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Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

【続】阿蘇(災害ボランティア活動)から戻ってきました! 

2012-07-30 23:33:33 | 生き甲斐

ま、いっつも天気ばっかしじゃ つまんないから

それはそれで雨の中のツーリングを楽しんじゃいましたけどね(笑)

(↑俗に言うところの、転んでもタダじゃ起きないヤツ)

 

↓ こちらは、地元のボランティアの方が連れて行ってくれた 大黒様

ちょうど、先日ジャンボを買ったばかりだったので

なんとなーく 淡い期待を抱いちゃったりして(爆)

 

こちらは、二日目の帰りに 何気なく別の道を走ってみたくなって

そのまま走りつづけたら 阿蘇パノラマラインという観光道路で

往生岳 杵島岳の崩落場所に遭遇してしまいました。

 

バイクだったので写真はあまり撮れませんでしたが

実は、カルデラの中(阿蘇市中心部)から眺めると

外輪山から、阿蘇山(五岳ほか)も、数十箇所にわたり崩落しています。

 

 

 

最終日、帰りは”やまなみハイウェイ”を使うといいよ と勧められていたのですが

ついつい、根子岳間近に眺めてみたくなってR57を東に向かったところ

豊後街道が崩落によって9月まで通行止めとなっていたため

高森町経由で大回りすることになってしまいました

 

 

なんせ、いつもながらの行き当たりばったりで走ってしまったため

竹田から大分へのショートカット(R442)があったのにR57を直進してしまっため

大分市内で夕方の帰宅ラッシュ+夕立の大渋滞に巻き込まれ

フェリー乗り場に到着したのは 出航の30分前

大分のから揚げ食べたかったな~ 別府で温泉に浸かりたかったな~

 

と、後悔しきり

 

『必ずやこの地に戻ってくるぞ!』と固く心に誓いましたとさ(笑)

 

帰りは、コンビニに立ち寄ってる余裕もなかったので

船内のレストランで夕食

なんとなーく わけもなく ひとり打ち上げ気分でした

(海鮮丼、冷奴、味噌汁、大生でしめて1980円)

 

いろんな塩アメ

ソーダ味とか 黒糖味なんかもあったりするんですよ

 

そうそう

ボランティア活動では 高速の無料通行券がいただけます。

 

往路は、思い立ってすぐに出立したため自費でしたが、

地元の行政機関に申請して往路も申請して使うことができます。

朝、7時35分に 南港ATC前に到着

 

(後記)

阿蘇の被災地は、実際には外輪山周辺の崩落地域が悲惨な状態にあるのですが

いまだ避難解除されていないところも多く、

復旧にはまだまだ時間がかかりそうです。

 

8月も、月末には帰国する予定なので

また時間を作って阿蘇に行くつもりです。

 

 

よかったら どなたか同行しませんか?

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阿蘇(災害ボランティア活動)から戻ってきました!

2012-07-30 22:06:01 | 生き甲斐

って

実は土曜の午前中には家に帰ってきてたのですけど・・・

 

寝不足と数日間の肉体的疲労にもかかわらず

奈良に戻っても未だ興奮さめやらず いつもながらのハイテンション状態

 

すぐにでもまた阿蘇に戻りたい気持ちでいっぱいでしたが

よくよく考えてみると いくつもの仕事の問い合わせをほっぽらかして

鉄砲玉の如く、後先考えずに飛び出してたのを思い出しちゃいました

 

 

そんなこんなで すぐに戻ることは諦めざるを得ないと(ようやく)悟り

反動で 燃え尽き症候群に陥っていました

 

 

さて では今回の報告をかねて

現地と 奈良から阿蘇までの旅についても書き記してみたいと思います。

 

今回、フィリピンに居た時に昔の仲間達とのメーリングリストを通じて

九州北部豪雨災害のことを知り

 

その後帰国してから

どこに行ったらいいのかと ネットで調べてみたところ

 

熊本市内や柳川、八女、大分の日田、竹田等では

ボランティアも集まりやすく ほぼ収束に向かっている模様

 

ところが阿蘇市では 被害が山崩れを中心として広範囲に及んでいたこと

梅雨明けが遅かったことなどから、未だ人手が足りないとの情報が入り

阿蘇に行くことを決めました

 

↓ は、阿蘇市のボラセン(阿蘇市災害ボランティアセンター)

 旧役犬原(やくいんばる)小学校

個人参加者は、最初に入口でボランティア登録を済ませ

その後、オリエンテーション室にて

災害ボランティア活動のレクチャーを受けてから

マッチングルームに向かいます

 

マッチングルームでは、

車両提供のできる人(乗用車&軽自動車他)と

マンパワーでの協力者に分けられ

その後 あがってきたニーズが次々と読み上げられます。

 

(活動場所、被災者情報、作業内容、人数等)

『内牧(うちのまき)の個人のお宅で、畳あげ、床板はがし、床下泥あげで15名が必要です。』

『乙姫地区での瓦礫撤去、粗大ゴミの廃棄、土嚢の運搬で10名程度』

等等

 

今回のボラセンで感じたことは

 

