Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

9月11日になると思い出す【私のトラウマ《9.11》】

2024-09-12 16:41:49 | 雑感

はじめに

同時多発テロで犠牲になられた方々のご冥福の祈りと

ご遺族の方々へ追悼の意を捧げさせていただきます。

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さて、運がいいのか悪いのか

 

これまで”何度も命拾い”させてもらってきた人生と

独りで勝手に自負(?)しているのですが

 

そんな思いにさせられた経験のひとつが

2001年9月11日に発生したアメリカの同時多発テロ

 

備忘録をかねてその時に遭遇した出来事を記事にさせていただきたいと思います。

【当時のデジカメで撮影した画像は、動かなくなったパソコンのHDにしかないため

パスポートのスタンプ以外は借り物ばかりでごめんなさい

 

 

2001年は起業した翌年で

まだ安定収入を得られる事業を模索していた時期

時折、手っ取り早く現金収入となる海外での出稼ぎ仕事を請け負っていたところ

 

香港の船会社が所有するタンカーの発電機が致命的な事故を起こし

その大修理を監督する仕事の依頼を受け

 

8月25日

関空から香港に飛び

香港に入国

香港島の湾仔にあった請負元である日本企業の香港駐在事務所に向かったところ

そのタンカーはアメリカのヒューストンに寄港して

修理用の部品一式を積み込むので

アメリカのサービス代理店のワーカーとそこから乗船し

修理完了してから次の寄港地で下船して帰国の途に就いてもらうとの事

 

航空券は香港の船会社の手配で

香港出発が8月28日なので

その前に家族(駐在員夫人とその子供達)が

深圳のアミューズメント施設に行きたがってるので

深圳まで同行して欲しいとの依頼

(深圳でもまだ治安が悪くタクシーなど信用できない時代だったのもあって)

実は、その依頼元は

起業する前まで働いていた会社で

駐在員は元同僚

元々は大の仲良しで彼の誘いでその会社に中途採用で入社し

その後も毎晩のように仕事帰りに飲み歩く間柄で

 

依頼元というよりも友人のような関係だったので承諾して

 

8月27日 

高速船ターミナルのある尖沙咀から高速フェリーに乗り込み

香港出国

その頃から海路での深圳の最もポピュラーな玄関口となった

蛇口に渡り

深圳経済特区での特例観光ビザを受けて

勝手知ったる深圳から中華人民共和国へ入国

タクシーでアミューズメントパーク近くのホテルに送り届け

私はたしか国境近くのホテルに泊まり

のんびりと中華料理を堪能して仕事に備えて身体を休め

翌日の8月28日

今度は陸路で昔からの中国・香港の国境

羅湖から香港に入国

その昔

まだ深圳が未開の地のような荒地だらけだった頃

この橋を渡って香港に入った途端

ホッと安堵の息をついたものでした。

そして羅湖駅から地下鉄に乗って湾仔に戻り

預けておいた荷物を引き取って空港に向かい

香港出国

たしか満席の747のエコノミー席で

太平洋を横断して

LAX(ロスアンゼルス)到着

 

国内線に乗り換えてHoustonに向かい

現地の代理店が予約しておいてくれたホテルに投宿

実は、私が前の会社で管理職だった頃

何度か北米市場開拓でHoustonの代理店を訪問してたり

技術研修で来日していたその代理店の共同経営者の一人と顔馴染みだったこともあって

この時は、DownTownのHilton Hotelを予約してくれてたので

(それ以前は、よくNASAの宇宙センター前にあったHiltonが定宿でした)

 

夜遅くに到着しながら時差ボケと香港からの長旅の疲れを癒そうと

ルームサービスでポンド(煉瓦)サイズの血の滴るレアステーキをルームサービスで頼み

お腹もパンパンとなって大満足

 

翌日の8月29日は

その会社の共同経営者と

(地元南部訛りのアメリカ人と

元”デトロイトディーゼル”で働いてたイギリス人
そしてたしかギリシャ系の移民で技術者ではない出資者の計3人)

 

Houston郊外の風光明媚なSea Food Restaurantに招待してもらい

歓談しながら楽しいひとときを送らせていただきました。

アメリカらしいハイカロリーなワンプレートで

お腹いっぱいになりましたね~

(↓画像は借り物ですが、こんな感じ)

 

「熟練のワーカーを派遣するから安心して」との言葉に安堵しながら

夜、ホテルに戻り

船(タンカー)の入港を待っていたところ

 

突然、別れたばかりの共同経営者の一人から電話がかかってきて

トルネードが直撃する予報で船の入港が遅れそうとのこと

 

慌ててホテルの部屋のTVで竜巻の緊急速報を観ていたところ

次々と新しい巨大な竜巻が発生して

Houstonのど真ん中を直撃するとの進路予想図が映し出され

警報が発令されて高層階の部屋から外を眺めると

道路が閉鎖され、人気がなくなってさながらゴーストタウンの様相

 

しばらくしてホテルの窓ガラスが強風で割れそうになったと思ったら

突如停電となって真っ暗闇

 

非常灯だけはついてくれましたが空調も止まって辛かったですねぇ

(↓Houstonは竜巻銀座なんです)

 

そんな大変な一日もありましたが

竜巻も通過して乗り込む予定のタンカーも入港するとの連絡を受けて

9月2日午後 ようやく乗船

致命的なエンジンの損傷で

重さ数トンの大型部品の積み込みに半日以上費やし

船は予定通り出航したのですが・・・

 

実は、タンカーという代物

勿論、発電所への供給等定期航路に就航している船もあるのですが

ほとんどが先物として取扱われ

荷主(だいたい商社)が市場価格の変動で売買するため

とりあえず積み込んでから

揚げ地が変更するのがざら(ようするに不定期船)

 

この時もHoustonのGalvestonで積み込んだものの

とりあえずメキシコ湾の変針点まで向かうとのことで

 

通常でも組立だけで約1週間はかかる修理工事だったので

気楽に構えていたところ

 

揚げ地がプエルトリコの先のアメリカ領バージン諸島の

St Croixに決まり

入港予定は5日後と伝えられ

 

乗組員も会社からの命令を受けて焦りだし

総勢十数名での突貫工事となりその後の3日間ほぼ徹夜

 

なんせ普段でも高温多湿の機関室なのに

酷暑のメキシコ湾航路とあって気温45℃以上の環境での作業

 

そのうえなんせ香港の船

船内で提供される食事は三食いつも油だらけの中華料理で

アメリカ人のワーカー2人は口に合わずグロッキーになってたのですが

 

一人のフォアマン(職長)はそんな事態も想定してたのか

鰯のマスタード漬け缶詰を持参していて

『油だらけで食べられないよな。良かったら食べて!』と渡してくれ

南部訛りの酷い白人ワーカーだったけど、無口で黙々と作業をしてくれる

頼れる人材で良かったぁと思ってたら

そんな心遣いもしてくれる人柄が嬉しかったなぁ

 

因みにもう一人は、中南米系の明るくてお調子者

どうやら技術者としての技能を持たない単純労働のみのワーカーで

乗り込んだ当初は元気溌剌だったのが

あまりの3K仕事にほぼ倒れる寸前

 

そんなこんなで生き地獄のような数日でしたが

なんとか4日目に試運転を済ませ

 

5日目に港に入港すると乗り込んできた船級協会の検査官の立会いの下

負荷試験や耐久試験をクリアし落成書にサインを取り付けたところ

 

なんせケチケチな香港オーナー

すぐさま帰りの航空券を手配してシャワーを浴びただけで下船することとなり

アメリカ人の二人も一刻も早く逃げ出したかったようで

急いで身支度を済ませ

9月9日午後

数時間後に出発するマイアミ行の航空券が渡され

空港へ直行となったのですが

 

地獄のタコ船から下船してホッとしたのもつかぬ間

このあと空港でひと悶着

 

当時のアメリカは、出国時に航空会社のカウンターで

入国時に入管で渡される入国カードの一端を保存しておき

それを渡すだけで入管の出国スタンプ等はなく

 

この時は、Houstonを出航する時にそのカードを渡していて

一度は出国したことになっていたのに

またまたアメリカ領で上陸することとなり

 

港の代理店が私の再入国手続きをしていなかっため

アメリカ人の二人は問題なく通過できたものの

入管が『あなたは書類不備だからダメ』と言い出し

 

『Houstonから出航した時に出国カードを渡していたのが

またアメリカ領で上陸することになったからだ』と主張して

 

『問題があるんだったらSt CroixかHoustonの港の代理店に連絡してくれ』と伝えるも

時差もあってなかなかHoustonと連絡がつかないのか遅々として動かず

先に搭乗手続きを済ませたワーカー2人が

搭乗の締め切り時刻が迫って心配そうに眺めるなか

 

入管のカウンターを叩いて

『いいかげんにしろ!乗り遅れたらどうすんだ!』と怒鳴ったのが功を奏したのか

ようやく飛行機に乗り込めたのですが・・・

 

マイアミに到着すると

ワーカー二人はHouston行の航空券が手渡され

 

