Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

最強寒波下に”夜叉”の舞台を訪ねる旅【2023】

2023-04-06 13:12:28 | 健さん【高倉健】

2023年1月25日朝

近年では最強レベルの寒波の襲来によって

公共交通機関はほぼストップ、主要道路も凍結で閉鎖してしまい

不要不急の外出は控えるようにとの報道をみて

 

これは雪山歩きに行くしかないな と即決

当初、奈良の吉野方面の山に登ろうと思っていたところ

奈良市北西部の我が家から吉野方面への道路がほぼ閉鎖され

南下するのは相当面倒なことを知り

 

それなら目的地を北にして

越前海岸(東尋坊)か いつもの若狭にしようと決め出発

 

京奈和道は閉鎖しているのを知ってたので下道で京都方面に向かうも

大渋滞でこの有様

バスはしっかりチェーンを巻いてましたが

国道24号線の車線は全く動かず

待ちきれなくて通行止めの京奈和道側(U-ターンのみ可)に移り

別ルートをと選んだ奈良市北部を東西にはしるバイパス”ならやま大通り”は

直線道路ながらアップダウンが多いため

ブラックバーン状態をノーマルタイヤで走っていた車が

中央分離帯に乗り上げたりガードレールにぶつかったり

ぐるっとまわって奈良と京都の府県境を走る国道163号線も

ほとんど動かない大渋滞に事故だらけ

仕方なく一度家に戻り昼食を済ませてから再出発

わずか13キロの京都最南端の木津を抜けるのに1時間を要したものの

その後はノロノロながら宇治通過

更に約1時間後に伏見区の醍醐寺横を通過

学園前を出てから3時間後の16:00

ようやく山科区の国道一号線と湖西道路の分岐通過

とりあえず鯖街道を目指そうと大津市の堅田で下道へ

鯖街道手前の途中集落

鯖街道に入った途端この有様

南比良縦走路の起点 花折登山口への林道は雪で覆われて進入不可

そのまま朽木村に向かうつもりだったけど

時刻はもう午後5時前となり

ラジアルタイヤでも四輪駆動でなんとか走れる状態だったので

鯖街道を使うのを断念

また途中へ戻ることにしたのですが・・・

途中集落の雪景色に心を奪われてしまい

ついつい雪の中を歩き回ってしまいました~

いや~シンシンと雪の降る光景、痺れました

和邇ICから湖西道路に戻ったのですが

除雪車が走り回っていてもこの有様

写真には撮っていませんが、雪道に慣れているはずの地元の車も

急ハンドルでスピンしてガードレールにぶつかって通行止めになってたりと

やはり”不要不急の外出”を控える報道どおりの大変な状態でした。

 

安曇川から県道23号線(小浜朽木高島線)で朽木の道の駅で車中泊しようと

安曇川でラーメン屋を探し夕飯に

出川哲郎の充電旅でも立ち寄ったらしく

アンジャッシュ児嶋の一言が (笑)

お腹いっぱいでいい気分になったら

朽木まで行く気力がそがれ

安曇川の道の駅に戻り車中泊することにしちゃいました。

夜7時過ぎに寝ちゃったため夜中に目が覚め

トイレに行った時の様子

外気温はー4℃

 

朝の5時に起床してコンビニのコーヒーを飲み

近くの牛丼屋で朝ごはん

 

その後朽木に向かったところ

途中、中学生らしきヘルメットをかぶった自転車集団を追い越し

まだ真っ暗なツルツルの道を通学するなんて凄いな~とビックリ

いまどきのスマホのカメラ

自動で露出を調整してくれるので画像では明るそうにみえますが

実際はまだ薄明り状態でした

朽木の気温はー9℃でした

たぶん川の水の温度が高いため発生した霧がたなびき

とっても素敵な眺めでした

除雪を待ってグリーンパーク想い出の森に到着

モルゲンロートを眺めながら

日向に行く前に雪山ハイクしようと

モソモソと身支度を済ませ

朝8時蛇谷ケ峰を目指して出発

運動不足で亀足になること必至だったので

後続の二人連れに道を譲り

スノーシューで深雪を踏みしめながら進んだのですが

慣れないスノーシューでの登りに四苦八苦

ジグザグの登り道で方向転換をしたところ足首を捻ってしまい

無理して進んで動けなるのは避けなければと下山することにしちゃいました

スノーシューを脱いで壺足で歩いたのですが

何度も深雪を踏み抜いて這う這うの体で駐車場に帰還

たったの二時間半の雪歩きとなりました。

前日が車中泊だったのと雪山歩きで冷えた身体を温めようと

朽木温泉天狗の湯につかり

 