局地的な被害であったこともあり

地元の熊本県内からの人がとっても多いこと(天草方面からの人が沢山いました)

 

そして夏休みに入っていることもあってか

平日にもかかわらず大学生、高校生風の若者や

女性陣の多いことにも驚かさせました

 

作業内容が過酷な肉体労働にもかかわらず

うわ若き20代の女の子達も 挙って手をあげていました

 

これがまた、ヤル気まんまんで参加している人達ばかりなので

若い女性参加者も、汚泥を嫌がるどころか 

むしろ積極的に泥にまみれ、汗にまみれながら一心不乱に活動する人ばかり

 

自分が こうした災害ボランティア活動にはまってしまったのも

被災者の人達を手助けしたいって気持ちがその根幹にありますが

 

それにもまして

普段の生活では なかなかお目にかかれないような

心優しく積極的に前向きに人生を送っている人々と共に過ごすひとときに

至上の喜びを感じているからだと思っています

 

 

特に今回は、無償で宿と食事を提供してくれた熊本YMCAのおかげで

毎日、そうした人達(10名前後)とともに寝食を共にすることができ

とっても充実した活動期間を過ごすことができました

 

 

【備考: 当初、バンガローで寝る場所を提供していただけると思っていたら、

ユースホステルでキレイなお風呂から、夕食、朝食まで無償でご提供いただいちゃいました】

 

この宿で知り合った人も それはそれは素晴らしい方ばかり

 

沖縄から飛行機で来ていた大学生に、

仲間で来ていた予備自衛官(自衛隊OB?)のグループ、

まだ成人前の息子さんを連れてきていた現職の消防隊員(お休みをとっていらしてました)

正義感溢れる頼れるお父さんって感じでとっても好印象でした

 

その他にも

個人で単独で参加している方々も多々いらっしゃいました 

 

特に、シルバー世代ながら、昨年の東日本大震災では、ほぼ震災直後から現地入りし

その後も何度も現地で活動をされ、また台風12号でも和歌山で活動された方とは

2日目、3日目と同じグループでいたこともあって

すっかり意気投合してしまいました

 

別れ際には、カッコウつけて

「今回は、一緒に活動できて嬉しかったです。また、いつかどこかでお会いしましょう

と手を振ってわかれましたが

 

やっぱり寂しくなってしまいました。。。

 

たしか8月上旬まで活動すると話してらしたので

宿にメールかFAXで こちらの連絡先をお伝えしておこうかと考えているところです。

 

「次回、またどちらかに行かれるときには、是非一声かけてください」って

 

 

あまり深く個人的はことを話していなかったので

想像の域をでませんが

西宮にお住まいとのことから

もしかしたら 阪神大震災のときの被災者だったのかもしれません。

 

それと言うのも

東北でも 阪神大震災の被災者が多く活動していましたし

和歌山の台風12号の被災地では東北からのボランティアも何人も見かけました。

 

今回の阿蘇でも、東北からのボランティアや、

数年前に水害のあった兵庫県佐用町からのボラバスもみかけましたが

自分が被災者となって、ボランティアに助けられたことから

そのお礼の気持ちで活動している人もたくさんいるんですよね。

 

 

おっと 

またまた 長~くなってしまいましたね。

 

 

 では、付録で阿蘇までのツーリングの旅もご紹介させていただいてもいいですか?

(ダメ!っていわれたってやめませんけど

 

さて、今回、急遽阿蘇まで行くことを決めて

最初に悩んだのが 移動手段

 

たった2~3日の活動に車で夜通し走って行くのも無謀すぎるし・・・

 

かといってたとえ飛行機でも新幹線ででも熊本に行けても その先が大変

熊本までの運賃も高額だし、その上、レンタカー借りるなんて

いまの自分とこの経済状態じゃ~ 絶対に無理

 

んじゃ~ フェリー使ってバイクで行くってのはどーだんべ と

早速ネットで調べたところ

なかなかリーズナブル

 

そんなわけで バイクを使うことにしちゃいました

4時まで事務所で仕事して4時半に家を出発 

第二阪奈道路+阪神高速を使って

5時半に大阪南港 ATC乗り場に到着できました

 

 

このATCとWTCという建物

大阪府がバブル時代につくった遺物で

開業当時はそこそこオシャレな街として賑わっていたのですが、

近頃はすっかり閑古鳥定住してしまった感があります。

↑ ガラスの向こうの建物は、WTCといって、関西で一、二を争った大阪府の所有する高層ビル

橋下元府知事が、経費削減のために府庁にすると宣言したものの、

埋立地のため地震が起こったら液状化現象で孤立すると指摘され断念した建物です。

その一角に 関西汽船の さんふらわあ の発券カウンターがあります。

なんせ ボンビーなもので ツーリスト(最下級クラス:大部屋雑魚寝)クラス利用

 

おーーーーっ! 弾丸フェリーなんてのを売り出してんのかー

船中泊2泊 現地0泊で 往復1万円だそうです

24日火曜日の出航時刻は 19:05

車両はバイクの積み込みは18:00からでした

船内のレストランは、高くて美味しくないので

チケット売り場の隣にあったコンビニで カップ麺とオニギリと

ビールのおつまみを買ってきました~

翌朝、6:55 別府着

事前にボラセンに問合せたところ、到着が遅れたら

当日は活動できないかもと聞いていたので

 