私は、連日の徹夜作業で疲れ切ってるし

東海岸のニューヨーク辺りで休んでから帰ろうと思っていたところ

 

香港の船会社が手配したという

ロスアンゼルス経由で香港行の航空券をマイアミで手渡され呆然

 

(実は、船会社には特別な航空運賃のタリフがあって信じられないような低価格で乗れるんです)

(このような船の機械の大事故では保険で費用が求償できるため技師はビジネスが普通)

(同様に移動にかかる宿泊費や経費もしっかり請求するのが一般的なのですが・・・)

 

たしかカリブ海のSt Croixを出発したのが9月9日の夕方で

夜マイアミでロスアンゼルス行に乗り換え

LAX(ロス空港)に到着したのが9月10日の早朝

 

久しぶりのロスだったのでBroad Wayあたりを歩きたいなと思っていたのですが

疲れ果ててDownTownに行く元気もなく

航空会社のカウンターで翌日のフライトにしてもらう交渉をする気もおこらず

数時間後に出発するジャンボ機に乗り込み

時差で9月11日の朝 

すし詰めのエコノミー席で仮眠することもできず香港到着

香港での乗り換え時間が長かったので

一度は入国手続きをしたものの

やはりDownTownまで行く元気なく

 

再び出国手続きをして

日本(関空)行の飛行機に乗り換え

ようやく関空に到着しリムジンバスで奈良の自宅に帰り

 

ヘトヘトになりながら食卓に座り

TVを横目に晩御飯を食べていたところ

あのマンハッタンのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む

衝撃の映像が何度も繰り返して流され 目が点

その後に判明したテロでハイジャックされた飛行機は

ボストン発が2機、NJのニューアーク発1機と

ワシントン近郊のダレス空港発の1機

 

実は、帰国の途についている間

あまりの待遇の酷さに

『金輪際、こんな劣悪な条件の仕事は断ろう

と心に決めていたのですが

 

もしもあの時

①入管が許可せずSt Croixで一泊していたら・・・

②マイアミから東海岸経由にしてDCかNY辺りに泊まっていたら・・・

③LAからのフライトを一日遅らせていたら・・・

 

たとえマンハッタンに泊まってたとしても

そんな朝早くからワールドトレードセンタービルに行くことはないだろうし

散歩に出て惨事に遭遇することは万に一つもなかっただろうけど

 

もしかしたら自分の乗る飛行機にテロリストが乗り込んだか

ハイジャックされた飛行機に乗ってた可能性はゼロじゃないなと背筋が凍る思い

 

あのテロの後、アメリカ国内では全ての航空機が飛べなくなり

一週間以上足止めされていつ帰れるかわからない状況に追い込まれててたかも

 

まあ、それ以前に

*Houstonで竜巻の直撃に遭遇してなかったら

*タンカーの揚げ地がSt Croixじゃなかったら

(それでもカリブ海の島だったら大体マイアミかLAX経由での帰国になるんですけどね)

 

どうなっていたことか

 

そんな運命に導かれてたのかと

9.11になる度に思い出す自分史の一頁です。

 

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シニアグラス(要するに老眼鏡)

2023-12-14 08:40:00 | 雑感
この私、子供の頃から視力検査で1.5
そこそこ満足していたのですが
 
中学生になると反抗期で授業中もほとんど先生の話を聞かず、高台の四階建て校舎の四階が教室だった事もあり、窓の外に見える遠くの山々ばかり眺めていたからかいつしか視力はいつも2.0が楽々
 
そんな遠視気味だったのが悪かったのか
40歳を過ぎた頃から細かい文字を読むことが苦しくなり、45歳では老眼鏡が手放せないようになってしまったのですが
 
背広やワイシャツ👔を着てる時なら胸ポケットに入れとく事もできるけど、Tシャツや胸ポケットの無い服装では細かい文字を読む時にいちいち取り出してかけるのが超面倒😩
 
そんな風に感じていたある日、たぶん20年近く前にイタリア🇮🇹のCuneo から乗った電車の乗客が着けてたこの眼鏡👓が気に入って欧米のみならず海外出張の度に各地で探すも見つからず、半ば諦めてかけた15年ほど前に故郷豊橋の眼鏡屋に置いてあるのを発見‼️🙌
 


 
 


 
 
でも値段が20,000円と聞かされ、それは高すぎるんとちゃう❓とネットサーフィンしてみると安いので8,000円ほどのもあり🤭すかさず注文🎵
 
目立ちたがりなので外出してると衆目を浴びて喜んでたのですが、その後、大好きなにっぽん縦断こころ旅で火野正平さんも使ってのを観て、嬉しいような悲しいような。😅
 
道を歩いてたり、どこかの窓口で「すみません。その眼鏡どこで帰るんですか?父に贈りたいと思ってたんです。」と、若い女性から何度か尋ねられた事もありました。😊
 
いずれにしてもそれ以降クリックリーダーを使うようになってるのですが、起きてる間は勿論、寝てる時もスマホを見る時につけるハードユーザーだからか経年劣化なのか既に7ケ目❗️😱
 
 


 
 
いつでも直ぐに使えるのが便利で、もはや手放せない身体の一部のような存在なので仕方ないかな😂
 
因みに初期のシンプルなデザインのものから次々と新しいデザインや色が売り出され、最近のお気に入りはエクスパンダブル❣️
幅も長さもゆとりがあるのと、金属のツルが錆びないので選んでいます。
(スタンダードのものは荒い使い方をすると汗で錆びるから緑青が出てきました)
 
 


 
 
ご参考までにお知らせさせていただきますが、クリックの回し者ではございませんので(笑)
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新日本紀行ふたたび 与那国島

2021-06-01 22:30:00 | 雑感



https://youtube.com/watch?v=N3vViNEK0Jkhttps://youtube.com/watch?v=N3vViNEK0Jk


YouTube にこの番組が出てきてビックリ!












一昨日ネットで長命草酒を10本注文したばかりだったので

そこからAIで関連づけられちゃったのかも(;゜0゜)

怖いなあと思いつつ、
あの地にも季節労働で援農隊として日本全国から若者が集まってたんだと知り、なんか無性に与那国島に行きたくなっちゃいました。(*´ω`*)











15年ほど前に生まれ故郷の近所の三州(三河)の吉良の茶畑も季節労働で農家に住み込みで働く若者が集まってたと聞いて、現代の日本にもそんな風習があったんだとビックリしたのを思い出しました。

コロナ禍でどうなってるんだろ?
機械化されちゃったのかな?

共同生活で生涯忘れない貴重な思い出いっぱいできるんだろうな🤗





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小林聡美に首ったけ

2021-02-22 13:21:44 | 雑感

つい2週間前のこと

 

石垣島からの帰り道

 

いつもながらの思いつきで突然訪れた与論島で
この映画の存在を知り、

またあの美しい海を観てみようとDVDを借りたのが大失敗!(笑)

めがね 予告編

「かもめ食堂」のスタッフによる新作映画「めがね」

youtube#video

 

2007年にヘルシンキを訪れる前

現地の参考にと”放映直後のかもめ食堂”を観て
”変(?)な映画”と知っていたのですが

 

この”めがね”で、またまた変な映画だなぁと思いつつ

不思議な魅力に取りつかれ

すっかり小林聡美の虜🤩になってしまい

 

ついついDVDやYouTubeで

”やっぱり猫が好き”
”すいか”
”2クール”
”プール”
”マザーウォーター”
”パンとスープと猫日和”
”東京オアシス”
”レンタネコ”
”トイレット”

と、ここ1週間で一気観しちゃいました😜

 

TVドラマの金八先生や尾道が舞台の映画”転校生”で

ボーイッシュで元気溌剌の女の子のイメージが強かったのが

パンのCMから大変身

 

ほとんどがドラマティックな展開もストリー性もなにもない
なにげない生活をただただ単調に描いている映像の連続で
そのうえBGMや挿入歌がこれまた癒し系のため

ついつい途中で居眠り😪してしまい
テレビドラマでそこそこストーリー性のある”すいか”以外は
全てあとで巻き戻しては続きを観るのがパターン化してました😝が

まったりと精神的にとっても寛げる映画なので
心が疲れている時にとってもオススメです😜

エンドロールと共に流れる大貫妙子の曲がまたいいんだなぁ🥰

 

ほぼ毎回常連の気心の知れたスタッフや共演者に囲まれてるからか

素のままなのか演技なのかわからないほど(笑)

 

もたいまさこ、市川実和子・実日子、光石研、加瀬亮、

片桐はいり、小泉今日子、伽奈 などなど

ほっこりしますよ~

 

 

但し、とてもクセがあって万人受けする映画ではないので
レビューや口コミ投稿を読むなどして

ドラマティックな展開や結果を求めない
猫🐈好きで、現実離れしたシュールな世界感が苦にならない人は
是非一度視聴してみて魅力に憑りつかれちゃってください😉

 