登頂を目指していた蛇谷ケ峰を恨めし気に眺め

本来の目的地 夜叉の舞台”若狭の日向”に向けて出発

滋賀県と福井県の県境の本坂トンネルを抜け

若狭熊川宿の道の駅に立ち寄り昼食をとり

いつもの水月湖と久々子湖の水路”浦見川”をのぞいてみると

例年なら数百匹の鳥が浮かんでいるのに

今年は数えるのも悲しいほど

鳥インフルエンザで激減しちゃったのかなぁ

と肩を落としながら日向湖に向かいました。。。

『アレッ、また日向湖の看板か変わってるじゃん』と驚きながら

いつもの時計回りに日向集落へ

最強寒波でさぞや雪が積もってるかなと思っていたのですが

2017年の大雪の時よりも少なくて

やはり6年前に訪れてて良かったなぁと

見慣れた雪のない日向の風景を眺めてから

早瀬浦を買いに三宅彦右衛門酒蔵の親戚のコンビニへ

(仕込みの忙しい時期なので小売りは去年からこの店で)

去年は奮発して 少し高いお酒を購入したのですが

今回は気軽に普段の晩酌用にと本醸造を5本

 

当然のことながら早瀬集落もほとんど雪がなく

いつもなら荒れた日本海と岩にぶつかる轟音が響く海岸も穏やかで

目立つのは中韓からのゴミばかり

日本でも有数の赤字路線で存続の危ぶまれている小浜線の美浜駅は

再開発の真っ最中

 

今年の”夜叉の舞台を訪れる旅”は

ちょっと期待外れで残念だったなぁと思いつつ

敦賀から下道の国道303号線で峠越えしてみたところ

雪は少ないものの気温は低い様子で

大型トラックが巻き上げた融雪装置の水が凍り

奇妙な氷像が出現していました。

マキノ高原に立ち寄りメタセコイア並木通過のフル動画を撮影して

やっぱ車中泊で安眠できなかったのか

中途半端な雪山ハイクで疲れちゃったのか

はたまた単なる帰巣本能だったのか

 

家に帰りたくなって奈良に向かってまっしぐらに車を走らせてたところ

山科の稲荷山トンネル手前にあった”たこ焼き屋”で

缶ビール片手に店先で飲んでるオバチャンを発見

いや~、京都山科らしい(?)光景でした(笑)

 

さて、正月に観た映画に感動してロケ地を探し

その後毎年の恒例となって13年目となった”夜叉の舞台を訪ねる旅”

 

日向の景色もすっかり変わってしまったし

お気に入りだった駅前の食堂も無くなって楽しみが半減

もうそろそろ思い出に浸るだけでいいのかも

なんて寂しいことを思うようになってしまいました。。。

 

さてどうなるのかな

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夜叉の舞台を訪ねる旅 2022

2022-02-24 17:39:18 | 健さん【高倉健】

2022年2月22日のこと

 

天気予報で若狭方面も大雪との情報を耳にして

スマホにブックマークしている

”みち情報ネットふくい”のライブカメラで確認

https://www.hozen.pref.fukui.lg.jp/hozen/yuki/camera-list.html

 

※ 以前の記事でも書いたと思いますが

この若狭地方、周辺が豪雪で大変なことになってても

不思議なくらい雪が積もらない場所で

何度もスカをひいてきたため

この鉄砲玉な性格でもさすがに慎重になってしまいました。

 