気持ちも焦って 往きは高速を使うことに

大分自動車道を 別府から九重まで走りました

ところが、九重で下りてからが さあ大変

アメリカ仕込みの 国道の番号だけ書いた紙しか持っていなかったために

すっかり道に迷ってしまい 

30分ほどロスしてしまいました

(言い訳: あまりに山の中で方向感覚が鈍っちゃいました

 

R387とR212を使って阿蘇スカイライン(ミルクロード)を横切り

大観峰の麓にある展望台に到着

 

実は、熊本は、今年の4月に八代に行ったのが初めて

 

阿蘇山周辺に行ってみたいみたいと思いながら

永年憧れの土地だったのですが

大観峰からの眺めの

あまりの素晴らしさにビックリしちゃいました

外輪山の規模は 想像以上

ヨーロッパアルプスの氷河の跡にできた谷を眺めてた時以来の感動でした

実は、阿蘇の町がどんなとこにあるのか

全くしらなかったものですから(まさかカルデラの中にあるとは知らなかった)

またまたビックリ

 

見渡す限り平坦な田畑が広がり 高層の建物はほぼ皆無 

そりゃ~ こんなとこ 

水に浸かったら逃げ場がないじゃん! って感じなんです

東北、和歌山と見慣れてしまいましたが

水に浸かった畳や家具が瓦礫の集積場に次々と運ばれてゆきます。

土砂は、瓦礫とはまったく異なる場所に集積所があり

1日目と2日目は、泥アゲのほかに、土砂(土嚢)を運ぶ軽トラやダンプの運転をしていたので

被災地と集積所を幾度も往復して すっかり地形を覚えてしましました

 

↓これは、初日の泥あげ作業に使った道具類

活動場所もできれば 写真でご紹介したいところですが

今回のオリエンテーションでも、毎回のボラセンでの出発前の説明でも

写真撮影は禁止とのお達しがありましたので

現場の写真は一枚もありません。

 

ただ、本心としては、作業の事前、事後の情景(?)は、

是非多くのみなさんに見ていただきたいですね

 

いつも感じることだけど

有償で業者さんとかに頼んでも

きっとあそこまで丁寧に そして短時間に処理できるものではないと思います。

 

水害で、下水臭のするドロドロの汚泥を土嚢に詰めたり

廃棄する畳や家具を解体したり、ダンプに積み込んだり

休憩時間さえ惜しんで、汗と埃まみれになって作業するんですから

 

ほんと 参加者の自己満足だけなんですよね

 

 

 話変わって

こちらが、宿として利用させていただいた YMCA阿蘇キャンプ場

この建物は、ユースホステルと食堂、お風呂、集会場などのメインの建物

その奥に ロッジ風(?)の建物があり

人数によって 1棟、2棟を使わせていただきました。

ログハウス風の建物で2段ベットの部屋。

10~12名収容で、布団も各戸に水洗トイレもありました。

夕食も朝食も とってもボリュームがあって

ゴハンはおかわり自由

みんな肉体労働でお腹がすいているので 大変喜んでいました

ご馳走様でした

そして大変お世話になりました。 心より厚く御礼申し上げます。

 

 

さてさて、この阿蘇市の役犬原という土地(阿蘇神社の近くです)

湧水で有名なところなんです

http://www.youtube.com/watch?v=h2ChXg84jH4

現地での活動3日目が最終日でしたので

作業から戻ってから、この湧水でザブザブと体を洗ってきました

 

この日も35℃越えで ドロドロで汗ダクなんてもんじゃなかったもんだから

人がこないのを見計らって 下着まで着替えちゃったんですよ~(爆)

 

こちらが帰路に撮った 宮地駅前での阿蘇山(高岳)の風景

 

雲に覆われて 『帰り道、ちょっとやばいかな?』と思ったとおり

大分の竹田に入った頃から夕立の土砂降りとなってしまい

レインスーツに着替える余裕もなくなって

ずぶ濡れ状態で船に乗り込みました

 

 

【文字数制限を超過してしまいましたので、続きは別の記事として再投稿させていただきました

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これから阿蘇に行ってきます!

2012-07-24 13:46:18 | 生き甲斐

えーっと

7月2日から21日まで またまたフィリピンに行っていました

 

で、実は、続けて当初パナマで仕事って話があったのですが

調べてみたら 今頃は メキシコだったり コスタリカだったりして(船の所在地が)

 

あまりにも日程に余裕がないので

26日から8月の第一週の間にベネズエラでって提案したんだけど・・・

 

調整に手間取ってるのか、ナシのつぶてなので

 

それならばと

夏休みをかねて 急遽阿蘇に行ってくることにしました

 

現地のボラセンに電話したら

梅雨明けが遅かったこともあって 復旧がすすまずまだまだ人手が足りないとのこと

『お手伝いいただけたら 大変助かります』って

 

 

