Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

火野正平さんの訃報に接し”にっぽん縦断こころ旅のトレース旅”を回想中 その①

2024-12-13 13:11:08 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

こころ旅が大好きで

正平さんの歩いた場所を訪れて

こころの風景は勿論のこと

食べていた食事をしたり

そこで出会った人達と会話を交わす虜になって

あちこち彷徨って旅の記録です。

 

とりあえず画像が探しやすかった旅の思い出を貼り付けました。

 

【2016年春の旅】

541日目 岩手県宮古市

『宮古港の出崎埠頭』

(2024年9月28日訪問)

 

【2016年秋の旅】

564日目 奈良市

『航空自衛隊幹部候補生学校にあるプール』
(2017年6月3日訪問)

 

 

567日目 大阪和泉市

『光明池大橋』

(2016年10月9日訪問)

 

 

571日目 兵庫県たつの市新舞子海岸

『二人で行けなかった海岸』

(2016年12月20日訪問)

 

572日目 兵庫県相生市

『皆勤橋の有った辺りの景色』

(2016年12月20日訪問)

 

581日目 山口県岩国市

『鉱山の跡地にかかる小さな橋ときれいな川』

(2017年4月22日訪問)

 

 

 

 

586日目 福岡県北九州市

『曲里の松並木』

(2017年1月訪問)

 

 

587日目 福岡県北九州市

♪オリオリオ~♪と歌いながら通過した折尾駅

 

 

588日目 福岡県志免町

『志免の竪坑櫓』

(2017年1月訪問)

 

591日目 熊本県三角

『三角西港の護岸』

(2017年1月訪問)

 

595日目 鹿児島県鹿児島市慈眼寺公園

『新婚の寂しさを乗り越えさせてくれた場所』

(2017年1月訪問)

 

604日目 沖縄県宮古島

『下地島空港の滑走路の北側』

2019年秋の旅

903日目 沖縄県宮古島市

『佐和田の浜』

(2022年7月訪問)

 

 

【2017年春の旅】

605日目 高知県土佐清水市

『深谷』

(2017年GW)

 

 

606日目 高知県四万十市

『佐岡の薫的神社』 

(2017年GW)

 

607日目 高知県黒潮町

『父と最後に見た黒潮町の海』

(2017年GW)

608日目 高知県四万十町

『川をせき止めて造ったプールの跡』

(2017年GW)

609日目 愛媛県鬼北町

『愛治小学校の校庭の楠』

芳(2017年GW)

 

610日目 愛媛県大洲市

『長浜大橋』

(2017年4月訪問)

 

612日目 愛媛県西条市伊予三芳

『もう一度見てみたい光景』

(2017年4月訪問)

2017年秋の旅

高知県大豊町

『父の思い出土讃線豊永駅』

(2021年1月訪問)

615日目 広島県三原市

『爆雪の滝』

(2017年7月17日訪問)

 

616日目 広島県三原市

『久井の岩海』

(2017年7月17日訪問)

 

620日目 岡山県岡山市東区

『九蟠周辺の防潮堤に並ぶ四つ手網と小屋』

1日目 京都府宇治市

『宇治市 塔の島』 

625日目 京都市

『跨線橋から見る風景』

(2017年5月訪問)

 

 

【2017年秋の旅】

651日目 秋田県北秋田市(鷹ノ巣)

『小猿部川と八幡神社』

(2020年9月訪問)

 

2017年秋の旅

669日目 三重県伊賀市

『伊賀市比土”あまたに”を見下ろす所』

(2018年5月訪問)

 

687日目 愛媛県三方町

『亀ケ池越しに女子岬を見渡せる場所』

(2022年3月22日訪問)

 

 

688日目 愛媛県愛南町

『蘇家神社の長くて急な階段』

(2022年3月22日訪問)

 

【2019年春の旅】

811日目 三重県いなべ市

『おじいちゃんの柄杓と養父川』

(2018年11月23日訪問)

 

【2020年秋の旅】

941日目 岩手県宮古市田老

『田老の防浪堤とその上から見た街並み』

(2024年9月28日訪問)

(120日目 三王岩:正平さんが訪れた頃はまだ津波で遊歩道に入れず高台から眺めてました)

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火野正平さんを偲びながら【384日目 福岡市中央区 埴安神社のお賽銭投入口】へ

2024-12-12 16:57:05 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

このわたしく

過去に何度もこのブログでも記事にさせていただいたとおり

自他ともに認める”にっぽん縦断こころ旅=火野正平さんの大ファン”

 

出稼ぎだらけの人生だったのでリアルタイムで視聴することはほとんどなく

録画しておいた放送を後日じっくりと観ていたのですが

 

先日、三陸の旅で”宮古港の出崎埠頭と”田老の防浪堤”を歩き
初日の投宿地にした宮古の居酒屋でも

 

『何の目的で三陸に来られたんですか』と尋ねられ

『今回は、メインが”あまちゃん”のロケ地なんだけど、

とりあえず旅先を決めてから”にっぽん縦断こころ旅”を観なおして

火野正平さんの自転車旅で訪れた場所も旅先にしてるんですよ』と

話したところ『へぇ~面白いですね』と感心されたばかり

 

出崎埠頭への旅で、宮古のおばちゃんから「ウチでお茶飲んでいって」ってシーンがあったんですよと話すと

「はいはい、覚えてます」との言葉も嬉しくて

 

気を良くして家に戻ってから春までに岩手を再訪して

宮古から山田町の荒神社、安家川橋梁から北山崎、

龍泉洞と岩泉線の旅のトレースをしようと思って旅程を作ったばかり

 

 

 

そんな風に次の旅を楽しみに夢に描いていた矢先

 

11月20日

突然スマホにチャンカーからメッセージが届き

見てみると


ビックリ仰天
 
 
今年は春の旅が一週目の鹿児島の旅で腰痛で中断とのお知らせが届き
大丈夫かなぁ、でも無理しないで欲しいなと心配しながら様子を見守っていたところ
 
秋の旅の前に「”骨折”で引き続き治療が必要」とのお知らせに
 
近年、体力を考慮して
出発地点も丘の上などからの下り坂が多くなり更に距離も短くなって
あと何年続けられるだろうかと不安に思っていたところ
 

電動アシスト自転車となったと知り

正平さんが67歳の時に当時80歳になってた野際陽子さんとの対談で

「こんな歳になってまだ自転車こいでるんだよ」みたいに言ったら

 

「視聴者の方達も嬉しくて、自分も楽しくて、製作側も喜んでくれて辞める理由なんてないじゃない」

と言われて

番組の製作スタッフのことも気遣いながら

ライフワークにしようと決意したんだろうなと思ってたので

 

急逝してしまったことは、とっても悲しいけど

本人的には悔いは残らなかったかもと

 

『長年の間、大変お疲れ様でした。

視聴者に安らぎと癒しと幸せなひとときを届けてくれてありがとうございました。

どうぞ安らかにお眠りください』

と、目を瞑って手を合わせお礼の気持ちを伝えながら

 

天寿を全うしたんだと己に言い聞かせてました。

 

また別の記事で書きたいと思いますが

実は、その訃報を耳にしてから

 

全ての放送をエクセルを使って

旅別に年月日、都道府県、旅のルート、食事内容を記録し

録画しておいた膨大な放送を観なおして

(元気な頃の正平さんを観ながら泣き笑いしてました。)

 

これまで正平さんのおっかけで訪ねてきた場所や

こころ手紙の内容で心の琴線に触れていつか訪ねてみようと思っていた土地

旅の途中で出会った人々やレストランを探して

正平さんの話題で往時を偲びライフワークにしようと思っていたところ

 

半年前から旧知の仲間と九州を旅する予定があったため

とりあえず、メンバーと合流するまでの時間を使い

旅のトレースをしようと決め

 

2014年秋の旅

【384日目 福岡市中央区 埴安神社のお賽銭箱】

のルートを辿ってきた時の記録を書き記させていただきました。

 

この時の旅のスタートが

博多港のポートタワーのエレベーターの中からだったため

とりあえず、空港で借りたレンタカーで朝の大渋滞の中

博多港の博多埠頭に到着

 

朝、9時になってたので

『ヨシヨシ、あさイチでスタート地点からトレースができるぞ』と喜び勇んで

向かったところ

 

な、なんと営業時間は10時から

 

仕方なくポートタワーに登るのを諦めて

中洲川端から櫛田神社に向かったのですが

 

さすがは大都市、道路は渋滞してて

自転車で走っていたルートを辿るのは困難だなと諦め

 

博多埠頭~川端通商店街~櫛田神社~中洲~天神をスキップして

大濠公園へ

正平さん達が通った駐車場入り口から入って車を停め

Boat House前の錦鯉を眺め

観月橋へ

正平さんが元気に自転車で渡ってた光景が忘れられません。

 
散歩中の大型犬”ワイマラナー”を見つけ
犬好きの正平さんも自転車を降りて懐いてきた犬を撫でていた場所

 
それにしても正平さん
生き物全てが警戒心を持たずにデレデレになってしまう
ホントに不思議な人でしたよねぇ
 
毛虫から蛇から蛙からトカゲ、赤とんぼにアナグマも
逃げずにジットしてましたよね
 
女性は勿論、オッサンたちもどんだけ正平さんの事が好きだったか

 

そしていよいよ目的地の

鳥飼にある埴安神社へ

実はこの道、ムチャクチャ狭くて一方通行で

車では大回りしないといけないとわかり

少し離れたコンビニで買い物をしたついでに駐車させてもらい

歩いて向かったのですが・・・

慌てていたため財布も小銭入れも車に置いたままだったため

正平さんがしていたように

一円玉から五円玉、十円玉、百円玉、五百円玉と準備してたのに

滑り落ちてゆく音の違いを実感できませんでした~

たぶんまた博多を訪れることがあると信じて

 

次回は

自転車で走っていた那珂川沿いの道

川端通商店街、櫛田神社と

中洲から天神まで歩いてから

 

親不孝通りの狭い路地

舞鶴766号線にあった”がブリチキン”

(正平さん達が休憩していたカフェレストラン、現在はお寿司屋)

 

と 元兼平鮮魚店天神店前の”西郷南洲翁隠家乃跡”を眺めて

大濠公園から埴安神社までを辿り

今度はしっかりと小銭を順番にお賽銭箱に投入して

正平さんと同じ気分に浸りたいなと思っているところです。

 