※初心者向けなのは①かもめ食堂 ②パンとスープと猫日和 
慣れたら中級編 ③めがね ④プール ⑤マザーウォーター 
個人的にとっても気に行ったのが ⑤すいか ⑥2クール ⑦レンタネコ かな😅

 

さて、

”山のトムさん”と”てなもんや商社” ”コートダジュールN゜10”

”犬に名前をつける日” ”光とともに” ”ガマの油”

探そっと

 

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マタギに憧れて

2020-12-23 15:53:40 | 雑感

 

伝説の狩猟民・マタギと“山の神”

 

Facebook Watch

 

 

 

2020年5月20日

我が家の淡竹と真竹の竹林に筍を掘りに行ったところ

例年ならすでに数十本の淡竹があがっている時期なのに

まったく姿がみえず

 

よくよく眺めてみると

・・・

どうやらそこらじゅう掘り起こされているみたい

そのうえ、淡竹の皮が散らばっているのをみつけ

 

もしかしたら筍泥棒にやられたのかも

と、一瞬思ったものの

 

よくみると思いっきり掘り返されているのがわかり

ようやくウチの竹林にも猪がきてしまったことを悟りました

いつもなら6月まで 隔日で収穫しているのですが

合計して数百本の淡竹が採れ

季節の味として友人知人に配っていたのが

ほぼ絶望

市役所に電話して

猪が入らないように電柵の設置を相談すると

田畑なら補助金が支給される場合もあるけれど、竹林にはされないと聞いて大ショック

 

あれこれ

最終的に有害鳥獣として猟友会に相談したらいかがですかとの助言があり

地元の猟友会に相談したのですが

「竹林は獣道が定まらへんから難しい」とか

「その近くにも檻の罠してあるけどなかなかかからへん」と

他人頼みしてても埒があかないなと

『よし! そんなら自分で狩猟の免許取ってやろう

『ぼたん肉は美味しいし、なんならジビエ肉として卸したらいいじゃんか

気楽に考えて 

狩猟免許の促進講習会が開かれることを調べ

参加申し込みを済ませ

 

とりあえず”ぼたん肉”を食べて

モチベーションを上げようと 京都和束の肉屋でばら肉を買い

家で焼き肉にして食べてみました

(バラ肉でも1,100円/100gなんですよ~

 

義兄が奥三河の山奥育ちで

若い頃からずっと鉄砲猟師をしていて

毎年のようにぼたん肉をキロ単位で送ってくれていたのですが

(残念なことに6年ほど前に心筋梗塞で急逝してしまいました)

処理が上手だったからか、まったく臭みのない脂身の美味しい肉と比べると

ちょっと残念な味でしたが

『駆除ができてジビエ肉として売れたら”一石二鳥”かも♪

喜び勇んで講習会に参加

当初は、家の竹林に出没する猪退治と思っていたため

罠猟(檻やくくり罠)だけと思っていたのが

講習会で銃(鉄砲)を触らせてもらったところ

なんなんでしょうね

男の本能なのか 銃を持ちたくなってしまい

 

最近訪れた秋田の阿仁マタギを思い出し

 

結局、わな猟と第一種銃猟の狩猟免状を取得してしまいました

免状が届いた翌日に猟友会が開催する 新人ハンター講習会に参加し

猟の仕方や解体を体験したところ

憎き猪とはいえ、果たして罠にかかった動物の命を奪うことができるのか と

ちょっと自信が揺らついているのですが・・・

とりあえず猟友会に加入して

警察で猟銃の所持許可を得るための講習会に申し込み

わな猟の講習会にも参加して

今年度は、とりあえずわな猟の狩猟者登録を済ませました

(銃の所持は警察の管轄で、講習会や射撃場での練習と試験を経て危険人物でないか調査されてから

銃砲店で買う銃を探してから所持申請となるため、銃が持てるようになるには早くても半年から1年かかるんです

そのうえ、我が家の周辺は、銃猟のできない地域のため

銃を持てたとしても猟友会の巻き狩りに参加させてもらうしかなく

山を歩いていて偶然猪や鹿に遭遇するわけもなく

基本的に猟犬を使っての猟となるため

『自分にはちょっとハードルが高いなぁ

銃猟へのモチベーションがすっかり下がってしまったのですが

偶然にも録りだめしてあったDVD録画の中の

目撃にっぽんの”くまやま”を観てしまい。

 

熊は山の神からの授かりものとするマタギの精神と

マタギ勘定や「山で熊に襲われて死ぬのが本望だ」との言葉に

感動してしまいました。

 

もしも銃が持てるようになったら

そんな簡単に受け入れてはくれないだろうけど

農耕に手のかからない冬の間は

秋田の鳥海山の麓か、阿仁や田沢湖の周辺で

クマヤマに参加させてもらおうと考えているところです。

 

結局、12月末まで、我が家の椚の木の枝打ちや

柿、梅、イチジクの剪定と 

年内に片付けておかなければいけないノルマに時間を費やされ

わな猟も よくやく年明けから取り掛かれるかな

 

 

後日また、経過報告させていただきたいと思います。

 

 

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個人情報ダダ漏れ‼️ 😱

2020-11-07 05:13:00 | 雑感

IT社会になってから

忘れた事や知らない事があっても
 
スマホを使って
検索エンジンや動画サイトから
直ぐに調べられるし
 
携帯電話時代から気軽に写真撮って
メールで送ったりブログ投稿したり
FBのニュースにしたりと

いやぁ便利な世の中になったなぁ🤗
 
と喜んでたら
 
SNSの広告サイトには
欲しいと思ってるグッズが出てくるし😲
 
ニュースサイトでは
個人的に興味のある話題が山盛り💦
 
クッキーとやらで知らないうちに
個人情報山ほど盗まれてるんだなぁ😰
 
と、最近つくづくそんな印象を持ってたところ
 
iPhone の写真のアルバムを見て
またまた驚愕の事実を知っちゃいました😳
 
3年前にこの4台目のスマホ📱にしてからの
いつどこで撮った写真か丸わかり❗️🥴
 
自分で思い出すのには便利だけど
 
データが全て残されてたぶん抜き取られてるんだろうなぁ
 
 




















もうすっかり枯れオヤジになって久しく
怪しげな隠密行動(❓)もしないから
 
別にいいんだけど😤 ← ホンマかいや😆
 
写真の枚数とかで
生息地からよく出没する場所まで丸出し😝
 
その上
ポイントカードやら電子マネー
クレジットカードの記録も全てダダ漏れ
 
まあ、今更どーしようもないと思いつつ
みなさんもお気をつけ下さいね🙇‍♂️
 
 
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備忘録 2015

2016-12-09 16:58:32 | 雑感

 

2016年もあと半月

そんな時期ではありますが

 

今更ながらの2015年行動記録を残させていただきいと思います。

(実は、過去の足跡調べるのにダイアリーが手元にない時、このブログ使わせてもらってるんです)

 

 

1月

 

1日 初詣 大安寺&村の鎮守

3日 ツタヤへDVDの返却

4日 千葉へ移動(翌日の仕事に備えて前泊)

5日 千葉港から京葉シーバースの入港中のVLCCで仕事

 

12日 関空より中国青島に出発(ロシア船の事故調査)

13日 青島港に接岸中のロシア船に乗船

14日 青島発関空に帰着 (18:30帰宅)

15日 陸路(新幹線&在来線特急)で長崎県佐世保へ

午後、佐世保重工にて安全教育受講

16日 佐世保重工 入渠中の飛鳥IIにて仕事

17日 同上 造船所で現場作業に従事

18日 同上 (前日追加依頼を受け緊急を要する部品を大学卒業前の次男に運搬を依頼

19日 同上 (別件で緊急を要する部品が発生し家内に運搬を依頼

20日 九州をほとんど知らない家内を連れて長崎観光後、博多経由で帰宅

21日 名古屋にて会社訪問(営業)の予定で移動中に緊急の連絡を受け

奈良に戻り、博多港入港中の飛鳥IIに乗船 深夜に作業を完了し博多のホテルに投宿

22日 早朝、博多発 奈良に移動(新大阪:火事で電車遅延 鶴橋:人身事故で電車遅延) 

25日 トレッキング (生駒山~信貴山)

 

 

2月

 

3日 シンガポール向け関空出発 (SQ直行便)

4日 終日 Sembawangの取引先で打ち合わせ

5日 同上 

6日 朝一で打ち合わせの後 Changi空港に移動し Singapore出国 同日関空着

12日 大阪日本橋へ 作業工具等の調査 

生駒山麓のラッキーガーデンで昼食(スリランカ料理)

14日 疲労が溜まっていて早起きできず雪山行の予定を翌日に延期

15日 山行断念

18日 有休を取り、家内とお伊勢さんに初詣

ブランチ 山口の伊勢うどん 

赤福ぜんざい 

遅めの昼食 的矢で焼き牡蠣のつもりが営業時間外で断念

ヤリクッタ食堂でお刺身定食頼むも見事に撃沈

晩ご飯 家の近所のタコ焼き屋

21日 南比良縦走を狙って雪山ハイクに出かけるも、

権現山からホッケ山の途中で太腿が痙攣を起こし縦走を断念して撤退

【敗因分析】

* 保険をかけるのを失念してるのに気づき、いざとなってもヘリコプターは呼べないなと気分的に落ち込む

* ヘッデン(ヘッドライト)を忘れているのに気づく(道迷いして日が暮れたら雪中で身動きが取れなくなる)