というわけで

これから家に帰って

バイクで大阪南港に行って さんふらわーに乗船して別府まで

明朝 別府からバイクで山越えして阿蘇に入るつもりです。

 

ボラセンで登録して、ニーズのマッチングして

なるべくたっぷり泥と汗にまみれてきたいと思っていま~す

 

一応の予定は 週末で人の増える前日の7月27日まで現地で汗かいて

その日の夜の便で またフェリーに乗って帰ってくるつもりです

 

フェリーも当日だったので 割引がきかないって言われたんだけど

JAF会員で 30%引きがお使いいただけますって言ってくれちゃったし

現地の宿泊先のYMCAのキャンプ場も とっても親切に27日まで予約入れてくれたし

天気予報みたら 雨はなさそうな気配だし

 

やっぱり 天が 

”気の済むように行ってこい

って言ってくれてるんだな~って思ってます(笑)

 

 

では また元気に戻ってこれたら ご報告しま~す(たぶん)

 

じゃ

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奈良市災害支援ボランティアバスに参加したみなさんへ【伝言板】

2012-01-04 19:05:12 | 生き甲斐

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

さて

 

ブログをこんな風に使っていいのかなぁ・・・

 

と、

正直、一抹の不安もありますが

”案ずるより生むがやすし”

と諺にもあるんで 意を決して使っちゃいます

 

実は、以前にも記事にさせていただいた標記の活動に参加した仲間から

『G.W.を利用して、もう一度気仙沼へ活動しに行きませんか

との嬉しい声があがり、早速企画を始めてみました

 

というのも

またまた記事にしてしまいましたが、昨年の9月に台風12号の被災地へ出向き

短い時間でしたが、活動をつうじてとても充実した時を過ごすことができ

ボラバスの時を思い出させる生きる喜びをもらった気がしました。

 

ということで

より多くのみなさんにも、そんな素晴らしい体験をしていただけたらと願い

ここで記事にし、声をかけさせていただきました

 

具体的な内容は、また順次打ち合わせて固めてゆきたいと思いますが

とりあえずザックリとした内容をお話すると

 

①自治体に頼らず自分たちで企画し、自己完結で活動してみよう

②募集対象者は、基本的にボラバス参加者及び参加者からの推薦者などを想定

③仮日程(後日決定): 第一案 2012年5月2日~5月6日(4泊5日) 

④宿泊先は、前回と同様、公共施設の利用申請。(当該時期は膨大な人出が予想されるため)

⑤活動場所は、現地のボラセンと調整し決定する予定です。(宮城県内を想定)

※参加費用を軽減するため、高速バスの利用。貸切バスの借上他、最適な移動手段の調査中です。

 

また、同じようにボランティア活動に参加して喜びを感じた全国の人達が

再びG.W.に集結することも予想されます。

こうしたことからも、少しでも早く、ハード面(交通手段、宿泊先)の確保と

活動内容の検討をすることが必要であると感じています。

 詳細については、先にも述べましたとおり順次意見を集約して取りまとめてゆく所存です。

 

【1/12 一部削除いたしました。】

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滝の拝

2011-10-24 19:51:21 | 生き甲斐

みなさんのなかで

この”滝の拝”という場所をご存知の方いらっしゃいますか?

 住所は、和歌山県東牟婁郡古座川町小川というところ

熊野の観光名所といっても

あまりにも交通の便が悪い僻地にあるため、めったに人の訪れない土地でもあるとの地元の方のお話でした。

私がこの地のことを知ったのは、

もうずいぶんと前のことになりますが、いつものようにどこかの国に滞在中

偶然、衛星放送のTV番組(ワールドプレミアム)で目にしたのがキッカケでした

 

あまりに美しい景色に目を奪われ

後日その放送の内容を調べてみたら

”生きもの地球紀行”
紀伊半島・古座川清流に生きるアユの四季

http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200999901250130008/?n=3&q=%E5%8F%A4%E5%BA%A7&o=21&np=20&or=d

 という番組

 

もし機会があったら、ぜひ一度アーカイブスでご覧になってみてください。

超オススメで、きっとすぐにでも古座川に行ってみたくなっちゃうと思いますヨ

 

ほかにも、関西地方では、この滝の拝で

釣ったばかりの鮎を丸呑みする鮎釣り名人も幾度かTVに登場していて

(探偵ナイトスクープでも取り上げられてました)

 地名までは覚えていないかもしれませんが、そこそこ知られた場所でもあるんじゃないかと思います。 たぶん

 

 

先日の9月15日、

なぜか偶然にもその憧れの地を訪れ、滝を眺めながらコンビニ弁当で昼食をとってみました

というのも、

実は・・・・・

 

出稼ぎの合間をぬって

台風12号による被災地へ災害支援ボランティアに行ってきちゃったからなんです

 

当初は、台風の被害を知って、地元の天川村に行きたかったのですが

海外出張が連続してしまい、ようやく日本に帰国した12日には、

もうすでに天川村の災害支援活動がほぼ収束していて、ニーズもなくなったとの情報

 

山崩れで甚大な被害を受けた十津川村や大塔村は、

未だ危険な状態にあるため、まだしばらくは立ち入りができないらしいとの噂だったので

 