それにしても今回目印にと思っていた

カフェレストランと日本家屋風の店(兼平鮮魚店)が無くなっていて

ストリートビューから探すのも大変でした。

 

やはり特に都会の飲食店は存続さえ大変なんだろうなぁと実感

 

さて、残りの人生でどれだけトレースできるでしょうか

 

正平さんのこと我が人生が尽きるまで忘れませんからね

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四国スルメの如し【番外:八幡浜を起点にこころ旅とドキュメント72時間の舞台をトレースする旅など】

2023-12-13 14:03:02 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

先日、四国の凄さをお知らせしようと記事にして

改めてこれまでの四国訪問の歴史を思い起こしてみたところ

 

それまで1978年が初上陸(笑)で

その後は1990年、1994年、2000年、2003年、2008年、2010年と

観音寺の阪大微生物研究所がらみ(ODA受入研修員への日本語講習手配)に

あまり思い出したくない管理職をしていた某機械メーカーのOJTで宇和島に行ったり

欧州機器のプレゼンで、坂出、丸亀、今治の造船所をピンポイントで訪問したり

家族旅行でアメリカ製の大型キャンピングカーをレンタルして

鳴門、高松、丸亀、祖谷、高知、鳴門を周回

そこそこ間隔をあけての訪問だったのが

 

2013年から始めたドイツ製機器の代理店業から

瀬戸内に多々ある造船所への出張が突出するようになり

ほとんどが、水島、福山、尾道、三原、因島、呉、柳井、岩国、徳山等の中国地方側でしたが

 

四国もそこそこ

2014年:3月新居浜、5月八幡浜、7月今治

2015年:7月伊予三島、7月高松、

2016年:6月今治、9月高松、10月高松・徳島

2017年:1月今治・松山、4月八幡浜、5月高知・愛媛・徳島、8月松山、11月徳島

2018年:10月徳島

2019年:1月今治、3月八幡浜

2020年:5月徳島(中古田植え機購入)

2021年:1月今治、6月今治、8月今治・西条

2022年:3月今治、6月伯方島、9月松山(帰路UFOライン)

2023年:11月今治(帰路仁淀川と酷道439)

 

ほとんどが2013年以降行動記録を残してるdiaryから拾い出したものなので

古い記憶は定かでありませんが

なんのかんのと30回ほど訪れている様子

 

これまでの記事でご紹介していなかった場所も備忘録代わりに書き記したいと思います。

 

2014年5月

長年続けていた海外での出稼ぎ生活から国内をメインにした仕事を始め

家でTV放送も観ることもできるようになり

にっぽん縦断こころ旅やドキュメント72時間、新日本風土記にハマり

 

放送された土地(聖地巡礼?)を訪ねてみたくなっていたこともあって

丁度、広島の尾道と愛媛の八幡浜で続けて仕事をする機会をチャンスととらえ

 

尾道の仕事を終えて”しまなみ海道”で四国に渡り

愛媛県の今治に到着

 

今治から松山行特急に乗り込み

松山で特急”宇和海”に乗り換え(松山から先は電化されていないため)

八幡浜の古いビジネスホテルに1泊し

翌朝小さな造船所で仕事したものの

尾道からの連日の現場仕事で疲れ果て

仕事を終えてからそそくさと帰路につくことに

この辺りでは指定席に乗る人が少なく

ほとんどの乗客は自由席車両の乗り場にいてビックリ

駅を出発してなにげに車窓から外を眺めると 急斜面がミカン畑だらけ

生まれ故郷の近所にも、三ケ日、蒲郡とミカンの産地があるものの

地形が全く違うなあと実感

じゃこ天とまぐろソーセージをアテに発泡酒のロング缶2本で独り打ち上げ(笑)

気動車でほとんど単線なのに

あの辺り、結構スピード出すんですよ

線路が悪いのか、車両が悪いのか、結構揺られてビックリ

八幡浜を出て20分後

ひらけた場所に出たなぁと思ったらお城を発見(大洲城)

その後画像の記憶がないので

たぶん発泡酒に酔っていい気分で寝呆け眼で乗り換えて家に帰っちゃったみたい

(松山、岡山、新大阪、大阪、鶴橋と5回の乗り換え)

 

それから3年後の2017年

またまた八幡浜へ出張する機会があり

その頃には、もう国内出張の特に中国、四国地方に行き飽きていて

またぞろ鶴橋、大阪、新大阪、岡山、松山と乗り継いで6時間

電車に乗るのはマッピラごめんと思い

 

岡山から高速バスで松山に向かうことに

途中、豊浜SAでトイレ休憩がありましたが

所要時間3時間半(電車なら2時間半)

松山で特急”宇和海”に乗り換え

21:45 まだできたばかりのスーパーホテルにチェックイン

(奈良を出発してから6時間45分)

どこか飲食店でもないかなぁと近くの商店街を歩いてみたのですが・・・

時間も遅かったからか居酒屋ばかりで

現場仕事の前日は飲み過ぎないようにアルコールを控えるようにしてたため

仕方なくラーメン屋へ

それでも美味しくいただきました。(空腹は最高の調味料なり

 

翌朝、朝一から仕事を始めたため13:00に完了

前回の八幡浜への訪問では

10日前から泉大津、尾道、横浜、尾道と出張(現場仕事)が連続して

その後も日を開けずに実家での法事の予定があり

トンボ返りとなってしまったのをとっても後悔していたため

この時は四国を味わおうと決意

 

ホテルに戻って汗を流し、仕事の荷物を宅急便で送って身軽になってから

お昼だし、ご飯食べるところあるだろうと

またまたアーケードを歩いてみたのですが・・・

よくあるドーナツ化現象で

ほとんどシャッターおりたまま

 

仕方なく駅まで八幡浜を歩いてみようと足を進めたところ

代官屋敷跡や

何やら不思議な碑をみつけたり

(ライト兄弟が飛行実験に成功する12年前にゴム動力の飛行器なるものを考案した人なんだとか)

前日、仕事を無事順調に終えられたら

こころ旅とドキュメント72時間の聖地巡礼をと計画を立て

予讃線に乗るつもりだったので

時間調整を兼ねてブラブラ歩き

 

なんせ昭和レトロ大好きなオッサンのため

古い銭湯にはとっても興味をそそられました

そうこうして腹ペコ状態で八幡浜駅に到着

八幡浜ちゃんぽんなるものの売り込みポップをみつけ

とりあえず隣の店でいただいてみました

(感想は自粛しますね。 推して知るべし

 

15:10 松山行予讃線に乗車

【この ”のりかえ 別府連絡”が記憶に残り 後日の旅に繋がるんですねぇ

変わった車両があるなぁと眺めてみると

人気の伊予灘を眺める週末だけ運行する特別列車でした

(松山~八幡浜4,330円也 片道約2時間半)

途中、こころ旅2017年春の旅610日目で出発地となった大洲城を眺めながら

約1時間後の16:03 伊予長浜駅到着

鄙びたとてもいい駅でした

駅を降りてすぐ目の前が港で

良い感じの定期船を発見

マンホールは、こころ旅でこころの風景として紹介された可動橋

1キロ先に最初の目的地 長浜大橋(赤橋)を見学

つい先日(この日から25日ほど前)正平さんが見ていたのと同じ風景

映えスポットを探してうろついてみました(笑)

30分ほど眺めてから

 

次の電車まで1時間半待ちだったので

時間潰しがてら長浜の町を散策

 

港町として栄えていた様子で

回漕業を営んでいた邸宅があったり

坂本龍馬が宿泊していた跡があったり

面白い看板の昭和な商店などなど

いつか青島にも行ってみたい衝動に駆られたり

この日も知らない町と知らない海を眺めて大満足

 

駅に戻り、またまた予讃線に乗り込み

 

次に向かったのが

ドッキュメント72時間やCM他 人気の観光スポットとなっている

伊予灘を眺められる”下灘駅”

 

元々はほとんど利用客もない寂れた駅のホームから

伊予灘に沈む夕陽が眺められるのが魅力だったのですが・・・

人気になりすぎて この有様

下車して夕陽を眺めようと思っていたのが すっかり意欲をそがれ

 

泣く泣く松山駅に直行して

松山在住のフィリピン時代の先輩に連絡を取り

会食を楽しんで松山駅に戻り

路面電車で道後温泉近くの安宿に移動してバタンキュー

翌朝、こころ旅611日目の出発点 松山城下の城山公園を訪れてから

路面電車と伊予鉄の線路が交差する珍しい風景を眺め

松山駅からローカル線(予讃線)で次なる目的地へ

 

ここもまたこころ旅612日目で今治城から出発して

途中でこころ手紙の主の思い出の地、伊予三芳駅へ

正平さん達の自転車が走ったルートを辿りながら

面白い由来のある風景を眺めながら

こころの風景の橋に到着

最後に手紙を読んでた土手を眺め

番組でも出てたヤギも眺め

往路とは違う道を歩きながらこの町を散策

 

こんな変わったお店があったり

お遍路さんへのトイレの案内やフリーWiFiの案内に

古そうな造り酒屋を眺めながら

駅に戻ると

自転車預かり所も開いていてホッコリ

 

ローカル電車を待ち

 

オレンジフェリーの最寄り駅 壬生川駅で特急電車に乗り換え

石鎚山への最寄り駅や

懐かしい観音寺駅を車窓から眺めながら

瀬戸大橋を渡り

岡山から新幹線に乗り換えて とりあえずビール

壬生川から3時間10分後 新大阪駅に到着

午後二時過ぎにようやくお昼となりました。

 

 

もういまから6年半前の旅ながら

”遠くへ行きたい”の歌の歌詞のような知らない町や知らない海を眺め

TVで観た風景をウキウキしながら辿った思い出が

つい先日のように思い起こされ、当時の喜びを再び噛みしめてます

 

観光案内書には載っていない土地を訪ねる旅

とってもいいですよ~オススメです。

 

さて、あと何回できるかな

 

 

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四国スルメの如し(その1:【2017年5月】ソロツーリングで”こころ旅”をトレース)

2023-11-21 17:46:07 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

このタイトル

要するに”嚙めば嚙むほど味が出る”ってことなんですけど

 

四国という土地

四国外住民のイメージでは

①讃岐うどん

②阿波踊り

③四万十川

④鳴門の渦潮

⑤四国八十八カ所霊場巡り

⑥高知のかつおのたたき”

