェルゼンはスウェーデン国王グスタフ3世に、フランス国王を救援するよう働きかけたり、ウィーンに赴きオーストリア皇帝に軍事会議の必要性を訴える。しかしフェルゼンの奔走も虚しく、アントワネット救出はならなかった。王妃がコンシェルジェリに移されると知り、彼は心を許して何でも話せる妹ソフィアに手紙を書く。「この瞬間から、もう僕は生きていない。なぜなら生きていてもただ存在し、悲嘆を苦しみ続けるだけだから。もしまだあの方を解放するために何かできるとするなら、これほど苦しまないだろうに。請願する以外何もできないとは、何とおそろしいことだ。」
フェルゼンとアントワネットの間でやり取りされた手紙は重要部分が塗りつぶされているため、現在もなお解読が進められている。具体的にはインクの化学的組成の違いを利用して、抹消された部分を取り除く作業をしているらしい。そうやって何通かが解読された。また紙を透かす方法で、抹消線の後ろに書かれたテキストを見つけようとしている伝記作家もいる。手紙の解読が進めば今後、フェルゼンとアントワネットの関係について、新たな事実が見つかる可能性もある。でもアントワネットとフェルゼンは「もう私たちのことは、そっとしておいてほしい。」と願っているかもしれない。
読んでくださり、本当にありがとうございます。
暑かった今年の夏も終わりに近づき秋の気配が漂ってまいりましたね。
コメントさせていただくのは久しぶりですが記事は毎回楽しく拝見させていただいてました。
娘の学校のPTA委員をまた引き受けて、6月からは洋裁の内職の仕事をさせていただくようになり、バタバタしておりました。好きな事とは言え、仕事となると大変で、自分の技術の無さにがっかりし、肩凝りや納品の日とにらめっこしながらなんとか毎日過ごしております。
そして、前回と今回の記事、また興味深く読ませていただきました。アントワネットは最後片目の視力をほぼ失っていたのですね。知りませんでした。
冷えや線維腫?からの出血に苦しみ目も見えづらくなっていたとは…想像を絶する厳しい日々に耐えていたのですね。まだ30代半ばだったのに、かくも過酷な運命だったのですね。
フェルゼンのことは、ちょっと笑ってしまいました。余程独立戦争参戦したのが大変だったのでしょうね。醜いとは、ちょっとかわいそうですが。アントワネット亡き後の晩年は除いて、若い頃はとても魅力的な青年だったのだろうなと思いますが。
それから、アデューというのは永遠のさよならを意味するのですよね。もう会えないだろうとわかっててアデューという言葉を使うのはとても辛いことだなと思いました。
なんだか繋ぎの悪いコメントになってしまいましたが、りら様の興味深く楽しい記事をまた楽しみにしています。
https://www.akagi.com/brand/premil/
台風が気になります。どうぞお気をつけ下さい。
今年の夏は本当に酷暑でしたが、marineさまとご家族の皆さまは、お元気にお過ごしでしょうか?
PTA委員のお仕事、ご苦労さまです。委員になれば何度も学校に足を運んだり、何かと大変ですよね。
洋裁のお仕事、モノヅクリってとても楽しいと思います。一枚の布が立体になっていく。形が残るものを創るのは、やりがいがあるのではないでしょうか?私はだんだん糸を針穴に通すのが、つらくなってきました。
著者は、歴史資料をもとにこの本を著したので、フェルゼンの容姿に関する記述など、案外真実を突いているかもしれないと思っています。アントワネットは、ロココの王妃ともてはやされていたけれど、フランス革命がなくても病気のため、健康面では苦しい生活を送っていたかもしれません。
のんびりと更新していきますので、おつきあいいただけると嬉しいです。
>『マリー・アントワネットの日記』もイケイケ文体で書いてありましたが、スゴく彼女の内面を見た気がしました
この本も気になります。最近アントワネットに関する本がたくさん出版されていて、どれを読むか迷ってしまいます。
赤城乳業のアイス、情報をありがとうございます。オスカーさまはもう見つけて試食されましたか?このアイス、どこに行けば売っているのでしょう?
>マリーアントワネットの日記と最期の日々、買いました。趣が180度違う本ですが、楽しいですね
アントワネット関連の本をまとめ買いですか!いいですね。いろんな人が、異なる視点から捉えたアントワネット像は、読んでいて面白いです。没後200年以上経ってもこれほど人々の興味・関心を惹く王妃さまって凄いですよね。どうかお楽しみくださいね。