そんなこんなで

こうして長年冬になると若狭湾(特に日向)周辺の積雪状態を調べていると

5年周期で大雪となっている様子

 

となると

今回を逃したら次は2027年・・・・

『まだ生きてるかなぁ。。。

『もしかしたらこれが見納めかも

 と

 

昨日の天皇誕生日の祝日

旧朽木村経由で鯖街道をひた走り

2年ぶりに日向の漁村を訪れてみました

 

去年ジムニーに乗り換えて

ラジアルタイヤに履き替えといて良かった~

 

というわけで

これまでにも何度も記事にしているので

ダラダラと意味不な書き込みを控え

とりあえず

写真を掲載させていただきますね 

(鯖街道 朽木付近)

 

 

(気山から日向に向かう途中の久々子湖南端からの眺め)

 

(水月湖と久々子湖をむすぶ浦見川と鴨たち)

 

(日向湖:嵯峨隧道付近から日向漁村と日向橋)

 

 

(またまた見つけました映画の中で健さんが乗ってたと思われる漁船)

(日向漁村)

 

(たぶん映画撮影後にできた防波堤と灯台のなくなってしまった突堤)

(日向橋)

 

(日向橋:対面が国鉄バスの停留所のあった場所)

(日向橋:矢島(ビートたけし)が包丁を持って蛍を追いかけた場所)

 

(居酒屋”蛍”のセットが建てられた場所:郵便ポスト横の空き地)

 

(出漁時や漁を終えてブリを積んだ漁船が出入りしていた水路)

 

(夜叉の修治がブリを蛍に投げ込んだ場所)

 

(この空き地に居酒屋”蛍”があったんじゃないかと思い込んでた場所)

 

 

 

(ロケ隊が宿泊していた久々子海水浴場横のホテル)

 

 

 

【付録】

(敦賀と滋賀をむすぶ国道161号線県境付近)

(マキノ高原のメタセコイア並木)

(湖西道路)

 

 

(早瀬浦の三宅彦右衛門酒造)

 

早瀬浦は酒造でも買えますが

小売りは近くのコンビニ(酒造の親戚)で買うのが便利

 

 

 

これからも冬になったら早瀬浦を買いがてら日向を訪れるつもりですが

また雪景色の聖地を眺めることができるでしょうか 

 

 

 

 

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映画”夜叉”の舞台を訪ねる旅 2020

2020-02-07 16:35:35 | 健さん【高倉健】

 

2020年冬

恒例の日本海の冬景色と”夜叉”の舞台を訪ねる旅を続けたいなと思いつつ

 

暖冬で今年はもう日本海の雪景色を眺めるのは無理なのかなぁ・・・と

ほとんど諦めていたのですが

 

数日前に

この冬最強の寒波が南下して日本海側に雪が降るとの予報に大喜び

 

といっても当日になって天候が変わることもしばしばだったので

当日の朝の天気予報を確認してからと思っていたら

 

予報通りの雪マークが出てるのを確認して

いつもの若狭にすっ飛んでっちゃいました

 

今回はスタートが遅かったこともあって

ノーマルタイヤのまんまの自家用車での旅

 

とりあえず行けるとこまで行ってやれ

 

と無鉄砲に向かってみたところ

 

京奈和道の終点の城陽からの眺めが

京都市内の洛北から奥に重そうな雪雲がかかり、期待マックス

 

往路から鯖街道は無謀かなと湖西道路に向かうと 

大津京のトンネルを出た途端に雪景色

 

交通量の多い国道161号線だから

たとえ吹雪きになっても、なんとかマキノまでは行けるかもと期待を抱き

 

途中、白鬚神社で一休みして

 

これまたダメ元と思って メタセコイア並木を眺めようとマキノ高原へ

途中融雪装置がなくなって ちょっとだけビクビクしたものの

国境峠も無事に通過できてなんとか敦賀まで到着

美浜町周辺にはまともな食堂がなくなっちゃったのを思い出し

日本海さかな街の海鮮ちらし定食でお腹を満たし

 

日向へと向かったのですが・・・

美浜町に入った途端 

雪のカケラも見当たらなくなっちゃいましたぁ

 