⑦高知のよさこい祭り

⑧松山城

⑨金毘羅宮

⑩道後温泉本館

⑪桂浜の坂本龍馬

なんだとか

 

たしかに自分自身もほぼ同様で

1978年に運輸省航海訓練所の練習船で高知港に寄港した時に初上陸したことがあったり

2000年に入ってから家族旅行で大型キャンピングカーを借りて

明石海峡大橋と鳴門海峡大橋で淡路島経由で四国に渡り

金毘羅さん、丸亀周辺で讃岐うどんの食べ歩き、大歩危小歩危を抜けて祖谷峡谷に

高知に入り、路面電車に乗ったり皿鉢料理を食べたりしたこともあったのですが

 

その後は、出張で坂出、高松、観音寺、丸亀、新居浜、今治、八幡浜、宇和島と瀬戸内海や沿岸ばかり

 

そんな風に四国に行く機会があっても

高知まで行くのはアクセスが不便だし面倒だなと

せいぜい松山の道後温泉や徳島市内の眉山周辺を歩くくらいでお茶を濁してたところ

 

80年代を過ごしたトンガ王国でともに過ごした人が

大阪の水族館海遊館の飼育課長を経て故郷の土佐清水に戻り

海遊館の施設でジンベエザメを捕獲して飼育しているのをテレビ番組でみつけ

 

2017年のGWを利用して突然訪れて驚かしてやろうと

バイクで早朝(?)3時前に家を出て

京奈和道をひた走り、和歌山からフェリーで徳島に渡り

先ずは火野正平さんのにっぽん縦断こころ旅で紹介された地を巡ろうと

こころ旅607日目の黒潮町に向かい

還暦前のジーサンなのに正平さんを真似て滑り台

その後 立ち寄った喫茶店で同じオムライスを食べ

(田舎の小さな漁港の喫茶店のこと、風変わりな客だったようで根掘り葉掘り尋ねられました

606日目で高所恐怖症の正平さんが断念してヒッチハイクして渡った四万十川の橋を渡り

お手紙の神社を訪れて

 

大酒飲みだった知人と再会を祝して痛飲しようと時間調整しながら

ようやく土佐清水の海遊館の施設に辿り着いたものの

勝手に約35年ぶりの再会を楽しみにしていたけど

年齢ではひと回り上

体調不良とかでとうとう会うことができず

 

突然のGW終盤の旅立ちで宿を予約することができず

もしものためにテントも持参していたのですが

その夜は大雨との予報で怖れをなし、近くのボロボロの安宿をみつけチェックイン

 

折角鰹で有名な土佐清水まで来たことだしと

地元の食堂で カツオのたたきとハランボの塩焼きを堪能

とうとう知人との再会ができなかったなぁと寂しい気分だったのですが

高知の方言 『たっすいがはいかん(弱々しい、そんな元気ないようじゃ駄目だ!)』の看板に元気をもらい

宿でその日の行程を見直し

 

それならそのまま大好きな”にっぽん縦断こころ旅”をトレースを楽しもうと

 

2017年春の旅初日のお手紙を読んでいた足摺岬の絶景を堪能してから

火野正平さんが立ち寄ってた店で朝食を摂り

605日目の深谷に向かい

スリップしそうな落ち葉だらけの道を走ってから

Google Mapsで山奥の四万十川沿いの小学校への経路を検索し

そのルートに沿ってバイクを走らせたところ

 

大型のアメリカンバイクには不向きなガードレールのない落ち葉だらけの

それはそれは恐ろしい道

 

実は知らずに走ってたのが酷道として名高い国道439号線(ヨサク)の杓子峠だったのですが

酷道険道マニアでもハラハラの連続

 

Googleでのルート検索には注意してくださいね。

 

その後608日目の出発点

こころ手紙を読んでいた予讃線の駅に立ち寄り

四万十川の沈下橋を眺めてから

またまた火野正平さんが食べてたカレーうどんを味わってから

こころの風景である 

”川をせき止めて造ったプールの跡”を眺めながら感慨に耽り

その後 県境を越えて愛媛県に入り

609日目の 鬼北町 ”愛治小学校の校庭の楠”を訪ね

その回でとても印象に残った正平さんに異様に懐いてた猫を探したのですが・・・

残念ながらみつからず

学校もお休みで門が閉まっていたため

柵の外から楠を眺め

その日の旅で苦しんでた上り坂を眺めたり

宇和島から輪行した予讃線で下車した駅に立ち寄り

この時すでに時刻は夕刻迫る土曜日の16:50

 

月曜からGWで溜まってるだろう仕事を処理するために

翌日には奈良の自宅に戻らなければと思いつつ

ソロツーリングでそこそこ疲れたていたのと

『さて、また陸路で和歌山まで戻るのは辛いなぁ』と

東予からのオレンジフェリーにダメ元で電話してみると

 

大部屋なら一人分の空きが出たとのことで

宇和島近くから高速にのり急いで東予に向かったのですが・・・

 

実は酷道や田舎道だらけで給油ができず

燃料タンクの残量が不安に思いつつ

リザーブになってから適当に高速のSAで入れたらいいやと思っていたら

S.A.がなく とうとう終点の今治IC手前でガス欠

 

運よく少し先から料金所まで下り道だったので

バイクに跨いだまま足で蹴りながら料金所を通過して一般道に出て

JAFを呼んで緊急給油

 

鬼北町からフェリー埠頭のある東予へは

小松北ICから向かえば途中でガソリンスタンドもあるのですが

 

実はその1週間前に、こころ旅のトレースで見つけられなかなった

正平さん達がカレーを食べてた店に立ち寄って夕食にしようと欲張ったのが裏目になっちゃいました

 

それでも なんとかフェリーの出航時刻に間に合わせることができ

一人で祝杯

 

疲れもあって、満席で大混雑してたのでお風呂に入らず

そのまま大部屋のマットレスに寝転がり早々と熟睡してしまったのですが

夜中に目覚めると 目の前に知らないオッサンの顔

 

これは耐えられないなと、(相手もそう思ってただろうなと思いつつ

結局大阪南港到着まで展望デッキで過ごすこととなりました

 

時系列でこの時の旅をご説明すると

【1日目:5月5日(金)】

02:40 自宅発

03:50 京奈和道 かつらぎ町道の駅(休憩)

04:30 和歌山南海フェリー乗り場

05:30 和歌山港発

07:30 徳島港着

07:55 眉山下

10:30 南国で給油

12:30 四万十町大規模公園着

13:05 すべり台

13:30 喫茶スカイ(オムライス)

14:30 海のバザール(こころの風景)

15:00 薫的神社

15:20 四万十川橋(赤橋)

15:45 四万十川海苔養殖場

16:12 以布利(海遊館ジンベイザメ飼育施設)

16:45 土佐清水港(泊)

【2日目5月6日(土)】

08:00 ホテル発(驟雨で足止め)

08:40 足摺岬(~09:30)

09:55 こころ旅も立ち寄った海鮮館でモーニングセット

11:00 布

11:15 深谷(こころの風景)

12:00 四万十天神橋

12:30 住次郎

12:35 酷道439入口

13:00 杓子峠

13:30 予讃線打井川駅

14:05 十川鯉のぼり

14:30 江川崎道の駅(カレーうどん)

15:20 プール

16:20 愛治小学校(校庭の楠)

16:50 予讃線大内駅

18:45 今治インター(ガス欠)

20:00 フェリー乗船

21:30 船内レストランで夕食&一人打ち上げ

 

【3日目 5月7日(日)】

06:40 下船(大阪南港フェリーターミナル)

07:20 自宅着

 

この時に至る所でみかけたのが

四国八十八カ所霊場巡りの”歩きお遍路さん”

 

特に足摺岬にある第38番札所の金剛福寺

手前の37番札所からは歩いて数日かかる距離

 

黙々と修行のように歩くお遍路さん達の姿が忘れられない旅となりましたねぇ

 

 

【その2に続く】

 

 

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やっぱ最高♪ 【火野正平さんライブツアー】

2023-03-09 16:07:39 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅
本年2023年1月上旬
 
昔から無防備な生き方をしてるため
スマホでもPCでもCookieはほとんど同意
 
行動履歴から検索履歴と個人情報ダダ洩れとあって
ネットニュースでも好みのトピックが表示され
 
そのひとつ
『火野正平ライブツアー2023』を発見

ここのブログでも何度か記事にさせていただいてますが
これまでの人生の中でも
とても辛い低迷期であった
東日本大震災の時期に
パワハラでフィリピンの片田舎に行くハメになり
その時に滞在してたホテルで
先行きを案じ悩んでいた時に
偶然目にしたと言うか耳にした
“にっぽん縦断こころ旅”
それまでしょーもない女たらしとしか思ってなかった火野正平さんが
ヒーヒー言いながら坂道を自転車で登ってるシーンに驚かされ
それよりも彼の気取らない性格
周囲の人に安らぎを与える人柄に魅了され
それ以来熱烈なファンになっているため
 
これは絶対に行かなければ
とチケット発売開始スタート時間に合わせ近所のコンビニでチケットをゲット
 
 
そんな時に限って重なる仕事やプライベートの依頼を全て断り
ライブの日をワクワクしながら待ち続け
 
当日、開演時間より1時間以上前に到着するから
外で待たされるってわかってるのに仕事を早退して電車に乗り込み
 
最寄りの近鉄日本橋駅から堺筋を北上
 
道頓堀もすっかりコロナ禍から復活してインバウンドの観光客だらけ


特に大阪はアジア(韓国、中国、台湾、その他もろもろ)からの観光客だらけで
それを目当てにしたホテルが日本橋周辺にも乱立してるため
キャリーバックをコロコロと曳きながら歩くため
彼等を縫って歩道を歩くのも結構大変ヨ

そんなでも、早すぎてやっぱり1時間前の18:00に心斎橋JANUSに到着

この東心斎橋の周防町の別名ヨーロッパ通り
(アメ村に対抗して地元でそう呼ばせてた)
実は約30年ほど前の民間会社のサラリーマン時代
ペレストロイカの少しあとに訪れたロシアの魅力にハマッてしまい
 
たぶん大阪では最初にできたロシアンパブがあったため
当時の会社の連中を引き連れては通ってた場所だったんですね~(笑)
 