* レイヤード管理を怠り、登りで汗をかきすぎて痙攣を誘発させた

* レジャーシートを忘れていたため、雪上で座り込んでの休憩ができなかった

* 行動食摂取失敗によりシャリバテとビタミン補給の遅れから痙攣を起こした

* 好天となりすぎて腐れ雪となり、スノーシューもワカンも持ってなかったためツボ足でのラッセルで筋肉疲労を起こした

22日 水利組合総会に出席

28日 耕作放棄地の開墾(起こしておいた土の根っ子取り)

 

3月

 

9日 神戸空港から長崎空港経由 佐世保に移動(前泊)

10日 佐世保重工 資源 作業

11日 佐世保~諫早~島原~長洲(熊本)

午後 某社訪問(商談)

長洲~博多経由で帰宅(JR,西鉄、新幹線他)

博多駅 やぶれかぶれ(居酒屋)&だるま(トンコツラーメン)

15日 開墾中の畑で根っ子取り

16日 奈良市役所 事務所改装許可申請

17日 神戸へ 某重工&ポートアイランドの某社で打ち合わせ

20日 マイナールートで岐阜羽島に車両移動

和束~信楽~永源寺~員弁~大垣~安八~岐阜羽島

味噌カツ

21日 ユンボの免許講習(一宮)

22日 同上 免許取得

23日 早朝岐阜羽島発 名神経由で定時出社

26日 中古ユンボ探し(天理他)

28日 開墾中の畑で根っ子取り

30日 ワークショップ清掃 (次男引っ越し)

31日 長男 研修に出発

 

 4月

 

2日 横浜大桟橋にて飛鳥IIの小工事 

終了後新横浜でトンガ時代の先輩OBと飲み会(終電で帰宅)

5日 新幹線で豊橋まで行きレンタカーで作手まで(法事)

その後牛久保と飯村の墓参りを済ませ 岐阜羽島へ移動して泊まり

6日 朝岐阜羽島から奈良に戻りそのまま出勤

18日 午前:ハンマーナイフで草刈り 午後:刈払機 夕方より月例会参加

19日 神戸六甲より阪九フェリー乗船

20日 門司着 小倉~博多~鹿児島~中名 夜喜入にて乗船工事

21日早朝 喜入発 博多にてフィンランド取引先の人間と合流し長崎へ

午後 三菱長崎にて商談 その後博多に移動して会食 泊まり

22日 博多~奈良

23日 健康診断

25日 農耕 (里芋・長芋・蕗・茗荷植付)

26日 KIX T2より石垣島へ

27日 沖縄電力 発電所にて仕事

28日 沖縄電力 発電所試運転立会

29日 石垣周回(途中で事故) 午後 KIXT2着 奈良へ帰着

 

5月

1日 午前 沖縄電力物件電話対応(KHI向け) 午後 畑へ

2日 熊取ハンマーナイフ出動 午後 柿の木にッキャノピー設営 水通し

3日 柿の木 溝切 パイプ&仕切施工

4日 農耕

5日 農耕

6日 午前 水利組合梅雨掘り 午後 種苗購入 生姜植付

9日 里芋 植付

10日 ウコン、小生姜、大生姜植付

16日 午前 農耕 午後 OB会総会出席(橿原)

17日 午前 水路&畦畔草刈り  午後水ナス購入 発送

23日 豊橋日帰り 甥結婚式出席

24日 山ノ上水利組合 梅雨掘り

25~28日 Singapore出張

 

6月

4日 草刈り

5日 KIXへフィリピン時代の秘書の娘さん来日のためKIXT2に出迎え USJで食事

6日 

7日 午前 ハンマーナイフ 午後 土手野焼き

14日 呉へ移動

15日 呉で仕事

19日 尼崎で打ち合わせ

20日 ハンマーナイフ

21日 雨  夜 KIXからSingapore向け出発(夜行便)

22日 Singapore 待機

23日 早朝ホテル発 投錨中のスエズマックスBC乗船

24日 マレーシア沖

25日 カリマンタン沖

26日 ベトナム沖

27日 パラワン沖

28日 ルソン沖

29日 台-比 海峡

30日 先島沖

 

7月

1~5日 沖縄沖にてドリフト(入港調整)

6日 宮崎沖へシフト(台風接近のため)

7日 宮崎沖にてドリフト

8日 豊後水道通過し呉沖へ

9日 呉沖にて投錨

10日 午後 呉入港(製鉄所) 下船 広島から奈良へ

11日 愛媛県 伊予三島へ移動

12日 伊予三島 大王製紙入港中のウッドチップ船にて作業 奈良へ

13日 関空 国際輸入貨物検品

18日 佐賀県唐津へ移動

19日 伊万里にて仕事終了後 奈良へ

20日 農耕 草抜き

25日 京都 打田漬物へ買い出し

27日 岡山 玉野へ納入品トラブルのお詫び訪問

30日 奈良→浜松→岐阜羽島

31日 牛久保・飯村 墓参 

 

8月

1日 草刈り

2日 草刈り

4日 夕方野焼

8日 車で 豊田~作手~牛久保~飯村~伊良湖~鳥羽~賢島

9日 横山展望台~大王崎~鳥羽(漣で”あこや”定食)

15日 バイク洗車・充電 午後草刈り

16日 ツーリング(和束~信楽~永源寺~御在所)

19日 午後 広島へ移動

20日 宇品(新来島どっく)にて仕事 終了後奈良へ

23日 広島・呉へ移動 大和ミュージアム拝観

24日 呉にて仕事 午後 鉄のくじら館 拝観

25日 東京へ 新宿ミュンヘンで会食(UEC時代の同僚と) 散会後東中野へ

28日 大和高田(学生時代の同級生の職場へ)

29日 草刈り(ハンマーナイフ) 夕方 鶴橋にて同級生と会食

 

9月

2日 神戸空港経由長崎

3日 三菱長崎にて商談(フィンランド人と) 神戸空港経由で帰宅

5日 京都へ (ラーメン藤と打田漬物)

7日 トンガ時代の知人が出てるTVを視聴

13日 午後 心斎橋大丸へおはぎを買いに行く

19日 草刈り(ハンマーナイフ) 28,227歩

20日 村の環境整備と集会

21日 京都へ(ラーメン藤、打田漬物&醍醐でおはぎ購入)

22日 名古屋で学生時代の同期会のため

岐阜の同級生と羽島で味噌カツランチ 豊橋泊まり

23日 墓参(牛久保・飯村) サンヨネ・ヤマサ・チャオ

 

10月

3日 同級生来阪 新世界・天王寺界隈散策 鶴橋で食事 谷町泊

4日 奈良に戻って車で 京都、奈良案内

8日 午後 下関へ移動 下関泊

9日 下関(旭洋SY)で仕事 終了後新門司からフェリー乗船

10日 徳島着 眉山周辺散策食べて 和歌山へフェリーで渡りラーメンを食して奈良に戻る

12日 農耕 山芋収穫 里芋試し掘り

14日 打田漬物

15日 新宿京王プラザでUEC同窓会 神保町に立ち寄ってから奈良に戻る

17日 伏見大社(ブロンコビリーでランチの後)

18日 バイク車検後 桜井の笠蕎麦と荒神

21日 関空よりフィリピンへBjorn、宮木さんと合流して(バタンガス経由でミンドロへ)

22日~24日 Puerto Galeraでバカンス 24日午後 タガイタイ経由でマカティへ

25日 American墓地観光後帰国

26日 横浜へ移動(野毛の三陽で食事)

27日 MHI本牧で仕事

28日 MHI本牧で仕事

29日 彩華ラーメン

31日 農耕(畑)

 

11月

1日 豊橋へ墓参帰省

7日 農耕(里芋・生姜・ウコン収穫)

8日 ラーメン河を目指して吉野へドライブ 馬酔木で昼食

14日 ホームセンターでウコン用網購入

15日 ウコン加工(スライス、日干し)

17日 JOCV50周年にあわせ同期会・忘年会のため

東京へ(新宿ミュンヘンでランチ後東中野から中華街へ) 夜行バスで奈良へ

18日 早朝奈良着

20日 自社用用地として奈良DL横移転検討のため不動産屋さんへ

21日 農耕(消石灰・糠漉き込み)

22日 草刈り&畝作り

23日 初瀬の長谷寺散策

28日 農耕(京菜、菊菜植付)

29日 トレーラーハウス購入検討のため製造会社のある豊橋に帰省

帰路、伊良湖・鳥羽経由で奈良に日帰り

 

