▼東南アジア某国 名も知れぬ島の郊外リング
先人が撒いたプロレスの種は世界に散らばり、花を咲かせている。
たとえばそう、この名も知れぬ島においてすらも。
「……リングがあるだけ、マシと思わないかんか」
今にも切れそうなロープ、薄っぺらいマットしか敷かれていないリングを眺め、〈紫熊 理亜〉こと〈Σ(シグマ)リア〉はひとりごちた。
いろいろあって日本を離れた彼女は、“ママ”と慕う覆面レスラーと共にアジア諸国を遍歴、各地のプロレス団体のリングに上がってきた。
そのなかで、彼女がいかなる経験をし、どんな成長を遂げたかは、いずれ語るとして……
(まったく、かなわんなぁ。……)
最初は二人旅だったこの“アジア放浪記”。
“ママ”がリアを残してあっさり帰国してしまったことで、いまや一人旅。
日本に帰ろうにも、旅費すらない、ときている。
しかし、アジア武者修行でたっぷり辛酸を舐めたリアは落ち込む色もなく、
(ま、リアにはこの体があるしな)
さよう、腕一本あれば、地元のプロレス団体に参戦し、ファイトマネーを稼げるのだ。
この日もそうで、身振り手振りとかなり雑な英語を駆使して出場を取り付けたはいいが、どんな相手と闘うのやら、てんでわからない。
とはいえ、地下プロレスではあるまいし、
(まさか、殺し合いはさせられんやろ)
郊外の原っぱにリングをこしらえ、観客も地べたに座ったり立ったままだったり。
こんなのどかな雰囲気で、殺伐としたものを求められるとも思えない。
じっさい、彼女の前に行われた試合は、ごくふつうのプロレス。
基礎はできているが、それだけ……といってさしつかえないレベルであった。
(ここはいっちょう、“本物”ってもんを見せてやらんとな)
『ジャパニーーズ・サドンデス・クイーン、シッグーーーマ・リィーアーー!!』
割れ気味のマイクで呼び出され、颯爽とリングイン。
言葉はわからぬが、リアの妖しい美貌に観客がアッとなるのがわかる。
更にジークンドー仕込みのヌンチャク妙技を披露してみせると、それだけで大歓声。
いい塩梅に客を温めたところで、リアと相対するのは――
(……ん?)
青コーナーに陣取っているのは、胴衣姿で、両手に木の棒を持った女。
あの棒、どこかで見たことがあるような気がするのは、思い過ごしであろうか。
(ほお、こっちもなんか演武でも見せるんかな?)
と思いきや、何のアピールも見せない。
いやそれどころか、
「っ、ちょっ!?」
ゴングが鳴るや、棒を手にしたまま間合いを詰めてくるではないか。
ここでリア、ようやく思い出した。
あの棒、すなわち“オリシ”を使う格闘術――
(……“エスクリマ”!!)
師祖ブルース・リーがジークンドーに取り入れたフィリピン武術!
どうやらこの一戦、たんなるプロレスの試合ではなく……
(プロレスvsエスクリマの“異種格闘技戦”……!)
