Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

べルばら新作エピソード6 後編 (5)

2015-04-08 21:17:44 | その他

 今回、カラー扉絵のオスカルに引き寄せられた。瞳に星が飛び、鼻筋がすっきりしている。

 このオスカルの絵、きりりと引き締まってとても凛々しい。くちびるが立体的に見える。

 昨年モードを着たオスカルの絵を発表した雑誌「SPUR」に、池田先生へのインタビュー記事があった。そこには次の一節があった。

「たとえばファンの人から『今度こんな話を描いてください。』なんて言われたりすることがありますが、申し訳ないけど、私は一切耳を傾けない。だってファンが思いつく程度のことだったら、読者を喜ばせることなんてできないですから。最近は何でもマーケティングをやるでしょう?でも、それに合わせていたら結局みんなが思いつくようなものしかできない。そうじゃなくて、もっと自分の創造力を大切にして、自分の好きなものを選び取っていくことが大事なんだと思います。」

 今回のエピソード、振り返ってみると「池田先生と集英社にうまくはめられたな。」という感がなくもない。前宣伝は「オスカル出生の秘密」。おおかたの人は「オスカルはジャルジェ夫妻の実子?」など、オスカルの生まれについて大いに関心を持ったのではないだろうか?(私がそうだった。)だが全編読んでみればオスカルの生まれに秘密らしい秘密はないし、登場シーンはラスト近くの誕生の場面のみ。こうやって前宣伝で読者の関心をオスカルのほうに思いっ切り惹きつけておきながら、実際の主役はレニエとジョルジェットだった。これも池田先生と集英社のねらい?読者の関心を別の方向に向けさせ、しかも悩ませておいて、本当のメインディッシュをどーんと出してくる。いやはや、やられました。そして全体的にミステリー味をちりばめていたように思う。読者のリクエストを汲もうとせず、読者の上を行く発想で、ストーリーを展開している。そこには素人とプロの線引きをはっきりさせようとする、池田先生の強い思いがあるのだろうか?

 前編を読み終えた段階で、「ブロンドの髪、青い瞳のガルティエは、果たしてジャルジェ将軍なのだろうか?」「ジョルジェットはオスカルの母?」と疑心暗鬼だった人も多いはず。読者の疑問を大いに掻き立てる。そもそもガルティエって何者?どこの国の人?何の目的でロレーヌ国を訪れたのだろう?従者は「若様」としか呼ばないが、果たしてガルティエと言う名前は本名?疑問符だらけだった前編。

 それが後編になって、すべて解決していく。若いカップルを救った画家は、本編に登場するへっぽこ画家なのか?それとも外見がよく似た別人?

「ベルばら」で風の音といえば、"サワサワ"。今回も物語の最初に登場。

 あの時代のドレスは、一人で着ることができなかったのだろうか?レニエと結ばれた後、ジョルジェットは両肩を出した状態で帰宅している。年頃の娘のこんな姿を見れば、母親は「何事があったのだろう?」と驚くはず。レニエさん、ジョルジェットが服装を整える手伝いをしないまま、あの場を去って行ったのか?

 今回は画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが、影の主役。ところでロココ時代の画家と言うと、3人思い浮かぶ。フラゴナール、ブーシェ、ワトー。今回はフラゴナール(1732-1806)の代表作3点を紹介します。

「ぶらんこ」 夫と目される中年男性が、庭園に設けられた若い女性の乗るぶらんこを押し、それを低い位置からのぞき見る愛人の貴族男性を描いたもの。彼はスカートの奥を覗こうとしている、女性は意味ありげに片方の靴を男性めがけて落そうとする。ちょっとエロティックな光景。この絵をモチーフにしたダンス・パフォーマンス「コンタクト」が、ブロードウェイで上演され、日本でも劇団四季が公演した。

「読書する女」 この絵の複製が、長く実家に飾られていた。本作のモデルに関しては一般的に不明とされるものの、一部の研究者からはフラゴナールの妻の妹で、画家の弟子(そして愛人)でもあったマルグリット・ジェラールとする説も唱えられている。