12月

5日 名古屋にて同級生と会食(本山)帰路徒歩で名古屋駅まで

駅前のサウナに宿泊

6日 朝 近鉄にて奈良に帰る

12日 吉野 馬酔木で焼き肉(家内・次男と)

16日 Singapore出張のため関空出発(TG)

17日 バンコク~シンガポール

18~20日 Singapore (19日JOCV同期と会食)

21日バンjコク経由で帰国

23日 Vespaのエンジンの掘出し物を見つけ購入のため名古屋へ

赤池で同級生夫妻と会食

26日 小学生時代の恩師にカレンダーを手渡しながら挨拶のため帰省

チャオとトンカツの宝来亭で食事 

28日 敦賀にて新日本海フェリーの仕事 深夜京都にてラーメン(新福菜館)

29日 万博公園にてJICC時代の同僚と忘年会(ランチ)

その後鶴橋で学生時代の同級生と痛飲

 

 

 

 

ということで、

出張が

国内 21回 48日

(千葉、佐世保、長崎、博多、佐世保、有明、神戸、岐阜羽島、横浜、新門司、小倉、鹿児島、博多、

長崎、博多、石垣、呉、呉、唐津、伊万里、玉野、浜松、広島、呉、長崎、下関、徳島、和歌山、横浜、敦賀)

 

海外 6回 40日

(青島、Singapore, Singapore, Singapore, Philippine, Singapore)

 

草刈り&農耕に

31日

 

プライベートの外出が

33日

(大安寺、生駒・信貴トレッキング、伊勢神宮、比良山系トレッキング、新城法事、豊橋結婚式、

京都漬物、豊橋墓参、豊橋墓参&作手・伊良湖・鳥羽・賢島、鈴鹿越えツーリング、

東京新宿ミュンヘン同窓会、鶴橋同窓会、京都ラーメンと漬物、京都ラーメンと漬物、

岐阜&名古屋同窓会、豊橋墓参、鶴橋同窓会、京都・三輪同窓会、

京都漬物、東京新宿会社同窓会、京都ハンバーグと伏見稲荷、桜井笠蕎麦、

豊橋墓参、吉野焼き肉、東京・横浜JOCV同期会、長谷寺散策、

名古屋・豊橋・伊良湖・鳥羽(宝くじ)、名古屋同窓会、吉野焼き肉、

名古屋Vespa&同窓会、豊橋墓参&カレンダー配布、EXPOランド同窓会)

 

 

 

そこそこ忙しくて バタバタしてた気がしてたんだけど

合計してもたったの152日

 

 

近年稀な出張も外出も控えめとなった年でした 

 

 

 

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これまでの人生で最も衝撃を受けた映画作品のひとつ ”血と骨”

2015-11-06 15:23:33 | 雑感

 

https://www.youtube.com/watch?v=docxzjrPODU

 

いまからかれこれ10年前のこと

話せば長くなるので, 詳細の経緯はまたの機会にしたいと思いますが

インターネットカフェを経営していたことがありました。

その時

店内での貸し出し用に買い揃えたDVDの中に

この一本があったのです。

 

ある日のこと

店をスタッフに任せ

一番奥まったブースに入り、この作品を鑑賞してみたのですが・・・

 

その衝撃たるや一言や二言で言い表せれるものではありませんでした!!!

 

 

当時、関西に暮らすようになって15年

 

生まれ故郷の愛知県三河地方の豊橋でも

小学校の校区内に朝鮮学校(小学校)があり

 

小学校の同級生や先輩後輩の中に在日朝鮮人の子もいたし

その後も仲良くなった他の校区の子供の家がパチンコ屋だったり

我が家の近所の空家を借りてスーパー向けの餃子を作る家もあったし

 

中高生の時には、街の繁華街でメンチキリがきっかけで

人気のない公園や駅の公衆便所で大立ち回りのケンカをした相手がだいたい在日韓国朝鮮人

(一級上のケンカ相手とは、その後親友と呼べるほど仲良しになりましたが)

 

ごくごく普通の生活を送っている市井の人間と比べたら 

そこそこ(在日韓国朝鮮人のことは)知ってると自負していたのですが

 

この映画を観て、日本における歴史とその生き様を初めて知らされた気がしました。

 

映画について 素人あれこれと言うのは好きではありませんので

まだご覧になっていない方で興味を持たれましたら

↓ から全編をご覧になってみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=4zmYrFUrBpY

 

私は、この映画を観たあとで衝撃と興奮が冷めやらず

原作者の梁石日(ヤンソギル)氏の小説を片っ端から読んでしまったほどです。

 

特にオススメしたいのは ”夜を駆けて” 

在日の話とは異なりますが”闇の子供達”も衝撃を与えられた一作です。

 

 

最後にもうひとつ加えさせていただくと

この映画、シリアスで、絶望のどん底のような真っ暗な映画と思いきや

コミカルで笑いを誘うようなシーンもあり

ケンチャナヨ(気にしない、構わない)精神の民族だったと

思い出して胸を撫で下ろしました。

 

(このブログを読んでいただいた方が映画を視聴し終わったと思われる頃、映画の感想を記事にしたいと思います。)

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有言不実行

2015-01-28 16:50:51 | 雑感

 

これまでの人生

”有言実行”を旨として生きてきました!

 

というのも

元々いい加減でちゃらんぽらんな性格の人間のため

公言することによって逃げ道をなくし

 

もしも、後々で深慮して躊躇しするようなことがあったとしても

自分のプライドにかけて、絶対に成し遂げるんだ!

 

 

そんな思いから、人生訓として守ってきたのですが・・・

 

 

このところ、仕事に忙殺されて

口にしたことを反故にせざるを得ない状況に多々追い込まれてしまいました。

 

 

”東北の大震災の被災地に応援ツアーに行こう”

”協力隊同期隊員と毎年同期会を開こう”

 

などの企画立案して実施しようと宣言していたのに

次々と突発の仕事が舞い込んできて

いつの間にやらウヤムヤになって自然消滅

 

 

山歩きも、2014年内には

空木岳縦走に木曽福島側からの木曽駒ヶ岳登頂

奥駆道(山上が岳~普賢岳~八経ケ岳走破)

狼平か武奈ヶ岳での雪山テン泊

等々

 

いくつか計画していながら

気が付いたら季節はもう冬となってしまい

 

その上、現場仕事で疲れ切った身体では、ジム通いもできなくて

体力的にも縦走するだけの準備ができておらず

夢のまた夢で終わってしまいました

 

 

実行できないなら黙っているべきと思いつつ

黙っていたら弱気な自分に負けて

なにもせずに過ごしてしまいそう

 

大口叩いておいて

狼オヤジ(少年じゃないので)と後ろ指をさされたくないし

まったく悩ましいところです

 

 

とりあえず、次の週末は

比良山系か伊吹山へ雪山ハイクに出かけるつもりでいます

 

伊吹山なら朝5時出で

近鉄、新幹線、バスを乗り継いでとなる予定

 

だけど、今朝から風邪気味でクシャミは出るわ

熱っぽくて身体は重いわとネガティブな兆候が見られるのが不安材料

 

 

またぞろココでこうして宣言しておいて

はたして実行できるか否か

 

 

2015年はどうなるでしょうか

運を天に任せたいと思います

 

 

【追記:2015年1月31日 06:35】

当初予定では、

この時間、京都でこだまに乗り換えなきゃいけない時間なのですが・・・

昨日、以前取引のあった国内の某社から

ミシシッピ周辺で船の修理ができる会社を紹介して欲しいとの電話を受け

金曜だし、時差があるし、何社かに電話してたら・・・

いつの間にやらこんな時間に!

 

 

雪崩注意報も出てたし

これもまた運命なんだろうと、本日の登山は諦めました

 

さて、この”有言不実行”状態

いつになったらやめられるのでしょうか

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”Imagine"を聴きながら

2014-09-18 18:59:58 | 雑感

たぶん多くのみなさんが

この詩に感銘し、同感し

そんな世の中であったらいいなと切実に思われていると思います。

 

そして、私もそんな一人でした。

 

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

 

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

 

ただ、EUになって

ヨーロッパではほとんどの国が国境での入国管理や税関の手続を経ることなく

自由に出入りできるようになり

違法外国人がどんどん増加して

治安が著しく悪化している現状をみるたびに

 

この詩のような世界は 

まだまだ夢物語なんだなと思わされてしまいます。。。

 

 

お金やモノの集まる都市部に

低所得者層や貧困国からの移民(ほとんどが不法入国?)が集まりだし

ホームレスが隙間をねらって占拠しはじめ

やがては元から暮らしていた住民が郊外に逃れるにようなると

中心部はスラム化し

集まってきた移民達は、収入を得るアテがなくなり

犯罪で飢えを凌ぐようになって、著しく治安は悪化

 

それまでの警察官の数では対応できなくなっても

増員するための予算を得ることもできず、そうした状況を見過ごすようになって

ますます状況を悪化させる

 

これまで、そんな推移をみてきて溜め息をついてきたのですが

今回も欧州諸国を周り

更に悪化している状況を目の当たりにして

悲しくなってきてしまいました。

 

