この本はビクトリア期の英国メイド事情について書かれているけれど、その多くは18世紀のフランスメイドにもあてはまるように思える。
10代前半で貧しい田舎を飛び出し、「自分のパンは自分で稼ぐ」「実家に仕送りする」決意で、貴族や裕福な家庭に住み込みメイドとして働き始めた少女たち。多くのメイドが「最初の職場で病気やけがをして、実家に戻される」経験をしている。毎日の労働時間は約16時間。洗い物の最中に指を怪我して敗血症にかかったケース。また職業病とも言える「女中膝(ハウスメイド・ニー)」は、現在の一般的病名で言うと「膝蓋滑液嚢炎(しつがいかつえきのうえん)」。膝をついて同じ姿勢で仕事を繰り返すことで、膝の皿と皮膚の間にある滑液が炎症を起こし腫れる病気で、暖炉掃除や玄関の磨き洗いを担当する下級メイドが苦しんだ。メイドが病気やけがをした時、主人には治療費を出す義務はなく、雇用主によって対応はまちまちだった。自分の主治医を呼んだり、自ら看病する主人や奥さまもいれば、解雇して実家に帰して終わりという家もあった。
↓ 黒い騎士に襲われ、左目にダメージを受けたアンドレ。将軍と夫人はアンドレのために(おそらく治療費はすべてジャルジェ家持ちで)、かかりつけの医師を呼んだはず。アンドレの治療は本来なら長期にわたって継続していかなければならないものだが、使用人の立場でそれを要求するのは無理。現代なら「労災」が適用され、堂々と治療を受けることができるがこの時代、そんな制度はない。ばあやにしてみれば、「アンドレが解雇されず、引き続きお嬢さまのおそばに置かせてもらえる」だけでも、十分ありがたいことだった。
メイドが勤務中、うっかりお屋敷の物を壊してしまった場合、それがわざとでない時でも、事前に断りなく給料から罰金を差し引かれることがあった。
お屋敷の子どもたちとメイドたちとの関係にも面白い記述があった。この時代子どもの世話や教育は、乳母やメイド、家庭教師にほとんど任せてしまい、両親が手元で自ら育てることはまずなかった。両親と子どもたちとの生活空間が隔てられているのが一般的。そのため乳母やメイドたちは、おぼっちゃまやお嬢ちゃまをとても可愛がった。「ベルばら」でばあやが、オスカルを心から慈しみ愛し育ててきたかも、こんなところに由来しているのではないだろうか?両親からは「使用人たちの働く場所に行ってはいけない。」と言い渡された子どもたちも、たびたび境界を踏み越え、キッチンや使用人ホールで使用人たちに遊んでもらったり、こっそりお菓子をもらったり、執事から銀器の磨き方を教わった少年もいたらしい。(将来、そんなことする必要は全くないのに)
遠くにいてなかなか接することのできない両親より身近な使用人から、幼児期に温かい愛情をたっぷり受けて育った子どもたち。けれど成長と共に彼らは両親と同じ価値観を身につけ、自分たちと使用人との間にしっかり境界線を引くようになる。けれどオスカルは大人になっても。子ども時代からずっと変わらぬ態度で使用人たちに接していただろう。アンドレもオスカルに対し、出会ったころのまま向き合う。だからばあやはアンドレの態度にヒヤヒヤするわけで。
この時代、良家の娘の教育内容に対する親の関心は総じて低かった。「淑女のたしなみ」をひととおり教えたら、あとは針仕事でもやっていればよいという認識だった。女の子の教育を任された家庭教師は、親からも子どもからも尊敬されず、他の使用人とも交われず、さりとてその家の主人や訪問客からも対等の人間として扱われない。かなりの辛抱強さと精神力がないと務まらない職業だった。
↓ 「べルばら」では、ロザリーを貴族の令嬢として、どこに出しても恥ずかしくないよう指導するオスカルが描かれている。その指導内容は、他の貴族の家よりもかなりレベルが高かったのでは?
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