ならばと、三重県(紀宝町、熊野市ほか)和歌山県(新宮市、古座川町ほか)

にネットで募集状況を調べてから電話連絡してみたところ

「交通が遮断されている上に、平日はボランティアが少ないので来ていただけたら助かります

とのこと。

 

ならば往復の移動に時間が費やされてしまう日帰りよりも

個人負担であれ、宿泊施設が利用できる方がいいや! ってことで古座川町に決定しました

 

とりあえず、急ぎの事務仕事を深夜までかけて片して仮眠

未明に自宅を出発

道路が分断されていないことを調べておいた

第二阪奈道路→阪神高速湾岸線(関空)→阪和道→御坊・白浜道から

地道のR42で串本までの経路を選びました

 

そのかいあって、朝の6時前には無事串本に到着

 

朝一でボランティアセンターでの登録を済ませて、ニーズへのマッチングに間に合うなと 

ようやく胸を撫で下ろしました。

途中、こんな看板↓をみかけて

あの有名な難破したトルコ船を助けたのが ここ串本だったんだと再認識

チャート(海図)もしっかりない時代だったら、さもありなんと思える海上交通の難所なんですよね

大島を抜けられそうと思いきや・・・

反対側には橋杭岩が

よくよく考えてみれば、串本といえば近畿地方に台風が上陸しそうになると必ずTVで

レポーターが現地報告をしてくる台風銀座地帯ですもんね

 

 

 

ココ↓が古座川町の災害ボランティアセンター

実は、この辺りも場所によっては大人の胸の高さまで水に浸かった跡が残されていました

 

到着後、車内でツナギに着替え、安全靴に履き替え、ヘルメットを被り、防塵マスクにゴム手袋

水と食料、救急薬品をいれたデイバッグを肩にかけ

首にタオルを巻きながら、いざ出陣 と周りを威圧するような勢いで

いま思い出すとちょっと恥ずかしいほど気負って ボラセンに飛び込んで行きました

 ボランティア活動状況↓ 到着した日がボランティアを受け付けてから5日目でしたが、

既に初日から町が無償で提供している公民館に寝袋持参で泊まり込んで活動しているボランティアが

何人もいてビックリ

ボラセンの向かいにある町立体育館にはさまざまな資材が並んでいました。

気仙沼では、受付の人間が居て、貸出リストに記録していましたが、ココ古座川町では

各グループがそれぞれ自由に使いたいものを持ってゆくシステムでした。

最近は、水害や東日本大震災の災害支援の経験から

全国の地方自治体からこうした作業用具が被災地に向けて送られてくるとのことでした。

隣接する小学校の運動場がボランティアの駐車場に

子供たちには可哀想でしたが、橋脚が流され、白浜から南の鉄道が寸断されているため

代理輸送のバス以外交通手段がない状況なんです

初日は、睡眠不足の上に、予想以上の重労働となって精神的な余裕がなかったため、

活動場所をご紹介する写真もとっていませんでしたが

 

二日目は、古座川町でも最奥部の田川からのニーズに手を挙げたため

ボランティアセンターからでも車での移動に片道約1.5時間を要したものの

体力を持て余すほど元気モリモリ

滝の拝を過ぎて30分ほど走ったところで、後続の車がなぜか急停止

それにしてもキレイな川だな~と景色に目を奪われてしまいました

(これでも、地元の人に言わせると、緑色をしてたら濁っているんだそうです)

さてさて、どうしたのかな? と近寄ってみたところ・・・

な、なんと本日から加わった大阪からのボランティア二人組が車から降りて

ペコペコと頭を下げている様子

 

というのも、電車が寸断されているからと白浜からレンターカーを借りてきたんだけど

実は、しばらく車を運転したことがないペーパードライバー

路肩の崩れた道での行き違い時に接触事故を起こしてしまったようでした

平日にお休みをとって、はりきってボランティアにきた彼等なのに

宿命って表現でいいのか、運命と言うべきなのか・・・いずれにしても薄情だよなぁ

 

あまりに山の中で、携帯電話もつながらない上に、警察も事故処理には来れないとのこと

レンタカーで保険処理もあるからと、ドライバーのボランティアさんには下界に戻ってもらい

残ったもので、支援先の田川の民家に向かいました

この川が氾濫して、左側の家の一階部分が浸水してしまったとのこと

すでに被災者や近隣の人達で、廃棄物がまとめられていたため

軽トラ2台分ほどの家具や電化製品を積み込んで、ココでの作業は終了

あまりに山深い場所のため、働き手は下の町に暮らすようになって高齢者ばかりの過疎地なのでした。

大雨が降るたびに山が崩れ、道が寸断しては何日も通行止になる場所らしくて

若いものが暮らしてはいけないのだそうです。

 

この辺りは集落のためにそこそこキレイな道ですが、途中は、林道でももう少しましだろうってほど

狭くて、土丸出しの それはそれはすっごい道でした

 