「恋人の戴冠」

 読んでくださり、ありがとうございます。



6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (りつこ)
2016-05-07 21:33:04
はじめまして。
約1年前からベルばら熱が再燃しまして、
りら様のブログも半年くらい見させていただいています。
作品に関連することをいろいろお調べになって本当にすごいですね!
とても勉強になります。

ところで、私はクラシック音楽が専門なのですが
この「エピソード6」については
オペラを聴く人なら読み始めてすぐに元ネタがわかるのですけれど
私が検索したかぎりではどなたもブログに書いてらっしゃらないようで、歯がゆく思っておりました。
そこで、りら様ならきっとご興味もってくださると思い、
1年以上も前の文章に対してすみませんが、コメントさせていただきました。
(もしもすでにご存じでしたらすみません!)

「エピソード6」は、ヴェルディのオペラ「リゴレット」のオマージュだと思います。
さすが、オペラ歌手でもある池田先生です。

「リゴレット」では、マントヴァ侯爵が貧しい学生に扮して
グアルティエル・マルデという偽名を使って教会に行きます。
そこで、ジルダという女の子に出会い、口説くのです。
ジルダも彼を好きになってしまいます。

オペラはイタリア語ですからカタカナは「グアルティエル」(Gualtier)ですけれど
ベルばらはフランス語ですから「ガルティエ」になったのですね。
あと、「ジョルジェット」の名前も、もしかしたら「ジルダ」が由来なのかも?!なんてふと思ったりしました。

レニエと違って、「リゴレット」のマントヴァ侯爵は女たらしのろくでなしでして、
ジルダは、マントヴァ侯爵に手ごめにされ、乱れた衣服のまま父リゴレットのもとへ逃げてきます。
なので、ジョルジェットの乱れたドレス姿も、
私は“ああ、これも「リゴレット」の世界だ”と思いました。

もちろん物語のほとんどの部分は「リゴレット」とは違い、池田先生のオリジナルですが、
機会があったらぜひ「リゴレット」も見てみてください!


あと、音楽関連でいえば、
アントワネットとの有名なエピソードがあることもあって
ベルばら本編ではモーツァルトの名前しか出てきませんが、
フランス革命前後の時代のパリは
なによりハイドンが大人気だったのですよ。
ハイドンの交響曲第85番は
アントワネットが好んだということで
「王妃」という愛称がついています。
ルイ16世もハイドンの音楽が大好きだったそうです。

ご参考になれば幸いです。
以上、長々と失礼いたしました!
返信する
りつこさま (りら)
2016-05-08 00:09:25
初めまして。コメントをありがとうございます。

 りつこさまのコメントを読ませていただき、目から鱗が落ちました。新作エピソード6が、オペラ「リゴレット」をベースにしているらしいとのこと。池田先生は一切このことに触れていませんが、声楽家でもある先生のことですから、ご自身の音楽分野と、劇画分野をうまくコラボさせたエピソードに仕立てたのかもしれません。気づいている人はほとんどいないのでは?私はまったく知りませんでした。りつこさま、教えてくださり本当にありがとうございます。

>オペラはイタリア語ですからカタカナは「グアルティエル」(Gualtier)ですけれど
ベルばらはフランス語ですから「ガルティエ」になったのですね。
あと、「ジョルジェット」の名前も、もしかしたら「ジルダ」が由来なのかも?!なんてふと思ったりしました

 このあたり、池田先生の遊び心を感じます。先生ならではの専門性を発揮。他の漫画家さんには描けないですね。

 私がイタリアオペラに持っているイメージと言えば、
ソプラノ…恋多きヒロイン
アルト…ソプラノの補佐役もしくは敵役
テノール…ヒロインに横恋慕する色男
バス…テノールに嫉妬する役