そんな当時のことを思い出しながら 
コロナ禍でゴーストタウンに近くなってしまった界隈を散策
 
怪しげな路地をみつけてしまい 
すかさず探検

ワクワクしながら迷路を歩いていると
路地の突き当りに目立たない居酒屋を発見


暖簾の”深夜食堂”の文字に目が釘付けになってしまい
「よし、正平さんのライブ終わったらのぞいてみよう」と決め

↓ 宗右衛門町から続く歓楽街
大阪キタの北新地が東京なら銀座
ミナミの宗右衛門町が新宿歌舞伎町でこの辺りはその場末
ハングルで立ち話をする連中が我が物顔でいるようなとこなんです
 
大好きな映画”夜叉”で健さん演じる修治が蛍のヒモのチンピラ矢島を取り戻しに
向かったヤクザの事務所やナイトクラブのあったような場所でしたが
暴力団が表立って動けなくなり
 
最近は、日本人よりインバウンド観光客目当てなのか
韓国朝鮮、中華、ベトナム、タイとかの
アジア系レストランや飲み屋マッサージだらけの
カオスな街となっちゃいました


そうこうしてたら
 ようやく入場できる時刻になったので
ライブハウスに戻り


行列に並んで入場
1ドリンク付きなのでHeinekenを注文して
指定席に座るとなぜかオッサンだらけ(若者率ゼロ)

ホントに見事なくらい若くて40代後半、50代が数名で
あとはみーんなジジババ(たぶん平均年齢75歳くらい)
”こころ旅”でファンになった人なんだろうなぁ
自分もそうだけど(爆)
 
時刻どおり19:00に開演して正平さんが登場し
やしきたかじんの”やっぱ好きやねん” 桑名正博、河島英五のカバーと続き
「み~んな先に逝ってもうた」とジョークを飛ばし
 
子供の頃からの生い立ちや 豊中で中学時代を過ごしたこと
若くして結婚していまも離婚せずに籍のある”西宮の母ちゃん”と
それで西宮は避けて通ってるとか
”こころ旅”が決まった時のエピソードなどなど
 
正平さん作詞の”こころ手紙”や”ちょうどいい”は
やはりこころ旅ファンの来場者も馴染みがあるからか
盛り上がりかたが違いました
 
得意の女たらしネタもちょこちょこ入れて笑いを誘ってましたよ
 
今回のライブツアーのキッカケとなった
新曲「あかんたれ」とその楽曲を提供することになったRioとの出会いが語られ
 
サプライズゲストでRio本人が登場して
(たぶん正平さんひとりでは体力的にも辛いから)
正平さんが耳にして惚れ込んだ”ホタル”と”うるむ月夜”を熱唱
 
《ビジュアル的にはちょっとアレですが、声と詩は抜群だと思います
 
https://www.youtube.com/watch?v=ZzkcAzagR18
 
https://www.youtube.com/watch?v=V1b0RDzxR3E
 
勿論、プロのそれもライブを売りにしている
っしわがれ声が売りのバラードを歌うシンガー
 
Official Websiteには ”場末のSinger Song Dranker”とあって
 
正平さんの渋い低音もいいけど
Rioのギターと声の迫力というか詩が心に響いてきちゃってビックリ
 
ジジババ連中は、正平さんの歌を聴きにきたのに~って顔してましたけどね
 
そうして20:40終演
このツアーも東京を皮切りに 先日が名古屋で大阪は3回目だったんだけど
やはり正平さんも相当緊張している様子だったので
 
すぐにまたこころ旅の2023年春の旅が始まるし
無理せずに体力を温存して頑張ってくださいね って気持ちでした
 
帰り間際に出口前でCDも買い
 
 
夕食抜きで小腹が空いて居酒屋に行くにはバッチリ
家路に向かうジジババに背を向けて歓楽街に歩をすすめ
 
営業時間を確認して

暖簾をくぐってみたのですが・・・
 
たぶん歓楽街の中では居酒屋じゃあ生き残れない時代になって
酔った客や飲み屋のホステス、従業員の仕事終わりの食堂となり
 
誰かの入れ知恵なのかアドバイスで”深夜食堂”と書いたみたい
たぶん70代の女将さん
(といっても洋装でたぶん元ホステスさんが居抜きで店を引き継いだ感じ

古びててもドラマの”深夜食堂”のように
しっかりとマスターが掃除してカウンターを磨きこんでたら違うんだろうなとおもいつつ

 
埃臭さの方が勝ってしまい
とりあえずどんな店かわかっただけでいいかな と
 
暖簾をくぐったときは
早くて終電、電車なくなったらネットカフェの個室に泊まろうと意気込んでたのに
 
この大酒飲みが 生中2杯とビール中瓶1本
オデンとスジコンだけで会計しちゃいました
 
でも、夜の9時じゃあ本当の姿がわからないから
そのうち終電後くらいにもう一度再訪してみよっと
(めげないヤツでっしゃろ~
 
 
また結果報告しますね
 
 
【追記】
 
帰りの電車の中でRioのしわがれ声とバラードが耳に残ってしまい
スマホでネット検索とYouTubeで歌を何度も聴き返し
 
Offical Siteからライブのスケジュールを調べて
http://www.rio-web.net/prof/
 
4月の大阪のライブの予約入れちゃいました
次の楽しみができちゃって最高
 
歳とったら何か目標を持ってないと
生きる希望がなくなって大変
 
 
 
あとYouTubeじゃあ生の迫力が伝わってこないのがムチャクチャ残念
でも聴衆の数や雰囲気でも変わっちゃうんでしょうね
 
 
もしライブに興味持たれたら
ココのコメントでもメッセージからでもご連絡ください。
 
とりあえず複数の予約入れてあるので
一緒に楽しみましょう
 
ライブ後の京橋での立ち飲みも(笑)
 
 
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新日本風土記とにっぽん縦断こころ旅の軌跡を辿る旅【北九州、福岡&熊本編:その③三角西港~北九州黒崎、折尾、小倉、名門大洋フェリー】

2022-08-18 13:39:43 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

【2018年2月に投稿した記事の続きです。】

 

この旅で最も楽しみにしていた

こころ旅で正平さんが何度か訪れ、最近未亡人となった店主を慰めてた

三角駅前のラーメン屋さんが閉まっていたため

肩を落としながら三角駅前から一日数本のバスに乗り込み

三角西港に到着

いつものように何の下調べもせずに訪れたため

そこが世界文化遺産でもあり

明治以降開国した当初からの重要な貿易港であった事を知ってビックリ

こころの風景も素晴らしかったですが

当時の技術でこんな護岸ができたことに感動してしまいました

(正平さんがこころ手紙を読んでたとこだったような

(正平さんが大好きな”キラキラ”とこの時はまだ天草に渡る橋が工事中の風景)

(有明海は水深が浅いので、この場所が大型化してきた船に対応した港になったようでした

この三角西港という場所

3年の歳月を費やして1887年に完成し

海沿いには回漕店や海運倉庫が建ち並び、

背後には旅館など洋風の建物からなる街並みも作られ

裁判所や商船学校、水産試験場、警察署長官舎、海上保安庁の係留岸壁など

繁栄していたものの

1899年には三角東港が整備され鉄道からのアクセスも良かったため

西港は急激に寂れて時が停り

明治時代がそのまま残る貴重な場所となったんだそうです。

(潮の流れが速くてビックリ

そんなタイムスリップしてしまったような場所に魅了され

3時間近く滞在しても飽き足らず

それでもその日のうちに北九州に戻らねばと

後ろ髪をひかれながら西港を後にしました。

 

バスは勿論なくマップで三角駅まで2.6キロとのあったので

歩いて駅まで向かうことに

口がすっかり”ラーメン”になっていたのですが

午後2時を過ぎ、駅前にもほとんど飲食店がなかったことを思い出し

ラーメンとは異次元の鯛茶漬けの店に飛び込んじゃいました

 

三角駅も1時間に1本程度しか運行していないのですが

運よくすぐに出発する電車に飛び乗り

 

熊本駅でリベンジするようにラーメンを食べ

 

高速バスを乗り継いで

黒崎駅前のホテルにチェックインして

昼夜食堂に飛び込んだのが21:30過ぎ

その日は大人しく独り酒を楽しみ

 

 

翌朝10:00過ぎに友人の家を訪ねたところ

皿倉山に連れていってもらいました

ここのケーブルカー

 

傾斜角が半端なくて

高所恐怖症の身としては相当ビビリました

当時はまだスペースワールドの施設がそのままの状態で残っていたんですねぇ

(いまはもう当時の面影を探すことさえ困難なほど再開発されちゃいましたが)

 

その後皿倉山から黒崎に戻り、車を置いて電車で折尾へ

 

折尾という土地

鹿児島本線と筑豊本線の交差する駅だったため

炭鉱からの労務者が乗り換え時に立ち寄った飲み屋街が残り

昭和の風情を感じさせてくれる場所なんですヨ。

(近くに、高倉健さんと野球の仰木監督の母校”東筑高校があります)

折尾に行った目的が

当時まだ営業していた 折尾の角打ちの名店”高橋酒店”を訪れること

店の外観はサイディングで新しそうに見えますが

実は中は大正時代のまま

 

痺れちゃいました~

もう角打ちの立ち飲みの美味しいこと

 

ついグビグビと何杯もオカワリを繰り返していたのですが

昼酒に弱い友人に悪いなぁと思い

『またすぐに戻ってきたらいいじゃんか

とまだ明るいうちに店を出て

まだ改築前で折尾駅の名物だった立体交差を眺めながら電車に乗り込み

 

小倉に出て

この日もフェリーで帰るつもりだったので

門司港までのシャトルバスの出発時刻まで

駅前を散策してみました

 

小倉駅前も再開発の真っ最中で

古き良き建物も路地もあまり残っていないのですが

初めに ドキュメント72時間で観た

24時間営業の居酒屋”白頭山(ペクトサン:北朝鮮の山の名前)”に行ったのですが

運悪くお休み

 

習性でつい古そうな薫りに釣られ居酒屋の対面にある

成人映画専門の名画座を眺め

(IとIIがあって、IIはなんとホモ映画専門 恐ろしさとあまりの驚きで目玉が飛び出しちゃいそうになりました

このポスターもいい味だしてるよなぁ

すぐ隣にはストリップ小屋まであります

 