あの敦賀湾から三方五湖のあたり

実は、不思議なくらい雪が降らない場所なんですヨ

(”夜叉”の撮影時の秘話を暴露しちゃうと、あの撮影の時もほとんど雪が降らなくて

近くの山からダンプで雪を運んでそれらしく見せてたって

以前、日向の集落にある酒屋さんのお婆さんからおうかがいしてました。

実は、雪のシーンは、ほとんど北海道とか別の場所で撮影したんですね。)

 

まあ、そんなこと(雪景色が見られない)もあるだろうなと覚悟してたので

日本海の荒波と波しぶきでも浴びれたらいいやと

日向港の防波堤を眺めていると・・・

 

アレッ?

なぁんかおかしいなぁ。。。

 

そ、そうなんです

小料理屋”蛍”の蛍子(田中裕子)が

日向に到着した時に幼子を連れて海を眺めに向かった

あの赤い防波堤灯台がなくなっちゃってました

(2020年2月6日)

 

(2017年2月11日)

(映画での風景)

(2011年1月10日)

 

時代の流れなんでしょうねぇ

いまやGPSやレーダーが発達して

カーナビのようにポジショニングやアラーム設定ができるから

灯台の役目は、もうなくなっちゃって

全国至る所で灯台が撤去されちゃってるんですよネ

 

おっと、また横道にそれちゃいましたネ

 

そんなこんなで 久しぶりに日向漁港の風景をウットリと眺めていたところ

関東ナンバーの車を発見

 

同じように、太鼓橋や防波堤、日向湖の漁村風景の写真を撮っている姿をみて

『たぶん、夜叉のファンだろうな』と勝手に想像してました

 

ただ、雪景色が眺められなくて残念だったでしょうねぇ

 

話を戻して

こちらは、小料理屋の”蛍”のセットが建てられてた場所

 

キレイに片付けられてて

もしかしたら誰かが”蛍”でも開業してくれるのかも、と

次回の訪問の楽しみができちゃいました

まあ、たぶんただの妄想で終わるんだろうな

 

さて、旅のしめくくりは、いつもの松原海岸の久々子海水浴場での波しぶき

 

この日は、波高がしれてて腹の底に響くような

消波ブロックにあたった波の砕ける大音響は聞かれませんでしたが

波しぶきはいつもどおりでした

〔相変わらずの隣国からのプラスチック他大量のゴミが不快でしたが

 

帰路は、時間を気にする必要がなかったので

いつものように若狭町から

鯖街道の熊川宿を抜け

朽木に抜けるルートを選択

 

それまで国道のほとんどが、これまでの集落区間の地中に埋められた融雪装置だけじゃなくて

道路わきに鉄パイプに穴をあけた融雪装置が施されていて

全く雪道の大変さを感じていなかったため

 

今回今津との分岐点で特に”冬用タイヤ装着”とかの表示がなかったので

車の轍もしっかりしてるし大丈夫だろうと南下してみたところ

朽木の集落を過ぎたあたりから降雪がひどくなり

葛川の武奈ヶ岳への登山口付近ではすっかり轍も消えて

花折峠下の途中トンネル手前まで

上り坂ではFFの前輪が空回りしたり

下りではハンドルをとられながらのオフロード運転となりました

ノーマルタイヤでもなんとか通過できましたし

除雪車も活躍してくれていましたが

 

日が陰ると気温が一気に下がり

凍結して立ち往生する可能性が極めて高いので

もしこのような天候の時にノーマルタイヤで通行しようと思われてる方は

くれぐれも注意してくださいネ

 

 

【付録】

2017年の大雪の時に民宿に泊まってこの味を覚えて以来

大のお気に入りとなっている地酒の”早瀬浦”を買ってきました

今回は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で

大吟醸を買うつもりだったのですが

 

この純米吟醸も美味しいと勧められた選んでみました。

値段も大吟醸の半分で、なんとなくホッとさせていただきましたヨ

年末に、わが社の社員さんから偶然にも早瀬浦をいただいてビックリ!