 この日の2軒目は写真中央左側の滝の拝の真横にある元旅館

以前は、鮎釣り客で賑わっていたそうですが、経営者も高齢化(90代)して

いまではシーズン(鮎釣り)に馴染みのお客さんにだけ提供していたそうでした。

さすがは山奥、宿の入口には、鹿にイノシシ、そしてツキノワグマの剥製に

大きなスズメバチの巣が飾ってありました

 

やっぱり1階部分が完全に水に浸かってしまい 畳20帖ほどと

大型トラック数杯分の壊れた家具やその他もろもろの瓦礫を道路際に運び出しました。

 

 以前、TVで”滝の拝”の放送を観たことを話したところ

つい10年ほど前までは、季節になると毎年滝の下に鮎が湧いてたそうでした。

 

天然鮎と天然ウナギで、旅館に泊まったお客も喜んでいたんだって

懐かしそうに話してくれましたね~

たぶん平均年齢八十代前半の兄弟姉妹で、

なんどもなんども助かりましたってお礼を言われながら

 

 

さてさて、事故った車で来てた若者ボランティア

気持ちはとても素直そうな好青年でしたが、普段デスクワークしかしていないらしくて

外見からも体力が乏しそう

 

作業中に様子をみてみたら、真っ赤な顔しながら眼がウツロになってて熱中症になりかけてたので

「無理したらダメだよ! ほらほら休んで休んで!」と

優しく(?)先輩ずらして声かけちゃいました 

 

前日も宿泊先で一緒になった年配のボランティアさん達と話してたんだけど

今回の平日に集まってきてるボランティア

ほとんどが全国から集まってきている東北でも何箇月も活動してきた いわばその道のプロばっかり

手際はいいわ ヤル気まんまんで 慣れない若者が雰囲気に呑まれて

同じように体動かして、途中でヘトヘトになってたとか

 

でもきっとそんなひ弱そうに見えてた彼等も 今後ボランティア中毒になっちゃうんだろうな(笑)

 

究極の自己満足ですが、それくらい魅力があって、自分もすっかり虜にさせられちゃいましたしね

 

 (箸休めじゃなけど、古座川町の名所のひとつ 虫食い岩もご覧ください)

こちらは、帰路に通過した南紀勝浦辺り

熊野から奈良に抜ける国道に並行して流れる川では

いたるとこで沈下橋も流されていました。

奈良の309号線最南端 七色貯水池

最後に、

活動初日の夜

今回も素敵な仲間にあえたのが嬉して嬉しくて

昔からの友人達とのメーリングリストに、つい衝動的に投稿してしまった記事を転載します。

 

(一部抜粋)

こんな僻地(失礼)まで平日にボランティアに来てるのは
もう、歴戦のツワモノばっかしで
(本日のグループのメンバーは、新潟から一人、神戸から一人、大阪から二人。
隣のグループには、福島の南相馬からの人に、宮城県の被災地からの人も)

同じような志でなんの報酬も名誉も求めず
自己完結ですべての費用を自分でまかない、
丸一日埃とドロにまみれ汗だくになって活動して

互いに自己紹介することもなく
活動の終了時に

「今日は、一緒に活動できて良かったです。また、いつかどこかでお会いしたいですね」

って分かれるんです。

なんて言ったらいいのかな〜

へー、こんな人達がいるんだー!
って
ほんっとに幸せな気分に浸れるんですヨ

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奈良市災害支援ボランティアバスに参加して

2011-05-02 17:32:11 | 生き甲斐

地元の自治体による災害支援ボランティアバスに参加し、

4泊5日の活動を終え、昨日5月1日に戻ってきました。

 
私たちが担当した活動場所は、気仙沼市鹿折地区の個人宅への支援。
敢えてもっとも重労働になると説明された瓦礫撤去作業に手をあげて
体を限界まで動かしての過酷な作業であったものの、目に見えて成果がわかり
自分なりに満足のゆく活動ができたことに感謝している次第です。
 
今回のボランティアバスは、1クール20名の少人数でしたが、
(内訳: 男女比率 14:6 年齢層 21歳~75歳 平均年齢 43歳)
さすがに第一陣は精鋭ぞろいで、意欲も行動力も優れた人ばかりで
休暇中の国連スタッフから、研修医、薬剤師、理学療法士、県の職員、
市の職員、消防士から大学生・・・等々
あくまでも自らの意志によって個人の立場として参加し
肩書を捨てて、みなドロまみれになって活動する姿を眺めながら
こんなにも素晴らしい人達がいたんだと心の底から嬉しくなりました。
 
ほとんどの仲間が、個人ででも現地に飛び込んでいこうと思っていた人達だったので
参加費を払い、食料・水・作業用品一式を自己完結でとの条件にもかかわらず
むしろ、移動手段と宿泊先が確保され、活動先まで提供されることに感謝する言葉ばかり
 
市から派遣されていた職員達も、そうした参加者の真摯な態度に打たれたのか
さまざまな雑用や、現地での車両の運転手等の世話係や
コーディネーター業務があるにもかかわらず、
活動現場で参加者と同じようにドロまみれの重労働に加わり
更には、我々に対して尊敬の念を抱きながら
接していただいていた姿勢にも感銘を受けました。
 