酔った勢いで 成人映画かストリップ小屋に入りたかったけど

バスの発車時刻だったので諦めてバス停に行き

この日は名門大洋フェリーに乗船

個室のシングルがないためツーリスト席にしてみました。

この日は角打ちだけで昼抜きだったため

あまり好きくないバイキングレストランを利用しちゃいました

結局瓶ビールを数本飲み干して

ベッドに倒れこんで爆睡

翌朝も珍しくバイキング朝食食べちゃいました。

国内のフェリーはほとんど乗船していますが

この名門大洋フェリーは瀬戸内航路のみとして外洋を航行しないスペック

(船側の車輛甲板が水密となっていない仕様)

だからか、船の全体の構造もちょっとチープな感じがしちゃって

あんま好きくないなぁ

ということで

 

2017年1月12日(木)

午後2時まで仕事をこなし早退

午後自宅を出発し難波のOCATからバスに乗り泉佐野で阪九フェリーに乗船

 

1月13日 (金)

北九州黒崎で新日本風土記の”昼夜食堂”とにっぽん縦断こころ旅の”曲里の松並木”と角打ち

福岡空港近くの志免に移動してこころ旅の”竪坑櫓”を眺め

高速バスで熊本に移動して紅蘭亭で太平燕を食べ熊本駅前のホテルに投宿

 

1月14日(土)

あまくさみすみ線で三角まで鉄路で移動し

にっぽん縦断こころ旅の軌跡を辿りながら三角西港へ

急いで北九州の黒崎に戻り、すっかり気に入ってしまった昼夜食堂へ

駅前のホテルに投宿

 

1月15日(日)

黒崎の友人の案内で皿倉山登頂(ケーブルカーで)

その後車を戻してから電車で折尾に移動

午後2時から角打ちの名店”高橋酒店”で飲み始め午後5時半に退出

小倉駅前を探検してバスに乗り新門司港から名門大洋フェリーに乗船

 

1月16日(月)

8:30大阪南港フェリーターミナルで下船

ニュートラムと地下鉄、近鉄を乗り継いで奈良に帰り

午前半休で午後から出社

 

以上船中2泊、ホテル2泊の4泊5日

いや~、なかなか充実した旅でした

 

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”だいたい”一筆書きの旅2022年3月下旬【前編 にっぽん縦断こころ旅愛媛県の旅をトレース他】  

2022-08-03 11:00:12 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

ここ10年あまり

我が社の主要収益部門となった

ドイツ製輸入機器の販売及びアフターセールス業務

 

売りっきりで手離れの良い新品販売と保守のための部品販売では楽させてもらっているものの

ユーザーのほとんどがその機器に対する知識が乏しく

自分たちで扱って壊してしまうのを怖がり

造船所の入渠中や岸壁での機器の修理や整備などの

訪船サービスの依頼もこなさなければならず

 

以前のように海外への出稼ぎ中心から

国内での現場仕事が激増し、海外に出るのはほぼ取引先との打ち合わせだけと

パスポートも国際免許もほとんど使わない生活となってしまいました。

 

そんなこんなで

今回は、日程のほぼ確実な造船所からの依頼で四国の今治に行く予定を立てていたところに

外国航路の鉱石船で航海日数が長く寄港地が少なく

荷役待ちでヘタしたら半月・一月は投錨地で動けなくなるため

タイミングを逃したら数か月壊れたままで運航しなければならなくなる船から

北九州での依頼を受け

 

愛媛県今治の仕事を片付けてから松山に移動して小倉行のフェリーに乗り

翌日北九州での仕事をしようと計画していたところ

 

北九州の船の入港時間が遅れたため

今治の仕事を終えてから2日ほどのアイドル時間ができてしまい

 

今治の仕事を終えてからフェリーで奈良に戻り

翌々日新幹線で北九州に行くことにしようかと一瞬迷ったのですが

もしかしたら 

これは訪ねたかった愛媛県最南端の愛南町に行くチャンスかも 

といつものように前向きに考えて

二つの仕事の合間を利用して

”だいたい一筆書き”の旅をした時の旅の記録を書かせていただきました。

 

3月20日 愛車のジムニーで19:30奈良の自宅発

第二阪奈道路、阪神高速で大阪南港(中)からフェリーターミナルへ

 

もうすっかりおなじみのオレンジフェリーに乗船

(出航の2時間前から乗船できちゃうのがグッド)

いつものプライベートが保てて安眠できる個室のデラックスシングル

トイレとお風呂はありませんが、いつも到着時刻までグッスリ寝られるので大満足

この日は、急ぐ必要がなかったので 7時前まで滞船して

途中の牛丼屋で朝ごはんをしっかり食べ、お昼の弁当を買って今治に向かい

造船所でチャチャっと仕事を片し

14:30に造船所を出発

15:45 伊予灘サービスエリアで休憩

18:00に 以前にも泊まったことのある Super Hotelにチェックイン

八幡浜港に停泊中の宇和島海運のフェリーを眺めながら

飲食店を探して徘徊したのですが・・・

ここもすっかりシャッター街

結局ラーメンとなりました。。。

 

翌朝 8時にホテルをチェックアウトして

JR予讃線沿いに上宇和まで県道、そこから国道56号線と松山自動車道E56を使い

休憩なしで9:45に 四国霊場八十八カ所の第四十番 平城山薬師院 観自在寺に到着

にっぽん縦断こころ旅 2017年秋の旅 688日目の出発地点なんです。

折角なので本堂の薬師如来に手を合わせ

御宝印守を買わせていただきました

※御宝印守とは弘法大師お手製の宝判を押印された手拭いで

胸にあて南無大師遍照金剛と7回唱え痛いところを7回さすり

1年間枕の下にひいて寝ると霊験あらたかなんだそうです。

 

今回はALSで寝たきりの友人にあげましたが

昨年脳出血で倒れて寝たきりの社員さんのお父さん、癌が転移して闘病中の兄嫁

などなど もっといただいておけば良かったなぁ 

 

 

(日土峠からの眺め)

 

この↓場所の地名 鯆越(イルカごえ)って言うんですよ~

読めないよねぇ でも勉強になりました。

鯆越から海岸線沿いに約2キロ

途中何度か魚市場の中を走ったところに赤い鳥居を発見

ここが688日目の旅の目的地 蘇家神社

https://www.nhk.or.jp/kokorotabi-blog/100/284241.html

 

お手紙にあった 手摺りも途中に踊り場もない石段

この日もちょうど一雨降った後だったので

相当ビビリながら登りました

神社の本殿まで登ると

トンビが鳴き声がいつまでも響き

”漁村に来た感”バッチリ 

この場所、深浦と言う名のとおり

リアス式海岸の天然の良港なんだなぁと実感

鹿児島の佐多岬でもみかけた”密航者(船)”の注意書き

 

中国からの密航者や北朝鮮の工作船なんかも出没してるんでしょうね

 

まだ時間が早かったので往路では素通りした”市場食堂”

鰹が大好物なのと 正平さんも食べてた場所だったので

喜び勇んで暖簾をくぐったのですが・・・

『びやびやかつお 入荷ないです』だってぇ~

ショックでホワイトボードのメニューしかないと思って

しょーもないカツオの天ぷらと ハランボの塩焼きを注文した後で

お刺身類もしっかりあるのに気づき 大ショック

 

また来ることあるかなぁ

 

たぶんないだろうなぁ。。。

 

と肩を落としながら車に乗り込み

次の目的地に向かいました。

 

(愛南町の須ノ川海岸&キャンプ場)

 

2年前から稲作を始め

藁の有効な使い方はないだろうかとネットサーフィンしていて

ここの”わらぐろ”を知ってしたので

実物を観られてとっても良かったです

マンモスはイベントに向けてまだ準備中でした

そうしてまた八幡浜に戻り

改めて山を眺めると急傾斜の山肌にへばりつくように

柑橘類(主にミカン)の棚田が広がってるんだなぁとビックリ

八幡浜へはもう4・5回来てるのに

こんなにジックリと眺めたのは初めてでした。

そしてこころ旅687日目の旅をトレースするため

出発地点だった

佐田岬半島の付け根近くにあるレッドウイングパークに到着

 

https://www.nhk.or.jp/kokorotabi/route_2017autumn/20171116/index.html

 

ここでも正平さんの真似して滑り台で下まで滑ったのですが

このローラー式の滑り台

お尻が熱いやら痛いやらで もう必死

その上雨上がりだったので ビショビショになってしまったのですが

 

https://www.youtube.com/watch?v=FbTGlAb1rfM

 

遠巻きに見ていた人

『あのジイサン、よーやるわ』 と呆れられてただろうなぁ

 

ま、正平さんより9つも年下なので

これしきのことで恥ずかしがってちゃダメですよね

 

続いて 正平さんが言うところの”おっぱい岩”を眺め

この佐田岬半島

”伊予の青石”と呼ばれる【緑色片岩】が特徴なんだそうです。

長さ40キロ幅6キロの日本一細長い半島

中央構造線の断層によってできたんだとか

実は生まれ故郷の渥美半島の付け根の豊橋も

中央構造線上にあるんですねぇ。

いや~、勉強になるなぁ

こころ旅で正平さんが地元の人に道を尋ねた場所

そしてここが亀ケ池

畳8枚くらいの大蟹が棲んでいた伝説が残る愛媛県最大の潟湖

こころ旅チームは

お手紙に添えられていた写真の風景の場所を探しに行くのですが

 

急な坂道なので さっきの地元の人が軽トラで救援に来た場所

(もう目的地が目の前だからお断りしてましたが)

この辺りもしっかりみかん農園だらけで

その最上部の農道からの眺めが お手紙の写真の場所でした

 

 

こうして”こころ旅”のトレースを終え

国道九四フェリーで九州に渡ろうと三崎港へ行ったところ

1時間に1本のフェリーが丁度出航したばかり

 

あと一時間ボーッと待つより 

この先15キロとの標識のあった佐田岬灯台に行ってみるかと

気軽に考えて向かったのですが・・・

 

時速60キロで走ったら片道15分で楽勝かと思っていたのですが

実際にはクネクネの細い道が連続するため30分かかっちゃいました

 

そうして駐車場に到着してみると・・・更にそこから遊歩道で1.8キロ 

九州に渡ってから北九州黒崎の昼夜食堂に行くつもりだったので

コロナで閉店時間も早まってるみたいだし

早めに移動しようと思っていましたが

めったに来られないこんな僻地まで来て

素通りじゃあ勿体ないなと

兼業猟師なので この看板に釘付け

豚コレラで激減してるのにまだ残ってるかなぁ 

風景よりも 目を皿にして痕跡を探しながら歩いちゃいました(笑)