もしかして このブログの存在を知ってるのかなぁ

いずれにしてもムッチャ嬉しかったです

 

さて、この早瀬浦

生きてる地酒なので、日蔭や冷暗所に保存して

封を開けたらすぐに飲み切るのが美味しく飲みきるコツです。

3年前に一升瓶2ケース(12本)衝動買いしちゃったけど

 

若狭に行く口実にもなるし

こまめに買うほうがいいかなって

 

機会あれば是非一度試して(飲んで)みてくださいネ

 

 

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映画“ホタル”の舞台を訪ねた旅

2017-03-10 17:48:42 | 健さん【高倉健】

 

https://www.youtube.com/watch?v=zgzXgTMCU8c 

  

ブログで何度も記事にさせていただいている

映画”夜叉”に惚れ込んで若狭の日向を訪ねて以来

 

気に入った映画の舞台を訪れ

映像に出ていた場所に佇むだけで

映画のシーンの中に入り込める魔力に取りつかれてしまったようです。

 

そんなわけで

今回も、鹿児島への出張が決まったのをキッカケに”ホタル”のロケ地を訪ねる旅の計画を立てていました。

 

その場所とは

                            ① 山岡秀治と友子の暮らす漁村
                            ② 特攻の思い出の地 知覧
                            ③ 金山少尉からの遺言を聞いた開聞岳の見える海岸
                            ④ 知覧を飛び立った特攻機が沖縄への方位としてみた開聞岳
                            ⑤ ホタルの話の舞台 冨屋食堂 
                            ⑥ 秀治がアラを釣ったと自慢する佐多岬
                            ⑦ 整備兵あがりの船長が働く桜島フェリー
 

 現地に到着するまでに

より感動を深めれられるようにと出発前にDVDをレンタルし

ラップトップパソコンを持参して

 

更には移動手段として

鹿児島までの距離を実感として味わえ

移動中にプライベートを保ちながらDVDをゆっくりと観賞でき

時間を有効に利用でき、経済的でもあるフェリーを選択

 

幸運にもエコノミーベッド(相部屋のベッド)ながら

4名のスペースに一人だけだったので

周りを気にすることなく”ホタル”を鑑賞することができちゃいました

 

 

前置きはこれくらいにして

写真で訪ねた場所をご紹介したいと思います。

 

【佐多岬】

秀治がアラを釣ったと友子に自慢していた場所。

友子にせがまれて船で向かったところ、密航者を連れた石橋蓮司演ずる山崎が隠れていた場所

 

 

【長崎鼻】

金山少尉が、若い秀治と藤枝を連れて遺言を伝えた場所

後日、冨屋食堂の富子から金山の遺品を釜山に届けるよう頼まれ、

友子を連れて金山の遺言を打ち明けた場所でもありました。

 

 

【開聞岳】

映画の中でも何度も出てくる知覧を飛び立った特攻機が

沖縄に針路をとるための指標ともなった開聞岳

薩摩富士と称される山容の美しさよりも

特攻隊員達がどのような気持ちでこの山を眺めていたのかと考えると

痛みを伴うほどの悲しみが湧いてしまいました。

 

 

 

【海潟漁港】

秀治と友子が暮らしていた漁村
すっかり観光スポットとして売り出しているのをみて

正直に打ち明けるとちょっと落胆しちゃいました

 

というのも、自称ロケ地ウォーカーとしては

映画のシーンを思い出しながら

もしかしたら”あそこ”が・・・って想像するのが楽しみなんです



 

【山岡家】

秀治と友子が暮らしていた家

説明書きを読むとロケ地を下見に来ていた映像監督の木村大作氏が

この家のご主人と意気投合して自宅と漁船を使わせてもらうことになったんだとか!

