盆踊り会場
久々に町主催の花火大会に行って来ました。
盆踊り会場と屋台会場が出ていて交通整理もする、かなりにぎやかなお祭りです。
アトリエのある利根町は古墳等ある古い町で、大昔から人が住んでいたようです。
他にも平将門や妖怪の伝説が沢山あって、
近隣ではアンティークな屋台車にお囃子があったり、
毎週かなり伝統的なお祭りラッシュが続きます。
また県境の利根川や鬼怒川と繋がっている小貝川など、大小多くの川に挟まれ、
今回は震災の為自粛したところもあるようですが、
霞ヶ浦、千葉側も含めると10月位まで沢山の花火大会があるのです。
町主催のお祭りはどちらかと言うと新しい方のお祭りで、
お隣の取手程大掛かりではありませんが、近隣の人は結構楽しみにしています。
なのに今回花火の写真は全然上手く撮れなくて残念でした。
灯籠流しもします。鐘の音やお経の声がとても物悲しいので
この時だけはしんみりしてしまいます。
今回被災した方々に向け、手を合わせました。。。。
利根川で灯籠流し
でもこういう「音」や「明かり」はどこか郷愁的で
日本人だなーってあらためて感じさせられました。
昔、戦後間もない頃、駐留中のアメリカ兵が
近所のお寺に苦情を出したと言うお話を聞いた事があります。
朝や夕刻を告げ、鎮魂する鐘の音が
外国の兵隊さん達の気持ちを滅入らせ鬱にさせてしまったそうです。
「どうにかあの鐘の音を止めて欲しい」
日本人は鐘の「音」にも諸行無常や栄枯盛衰を見て、
侘び寂びを感じ、精神性や哲学までたどるところを
外国の方はセンチメンタルという感情でしかとらえられ無い様です。
沢山の灯籠が流れていきました。
これと同じく「花火」や「桜」を見ても、命やものの儚さを感じ深く感動出来るのは日本人だけで
海外の人はただ「奇麗」だなあとしか見ないそうです。
そう言う冷静さも必要な時もあるので、一概には言えませんが
日本人の繊細な感覚や侘び寂び的な価値観は、
なんとなく今回の自然災害には大変意味があったという気がします。
「しょうがない」と言う前向きな言葉を最大限に使えるところとか、
人の力ではどうにもならない事があって
運命や自然界地球等そういった異世界と、人は寄り添って生きていかなければいけないとか、
なんとなく感覚的に知っていたふしがあるところとかです。
自然に恵まれていると同時に、災害の多い国であるからこその感覚なのかも知れませんね。