私が子どもの頃には、東京ディズニーランドのようなアミューズメントスポットはありませんでした。
遊園地はたくさんありましたが、現在のそれと比べると、とてもシンプルなものだったし、それでも、年に何回も行ける存在でもなかったですね。
通常は、公園で友達数人とおにごっこ、かんけり、どろじゅんなんかをして、空が暗くなるまで遊び惚けていました。
勿論、いろいろな露天が来る公園は、まさに私たちのアミューズメントスポットでした。
思い出せる範囲でどんなものがあったか書いてみますね。
夏の金魚屋さん、風鈴屋さん。春、夏、秋の紙しばい屋さん、かた屋さん、冬にはおでん屋さん、焼き芋屋さんが店を出していました。
そうそう、忘れていけないのは不定期なのですが、子どもにとっては超ド級のお店は私たちは「ぱっかん」と言っていたお店です。
何やらたいそうに長い機械が広げられて、機械の口の部分にお米(確かお米だった)を入れるとぱっかんと音がして、ポップコーンのように丸まった物体が吐き出されてくるのです、お米を入れる時に一緒に少量のお砂糖が加えられて出てきたものはうす甘い味が付いていました。
昭和にはこういった露店がたくさんあり、私たちの楽しみであり、露天商にしたら生活の糧だったわけです。
ほとんどの子どもは10円以下のお金しか持ってなかったわけですから、失業対策の日245円(当時はニコヨンさんと言われていた)を稼ぐのにも大変な努力が言ったのだと思います。
その割には重い荷物を担いで、1日中移動するわけですから相当な重労働だったのですね。
こうした努力の積み重ねの上で私たちは、楽しめたわけですが、当時はそんなことはちっとも考えてはいませんでした。
それにしても今の子どもたちはかわいそうですね、塾やおけいこごとに追い回されて、外で遊び惚ける時間なんかありませんからね。
ですから今の子どもたちの遊びは本質的に変化してしまいました、宿題、塾、習い事、部活の合間の時間に楽しめるもの、それはゲームです、小学高中学年までにいきわたったスマホで、空いた時間は寸暇を惜しんでゲーム遊んでいます。
今はそれが普通ですから子どもたちはなんら不思議は感じないでしょうけど、最近日本人の思考力の低下が、随所にみられるといわれますが、教育もありますが(それは諦めました)それは子どもの頃の、遊びの質に問題があると思っています。
もはや、昔のように子どもたちが群れを成して遊びまわるなどということには時計は逆戻りしてくれるすべもありませんが。