 

【夫婦のテーブル】

友子がコーヒーを入れてた場所

組合長(小林稔侍)が訪ねるシーンでも使われてたところ

”ホタル公園”なるものが作られていて、そこに設置させられるのかなと勝手に想像してました。

 

【漁港の市場】

藤枝の孫 真美がおじいちゃんの遺書らしきノートを持ってきて

その後漁村にしばらく滞在していた時に度々訪れていた場所



 

【秀治がハーモニカを吹いていた桟橋】

映画のシーンで出てたものとは違うようでしたが

 

 

【秀治が乗っていた”二代目とも丸”:奥から3隻目】

映画の中では、海岸で燃やされるのですが

いまだに現存しているのをみてビックリしました!

観光案内にも書かれているスポットの筈なのに、船名を残しているのは左舷側の船首部のみ

漁港のすみからすみまで歩いて探し、諦めかけて帰ろうと思ったものの

登録番号からようやく見つけることができました。

友子が淹れたコーヒーを飲んでたり、網を引き揚げていたり

養殖していたカンパチの餌やりなど、何度も登場していた船でした。




 

【友子が退院後に大根をひいてた畑】

もっと広々としていた畑だったので間違えてるかもしれませんが

山岡家の隣にありました。

 

【藤枝が孫を連れて訪れていた平和会館】

 

http://www.chiran-tokkou.jp/gallery/index.html

 

http://www.chiran-tokkou.jp/


 

 

【ホタルの石碑】

映画には登場していませんが、映画を記念して降旗監督の揮毫の入った石碑。

この映画のことをいろいろと調べてみると

劇中に違和感を感じた左翼的なセリフやショットが問題となっていたようでした。

〔以下Wikipediaより引用〕

映画の中に鳥濱トメをモデルにした奈良岡朋子演じるところの富子に、特攻隊員を「殺したんだよっ」と絶叫させる場面がある。

また、朝鮮出身の特攻隊員・金山少尉に「遺書に本当のことが書けるか」と言わせるシーンがある。

前者は年若い特攻隊員を不憫に思って実の子供のようにかわいがり、

戦後はその慰霊のために生涯を捧げた鳥濱トメの口からは出ることのない政治的メッセージに満ちた言葉であり、

鳥濱トメの加害性すら強調したものである。

後者は知覧の特攻平和会館に保存・展示されている特攻隊員の遺書すべてが虚飾と体面の集積と言わんばかりのものである。

(中略)

また、シナリオ段階の「遺書に本当のことが書けるか」というセリフは「検閲のある遺書に本当のことが書けるか」に改められていた。

改悪であり、特攻隊員たちは遺書をしたためるに当たって検閲を想定し、

建前を書いただけで決して本心は語らなかったということをほのめかすものであり、

幹部はその意味に後で気づくことになるのだが、もう後の祭りであったという[4]