 

灯台を眺められる展望台にあがると九州は目の前

灯台は佐田岬半島の先端にあるのですが

実はその先に埋め立てられて繋がっている御籠島が実際の先端部になってるんです

豊後水道の要所とあって

砲台跡もあるのにビックリ

結局14:30のフェリーに乗り遅れて

佐田岬灯台を周遊したため三崎港に戻ったのは17:00となり

フェリーも17:30発となってしまいましたが・・・

いつもながらの行き当たりばったり ”それもまた善い哉” 

 

【国道九四フェリー乗船~大分佐賀関~北九州黒崎~ に続く】

 

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コロナ禍で出歩けなくなっちゃったので過去の旅を回想中【2020年秋田編】

2021-10-15 16:42:31 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

私にとって秋田は

1990年代前半に船乗りをしていた頃

タンカーで秋田火力発電所の岸壁に着岸している間に

駅前まで買い出しに出た時が最初で

 

その次が、たしか2007年のある日

青森県の八戸にほぼ隔月ペースで出張していた時期に

いつも売り切れで乗ることのできなかった

夜行寝台列車”日本海”の個室寝台に空席があるのをみつけ

八戸から盛岡で秋田新幹線に乗り換えて

秋田駅で寝台列車に飛び乗った時の二度しか訪れたことがなく

 

どちらも秋田の事をほとんど知る余裕もない素通りだったのですが

 

ある日テレビ番組の”ドキュメント72時間”で

2015年放送の【秋田・真冬の自販機の前で】を視聴して

いつか必ず行ってみたいとの思いに駆られ

 

更に2017年に観た

大好きな火野正平さんの”にっぽん縦断こころ旅”2017年春の旅で

手紙の内容が心の琴線に触れた”651日目:北秋田市小猿部川と八幡神社”に

絶対に行ってやるぞ と決意したのですが・・・

 

日本全国津々浦々渡り歩いている人生ながら

山形、秋田は何故か縁遠く

 

恋焦がれながら、どうにも訪れる機会がなく

今年も夢のままで終わっちゃうのかな

 

と半ば諦めかけていた2020年9月のある日

宮城県塩釜の造船所からの仕事の依頼があり

よっしゃこれも神様の思し召しだろうと

いつもながら自分にいいように勝手に解釈して

 

仕事を終えてから秋田に向かうことを決めたのですが

(縁遠い東北は距離感がないため、塩釜から秋田なんてすぐ近くだろうと錯覚)

 

Googleで塩釜からの経路を探してみると結構距離があって

仙台まで戻ってから秋田新幹線で秋田に出て

奥羽本線で鷹ノ巣駅に行くか

東北新幹線で盛岡に出てからバスで大舘に行き

奥羽本線で鷹ノ巣

 

でも新幹線じゃああまりに味気ないなぁ。。。 と

地図を見ながらルートを探してみると

 

鷹ノ巣へは秋田内陸鉄道でも行けることを知り

始発の角館を目指して 仙台から大曲行きの高速バスに飛び乗りました

コロナ禍もあってか

乗客はたったの5名ほど

そのうえ、他の乗客はみな横手で下車してしまい 

大曲まで残っていたのは自分ひとりでした

バスターミナル周辺には人っ子一人もおらず

しながら駅を探し

あきたびじん

のポスターを眺めながら期待に胸躍らせて(←ウソコケ

改札口に向かうと・・・

覚悟していたものの なんせ本数が少なく

そのうえ交通系ICカードが使えないのにビックリ

雪国特有の性に開放的そうな高校生カップルの

ガラガラの車内での怪しげな動きに気を取られつつ(←またまたウソコケ

 

田沢湖行の普通電車でようやく角館に到着

仙台からの所要時間は、なんと4時間半でしたぁ~

駅構内の売店もなく、駅前も食堂はおろかコンビニもなく

駅に隣接したホテルにチェックインして早寝することに

(といいながらバスの車中でロング缶2本とおつまみ食べてたんですけどね

 

翌朝は早起きして 角館を散策

鷹ノ巣駅に到着してから正平さんの食べてた”冷やし中華”を食べようと

9:50発のディーゼル車に乗り込みました

この秋田内陸鉄道

ただのローカル線と思っていたら

観光鉄道と知ってビックリ

 

景色もそこそこ楽しめて良かったですよぉ~

平日だったこともありシニアのたぶん県内の乗客で賑わっていましたが

ほとんどが”一日乗り放題券”らしく、途中の阿仁合駅で

車掌さんから『お昼を食べるならココしかないですよ』みたいな説明を聞いて

ほとんどの遊興客がゾロゾロと下車 

 

そんなこんなな状況(?)もありましたが

角館から2時間半かけて無事鷹ノ巣駅に到着

こころ旅を思い出しながら

駅前商店街で冷やし中華を出してそうな店を探し歩いたのですが

一軒の中華料理屋さんでは

『県外からのお客様・帰省中のお客様の入店はご遠慮くださいますようお願いいたします』だって

 

仕方なくトボトボと歩いていたところ

一軒の喫茶店に”冷やし中華”と書いてあったため

注文してみたのですが・・・

正平さんが食べていたのとは完全に別物

駅にも、駅前の観光案内書にも荷物を預けるコインロッカーもなく

レンササイクルはおろか、レンタカー会社もなく

とぼとぼと小猿部川に向かって歩いていたところ

 

正平さんが食後にサインをねだられてた場所を発見

その場所にあったのが冷やし中華を食べてたお店でした~

正平さんが訪れたのを観てたことを話し

また後で来ますからと荷物を預けようかと思いつつ

 

まあ、これも運命だったんだろうと諦めて

重いキャリーバックをズルズルとひきずりながら

自転車が走った風景を探しながら川堤を歩き

ようやく八幡神社に到着

途中砂利道がほとんどだったため

仕方なく大型キャリーバックを背負って歩いたのですが

なんせ残暑の厳しい9月上旬のこと

背中から伝った汗💦がカバンの中まで濡らしちゃってました

ようやく目的地に到着して

また歩いて鷹ノ巣駅まで戻るのはキツイよなぁ~

Googleでルート検索してみると

歩いて8分ほどの場所にバス停があり

14:30のバスがあるとのこと(この時14:25)

 

田舎のバスは基本遅れるものだろうと

期待を抱いて走ってバス停を目指したのですが

待てど暮らせどバスは来ず(やはり乗り遅れてました

 

また諦めてトボトボと往路とは違うルートで駅に向かったものの

ラーメン屋さんは午後の休憩中

 

再開する午後5時まで時間潰ししようと

循環バスでイオンモールに行き 

フードコートで水分補給しながら身体を休め

また循環バスに乗り

 

ようやくラーメン屋に到着

 

お店で正平さんの事を話すと

喜んで『ココに座ってたのさ』と勧められ

念願の冷やし中華をいただきましたぁ~

当初は、この日は駅前のローカルなビジネスホテルに泊まって

きりたんぽや秋田の郷土料理を楽しもうと思っていたのですが

コロナ禍で県外のお客だと断られるかもしれないし楽しめないなと諦め

秋田駅前のホテルを予約して向かうことにしたのですが・・・

 

本数も少ないうえに、夜間は駅員さんもいないような駅で

これはやばいなと

商店街に戻って夜食とオツマミを買い込み

鷹ノ巣から1時間半かけて秋田駅に到着

コンビニで日本酒と缶ビールを買い込んで

狭いホテルの部屋のお風呂で汗を流し、テレビのローカル番組を観ながら

晩酌をすませ就寝

 

因みにこの日歩いた距離は16.9キロでした

 



でした❗️

 

 

翌日は、駅ビルのフードコートで名物の比内鶏の親子丼を食べてから

路線バスで秋田港に向かい

 

ドキュメント72時間のうどんの自販機を見つけ

念願叶って 久しぶりに昭和の自販機のうどんをオヤツにしたのですが・・・

 

すっかり地元では有名な観光名所になっていて

休日だったのもあって親子連れも多く大混雑していて

ちょっとガッカリ

そのうえ、隣の道の駅ではお土産用の真空パックや飴まであるんだもんなぁ~

ちょっと興醒めしてしまったものの

諦めきれずにポートタワーの展望台にのぼり以前あった店の跡地を眺め

肩を落としながら 

近くの新日本海フェリーの乗り場に向かい

翌日の敦賀行のチケットを購入しホテルに戻りました。。。

 

残るは秋田の繁華街(歓楽街?)【川反通り】

”あきたこまち”を探しながら楽しむぞぉ~

気合を入れて向かったのですが・・・

コロナで自粛して休業している店だらけ

隅から隅まで歩き回り

『ココも休んでるのかぁ』とわが身の不運を呪いながら

ようやく見つけた一軒の古そうな店

コロナ禍でほとんどお客がいないようで

活気のない店主と会話を交わしながら

イブリガッコとハタハタ、”みず”のお浸しで日本酒を堪能してから

きりたんぽでシメて大満足

雪国の情の深いあきたこまちを探そうかと歓楽街を徘徊するも

心惹かれそうなレトロなお店は休業中ばかり

 

翌日は、始発の5時台のバスでフェリー乗り場に行かなければいけないんだと

己に言い聞かせ トボトボとホテルに戻りました。。。

 

翌朝寝過ごすことなく無事始発のバスに乗り

新日本海フェリーの苫小牧発、秋田・新潟経由敦賀行のフェリーに乗船

舞鶴や敦賀と小樽・苫小牧の航路では

陸から離れすぎていて全く見られない鳥海山も眺められて

良かったですヨ~

残念ながらパブリックスペースはコロナ禍で使えませんでしたが

20年ぶりに新潟港も眺められ

少し年季の入った船でしたが

ガラガラの船内でのんびり過ごすことができ

翌朝5:30に下船して

 

なんと5:59発の湖西線に乗ることができ

8:30には奈良の会社の事務所に到着

 

次回は、マタギの勉強を兼ねて

雪深い真冬かクマヤマの時期に行きたいなぁ

 

いや~楽しかったなぁ~

 

また行こっと

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新日本風土記とにっぽん縦断こころ旅の軌跡を辿る旅:【北九州、福岡&熊本編:その②志免の竪坑櫓から熊本まで】

2018-02-16 15:36:22 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

(前回の黒崎宿”曲里の松並木”&角打ち”いのくち”からの続き)

(今回は、ほとんど”にっぽん縦断こころ旅”2017年秋の旅のおっかけ編です)

 

慣れない朝酒に酔ってしまった友人に、また帰りに立ち寄るからねと別れを告げ

角打ちで飲んでいる時に組み立てた旅程を再構築

 

その後の目的地は

①志免の竪坑櫓(にっぽん縦断こころ旅588日目)

②三角西港の護岸(591日目)

③折尾駅(587日目)

④戸畑の角打ちの店藤高酒店(新日本風土記)

 

これをどうやって組み立てようかと思案

 

できるだけ時間を有効に使おうと

黒崎→福岡空港→志免(竪坑櫓)→志免に行く途中で立ち寄ってた(皿うどん)の店→天神→熊本(泊)

熊本→三角駅(湧き水の井戸・美容院・ラーメン)→三角西港(護岸)→熊本→黒崎

の大まかなルートを決めていざ出発

 

黒崎駅からバスで高速バスに乗るため”引野口”に移動

そこから博多駅行のバスに乗り換え

博多駅の手前で志免方面に行く路線バスに

 

やがて遠くからでも目立つ竪坑櫓が見えたのを確認してから

最も近そうな”志免城戸”バス停で下車して

目的地①の志免の竪坑櫓に到着!

