「おにいさまへ--」「オル窓」を読んでいると、ついつい絵の中に、オスカルやアンドレの面影を追ってしまう。辺見武彦にアンドレを見ようとする。ユリウスに、どこかオスカル的な部分がないか探そうとする。全然別作品なのに、オスカルやアンドレに会えることを期待している自分。今はもうないけれど、10代の頃はこんな気持ちで「オル窓」を読んでいたから、ユリウスが次第にオスカルと全然違うことが分かり、読むのをgive upしてしまった。作品に対し、申し訳ないことをしたと思っている。
辺見武彦は、「あぁ、もしアンドレの左目が失明していなかったら、こんな顔立ちだったろうな。」と思いながら読んでいた、ユリウスはブロンドの髪をした男装の麗人なので、オスカルとの共通点があることを期待して読み進めていた。蕗子さまの髪型はアントワネットそのまま。1789年7月14日以降も、オスカルとアンドレに会いたかった自分。
「オル窓」第1部のユリウスはとても威勢がよく、音楽学校ではモーリッツやクラウスにも食ってかかる。しかし物語の比較的早い時期に、ヤーン先生殺害で罪を背負ってから、次第に活発さが失われ、記憶喪失とともにまるで別人の風貌になっていく。オスカルが自分の信念を貫き、革命に命をかけて戦ったのとは対称的。今ならユリウスはユリウス、オスカルはオスカル、両者は男装していても、まったく違うキャラだということが、よくわかる。
「おにいさまへ---」「オル窓」を、今度はなんの思い込み知識を持たず、読み返したい。
読んでくださり、ありがとうございます。
それがとても素敵な事だと、思いました。
私は、リアルで読んでいないので、物語の続きを次号に待つワクワク感を体験出来ませんでした。
オスカル様とアンドレを現在に置き換えて、辺見氏と薫の君に重ね合う、二人を身近に感じる事ができ、ロマンチックです^^。
そして今、年月を隔てて又、違った読み進め方をする。 新しい発見が沢山有りそうです~♪。
鈴蘭の精さまは、どのような思いを感じながら、池田先生の作品を読んでいらっしゃいますか?どのように池田先生の作品と出会いましたか?
「オル窓」は10代前半で読むには難しすぎました。だからセブンティーンを途中まで読んで断念。しかし大人になって読み返すと、まるでパズルのピースが1つ1つ埋まっていくように「あぁ、こういうことだったのか!」と納得する場面が多かったです。
鈴蘭の精さまは、どんな幸せなお話を考えていらっしゃいますか?鈴蘭の精さまの心の中で、ユリウスはアレクセイと、平和な時代に娘と一緒に幸せに暮らしているのでしょうか?オスカルとアンドレにも、もう少し長く幸せな恋人の時間を持たせてあげたかったなあと、いつも思います。
みたいでしょ!
詳しい内容は恥ずかしいので、内緒です。
もし、何年か先に、オル窓第5部が描かれる事があっても、又、違う*お話し*が楽しめると思い、嬉しいです^^。
池田先生が「オル窓」の新作エピも描いてくださるといいのですが、音楽活動もされているので難しいかなぁ。気になるのは、やはりユリウスの娘でしょうか?
そうです、りらさまのおっしゃるように、オスカルの面影おっていました。
強烈な思い出は番外編だけでは癒されませんでしたものね。大作の間ですが、一枚一枚の絵を飾っておきたくなる少女漫画の金字塔のような作品だったと思います。
コミックも出版が少なかった当時、下宿していた京都の街中を1日かけて本屋さん巡りをして探したことを思い出します。いつまでもこの絵柄で書いていただけると思っていましたので、エロイカの時は大ショックでした。
(そんなわけにはいかないと今になっては思いますが)間の作品を読んでいないわけではなかったですが、売り文句がベルばら登場人物も云々でしたから…。
BSは音楽が故羽田健太郎さんという豪華なものでしたね。絵柄はエースをねらえとあまりかわらなかったような?気もしましたが。とても思い出深い作品です。
やがて池田先生は少女漫画から、もっと大人の鑑賞にも堪え得る漫画の世界に入っていき、画風も変化します。「エロイカ」はとてもリアルにナポレオンを描いていますよね。晩年はハンプティ・ダンプティのような体型ですし---。
BSの「おにいさまへ」は、手塚プロが制作に関わっていた記憶があります。ハネケンさんの音楽、懐かしいです。出崎さんがプロデューサーでしたね。女子高もの、ソロリティという独特な世界---完全に昭和の香りいっぱいの少女漫画でした。なぜか最近無性に、このころの少女漫画を読みたくなります。