その上で、八木は、奈良岡朋子の後ろ姿が大映しになったシーンは、幹部が言うように吹き替えの用意ではなく、

降旗監督が映画の本質的テーマを傷つけない範囲で譲歩したように見せるためのポーズであると批判している。

「彼ら(特攻隊員)の最後の日々を見とった食堂の女主人富子(奈良岡朋子)、彼女は年老いて食堂を引退することになり、町の人たちが感謝のつどいを開く。

彼女は挨拶の途中、『あんな若い人たちを殺してしまった』と絶叫して、立ちすくみ、泣き崩れる。

この『殺してしまった』という言葉は重要である。ここではそれを成すすべもなく、

見送った自分への悔恨として語られているけれど、あの若者たちは『死んだ』のではなく、

『殺された』というまぎれもない事実といや応なしに向かい合わされる。

『殺した』最大の責任者こそ、小泉首相が参拝した靖国神社に合祀されたA級戦犯たちであり、

あえていえば『日本の悲劇』が記録フィルムによって見せたように、天皇もまた特攻隊員をほめそやし、

はげました責任を免れない。特攻隊の若者たちは『死んだ』のではなく『殺された』という地点から、初めてことの真実が見えてくる。

降旗監督は講演会で『ホタル』の製作過程を率直に語った。

最初は生き残った特攻隊員と死んだ特攻隊員、その婚約者という男二人、女一人の人間関係からスタートした。

何とかして天皇の戦争責任をも描きたかったけれど、スタッフ全員の賛同を得られなかった。

その結果、死んだ特攻隊員を朝鮮半島出身者とすることで『大日本帝国』全体の責任を問うことにしたという。

『ホタル』は若い特攻隊員の死を悲しみ、悼む次元にとどまらず、大日本帝国が犯した加害の責任をもしっかりと視野に入れることになる」

八木は、この説明から「殺したんだよっ」と富子に絶叫させるシーンが持つ政治性は明らかで、

昭和天皇の責任をも含意したメッセージが込められた言葉であり、

これは監督にとって絶対に譲ることのできない言葉であり、

映画の構想の時点でもともと政治的イデオロギーがあり、むしろそれが出発点であって、

特攻隊員や鳥濱トメはいわばそれを飾り立てる道具立てでしかなかったと批判している。

八木は、降旗監督が揮毫した石碑が知覧の特攻平和会館前に立っているが、

それはその会館に収められた遺書が検閲の結果のものに過ぎず、真実のことを書いていないものだと言い、

会館や隣接する特攻平和観音のおおもとを作った鳥濱トメの実像を捻じ曲げた映画を撮った張本人のものであり、

「自分がこの映画をに描いた特攻隊員と鳥濱トメの像こそ真実だ」とその解釈を独占しようとして特攻平和会館の前に陣取っているとしか思えず、

「彼ら(特攻隊員)を冒涜する映画『ホタル』とそれを撮った降旗康男という人物に憤りを禁じえない」と述べている。

 

”夜叉”とかからそんなイメージはなかったけど

降旗康男氏は、日本共産党の支持者なんだとか!

 

どちらかと言うと右寄りな自分にとっては

高倉健、降旗康男、木村大作の映画が大好きだったんでちょっとショックでした。


 

【知覧基地を代表する特攻機:隼】

特攻機と言うと、ついゼロ戦を想像していたのですが

知覧は陸軍の航空隊であったこともあり

特攻に使われたのはこの隼が主流だったようです。

 

【三角兵舎】

直接映画に出てくる場所ではありませんが

特攻隊員たちが出撃するまで起居していた半地下式の兵舎で

ここで遺書を書いたりしたそうです。

【知覧特攻平和観音堂の石灯籠】

藤枝が孫の真美を連れて平和会館を拝観した時に遭遇した

冨屋食堂の主、富子が蝋燭を灯していたところ

この平和会館だけでなく、知覧の市内に燈籠が立ち並び

全ての特攻隊員の名前が刻まれているそうです。

 

【知覧の滑走路跡と思われる畑に咲く菜の花】

『ここから飛び立っていったんだ』と藤枝の孫真美に話すシーンの場所(実際は、背景に山がみえる位置)

 

【冨屋食堂(復元)】

映画に登場する建物は、たぶんセットだろうと思われ

知覧の市街地にあった通称”ホタル館”に行ってみました。

復元された建物で、外観はそれなりに往時を偲ばせる雰囲気がありますが

内部には平和会館のような展示物を置いてある有料の施設で

特攻隊員のことよりも、映画で奈良岡朋子演じる富子の実物

特攻の母”鳥浜トメ”さんと食堂旅館のことを紹介していました。





【冨屋旅館】






 

 

こうして”ホタル”の舞台を訪ねる旅を終えてからも

その日の夜も、その翌日も

DVDを何度も観なおしていたのですが

 

実際に特攻隊員の遺書や史料によって歴史を知ったこともあって

舞台を訪ねる前以上に感情移入してしまい

 

”幸福の黄色いハンカチ” や ”遥かなる山の呼び声” 同様

映画でBGMが流れるだけでそれぞれのシーンが脳裏に蘇り

涙がとめどなく頬を伝うままに感動に浸ってしまいました。

 

 

単なる娯楽映画とは全く異なる作品のため

歴史の解釈や製作者の意図や思惑が気になって、単純に名作品だとの評価はできませんでしたが

少なからず

二度と戦争を起こしてはならない!

このような悲劇を二度と繰り返してはならない!