で、あるらしい。
(……英語、もっと勉強せなあかんな)
そう痛感しつつ、Σリアはヌンチャクを構え直した。……
この試合、リアは追い込まれるも、最後は逆転の「BAD END(隠し持った黒絵の具をその場で潰し、相手の目を潰す)」で反撃、打撃のフルコースで仕留め、辛うじて勝利を掴んだのである。
対戦相手からは恨みを買った気がするが……ま、仕方はない。
◇
▼中国 上海市南京路
かくのごとく、アジアでプロレス武者修行に励んでいたリアであったが、次第に、風向きが変わってきた。
その原因は、
【IWWF-A】
の出現に他ならない。
その名の通り、アメリカの最大手団体【IWWF】のアジア支部。
アジアマーケットを制するべく仕掛けられたこの組織は、瞬く間にアジア全土にネットワークを築き、多くの団体をその傘下におさめた。
仕掛け人はIWWFの切れ者《ミス・スパイク》とも言われるが、定かではない。
ともあれ、レスラーはIWWF-Aの発行するライセンスを取得せねばならない、ということになった。
こうなると、リアは面白くない。
――それって、IWWFの犬になるってことやろ。
どうやら、自由気ままなアジアあばれ旅もここまでのようだ。
――そろそろ、日本に帰ってみよか。
年も明けたし……というわけではないが、あちらもだいぶ変わっているであろう。
そんな彼女に、
『ハーイ、リア。日本に帰るんですって?』
とコンタクトしてきたのは、
『なんや、アンタらかいな』
『アンタらとはご挨拶ね』
《ブリジット・ウォン》、《シンディー・ウォン》のウォン姉妹である。
少し前までアメリカの団体【TWWA】に属していたが、今はフリーランス。
レスラーとしての腕は確かで、とりわけアジア圏の人気は多大であったが、
『私たちも、IWWFの手先になるのは面白くないのよね』
『はぁん。……それで、うちを利用して日本で稼ごうって寸法?』
『そういうこと。貴方だって、スネに傷持つ身でしょう?』
『人聞きの悪い――』
確かに日本に帰れば、大きいところでは寿一派、小さくは新女の鏑木など、リアの首を狙う連中は少なくない。
そんな物騒なところへ戻るならば、
(この連中と組んだ方が、無難かもな)
との判断は、自然な流れであったろう。
とはいうものの、気軽に考えられる話でもない。
この連中だって、どこまで信用していいものか、どうか。
(あっさり裏切って、うちの首を千歌の奴に差し出すかもしれん)
それくらいの想像は、容易に可能なのだった。
『安心して頂戴。貴方、日本では大人気なんでしょう? 貴方を立てて、私たちはサブに回ってあげる』
『……なるほどね』
大人気――決して、間違ってはいない。
あくまで関西ローカルや、プロレスマニアの間の話ではあるにせよ。
だが帰国にしても、ただ目的もなく
「どうも~、帰ってきました~」
だけでは、インパクトが弱い。
それが許されるのは、知名度十分の大物だけであろう。
自分がそこまでではないことくらい、Σリア、冷静に判断している。
ならば、どうするか?
(まずは、情報が必要やな)
ネットを見れば、日本のマット界事情はだいたいわかる。
が、それらは所詮、「表向き」のものでしかない。
(結局は、内側のもんに聞かな)
と、いうことになる。
この場合、一番頼りになりそうなのは……
(……やっぱ、あの人かな)
◇
「ずいぶん、頑張っているようね」
リアが電話をかけた相手は、フレイア鏡であった。
現在は【WARS】のGMかつ《サンダー龍子》のパートナー。
武闘派ユニット【Silberne Drache(ジルバーナ・ドラッヘ)】を率いているという。
「そろそろ、里心がついたというところかしら」
そんなに殊勝な話でもないのだけれど。
「あいにくだけれど、今のWARSは――」
龍子、鏡らSD軍。
そして新戦力を加えた【スーパー柳生軍】。
更に、【ジャッジメント・セブン】と【寿千歌軍団】が合流してさらに強大化した【ジャッジメント・サウザンド(J1K)】による三つ巴の抗争中。
しかも、フリーのヒールとしては《ガルム小鳥遊》や《SA-KI》らの実力者がそろっており、リアの入る余地はないであろう。
「まぁ、同期の子たちと切磋琢磨したい、と言うのなら、それでもいいけれど」
WARSの〈上原 凪〉や〈ティーゲル武神〉、S柳生衆の〈MOMOKA〉、激闘龍の〈ブレイヴ・レイ〉らの新人たちと前座を温める……などというのは、
(……遠慮したいな)
試合をするのはやぶさかでないが、今さらアンダーカードで若手扱いされるのもつまらない。
では、いかにすべきか?