パリでは、空港からの移動手段として電車を利用すると

手荷物を持っている観光客に目をつけ

窃盗団がスマホや携帯を使って連絡を取り合い

狙った獲物の情報を流し

途中の駅からも乗り込んできたりしています。

 

マルセイユでは、駅構内や地下鉄にひったくりや強盗が横行しているため

武装警官やドーベルマンを連れた警官が見回っていますが

スキを狙った連中がいたるところに居て

特に日の暮れた後など、その怖ろしさたるや半端じゃありません。

 

イタリアのミラノでは、駅構内のいたるところ

”みどりの窓口”にまで、ペテン師やひったくりがはびこり

自動券売機で切符を買おうとしていたら

買い方を教えるなどと声をかけスキを狙っているし

列車に乗り込んだり、降車しようとしていると

荷物を無理やり運んで強制的にチップを取ろうとしたり

駅の出口には白タクがはびこり気を緩めることができないほど。

 

ドイツでは、東西が合併したものの

東側の住民は、多くの国民がいまだ貧困から抜け出せないでいることもあって

ネオナチとなってその不満の捌け口を外国人に向け

乱暴を働くなど(ロシアも似た傾向にありました)

 

ま、置き引きやスリの類は 中国も半端なくて

広州駅に設置された防犯カメラの数を見ただけで

うんざりとさせられるほど

 

パナマも運河がアメリカが手を引いてから

巨額の富のおこぼれを狙って

貧困層の人々が都市部に集中

特に、警備や取り締まりの緩いカリブ海側のコロンは

真昼でも歩けないほど

(カリブ海沿岸諸国では特に東洋人に対する蔑視が激しいので)

(コロン郊外のホテルには、敷地内に入るための検問ゲートがある上、玄関には武装警官が常駐) 

 

治安の悪いところを挙げ出したらキリがありませんが

至るところ、こうした治安の悪化は貧富の差が根本的な原因なのでしょうが

更には宗教の違いによるモラルの意識の違いなど

時間の経過とともにますます複雑化し

 

果たして出口はあるんだろうか?と頭を抱えるばかりです。

 

 

 

日本も少子化対策で

将来的に海外からの労働者受入とか、安易に考えてるような雰囲気があるけど

やはりよく考えなきゃいけないんじゃないかな?

 

既に瀬戸内の造船所では、3K職場で働いてくれる人がいないからと

東南アジアからの労働者を受け入れてるのを見ています。

 

それより以前から、主に南米からの日系人の受け入れ優遇で

多くの出稼ぎ労働者が日本各地に滞在するようになり

出稼ぎのために来日、小金が貯まったら帰国して遊んで暮らし

蓄えが尽きたらまた来日

 

そんな生活を繰り返していたために

彼等の子供達は義務教育さえまともに受けられず成人し

為に普通の仕事に就くことも叶わなくなって非行に走る

 

そんな事例が既に発生し、社会問題となっているにもかかわらず

 安い労働力を安易に得ようとする

 

パッチ当て的な対応をして、のちのち後悔するようなことのないように

首長も、行政もしっかりと将来を見据えていただきたいと切に願っている次第です。

 

これらも全て貧富の差から生じたこと

 

Imagineの詩のようになって欲しいと思いつつ

全世界の人間が平等になれることって、果たして可能なんだろうかと

半ば諦めの境地となってしまいました。

 

若い頃は、自分達の手で、必ずや南北問題を解決しこの世の中を変えてゆこうと

希望を胸に行動できたのに・・・

 

って過去形の話ばっかしてちゃダメですよね

 

 

蝋燭が燃え尽きる寸前のように

一瞬の輝きを取り戻し、もう一花咲かせたいと思います!

 

何をどうしたらいいのかわかんないけど

 

(いつものことながら支離滅裂ですみません。 先日のヨーロッパ訪問で感じたことをとりとめもなく書いてしまいました)

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”タダより高いものはない”(インターネットの落とし穴)

2014-06-18 12:47:03 | 雑感

(今回の記事は、世の中への問題提起なので、興味ない方はスルーしてくださいね)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140617/k10015282761000.html 

////////////

 

既にネット依存症になってる人間が

こんな記事を書くのもおかしな話なんですが・・・

 

ちょっとだけ、問題提起してみたいと思います。

 

http://blog.goo.ne.jp/buang9696/e/29c579e6a064afb1b8738ffe446512bf

http://ameblo.jp/shogetsu-goodjob/entry-11421877416.html

http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/801.html

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

最近、よく人から訊かれるのが

『LINEやってる?』

って言葉

 

無料通話が売りで、若年層のみならず

日本国内だけでも既に3500万人超のユーザーがあるんだとか!

 

最初、このアプリの宣伝を見て思ったのが

『またまた巧妙な詐欺アプリだな!』ってこと

 

TVでバンバンCMを垂れ流しにしていた

『無料です』と洗脳させていた”ゲームアプリ”のことを

すぐさま彷彿させられちゃいました

 

『無料』と誘っておいて

あまり深く物事を考えない人間をシャブ漬けのようにしておいてから

それ以上遊びを続けるには、有料のツールを購入させるって手段

 

Yahooでもアバターとかで

いろんな服やアクセサリー、背景、その他もろもろ

他人とは違った自己表現がしたくて

癖になったところで、無料のアイテムをどんどん削除し

有料のものばかりにしておいて

しばらく時間が経過したら

なぜか急に”終了”

 

なにも実態のないものにお金を払わせて

挙句には、なにも残らなくなって諦めさせる

詐欺としかいえないと憤りさえ感じています。

 

そんな風に、多くの人がそこそこ学習している筈なのに

今度もまた、”無料”の罠にはまってる姿を見て

唖然とし、悲しくさえなってきちゃいました

 

このブログの過去の記事を見ていただいたらおわかりかと思いますが

韓国とは、既に実際に仕事のお付き合いで20年以上関わりを持ち

約3年の間、ほぼ駐在のように現地に滞在していた経験もあり

あの国のいいところ、問題のあるところなど

一般の方々よりもよく知っていると自認しています。

 

その上で、話させていただくと

基本的に”コンプライアンス”とか”モラル”という単語は

あの国には存在していないと思っています。

 

イケイケドンドンで

思い立ったら即座に事業を始めてしまう即断即決の姿勢には

驚かされ、ある程度見習わなければ時代に取り残される感も否めませんが・・・

 

”どんな悪い事をしても捕まらなければいい”

一般的な生活でもそんな風潮も何度も感じさせられるうえ

金儲けのためなら、それが”当然”といったお国柄

 

そんな社会で育まれた常識で運営される会社が

莫大な時間や資金を使って

無料のアプリを開発して世に出すはずもない

 

(Gunghoとかの”パズドラ”とかの会社も、韓国のことをあまり知らないとわからないかもしれませんが

"g"のスペルをみて間違いないなと確信しました。)

 

それが私の持論なんです。。。

 

とあるSNSで

LINEを広めようとするような書き込みがあったので

こうした問題点を指摘したら

「個人情報が煩くいわれる昨今ですが、昔はそんなこと気にしませんでしたよね」

「国民の大多数がしているアプリを楽しんでみませんか」

とのコメントがあって

開いた口が塞がらなくなっちゃいました

 

ウチの家族もLINEで親子の連絡を取り合ってるとかで

問題があると伝えているのに・・・

「個人の携帯で、たいした情報は入ってないから大丈夫!」と

取り合ってくれませんでした

「自分だけの情報じゃなくて、アドレス帳に乗ってる人も巻き込むのに?」

って言ってもダメ 

 

”赤信号、みんなで渡れば怖くない”的発想なんだと思うけど

これまた悲しくなっちゃった

 

 

個人情報が漏れるだけなら、男の場合なら、まださほど影響はないかとも思いますが

今朝のNHK NEWSでも伝えられてましたが

 

危惧していたとおり

パスワード情報等を盗んで 知らないうちに金銭的な被害も

現れ始めたようです

 

 

ホントに残念ですが、痛い授業料を払って学習することになるのを

指を銜えて見てるしかないようです。。。

 

もし、いまLINEを使っている方

いま一度考え直してみませんか?