活動現場は、津波の直後から三日三晩火事で焼き尽くされた現場に
隣接した地域で、未だに手つかずの状態にある焼け跡も多く、異臭が漂い
まざまざと津波の恐ろしさを思い知らされ、惨状を目の当たりにして絶句させられました。
活動先のお宅でも、津波がきたときのこと、どうやって助かったのか
家の歴史など、さまざまなことを聞かせてもらい
 
まさしく、”百聞は一見にしかず”を改めて痛感させられた思いでいます。
 
また、たった3日ほどの作業であったにもかかわらず、
最終日には、被災者がお礼を言うために
移動車両の置いてあった場所まで見送りにきたり
家屋がほとんど全壊状態で、なにもかもを失ったような状況にもかかわらず、
1年後には、きっと元のように戻っているので、また遊びに来てくださいと言われ
つい瞼が熱くなってしまい、正視できなくなって振り返ることもできず
その場から立ち去ってしまったほどでした。
 
宿泊先では、公共施設で、禁酒・禁煙とのことでしたが
快眠を得るため、また仲間がより打ち解けやすくするようにと
意図的に個人で紙パックの焼酎を購入し持参していたため
 
館内禁酒のルールを守るため、初日より寒い屋外に出て
杯を交わしながら親睦を深めることができ
翌日には、全員参加で親睦会を開くこととなってしまいました。
「帰ったら同窓会をやろう」誰からともなく声があがり、
メーリングリストも開設して、これからも親交を深めてゆくこととなりました。
 
たった4泊5日の活動でしたが、皆、口ぐちに参加して良かったと語られ
自分自身も、約30年近く前に海外で味わったとものと同等、
いや、もしかしたらそれ以上の感動と喜びを得ることができました。
 
今回の震災による被害範囲・状況から想像するに、
今後もさまざまな形での支援が必要とされることと想像しています。
今後、実際に現地に行くことができなくても、県内避難者への生活支援など
手近なとこから、できることを続けてゆきたいと願っているしだいです。

TVなどでも報道された、大きな漁船まで打ち上げられた港近くの被災地

漁港にあった燃料タンクが倒れ、流出した油に火がついて大火災が発生するも

消火活動ができず、

三日三晩燃え続けるのを、ただ茫然と見ているることしかできなかったそうでした。

燃え残ったのは、金属類ばかり、1月以上たって錆ばかりが目立っています。

そんな中で、火災にもあわず、津波にも流されなかった家屋が

ポツンと建っているのも まさに奇妙な景色でした。

いまだ手づかずの瓦礫の山が広がり、未だに捜索が行われています。

荒涼とした一面の瓦礫の中にでみつけた家族の安否を知らせる立て看板

津波がくるまでは、ここで普通に生活が営まれていたとは信じられない思いでみつめてました

この地域では、すべての電柱がこうして倒れています。

誰が置いたのか、手先の折れた恵比寿様の置物が置いてありました。

地獄のような被災地のすぐ隣には、普通の生活風景が・・・

いまだに捜索されていない被災地。 人間の手だけでは到底無理

この地域は、いまだに自衛隊と警察による捜索が続けられているため

一般の立ち入りが禁止されています。

地盤沈下によって、満潮時には冠水することもあるとのことで

気仙沼市によって買いとられ、今後一切の建物は建てられなくなるとの話でした。

こちらも捜索前の被災地 いつまでこの状態が続くのか

港から離れた空き地にも、手つかずの瓦礫が

到着時には、いまだいたるところで見られていた光景でした。

自治体が撤去してくれる瓦礫は、道路沿いまで出されたものだけ

高齢者だけ、男手のない世帯ではどうしようもない状態

そうした個人宅で活動を開始

実は、これでも半日の作業を終えた頃

到着した時は、あまりの悲惨さに声も出せない状態で、

ましてや写真など撮れる心境ではありませんでした。

たくさんの写真も散乱していましたが、このお宅のものではないものばかり

どこから流されてきたのかわからない持ち主のない写真は

結婚式や入学式、遊園地に遊びに行ったものなどの記念行事のものなど

幸せに笑っているものがほとんで、とても正視することなどできませんでした。

大物の電化製品や、家具を道路際に移動してからが本番でした。

このお宅は、築100年以上の地域でももっとも古い家

箪笥の裏に、明治17年に購入したことが記されていましたが・・・

この家は、水位がほぼ背丈まできたらしく

被災後のひと月半で、おもだった家財道具を屋外に出したものの

床板は抜け落ち、家の中には泥が堆積し

畳が無造作に積み重なりながら散らばっているばかり

水を含んだ畳がどれほど手におえないモノなのかも思い知らされました。

約2日半の作業を終えた状態

母屋に、便所とお風呂場の別棟の小屋

昔は、牛を飼っていた農機具小屋、裏にある倉庫に薪小屋など

最初の2日は、我々だけのグループ6人で、

最終日の午前中は、更に10名を投入しての16名での大作業となりましたが

到着時からは想像もつかないほどの成果をあげることができ

そこそこの自己満足が得られたものの

 

母屋の中は、いまだに多量の土砂が残された状態のまま

継続するグループが作業を引き継ぐことができるのか

(被災家屋は無尽蔵にあるため、とりあえずの復旧を終えたら次の場所に移されるため)

 

はたして、壁は崩れ、床板も抜け落ちが家を修理して住み続けることができるのかと思うと

 

 

実際に、自分のしたことがどれだけ役に立てたのかとの疑問を

払拭することができなかったのも事実でした。

 

 

 

 

 

 

 

Comments (5)
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準備完了?

