
掃除---この項では、床磨き・トイレ・ネズミ対策について書かれている。
1774年、ノアイユ伯爵はこう述べた。「王族方は聖堂(=宮殿)の不潔さに、御不満を述べておられます。」床磨き人や掃除人の給金は大変低かったが、それでも毎日必要な人手だったため国王から住居を与えられていた。床に敷き詰められた大理石を洗うと、隙間から水が入り込み、骨組みや梁を腐らせ階下の居室まで傷んだ。寄せ木張りは大理石よりも丁寧な手入れを必要とし、床磨き人の数を増やさなければならなかった。居室の広さによっては複数人を雇わねばならず、貴族の中には国王に人員増加を訴える者もいた。60歳を超え、年老いて働けなくなった床磨き人は年金を要求した。そのためノアイユ伯爵は、こうした使用人を雇い入れるときは40歳を上限とし、職務をきちんと果たせるかどうか確認してから雇うように提起した。
一番大変だったのがトイレ掃除。正しくは汲み取り槽を空にする作業。1761年、フランス衛兵隊駐屯地にあった汲み取り槽の浄化について、視察官はこう報告している。「光が入らないため、仕事するには2つのカンテラを使い、悪臭に耐えきれない労働者のために、気つけ用のブランデーを用意しなくてはなりませんでした。」オスカル、アンドレ、アラン、フランソワ、その他の隊員たち----彼らは勤務している間、トイレ絡みで不便なことが多々あっただろうか?特にオスカルは紅一点。トイレの問題は切実だったはず。さすがのアンドレも、どこまで彼女を守ってあげられたか?
王族たちにとっても、汲み取り槽の処理は切実な問題。居室の汲み取り槽がいっぱいになると、別の宮殿にしばらく移り住み(たとえば夏はコンピエーニュ、秋はフォンテーヌブローといった具合に)、不在中に処理させていた。そこでマリニー侯爵は「悪臭を残さない機械」すなわち換気扇の開発を提言する。1779年、ローラン・ダルトワは換気扇を用いた掃除の特許状を交付され以後15年、独占的にパリ市内および郊外で汲み取りを行った。
次いで1782年、ジャマン氏は弱い酢を使って臭いを取り除く方法を思いついた。3月のある日、フランス衛兵の昔の兵舎で実験を行う。その場に立ち会った総視察官ウルティエの記録より。「汲み取り槽に酢を垂らせば、すぐ悪臭が消えると言うのです。けれど悪臭と酢の混じった空気でそこにとどまることができず、吐き気を催して急いで脱出しました。」生きていくうえで、トイレの問題は決して避けて通れない。王族とて同じこと。 「テルマエ・ロマエ」ではないけれど、もしルイ14世、15世、16世、アントワネットたちが、現代のウォッシュレットを見たら何と言うだろう?「セ・マニフィーク!」と感嘆の叫びをあげるだろうか?トイレに入ったきり、出てこなかったりして。
そしてヴェルサイユにはもう1種類、やっかいな住人がいた。ネズミ。王妃付き台所で働く官僚たちは、40年近く改装がおこなわれていないため、敷石の土台が腐りその下に夥しい数のネズミがいることを危惧していた。ネズミたちは巣穴を作り、階段などを破損させる、庭や田畑を荒らす、家具類を傷める等の被害を与えてきた。そこでネズミ駆除の劇薬を開発するのだが、十分な効果が得られなかった。
それでも人は生きている。むしろ抗菌グッズが普及している現代人のほうが、ずっと抵抗力は落ちているかもしれない。
読んでくださり、ありがとうございます。
アントワネットには寝室用の便器を恭しく差し出す女官もいたそうです。もしかすると、オスカルは近衛隊時代はもちろん衛兵隊勤務でも簡易トイレ、つまり「おまる」を密かに持参していたのやら。尾籠な空想で申し訳ありません。
貴婦人たちは大きなドレスのスカート部分に、おまるを入れてしまえば、相手の目に触れずに用を済ませることができましたが、軍服姿のオスカルは大変です。アンドレが見張っていて、不埒な輩が近づかないようにしていたかもしれませんね。