「そうねぇ。……」
人の悪い笑みを浮かべているのが、電話越しでも伝わった。
「そうそう。私、去年のベストバウトを貰ったのだけれど」
「あぁ……はぁ、おめでとうございます」
急な話題に?マークが浮かぶ。
「もうすぐ、その授賞式があるのよ」
「はぁ」
その会場において――
「何か、『余興』が欲しかったのよね」
「……っ」
そこまで言われれば、リアにもわかる。
「――わかりました。やらせてもらいます」
「フフ、いいのかしら? 詳しい話をしなくても」
その必要はなかった。
要するに、
「ぶち壊しにすれば――いいんでしょう?」
フレイア鏡の返事はなかった。
代わりに、
「チケットの手配はしておくわ」
補足して。
「何人分必要かしら?」
どうやら、「事」を起こすタイミングは、定まったようだった。
◇
▼日本 東京都千代田区 『ホテル・ニューイチガヤ』飛龍の間
この日、昨年度のプロレス大賞の受賞式が華やかに開催された。
なお、今年の各賞受賞者は以下の如し――
・最優秀選手賞(MVP):
《マイティ祐希子》(新日本女子プロレス)
・最優秀試合賞(ベストバウト):
《サンダー龍子》(WARS)
VS
《フレイア鏡》(フリー=当時)
(WARS福岡大会:龍子(31分45秒:両者ノックダウン)鏡)
・最優秀タッグ賞:
“災凶タッグプラスワン”
《ビューティ市ヶ谷》(JWI)
《十六夜 美響》(VT-X)
〈紫乃宮 こころ〉(JWI)
・殊勲賞:
《南 利美》(ジャッジメント・サウザンド)
・敢闘賞:
《ソニックキャット》(東京女子プロレス)
・技能賞:
《内田 希》(ジャッジメント・サウザンド)
・新人賞:
〈シャイニー日向〉(新日本女子プロレス)
「ろくに試合にも出ていない半病人がMVPとは、どういうことですのっ?」
「頑丈なのだけが取りえの誰かさんとは違うのよね~」
「何ですって――」
市ヶ谷と祐希子は一触即発、
「やれやれ。バカが2人そろうと、やっかいそのものだな」
「その点は同感ね。あぁでも、バカは3人でしょう? 貴方もふくめて」
「ほお……?」
龍子と南が視殺戦を展開したり。
いつ乱闘が始まるかと、関係者はヒヤヒヤものであったろう。
対立関係にある面々も少なくない緊迫した会場であったが、ひとまず無難に進行、最後の集合写真撮影も終え、さてこれにてお開き――という段になって。
それは、起こった。
「!」
突然、照明が落ちる。
ほんの数秒で明かりは戻ったが、
「あっ!」
誰もが、目を剥いた。
見知らぬ派手な女が、新人賞を獲ったシャイニー日向を痛めつけていたのだ。
「何の結果も出してないくせに、新人王? ちゃんちゃらおかしいなァ――」
と冷笑したこの乱入者は、日向の顔面に黒い毒霧をぶちまけて悶絶させるや、
「うちの名はΣリア! 通りすがりの美人レスラーや!
あんたらの首も、いずれ頂戴いたしますんで、よろしゅうに――」
呵呵大笑するや、風を食らって撤収するわれらがΣリア。
「あははっ、面白いな~、あの子!」
「さ、さすがクイーン・サドンデス! びっくりさせられたお~」
と大ウケだったのは祐希子とソニックで、
「やれやれ、品がありませんわね。まるでどこかの誰かのよう」
「うふふ。楽しそうな子ね」
と鼻で笑ったのは市ヶ谷であり、微笑したのは十六夜である。
「アレが例の“クイーン”か。少しは骨がありそうだ」
「フフ。そうでしょう?」
これは、龍子と鏡の言。
「おやおや。海外でおとなしくしていれば、五体無事でいられたのにね」
「……気の毒に」
そんな物騒なことをつぶやいたのは、南と内田。
「麗華さまより目立つなんて……許せません!」
と怒りを露にしたのはこころで、
「あの……女っ!」
怒りを剥き出しにしたのは、被害者の日向であった。
◇
この一件を受けて。
さっそく、リアと日向の試合が組まれることになった。
その舞台は、パンサー理沙子ひきいる【PantherGym】の後楽園大会。
▼日本 東京都文京区 後楽園プラザ
<(0)15分一本勝負>
〈アークデーモン〉(ジャッジメント・サウザンド)
VS
《木村 華鳥》(新日本女子プロレス)
*新女のルーキー木村が曲者と対決。
<(1)15分一本勝負>
《ハルク本郷》(Panther Gym)
VS
〈ブラッディ・マリー〉(プロレスリング・ネオ)
*デビュー戦の本郷に不覚を取ったBマリーの雪辱戦。
<(2)30分一本勝負>
《奥村 美里》(Panther Gym)
&
《小松 香奈子》(Panther Gym)
VS
《YUKI》(フリー)
&
〈フランケン鏑木〉(新日本女子プロレス)
*PGコンビが新・天使軍コンビと対決。
<(3)30分一本勝負>
《後野 まつり》(Panther Gym)
&
《庄司 由美》(Panther Gym)
VS
《ウィッチ美沙》(新日本女子プロレス)
&
《小縞 聡美》(新日本女子プロレス)
*PGコンビが新・天使軍コンビと対決。
<(4)30分一本勝負>
《成瀬 唯》(ジャッジメント・サウザンド)
&
《ジャイアント・カムイ》(ジャッジメント・サウザンド)
&
《神田 幸子》(ジャッジメント・サウザンド)
&
〈アトラス・カムイ〉(ジャッジメント・サウザンド)
VS
《テディキャット堀》(フリー)
&
《アルコ・イリス》(フリー)
&
《優香》(フリー)
&
《橘 みずき》(フリー)
*太平洋女子の残党がJ1Kに挑戦する。
<(5)休憩明け 30分一本勝負>
《沢登 真美》(Panther Gym)
&
〈シャイニー日向〉(新日本女子プロレス)
VS
《村上 千春》(Panther Gym)
&
〈Σリア〉(フリー)
*関西でマニアックな人気をはくしていた、元・ワールド女子のΣリアがPantherGym初参戦。
メジャー系のリングで存在感を示せるか?