 

傷が浅いうちに・・・

 

【ネットの怖いところは、検索等で都合の悪い情報が出回らないように、作為的に検索の上位に信用させるような

URLを貼付けています。 ネット情報に頼りすぎないように注意しましょう。 

某新興宗教団体も同じ手口を使って隠していますよね。】

 

 

 

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いまはもう、当時の面影を全く残しておりませんが・・・

2014-05-14 22:05:44 | 雑感

実はわたくし 

むさくるしい男ばかりの全寮制の学校で

応援団長をしていた時期がございました。

 

なんせ男子しかいない学校で

バトンガールも ブラスバンド部もなく

 

応援に行けば

試合中 はじめからおわりまで

応援団員だけで

ずーっと応援歌(寮歌、練習船の歌などなど)を歌っているか

演武風のパフォーマンスを見せなきゃいけなくて

それはそれは過酷な応援活動だったんですヨ

 

真夏には、白の詰襟に金ボタンの制服で

試合に出向くときには

わざわざ地元の街中を 

応援旗を先頭に二列縦隊で行進したりして

 

目立つこと目立つこと

 

試合が終わったあとには、新聞記者から取材の申し込みがあったり

近隣の女子高生からファンレターが届いたりしましたねぇ

 

もうすっかり世俗の垢にまみれ

現在は硬派の欠片も残しておりませんが(どこがやねん)

 

 

ふと、なにげなく応援歌を歌う前文が

頭に浮かんできてしました

 

いつこの世から消えてなくなってしまうのかと思うと

あまりにも悲しく

備忘録のつもりでここに記させていただきたいと思います。

 

これは”白菊の歌”という

商船学校の寮歌だったのですが

 

ネットで検索してみると

いつの間にやら 東京商船の寮歌と認知されてしまっている様子

 

それを正せる人間ももういなくなってしまったのかなと悲しくなってしまいました。

 

たしか、昭和51年頃、TVの”思い出の歌”という番組で

この歌を歌って欲しいとの依頼を受け

収録された思い出があります。

 

 

富貴名門の子女に恋するを
純情の恋いと誰が言ふ。

 
暗き路頭に迷える女性に恋するを
不情の恋いと誰が言ふ。

 
泣いて笑って風月月下の酒場に
媚を売る女性の中にも
水蓮の如き純情あり

 
風吹かば風吹くが良し
雨降らば雨降れば良し

 
酒は飲むべし百薬の長
女は抱くべしこれ人生無常の快楽なり

 
妖色美人の膝を枕に快楽の一夜明くれば
夢もなし 又、金もなし

 

叩く電鍵 握る舵輪 覗くコンパス 六分儀

 

ああ我は海ゆく渡り鳥

明日の命をたれ(誰)が知ろう

 
いざ歌わん 商船白菊の歌を

 

一、霞める御空(そら)に消え残る朧(おぼろ)月夜の秋の空 身に染み渡る夕風に 背広の 服を靡(なび)かせつ

二、紅顔(こうがん)可憐(かれん)の美少年が 商船学校の校内の 練習船のメインマスト トップの上に立ち上がり

三、故郷の空を眺めつつ ああ父母(ちちはは)は今いずこ 我が恋人は今いかに 少年右手(ゆんで)に持つものは

四、月の光に照らされて 側(かたへ)の友に語るよう 元(もと)このものは故郷(ふるさと)の 外山(とやま)の蔭に咲き残る

五、後れ咲きなる白菊を 我(わが)故郷(ふるさと)を出(い)ずる時 君が形見と贈られし 真心込めしこの栞(しおり)

六、海山(うみやま)遠く隔つとも 君が形見を思い出し 朝な夕なに眺めつつ 言わんとすれば悲しやな

七、涙の為に遮(さえぎ)られ そのままトップに打ち伏しぬ やがて少年身を起こし 遠き故郷(こきょう)を眺めつ

八、男子立志 出郷関 学若不成 死不帰 去年今夜眺秋月 更心身如大海

 詩吟「男児志を立て、郷関を出ず、学若し成らずんば、死すとも帰らず 去年今夜、秋月を眺め、更に心身、大海の如し

九、満天雲なく月は澄み 風はそよそよ吹き渡る 秋の夜中の空高く 折りしも聞こゆる喇叭(らっぱ)の音

十、ああこの十時は今鳴りぬ 忽(たちま)ち消ゆる少年の 姿は校舎に入りにけり 音するものは程近く

十一、小松原に打ち寄する 岸打つ波の音高く 犬の遠(とお)吠(ぼ)えかすかなり 犬の遠(とお)吠(ぼ)えかすかなり

 

そう言えば家に 歌集があったはず!

あとでその歌集も追加しておきたいと思います。 

 

 

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モスクワからの電話(&古き良き友人との回顧録)

2014-05-01 17:34:40 | 雑感

(今回のネタは、超前置きの長い戯言なのでご注意くださいね

 

先日のこと

夕方の終業時間直前に携帯電話の着信音に気づき

何気なく発信番号を確認してみると

+7(49・・・の文字が

 

丁度、ロシアの上得意ながら

事前の確認事項が煩雑+いい加減で

いつも手間ばかりかかってほとんど利益を得られない物件があったので

 

必要ならメール入れてくるだろうと

面倒だから居留守をしようと、ミュートにして放置していたところ

いつまでたっても諦めず、呼び鈴が鳴りやまなかったので

 

仕方ないな~と、『アリョー!(ロシア語のハロー)』と電話に出たところ

 

『もしもし、○○さんですか?』と流暢な日本語で話かけられて

(誰だろ?)と訝っていたら

 

『お久しぶりです。ロシアの○○○○です。お元気ですか?』

と話しかけられて 超ビックリ!

 

実は、彼

大阪のロシア総領事館の元副領事で

家族同然のお付き合いをしていた旧知の大親友だったのです

 

 

彼との出会いが これまた奇遇と言うか運命というか・・・

 

こんな経緯があったのです。

 

私の過去の経歴は、このブログで何度もご紹介しているとおり

20代の頃に青年海外協力隊隊員として過ごし

 

その後、国際協力事業団の専門家として派遣されたのち

帰国して外務省管轄の財団法人の職員として働いていたのですが

 

その時に、縁あって大阪市の職員の国際交流サークルの

定例会の講師に呼ばれたことがキッカケで

 

その後、外国人との交流の機会の少ない同サークルからお願いされて

日本在留の外国人を講師として紹介していました。

 

その中には、フィンランド大使館の商務担当官で

セイン・カミュと♪ラララ無人君♪って

エイリアンの格好して出演したサラ金のCMに一緒に出てた元外タレとか

なかなか面白い人物などもいたのですが・・・

 

或る日、また次の講師をお願いされて

それなら大阪在住のロシア人妻なんかいいかな?と思い

ロシア総領事館に電話してみたのです。

 

その時、電話に出た相手に、会の趣旨を説明し

『関西在住で、日本人と結婚しているロシア人妻の人紹介してもらえませんか』

と図々しく頼み込み

後日、また確認の電話を入れるからとお願いね

自分の言いたいことだけ伝えて、一方的に電話を切り

 

数日後、改めて電話して確認したところ

『すみません。お願いしてるんですけど、なかなか了承してもらえる人がみつかりません。

との回答を受けたのです。

 

ところが、当時海外営業部の管理職として

世界中で初対面の人間にもかかわらず、話術で信用を得て販路を拡げていたほど

のやり手(ホンマかいな)

 

 

おいそれと簡単に諦める筈もなく

『なら、あなたでいいや。 それじゃあお願いしますね。

と勝手に決めてしまったのです

 

気のいい彼はそれですっかり義務を感じ

約束どおり講師としての役目を果たしてくれたのですが

 

その際、サークルの人達にロシアの事を知ってもらいたいからと

みんなに配るために総領事館からピロシキを山ほど持参してきてくれたのです

 

その優しい人間性に惚れこみ

後日、お礼を兼ねて奈良見物&我が家で食事でもしましょう

と誘い、それから家族ぐるみの交流が始まりました

(当時、彼はまだ独身でした)

 

その頃、定期的にロシアを訪問していたこともあって

VISA取得のためにちょくちょく総領事館に行って

彼に直接パスポートを預けてお願いしたりと

頻繁に顔を合わせていたことや

 

 

また、ロシアに婚約者のいた彼は

彼女が日本に遊びに来た時には、わざわざ我が家まで紹介に来てくれたり

お母さんが遊びに来た時にも我が家に泊めたりと

親戚や肉親以上に仲良くしていたこともあって

 

その後、その彼女と結婚し、大阪ロシア領事館でも結婚披露宴を行うこととなり

新郎新婦共通の友人として夫婦で招待されたり

 

日ロ友好協会の親善パーティーにも

何故かロシア側のVIPとしてまたまた夫婦で招待さてちゃったりもしました

 

なんせ日ロ友好協会のパーティー

日本側のVIPと言ったら

関西の知事や市長、財界の会長とか名だたる名士ばかり

 

その中にダレだかわかんない日本人夫婦だもん

 

で、良いのか悪いのか

肩書きなくては招待者リストに載せられなかったのか

何故だか”大阪歯科大教授夫妻”の名札を渡されてしまいました

 

お陰で、パーティーの最中は

ヘタに他の出席者と話すこともできず

壁の花というよりも できるだけ人を避けて逃げるようにしてました

 

その後も、ウチの会社でロシア人の秘書を

何人も雇ったりしていたこともあって

益々親密に交流を深め

 

週末にはウチに泊めては

夏になったらBBQに行ったり

奈良の寺社仏閣巡りをしたり

 

その後、奥さんの出産に立ち会ったり

ウチにあったベビーカーや滑り台、足こぎの自動車とかを総領事館に持ってたり

といろんな思い出を山ほど作りましたね~

 

 