 そして悲劇の場合、たいてバスがソプラノを殺して幕のパターンだと思っていました。「リゴレット」は機会があれば、ぜひ見たいと思います。

>フランス革命前後の時代のパリは
なによりハイドンが大人気だったのですよ。

 5月7日(土)にNHK Eテレで放送された「らららクラシック」がまさにハイドンの特集でした。そしてゲストは池田先生。(marineさまが、この番組の情報をくださいました。)番組は主に、「弦楽四重奏とは何ぞや?」をテーマに解説がなされました。それはそれで面白かったです。アントワネットもルイ16世も、ハイドンの曲が好きだったとは!ならばオスカルもヴァイオリンで弾いていたかもしれませんね!ハイドンは芸術家としては、金銭的に恵まれた生涯を送り、人望もあったとのこと。りつこさまのコメントを読み、今回の番組で池田先生がゲストに呼ばれた理由がわかりました。この番組、再放送もあります。りつこさま、ご覧になられましたか?

 こんなブログですが、よろしかったらいつでもお立ち寄りください。そしてお気づきの点があれば、気軽にコメントをいただけると大変うれしいです。今回のコメントは、とても興味深い内容でした。ありがとうございました。
返信する
りらさま (りつこ)
2016-05-08 20:16:40
こんにちは。
コメントお読みいただきありがとうございます。

池田先生は、そうですか、なにも触れられてないのですね。
「ガルティエ」ってそのまんまの名前ですから、改めて説明するまでもない、と思われたのかもしれませんね。

あと、すみません、「元ネタ」は言いすぎかもしれません…。
「リゴレット」がベースと思われるのは
2人の出会い方、偽名、ああなるということ、そのあと着衣乱れた姿で親に告白、だけなので
要所でのモチーフの引用、とでも言ったらいいでしょうか。

※1つ訂正です。
最初のコメントで「マントヴァ侯爵」と書いてしまいましたが、正しくは「マントヴァ公爵」です。

「リゴレット」の映像をご覧になるときは、現代的な演出ではないものを選ばれたほうがいいですよ!
オペラは、演出によって、物語の設定もまったく変えてしまうことがあるので。



「らららクラシック」のハイドンの回に池田先生がご出演されたのですか!
すみません、わたし、「ららら」は見てないもので、その回も見てません…(^^;;;。

ハイドンは、そうですね、ずっと貴族に雇われて安定した生活をしていましたし
(ちなみに当時の音楽家は“芸術家”ではありません。使用人です。館の厨房で働く料理人と一緒)
大音楽家としての名声がヨーロッパやイギリスにとどろいてましたから
金銭的に恵まれていたのでしょうね。

私もオスカルは、弾くならハイドンだと思うのですよ。
というか、オスカルがモーツァルトを弾くこと、というか、
モーツァルトの音楽を知っていることすら、ありえないんではないかなぁと常々思っていまして。
(まぁ、私の専門分野はこの時代ではないので断言できませんが)

モーツァルトは、パリへは、まず7歳の時、1763年に行って、このときは「神童」としてもてはやさされました。
これはあくまで「こんな小さい子が達者に演奏してすごい!」という見世物的なもてはやされ方です。。
その後、転職先を求めて、1778年、22歳のときにパリに行きました。
つまり、自分を「売り込む」ために行ったんですね。
パリではモーツァルトは無名の新人だったのです。
そして、パリで作品を作曲しますが、しかし演奏会で演奏してもらえないし、さらに楽譜も紛失されてしまう。
貴族も宮廷も自分を雇ってくれない。
パリの人たちの態度はとても冷たくて、モーツァルトはパリを嫌になってしまい
営業活動をあまりしなくなってしまったそうです。
そして6か月の滞在ののち帰国しました。
まぁ、モーツァルトはパリでヴァイオリン・ソナタを作曲していて、1778年にパリで楽譜を出版してはいますから、
それがオスカルの手元にあって演奏した可能性はありますが、
でも、無名の作曲家の作品ですから…。
そして、それ以降の彼の作品が、フランスで出回り、
オスカルの手元に届くことはなかったのではないかなぁ、と。