 

この竪坑櫓 第二次世界大戦中の昭和18年に完成してるんだけど

迫力あって圧倒されちゃいました

炭鉱の歴史も学習できて一見の価値あり!

オススメですよ~

 

竪坑櫓から少し歩いたところにある公園

炭鉱で栄えていた頃の様子もわかって ただただ頷くばかり

当然のことながら石炭の積み出しには鉄路を使ってたわけで

この公園はその跡地に作られてました。

 

 

 

さて、次は火野正平さん達が立ち寄ってた皿うどんのお店に行こうと

スマホで探してみたところ

 

 

な、なんとJR香椎線の土井駅から歩いたところにあるのを発見!

路線バスがなさそうだったので

トボトボと酒殿駅まで歩いてローカル線に乗り

 

土井駅からまたまたスマホの地図を頼りに歩いてようやくお店を見つけたら・・・

 

 

すでにシャッターが閉まっていて大ショック

ネット情報では午後5時半まで営業になってるのになぁと

ガックリと肩を落として路線バスで天神に向かうことにしました。

(バスに乗ってすぐに、前の年にコンテナ船の仕事があった時に立ち寄った日帰り温泉のすぐ近くでまたまたビックリ

 

 

天神から熊本行の高速バスに乗り

それなら以前から気になってた”太平燕”なるものを食べてみようと

熊本の繁華街でバスを降りて”紅蘭亭へ

 

冬限定の牡蠣入り太平燕の特別メニューが目に入り

ついつい注文しちゃいました

美味しかったけど、普通ので名物の酢排骨(酢豚)とのセットを食べるべきだったなぁと

完食してからちょっぴり後悔

 

代わりに本物の蟹肉が入ってそうな芙蓉蟹を注文

いや~これも美味しかった~

 

”災い転じて福となす”の如く 

待望の太平燕をいただいてから 駅前のホテルに投宿

 

この日の運動量は まあまあかな

 

 

 翌朝、こころ旅のチームと同じ三角行ローカル電車に乗車

 

 

単線でなかなかいい味出してましたよ~♪

 

たしか正平さんが女子高校生にも手を振らせてたシーンを撮ったのはこの辺りだろうな

 

それで、自転車で出発したのはこの駅だなと独り勝手に想像(笑)

 

順番が逆になるけど仕方ないなと三角駅まで行ってから

正平さんがまたまた女子のクルーに話かけてた天草のフェリーを眺めてから

三角のシンボルのモニュメントを見学

お手紙にあった鯛めしを注文しようと立ち寄ったお弁当屋さんは

やはり営業していない様子で断念

あり合わせで鯛弁当を作ってくれた番組ファンの女性のお店も発見してルンルン気分

そのまま これまた冗談をかましていた湧き水の井戸まで歩いて行ってみました

冬の平日なのに、ザックを担いだおかしなオッサンが目についたらしく

直ぐ近くで畑の手入れをしていた地元のオジサンが声をかけてきて

『こないださ、その井戸に火野正平さんが来てたんだよ』

『ええ知ってますよ~! その番組観て、足跡を辿りたくて奈良から来たんですもん

なーんて会話を交わして面白かったなぁ

 

実は、そんな遠回りをしたのも

三角西港行のバスが、驚くほどなくて

その出発時間までに 番組で出てた景色を眺めたり

何度も再訪しているラーメン屋さんにも立ち寄りたくて

時間調整をしていたのですが・・・

昨日の志免の旅で立ち寄った皿うどんの店同様

こちらは、お休みの貼り紙

 

この日は、1月14日だったけどまだ休業の様子

 

そう言えば、お店のオバチャン、ご主人が亡くなって

仕込みも大変だって言ってなぁ

TVで出たからお客も増えて疲れちゃったのかも。。。

 

 

いつもながら行先を決めてから

録画しておいた番組を何度も見直して

立ち寄った場所に写った目印をGoogle Mapで探しての追っかけ旅

あれこれと頭をひねりながら見つけた時の喜びは

そらもー口では表せないほど(そないタイソーな^^;)

楽しいですよ~

 

 

 【三角西港の護岸に続く】

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新日本風土記とにっぽん縦断こころ旅の軌跡を辿る旅:【北九州、福岡&熊本編:その①出発から黒崎まで】

2018-02-15 17:05:08 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

 

2・3年前のこと

なにげなく録画しておいた”新日本風土記”の”北九州”を観ていたところ

”角打ち”(&昼夜食堂)の情景を観て大感動

https://www.nhk.or.jp/fudoki/160930broadcast1.html

 

 

いつかは訪れてみたいと思いつつも

わざわざそれだけのために行くのは難しいだろうなと夢物語と半ば諦めていたのですが

 

2017年の元旦に届いた年賀状の中に

偶然にも三十数年来の友人が訳あって北九州の実家に戻ったとの近況報告があり

住所を調べてみると

昼夜食堂のすぐ近くのうえに、

大好きな”にっぽん縦断こころ旅”の2017年秋の旅で観た

黒崎宿の”曲里の松並木”がほんの目と鼻の先の場所!

 

その友人は、その半年ほど前まで仕事を手伝ってもらっていたものの

体力的な理由などで、その後の仕事への断りを申し出ていたこともあって

それまでのお礼を伝えなければと思っていたこともあって

 

『これは間違いなく天啓だな』と、

いつものように自分の都合のいいように言い聞かせ

急いで旅程を策定

 

九州までの移動を阪九フェリーを使うことにして

とりあえず往路のみ予約を入れて乗り込んでみました

(この日泉大津から乗船した阪九フェリー”いずみ”)

〔フェリーのことはまた別の記事でご紹介しますね〕

定刻どおり出航して明石海峡から瀬戸内航路に入ります。

いまどきのフェリーは、こんなナビで現在位置を知らせてくれるから便利ですよ~

明石海峡大橋の下を通過するまではなんとか起きていましたが

瀬戸大橋、来島海峡大橋はすっかり夢の中でした

下船すると無料のシャトルバスが待ってくれています。

(門司駅を経由して小倉駅まで)

小倉駅到着が06:45

在来線に乗って黒崎を目指しました

それにしても北九州市はいつきても大きいな~との印象

 

いまでこそ近年の市町村合併でそこそこ大きな市も増えましたが

昭和38年に 門司氏、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市の五つが合併してできた

大工業都市だと再認識させられます

 

約30分ほどで黒崎駅に到着

ここもご多分に漏れず駅舎を改築していてガックリ

 

九州には古い昭和の駅舎がいっぱいあったのに

ホント残念

駅前にあった観光案内図をみてみるとモダンな放射環状道路が描かれていてビックリ

調べてるみると、北九州市第二の都市だったんだとか

勉強になるなぁ

目的地のひとつ 曲里の松並木の場所を探してみると・・・

あったあった!!

にっぽん縦断こころ旅では、投稿者のその風景の思い出を手紙で伝えれるものの

歴史や背景については詳しい説明がなかったりするので

事前に下調べせずに現地に行ってから学ぶと面白さも倍増

いや~、また”行き当たりばったり旅”の虜になっちゃうなぁ

 

まだ朝も早かったので

友人に迷惑をかけてはと、黒崎でのもうひとつの目的地だった

昼夜食堂を見つけ

朝7時半に、なぜかオムライスを注文しちゃいました(笑)

 

夜勤明け(?)らしい、ケバイ水商売のオネーチャンの二人連れが瓶ビールを傾けながら

アレコレと雑談してたり、こっちは本物(?)の夜勤明けらしきオジサンが

豚汁と大メシで朝食をとってたりと 

昼夜食堂ならではの風景にも大満足

 

 

できれば自分もビールを頼みたかったのですが

これから訪れる友人宅で初対面の奥さんから変な目でみられるのも切ないなと諦めました。

 

 食事終えてからプラプラと曲里の松並木に

(ここからの写真は、にっぽん縦断こころ旅で出てくる風景)

 

その後友人宅にお邪魔して、

新日本風土記とにっぽん縦断こころ旅の話をすると

北九州(黒崎)出身の酒飲みのクセに角打ちに行ったことがないとわかり

『そらアカンがな~!よしこれから行こ♪』と話がまとまり

朝酒を飲みに行くことに

どこに行こうかとスマホで調べてみると

どうやら黒崎にはあまり角打ちの店がないことがわかり

とりあえず駅前近くの”いのくち”の暖簾をくぐってみました

この日、平日にもかかわらず既に数名のお客さんがいていい雰囲気

乾きモノやタッパーに入ったツマミを肴に地酒を冷やで注文

(角打ちのお店は、飲食店ではないのでお皿はなく、半紙に載せて出されます。)

 

 そうそう、この角打ちの難点は、店内にトイレがなかったりします

(基本的に、角打ちとは”酒屋で酒を買った客が勝手に店先で飲んでいる”のが条件のため)

この店の場合は、近くのコンビニで用を足すのが常識となっているようでしたが

 

何も買わずにトイレを借りるのも申し訳ないし

かといってトイレに行く度に何か買うのも面倒臭かったのと

普段、”朝酒をしない”、”日本酒を飲まない”友人にはキツそうな様子を見て

3杯ほどでこの日は切り上げることに

 