副領事の任期も終わって帰国することになり

その後外務省を辞めて

モスクワ大学の縁故でロシア最大の企業でもあった

石油&天然ガスの会社で働いたりしたものの

日本への未練が断ち切れなかったらしく

 

ノボースチ通信の日本支社長で戻ってきて

東京だったので 以前ほど行き来はありませんでしたが

年末になると家族で我が家に泊まりにきたりと 

旧交を温めていました

 

しばらくして、子供の教育のことも考えるようになって

小学校からはロシアで学ばせたかったらしく

数年前に帰国してから

 

こちらもまたまた人生の岐路に立たされるような事態にもなって

音信不通の状態となってしまい

ノボースチ通信に連絡を取っても

「わかりません」と素っ気ない返事だけ

 

どぉ~してるかなぁ~?と思い出していたので

その電話、飛び上がるほど喜んじゃいました

 

そうそう、ロシア大使館も総領事館も

いまだソ連時代の名残というか

大使、公使、領事ほか大使館職員はみんな敷地内に住み

基本的に外泊は禁止(スパイ容疑をかけられるから)

 

敷地内は治外法権だから

ヘタしたら亡命までできちゃうから

入口には日本の警察官が常時警備に当たって

来訪者の身元をしっかりと調べてからでないと

入れてくれないくらい厳しい警護だったんだけど

 

もう、すっかり顔馴染みになって

顔パスで入れてもらってました

 

↑ コレ、当時相当自慢でした

 

 

とまあ、独りよがりの回顧録

ここまでお読みいただきましたロムラーさん

ありがとうございました

 

 

もし、ロシアの事で知りたいこととかあったら

お声をかけてみてくださいネ

 

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”やっぱ好きやねん!” 

2014-01-28 18:50:39 | 雑感

 

既に連日のようにマスコミで人物像が伝えれれていますから

今更多くを語る必要はないと思いますが・・・

http://www.youtube.com/watch?v=WkDCQMynIOU

 

もしかしたら、東京近郊ではあまり知られてなかったのかな?って思い

 

あんな豪快なのに、実は繊細で心優しい人がいたことを知って欲しいと願って

もう耳タコかもしれませんが、あえてブログの記事にしてみました。

 

前にもどこかで書いたんだけど

奈良で暮らすようになった24年前

 

TVに映る彼の姿を見る度に

『自己主張酷すぎ!声大きいし、ガラ悪いし、コイツなんやねん!』

と、関西での生活で強烈なカルチャーショックを受けてた時期でもあったんで

すぐにチャンネルを東京キー局の番組ばかりに変えてたんだけど

 

関西生まれで、関西育ちの家内は、お笑いが大好き!

 

いつごろの番組だったかなぁ?

昔、たかじんが京都で学生時代にアルバイトしてて

関西の有名なロシアレストラン”キエフ”のある鴨東ビルの1Fを

たしかスバルで走り抜けたって話をしてる時があって

(たしか、あんな狭いとこ車が通れるか?って疑われてたような・・・)

 

ちょうどその当時、ペレストロイカ直後のロシアの魅力にハマっちゃって

そのレストランにも何度か通ってた時期だったんで

 

急に耳ダンボにして会話を聴いてたら

サービス精神たっぷりな話の面白さにも魅了されたけど

それ以上に数多くの暴言を吐き、悪態をつきながらも

話していることは正論で頷くことばっかり

 

そのうち、実は結構シャイで優しい人柄が滲み出てきて

知らないうちにすっかり熱烈なファンになっちゃってました!

それまで嫌ってた分、反動でより好きになっちゃった(笑)

 

 

自分の番組の中で

お酒を飲みながら、タバコすぱすぱ吸うわ

やりたい放題だな~ってのも

実は、シャイな性格の裏返しだったんですよね

 

べらんめえ口調で、指す棒をバンバン叩きながら

相手の言うことを聞かずに、自分だけ言いたい放題言ってるようで

その裏で他人の痛みを知り、慰め

弱者に対する労りは半端なものじゃあなかったなぁ

 

過去において

自分も加害者になったり、時には被害者になったりして

それを反省したり、そんな思いを他の人にはさせたくないとか・・・

人間性豊かな素敵な人になっていったんでしょうね。

 

 

さまざまなスキャンダルや事件を起こし

全国メジャーでは使われなくなった芸人やタレントを

自分の番組に出演させ

どれだけ多くの人間を再生したきたか

よろしければ是非ご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=a9fIsT8sbWY 

http://www.youtube.com/watch?v=oNIIncqBEfo

http://www.youtube.com/watch?v=f9jiz9oJ41s

http://www.youtube.com/watch?v=lVXPGxff7pM

(ここ数日、毎晩これらの映像を観ながらどれだけ涙を流したか)

 

ただ、感動したり賞賛してるだけじゃダメですよね

 

自分のことしか考えられない、こんなエゴイストな私ですが

少しでもたかじんに近づけるように

これからの人生を無駄なく過ごしていかなければと思いを新たにしているところです。

 

 

ただひとつ

”後悔あとにたたず”

今ごろ悔やんでも仕方ありませんが

 

故人がまだ元気で居たころに 

番組の収録終わりで新地に繰り出すたかじんが居る店を探して

店の隅からでも

ギターで弾き語りする姿をみることができてたらなぁって

ここ数日、そんなことばかりを考えていました。

 

 

とりあえず、単行本の”たかじんの胸いっぱい”を購入しました!

あとはCDを何本か手に入れて

しばらくは、”たかじん漬け”になりながら

自分流にご冥福をお祈りしようと思っているところです。

(希望者にはいつでもお貸ししますからね)

 

切ない女心を唄う、彼の歌を聴きながら

ナトリウム光のオレンジ色で溢れた

夜の阪神高速でもぶっ飛ばしてみようかな

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ええなぁ関西人♪

2014-01-22 21:41:18 | 雑感

或る日突然気づかされた!

自分がすっかり関西人になってたことを

 

正直に打ち明けると・・・

つい最近まで

関西人

超苦手でした

 

初対面なのに慣れ慣れしくて

上辺の面白さばっかりで

実のない、損得勘定しかできない連中だと

 

実はずーーーーっと思ってました

 

TVの関西芸人観てても 

満員の通勤電車での女子高生同士の会話を

耳ダンボにして聞いてても

そら むっちゃ面白くて

 

どないしたら そないな思考回路になるんやろ?って

興味を持ちながらも

 

それがなんやねん!  って

おもろいことを言うことに専念するよりも

お前ら 一言の重みってわかるか?って

いつも批判的な自分がいました。。。

 

ところが たかじん(やしきたかじん)が亡くなって

彼自身の偉大さもさることながら

それを惜しんで 過去の逸話を話しながら涙する人達や

素直に感謝の気持ちを述べる様子をみていて

 

かえって東京のようなヨソ者の集まりの都会で

感情を殺して

トラブルを避けるように生きてる連中よりも

ずっと人間的で 好きになってる自分に気がつきました。。。

 

在日朝鮮韓国人の比率が高いからなのか

(それはただのコジツケしかもしれないけど)

感情の起伏が激しいとか 民度(公衆マナーとか)が低いとか

自分勝手さが目立つのには変わりないんだけど(苦笑)

 

既に、すっかりそんな風潮に染まっちゃいました

 

 

実は、いまも新横浜にいて

今晩はめずらしく 友達と飲むこともなく 

ひとりで居酒屋で過ごしたんだけど・・・

 

なんか人恋しいのに 

気軽に相手してくれるような店も見当たらず

 

ホテルに帰る途中で立ち寄ったコンビニで

店員相手に騒ぐ 田舎出の若者二人がいたら

関わり合いになりたくないと その場から逃げるように立ち去る人たちをみて

 

溜め息をつきながら、 その若造連中の目の前に行って

編み上げブーツの安全靴に、気の短そうな肉体労働者の姿で

無言で威圧的に脅してきたところ 

 

ま、個人事業なみの零細企業の枯れオヤジ

たとえイザコザになったところで 大して周りに迷惑をかけることもないから気楽なもんです。

 

その上、酒が入ってるから ノミの心臓でも怖いものなし(爆)

 

 

昔は、東京近郊に出張に来ると

オレの棲家はこっちなんだよなぁ~って嘆いてたのに

 

いまでは、用事さえ済ませたら、1日、1時間でも早く関西に戻りたくなっちゃうんだもんなぁ

 

ただの、 住めば都って話でした

 

 

【追記】

関東に来ると、コンビニに行って”きつねどんべい”には手が出なくなりました。

 

昔は、大阪の連中が、「東京のうどんは真っ黒で食べる気せーへんわ!」ってのを聞きながら

「大阪の水みたいな薄い汁のほうが味しないじゃんか!」って反論してたんだけど

やっぱ出汁の旨みを知ったら そら比べものになるかいな って

 

骨の髄まで関西人になっちゃったのかなぁ

 

でも 奈良の人間の 大仏商法的? スパンが長いのか

大局で物事をみることのできない

保守的と言うよりもセコイマインドには まだ慣れてないかな~

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