少し昔のことを書いてみたくなりました。
『駄菓子屋さん』
私は小学校4年生まで、東京の大田区大森に住んでいました。
大森は山の手の山王、そして0メートル地帯の下町がありました。
山の手の方には『コージーコーナー』や『不二家』などの高級洋菓子店や『富士屋』などの洋食レストランがあり、お金持ちの人たちの住む洋館などもありました。
一方下町には零細の町工場や、小さなしもた屋などが多くあり、私はその下町の入新井という所に住んでいました。
前には大きな入新井公園があり、夏ともなれば週末にフォークダンス大会なども行われていました。
この下町には駄菓子屋さんが何件かありました、私がよく行ったのは『ジジババの店』という高齢者のご夫婦が経営していたお店でした。
時々親からもらった10円玉を手に握りしめてこのお店に通ったものです。
「10円?」と思うかもしれませんが、その頃は大金でした。
あなたは『ニコヨンさん』という言葉を知っていますか?
そのころ失業対策の一環の仕事に従事した人は職安から貰える1日の賃金が240円だったことからできた言葉です。
ですから10円でもアダやおろそかにはできなかったのです。
私達の楽園ともいえる駄菓子屋さんに行くと10円の価値がさらに広がります、当時はもう50銭硬貨はありませんでしたが、50銭という言葉がまだ残っていました。
プラスチックの透明なストロのような長細い容器に詰められた、赤や黄色や緑の極彩色の甘い味がするかんてんは細いものが1本50銭。
つまり、1円で2本買えたのです。
当たりくじなどもありました、緑色の紙を舌で舐めると数字や文字が現れて、当たるといいものがもらえます。
その他には、水あめとオレンジ色をした柔らかいおせんべぃ、ぽちっと紙箱の一部を押しぬくと中から何か小さなおもちゃが出現するもの。
そうそう、キャベツをみじん切りにしたものに桜エビを入れたお好み焼き風の物も売られていて、頼むと作ってくれるので、フーフー言いながら食べました。
『駄菓子屋さん』は私たちに重要な集会所でありワンダーランドでありました。
放課後街に[何何ちゃんあそぼ]の声がこだまし、子どもたちがはじけるように公園に行き日が暮れるまで遊び惚ける、そんな時代的背景の中で、駄菓子屋さんは燦然と輝いていたのです。