<(6)セミ前 45分一本勝負>
《マスクド・ミステリィ》(ジャッジメント・サウザンド)
&
《斉藤 彰子》(ジャッジメント・サウザンド)
VS
《森嶋 亜里沙》(プロレスリング・ネオ)
&
《ドルフィン早瀬》(プロレスリング・ネオ)
*ネオコンビがJ1Kの刺客と対峙する。
<(7)セミファイナル 45分一本勝負>
《神楽 紫苑》(ジャッジメント・サウザンド)
&
《氷室 紫月》(ジャッジメント・サウザンド)
VS
《大高 はるみ》(フリー)
&
《ジャニス・クレア》(GWA)
*J1Kの個性派チームが友情タッグと対決。
<(8)メインイベント 60分一本勝負>
《パンサー理沙子》(Panther Gym)
&
《武藤 めぐみ》(NJWP-USA)
VS
《ヴァルキリー千種》(ジャッジメント・サウザンド)
&
《越後 しのぶ》(ジャッジメント・サウザンド)
*決別した武藤と結城がPGリング上で激突。
◇
(休憩明けかいな。……ま、しゃーない)
それはいいとして、バックステージでは、お世辞にも居心地はよくない。
知った顔も少なくないが、誰が味方で誰が敵なのか、さだかでないのだ。
(アークデーモン……? あぁ、ルミさんかいな)
神楽の従妹である彼女とは、かつて特撮ドラマで競演したことがある。
逆に言えば、それだけの仲なのだけれど。
(鏑木ちゃん、まだうちの首狙ってるんやろか? しつこいなぁ)
(マリーちゃんたちネオ勢は……J1Kとは仲悪そうやし、たぶん、大丈夫やろうけど)
神楽や成瀬は旧知の仲とは言え、今はJ1K側。
うかつに近づくことは避けた方がよかろう。
それより何より……
「あのー……今日は、よろしゅうたのんます」
「……チッ」
話しかけたとたんに舌打ちされた。
今日のパートナー、村上(姉)である。
以前、九州ドームで彼女たちの試合に乱入、妹の千秋や真鍋ともども、ヌンチャクでボコボコにしたことがあった。
あれから妹はJ1Kに入り、千春はPGに属している。
(あ~あ……へなたん(シャイニー日向のニックネームの一つ。「へなちょこな・ひなた」→「へなたん」となったと思われる。会社のプッシュに答えらない彼女を揶揄する意味で、プロレスファンの間で広く使われている)と一騎打ちにして欲しかったなぁ)
その方が、いろいろとやりやすかったのだが。
(まぁ、ええか)
この“査定試合”をクリアすれば、先が見えてくる。
唯一の不安は。J1Kによる妨害だが、
『安心しなさい。私たちがついてるわ』
『そうそう。一騎当千の私たちがいる以上、金城鉄壁よ!』
『……そう願いたいけどな』
正直、いかにも裏切りそうなウォン姉妹はちょっと頼りない。
一応、フレイア鏡との契約下にあるとはいえ……
むしろ、
「…………」
「あ、あの……よろしく、たのんまっさ」
「…………(コクン)」
無言でうなずく、《ザ・関取》の方が頼りになる……かも知れない。
その四へつづく