一方ハイドンはというと、エステルハージ家に長年仕えて国際的な名声も高まり、
本人はパリに行っていないにもかかわらず、1770年代後半からパリで人気が高まりました。
そして1780年代になると、パリの楽団の方から「あの人気作曲家ハイドンさんに交響曲を書いてもらいたい!」と作曲をオファーするのです。
自分から売り込んだモーツァルトとは大違い。
ハイドンに払った交響曲1曲あたりの作曲料は、モーツァルトに払った金額の5倍だそうです。
当時のある年(1788年だったか…。ちょっと今パッとは出てきません、すみません)
パリのオーケストラの演奏会で演奏された交響曲のほとんどがハイドンの作品だったとか。

まぁ、芸術というものは、後の時代になって「素晴らしい」と言われるものは、
当時は理解されないものでして。
モーツァルトもその例でしょう。

そんなかんじなので、原作やKidsや、あと皆さんがお書きになる二次創作でモーツァルトの音楽が登場するたびに
モヤモヤしてしまう私なのでした(苦笑)
でもモーツァルトの音楽が登場する方が、物語が美しいですよね。
かわいそうなハイドンさん(笑)

またまた長文失礼しました!
返信する
りつこさま (りら)
2016-05-08 23:55:55
 コメントをありがとうございます。

>2人の出会い方、偽名、ああなるということ、そのあと着衣乱れた姿で親に告白、だけなので要所でのモチーフの引用、とでも言ったらいいでしょうか

 こういうことを知った上で、あの新作エピソードを読むと、違った見方ができますね。オペラ「リゴレット」のポイントを抑えつつ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名画も登場させる。池田先生はクスッと笑いながら、この作品の構想を練り、発表後はファンが仕掛けに気づくかどうか反応を待っていたかもしれませんね。

>「らららクラシック」のハイドンの回に池田先生がご出演されたのですか!
すみません、わたし、「ららら」は見てないもので、その回も見てません…(^^;;;。

 ご安心ください。5月12日(木)に再放送があります。詳しくはこちらをクリックしてください。
http://www4.nhk.or.jp/lalala/x/2016-05-12/31/33345/2133178/
 NHK Eテレで午前10:25~10:55まで再放送しますので、ぜひご覧ください。

>ちなみに当時の音楽家は“芸術家”ではありません。使用人です。館の厨房で働く料理人と一緒

 ええっ!そうなんですか?私は、当時の王侯貴族たちは、ハイドンやベートーベン、ヨハン・シュトラウスらの音楽を、現代で例えると若者が最新流行のジャニーズの曲を聴く感覚で楽しんでいたのかなと思っていました。バレエも然り。だから当然、音楽家たちのパトロンになり、彼らを庇護していたものとばかり思い込んでいましたが、召使と一緒ですか!

 そしてモーツァルトは、パリにいい思い出がなく、したがって滞在期間も短かったことを思えば、オスカルはさほど彼の曲に親しんでいなかったかもしれませんね。最近、ブログでオスカルのお見合いパーティに登場するド・ギューシュ嬢のことを書きましたが、あの時もモーツァルトは、ド・ギューシュ嬢の親から、ちゃんとレッスン料を払ってもらえなかったりと苦労をしています。

>でもモーツァルトの音楽が登場する方が、物語が美しいですよね。

 日本では、ハイドンよりもモーツァルトのほうが、圧倒的になじみが深い気がします。だから池田先生も、史実は史実だけど、敢えて「ベルばら」でモーツァルトの作品を、オスカルに弾かせたのでしょうか?