それなら友人とは、また後でゆっくり会おうと

にっぽん縦断こころ旅の軌跡を辿ることにして

商店街にある老舗のうどん屋さんでゴボ天うどんでお昼にしたのですが

いや~美味しかったな~♪

 

 

旅はまだまだ続きますが、今回の報告はここまで

それにしても

映画のロケ地巡り同様、TVで観た風景の場所を訪れるのも面白いですよ~♪

 

よかったらみなさんも是非そんな旅を楽しんでみてくださいね

 

 【志免・熊本の旅に続く】

 

 

 

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”にっぽん縦断こころ旅”おっかけ旅 2016年秋 595日目鹿児島県鹿児島市 【自己満足のみ】

2017-09-06 10:14:52 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

 

先に記事にさせていただいた鹿児島を旅した際に

映画”ホタル”の舞台を訪ねることと、この”にっぽん縦断こころ旅”で観た景色を眺めるのが夢でした

 

【新婚の寂しさを乗り越えさせてくれた場所】

 

https://www.youtube.com/watch?v=TezFXTutJmY

 

当初は、あまりゆっくりと時間を使えないなと

TVで印象に残った

①出発点のウォーターフロントパーク

②幼稚園と石橋

③目的地の慈眼寺公園

 

 

が回れたらと

 

借りていたレンタカーでザクっと訪れてみたのですが

 

運がいいのか悪いのか

 

鹿児島の旅でもお話したとおり

急遽2泊延長することとなって時間ができたのを幸いと

全行程をなぞってみることにしちゃいました

 

最初に

”ホタル”と同じように録画しておいた番組をDVDにダビングしておいたため

ホテルの部屋で全てのシーンを観なおし

 

背景の看板や風景を目に焼き付けて

Google MapとStreet Viewを使って探索開始

 

そこで ほとんどの景色をなぞることができたのものの

 

映像からではどうしても見つけられなかったのが

(1)橋の近くの堤防沿いの道を走っていた場所

(2)妊婦さんにお腹を触ってくださいと頼まれたコンビニ

 

特に、コンビニはこの回のハイライトといってもいい場所で

どうしても訪れたかったため

桜島に行った帰りにウォーターフロントパーク近くにあるNHK鹿児島放送局に行き

とっても美人の受付の女性に訳を話して

『コンビニの場所を教えてもらえませんか?』とお願したところ

『調べてのちほどご連絡させていただいてもいいですか』と携帯の番号を伝えておきました。

 

 

そして翌日のこと

結構不便な場所にある税関に、あえて電車と歩きで向かうことにしたのですが・・・

 

最寄り駅が指宿枕崎線の”慈眼寺”とわかり

Google Mapの道案内に従って税関に到着

 

用事を済ませてから、たぶん自転車で走ってたルートがわかるんじゃないかと

谷山緑地から狭い路地に入っていったところ

なんと探していた(1)の川沿いの道を発見

あまりの幸運に思わず「オォ~ッ!」と喜びの声をあげちゃいました

 

で、よくよく回りを見渡すと

幼稚園と石橋を探していた時に見かけた風景だとわかり

『なぁ~んだ、結構近場を編集したな~』とほくそ笑んでしまいました。

 

そしてコンビニも結構近くなんじゃないかなと谷山まで歩き

電車で一旦ホテルに戻ってから

 やはり出発地点から辿ってみようと決め

レンタサイクルや歩いて回るほどの時間がないため市電の一日乗り放題券を購入

 もう一度、出発地のウォーターフロントパークに向かい

 

市電を乗り降りしながら

 

スーパーマルアイ

 

松方橋

 

 

電停から狭い路地をみつけて

 

南鹿児島駅に到着

 

『あれ~! あの跨線橋はコンビニの後ろに見えてたのと違うか?』

と足早に跨線橋に向かい

 

とうとうコンビニを見つけちゃいました

 

 

 

その後は

既にみつけて訪れた場所なのと

もう時間切れとなったため

 

この595日目のおっかけ旅を終了。

 

 

どうせここ(南鹿児島)まで来たんだし市電からの車窓を眺めてみようと

終点の谷山電停まで行ってから鹿児島中央に戻ろうとしていたところ

 

 

携帯に着信があって、みなれない番号が

 

 

市電の車内だったので、どこからかかってきたのか尋ねようと出たところ

「NHK鹿児島放送局の〇〇です」と言われ

仰天しながら

「わざわざご連絡ありがとうございます。 実は、ついいましがた自力で見つけちゃいました!」

と電車の車中で動転していまし焦って切ってしまったのですが・・・

 

せっかく見つけてくれたお礼もせずに

申し訳ないことをしたなぁ

 

あとで奈良に帰ってからお礼の品でも送ることにしよう

 

と決めたのですが

後日確認しようとしたところ着信履歴を失くしてしまい

そのままにしていたのですが

 

この記事を書いたのも何かの縁

 

NHK放送局に手紙を書いてお礼の品を送ろうと思っているところです。

 

 

それにしても

このおっかけ旅

 

もうすでにいろいろと辿っているのですが

見つけた時の喜びは筆舌に尽くしがたいほどの至福が味わえるんです

 

 

特に、録画の時に画質を落としてため

自転車で走ってる時に見える看板の文字がほとんど読めず

 

頭を捻って難問を解いた時のような感じと言ったらいいでしょうか

クセになりますよ~

 

 

 

 

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”日本縦断こころ旅”にハマり中♪

2016-08-05 15:03:12 | ”にっぽん縦断こころ旅”の軌跡を辿る旅

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=tc3C6OxA1_g

 

いまから遡ること5年前の2011年夏

我が人生で何度か味わった辛く厳しい苦難の年のひとつでした。。。

 

東日本大震災までは

それなりに可もなく不可もなく

正月明けに大好きな健さんの映画”夜叉”の舞台若狭の日向を訪れたり

いつものように仕事で南米や北米、アジアなどを飛び歩き

 

社員から結婚する報告を受け、仲人を頼まれて

それならば彼が安定した生活を送れるように

もっと会社経営に頑張らないとと自分に言い聞かせていたのですが・・・

 

頼りにしていた取引先から、その社員をくれ(転職させろ)と言われ

私自身は東奔西走して忙しくしていたものの

ひとりの稼ぎで会社の経費や彼の給料を払うのが厳しく

実はずっと赤字続きだったため

仲人まで頼まれていながら、彼に転職を勧めることとなってしまいました。

 

その決断をしたのがたしか2011年の2月末

北米での仕事で出張前にその旨を告げ

帰国したのが3月10日の深夜

 

翌日、時差ボケでまだ半分眠ったような状態で出勤していたところ

ネットのNEWSから知ったのか

その社員から『東北で大地震が起こって、津波が襲ったみたいです』と知らされ

 

帰宅してから、TVの津波の映像に釘づけとなって

すぐにでも被災地に行かなければとの焦燥感に苛まれる日々を送ることとなりました。

 

それから半月以内に

彼の結婚式があり、我が社から去るのを見送り、事務所の移転があり

しばらくは呆然自失して被災地に行くことだけが生きる目標となっていました。

 

彼を奪って行った会社からは

無計画に始めたフィリピンのトレーニングセンターでの講師の話があり

ウチの人材派遣で登録していただいていた元その会社の定年退職者を考えて計画してるが

そのバックアップで私にも時々講師をしてもらいたいとの意向

 

ところが丸一日英語のみで講義から実習までを受け持ち

月曜から金曜までの5日間ぶっ通しの状況が相当辛かったらしく

『自分にはちょっと荷が重いので、できるだけ貴方にお願いしたい』と泣きつかれ

運営会社からは、『派遣元のオタクの責任だから、講師を引き受けてくれ』と言い放つ始末

 

その会社にとっては、その新規事業で頭がいっぱいらしく

それまでのように諸外国での仕事の依頼をほとんどしてこなくなり

酷い時には月に10日の講師業務の依頼のみ

それも定年退職者を講師として計画したため1日2万円の講師料で設定しているとの説明

 

あまりにも人を馬鹿にした対応に開いた口が塞がらない状態となったものの

これも我が身に与えられた試練なのだろうと己に言い聞かせ

 

所縁のあるフィリピン生活を少しでも楽しもうと心がけていたのですが

ホテルの部屋で一人になると

 先行きが不安になって、実は落ち込んだりしていました

このホテル

フィリピンのパンパンガ州アンヘレス市という

クラーク空軍基地に隣接したところにある

もと米空軍関係者用に建てられたコンプレックスの中にあり 

そのレトロさもノスタルジックな気分にさせられて感傷的になってのかもしれません

 

 

そうしてホテルのベッドに寝っ転がりながら

なにげなくつけてたTVから流れてきたのがこの番組のテーマ曲でした。

なにげなく、どんな番組なのかと画面をみてみると

な、なんと火野正平が自転車で

視聴者から届いた思い出の風景をたどる番組なんだとか

NHKもえらい人間をキャスティングしたものだな~

 

驚きながら観てみると

予想通り、行く先々で

別嬪さんをみつけては声かけて喜んでる様子

 

『やっぱりな~大丈夫か~?』と心配になってしまいましたが

じっくりと番組を観ていると

とてつもない坂道を登らさせてゼーゼー喘ぐ姿も映されたりもすれば

食堂で普通の食べ物を おいしそうに食べる映像があったりと

いつも自然体で飄々としている火野正平が

なんとも味のある人物だな~ 

こりゃ~たいがいの女性が母性本能くすぐられて

モテるはずだわ

 

と好感を持つようになり

いつしかすっかりファンになってしまいました

 

 

特に印象的に記憶に刻まれたのが

鳥取の大山にある鍵掛峠の回(2011年秋の旅 47日目)

https://www.youtube.com/watch?v=LpDAP8rTUH0

あと、名作も是非ご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=GlLv8hsY_ZM 

https://www.youtube.com/watch?v=nGECjDUliDk

 

そんなわけですっかりこの番組に魅了されてしまい

オリジナルサウンドトラックも買っちゃいました 

なかでも ”こころ旅”と”こころ手紙”は

 この曲を聴くたびに

ついついフィリピンで最初に観た時の気持ちを思い出してしまい

目頭を熱くしてしまいます。

  いまはお休み中で 次回は9月からの秋の旅

それも奈良からの出発なので

お手紙を書きたかったのですが

 

それよりもやっぱり自分にとってのこころの風景は

フィリピンでのあの時のこと

無理を承知でお手紙書いてみようかな 

 

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