2011-04-26 09:37:40 | 生き甲斐

この日の来ることを いったいどれほど待ち望んだことか 

 

震災直後に他の団体へも現地でも活動を希望して登録したものの 医療関係者以外はほぼ自己完結型で

現段階では、現地の連絡先と調整して各自で行ってくれとのこと

移動の交通手段、現地での足、宿舎、食料を考えると安易に飛び込むわけにもいかず

 

ならばと被災者の子供のホームステイにも登録したけれど

当事者の子供達や親族の心情を考えれば、そんな簡単にコトが進む話ではないとわかり

 

次には当地に避難してきた人々への支援活動にグループに加えていただいて活動を始めたけれど

日々の糧を得るためには、いずれまた仕事で国外に出なければならないのは明白であり

事務所の電話番や、避難家族の連絡や面倒をみる担当となるわけにもいかず

協力者より提供された生活用品の掃除程度をお手伝いするのが関の山

何もできずにこの時期を過ごしてしまうのだけは許して欲しいとの思いに駆られ

早く現地に行って、困窮している被災者のために働きたいとの思いが募るばかりでいました

 

そうこうしていたところ、2011年4月22日夜、ようやくボランティアバスへの参加について

地元の自治体から電話連絡がありました

当初は、4月29日~5月3日の第二陣を希望してたけど、G.W.で応募者多数とのことで

第三希望の4月27日~5月1日でもいいですか? とのお願い

 

ここで渋って行けなくなるよりも・・・との思いが頭を駈けめぐり

「わかりました。 なら、その日程で結構です」と、即答していました

考えてみれば、G.W.に突入した後では、きっと現地はボランティアラッシュ状態かも

そう思うと結果オーライで運が良かったのかも

 

 

翌日、矢も盾も止まらない勢いで準備を開始

とりあえずパッキングしようと 仕分けして玄関のロビーに広げてみたところ 

ブロガーの習性で つい写真に収めたくなってパチリ

まづは食べ物

4泊5日の短期間とはいえ、水も食料もすべて持参とのこと

宿舎では、お湯が使えるとのことなので、朝と夜はカップ麺とカップスープに決定

カップヌードルBIGを3つ、焼きそば2つに なぜか辛ラーメンもひとつ

昼用には、リッツ、プレイアムクラッカー、カロリーメイト(チーズ&フルーツ味)、乾パン

それと小腹が空いたときのためと、もしも避難所の子供にでも会うことがあればと

菓子類(カスタードケーキ、カントリーマアム、アーモンドチョコ、オレオ、クッキー)

それから飲料水関係

おいしい水2Lx4本、ウイダーゼリー4ケ、

スポーツドリンクとカロリーオフのレモン&ベリー味の水に溶かす粉末

そして何故か 黒霧島900ml

いちおう名目は、防寒グッズのひとつ

一緒に行く仲間と一日の作業が終わってから軽く飲むのもいいし

雰囲気的に飲めなかったら避難者への差し入れにしてもいいんだしって自分に言い訳しながら

作業用品

肺炎が流行っていて、その原因が粉塵にあるとか 壊れた漁船や古い建物のアスベストも舞い上がっているとか

壊れた家屋の釘で怪我をしないようにと、急遽作業用品の追加連絡が

作業服(ツナギ)、ヘルメット、雨靴代わりにもなるブーツ型安全靴、防塵マスク、ゴム手袋、ゴーグルに軍手

お風呂がないので、体を拭くためのウエットペーパータオル(赤ちゃん用)

そして長距離のバス移動のための簡易トイレにクッション、アイマスク&耳栓

毎日の作業で汗みどろになってもいいように ドライフィットのシャツ類にヤッケ

タオル、寝巻き代わりの薄手のスウェットシャツ&コットンロングパンツ+トレッキングパンツ

そしてもしも雪が降っても大丈夫なようにとヒートテックのインナー一式

バッグは、担いで持ち運びできるようにと息子のバッグパック(110L?)を借りちゃいました

あと、今回購入した中でもっともお気に入りで目玉グッズが↓のキャメルバック

(水)リザーバー容量3L+荷室10Lで 昼の活動用にピッタリ

最後に、冬場の外歩きでの常備品のウイスキーケトル(防寒対策用←ホンマかいな)にブランデーを満たし

(愛用のケトル 右:ウイスキー&ブランデー用 左:ウオッカ専用)

出発直前に、翌朝バスの車内で食べるオニギリを握って

活動初日用の菓子パンと牛乳か豆乳を買って準備完了

 

あとは、現地のボラセンから少しでも有意義に時間を使えるようなタスクが与えられるよう祈るばかりです

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