 今回も興味深いお話を、ありがとうございます。りつこさまならではの「ベルばら」の見方は、私にはとても新鮮で刺激的です。本当にありがとうございます。
返信する
りらさま (りつこ)
2016-05-11 02:08:27
こんばんは。
仕事が超絶大ピンチだったためお返事遅れました。。。

> オペラ「リゴレット」のポイントを抑えつつ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名画も登場させる。

そう、ド・ラ・トゥールにはびっくりしました!
この2つからまったくオリジナルな話をお作りになる池田先生の発想は、本当に素晴らしいです。

「ららら」の再放送情報ありがとうございます。
忘れずに予約を入れます!

> 私は、当時の王侯貴族たちは、ハイドンやベートーベン、ヨハン・シュトラウスらの音楽を、現代で例えると若者が最新流行のジャニーズの曲を聴く感覚で楽しんでいたのかなと思っていました。

あ、召使いと同じなのは、ハイドン、モーツァルトまでです。
ベートーヴェンからは“芸術家”です。
ベートーヴェンは、誰にも雇われず(パトロンはいましたけれど、雇われてはいないです)、自由な立場で、自分の心の赴くまま書きたい音楽を作曲した最初の人で、今言うところの“芸術家”の始まりはベートーヴェンと言えます。
ベートーヴェンが音楽家として活躍したのは19世紀ですから、世紀が変わって、時代が変わったのですね。
ヨハン・シュトラウス2世は、おっしゃるとおり、まさにジャニーズです!
音楽だけでなく、新聞にゴシップ・ネタが載り、街中その話題でもちきりになったりもしていますから(笑)

> あの時もモーツァルトは、ド・ギューシュ嬢の親から、ちゃんとレッスン料を払ってもらえなかったりと苦労をしています。

なんですよねぇ。
仕事求めに大都会パリに来た“田舎の音楽家”ですから、貴族から軽く見られたのかもしれませんね。
かわいそうなモーツァルト。

「フルートとハープのための協奏曲」を書いた、このパリ滞在での就職活動で、モーツァルトは、ヴェルサイユ宮廷礼拝堂オルガン奏者の職を斡旋してくれる人と出会うんですが、断っちゃうんですよね。自分の望む条件と合わないという理由ですが、でもフランスが嫌だからということもあるみたいです。ベルばらファンとしては「ヴォルフガング!なぜ引き受けなかった!」と思わずツッコミたくなります(苦笑)
返信する
りつこさま (りら)
2016-05-11 23:46:14
 コメントをありがとうございます。

>仕事が超絶大ピンチだったためお返事遅れました。。

 どうか返信は気になさらないでください。いつでも書きたい時にどうぞ。

 りつこさまが「ららら♪クラシック」のハイドン編をご覧になり、どんな感想をお持ちになるかとても楽しみです。

>ベートーヴェンが音楽家として活躍したのは19世紀ですから、世紀が変わって、時代が変わったのですね

 ああ、確かにそうですね。それまでの作曲家はほぼ全員、鬘を付けていましたね。王侯貴族のために作曲していたからでしょうか?(学校の音楽室に飾られている肖像画を思い出しました。)または教会のためにミサなどを献上していたから?けれどベートーヴェンは違いますね。彼の作品は、誰かに媚びている感じがしません。

>かわいそうなモーツァルト

 モーツァルトはよくよく、フランスとは相性の良くない人だったのですね。けれどオスカルは出動前夜、アンドレと結ばれる前に心を鎮めるため?彼の曲を弾きます。「ベルばら」の中で、彼はいいポジションを得ています。

>自分の望む条件と合わないという理由ですが、でもフランスが嫌だからということもあるみたいです
 
 モーツァルトは、フランスにいい思い出がなさそうですね。彼なりにプライドもあり、お金のために卑屈な思いをしてまでフランスにとどまって、音楽活動を続けることに意味を見いだせなかったのでしょうね。でもフランスにずっと滞在していたら、サリエリの嫉妬を買うこともなく、もっと長生きできたかもしれません。勝手な憶測ですが。

 私の知らないことをたくさん教えてくださり、本当にありがとうございます。
返信する

コメントを投稿