と強く心に刻み込むことができた気がします。

 

 

参考までに、特攻の創始者であった大西瀧治郎の最期を

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E

 

自決[編集]

1945年8月16日渋谷南平台町の官舎にて大西は遺書を残し割腹自決した。

午前2時から3時ごろ腹を十字に切り頸と胸を刺したが生きていた。

官舎の使用人が発見し、多田武雄次官が軍医を連れて前田副官、児玉誉士夫も急行した。

熱海にいた矢次一夫も駆けつけたが昼過ぎになった。

大西は軍医に「生きるようにはしてくれるな」と言い、児玉に「貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。

全てはその遺書に書いてある。厚木小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ。」と話した。

児玉も自決しようとすると大西は「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ。」といさめた。

介錯と延命処置を拒み続けたまま同日夕刻死去。享年55。

 

 

この神風特別攻撃隊の話は

映画にも残されているようなので、近日観てみようと思っているところです。 

ああ決戦航空隊

https://www.youtube.com/watch?v=4PZODEeCEYI

 












 

 

【朝鮮人特攻隊員の碑】

映画の金山少尉のモデルとなった朝鮮出身の特攻隊員

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%93%E5%BA%9A%E9%89%89

実際には、11名の朝鮮半島出身者がいたんだそうです。

 

 

【桜島フェリー】

知覧の航空隊で整備兵だった竹本が船長をしてたフェリー

密航者の件で秀治が鹿児島市内に行くために乗っていたシーンもありましたが

フェリーの船体もいまはすっかり観光船の様相で、映画のシーンを思い出させるのは

桜島側ターミナルの乗客用桟橋だけでした。


 

 

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

この映画の舞台である”陸軍の知覧”を訪れるなら

 ”海軍の鹿屋”も行かなければと

鹿屋の史料館も拝観してみました。

 

ただ、この基地は現在も海上自衛隊によって使用され史料館として展示させられていることもあって

知覧の平和会館とは別物との印象を受けました。

 

 

【ゼロ戦】

昔から聞いていた話でしたが、この史料館で改めて

ゼロ戦が単なる高性能な機種であっただけでなく

馬力の小さなエンジンで操縦性を高めるために

機体の重量を極限まで削った産物であったことを知りました。

(安全性や操縦士を守ることよりも性能を重視した)





 

【あとがき】

太平洋戦争に至った経緯はそれなりに知っていたし

生まれ故郷の豊橋は軍都であったこともあって

軍の施設や航空隊の基地跡にトーチカもあり、空襲で焼け野原になってたことや

豊川の工廠で多くの女子挺身隊の犠牲者を出した私学で学んだことに加え

 

その昔、フィリピンのレイテ島で2年間を過ごしたことから

どれだけ悲惨な戦争であったかも重々知りつつも

 

日本男児としては

特攻の精神は、武士道の極みとも思われて

誇らしいことだとの思いもありましたが

 やはりあまりにも悲劇であったことを再認識させられた旅となりました。

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飲むたびに“夜叉”のことを思い出させてくれるお酒、【早瀬浦】

2017-02-25 14:40:07 | 健さん【高倉健】

前回のブログの続きです。

大雪の日に日向の集落にある酒屋さん(宮下酒店)でワンカップと二合瓶を数本購入し、

現地でもワンカップを冷やで飲んでいたのですが

 

家に帰ってから残りの二合瓶を気持ちを落ち着けて(笑)飲んでみたところ、

フルーティな香りとキレ味スッキリの爽やかな後味にすっかり虜になってしまい、

翌週また若狭にすっ飛んで行ってしまいました。

 


文はまた後日書きますが
とりあえず写真貼り付けておきます!
























あとついでに何度かブログのネタにもさせていただいた美浜駅前の食堂も
(残念ながら閉店してしまったようです)



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夜叉の舞台を訪ねる旅 2017

2017-02-21 17:18:10 | 健さん【高倉健】

 

いつものように恒例の正月のDVD鑑賞を済ませ

さてこの冬はどうなるだろう
寒い間に若狭に行く機会を作れるだろうか?

荒れた日本海を眺めに行けるだろうか?
夢の雪化粧した日向湖にお目にかかれるだろうか?

と、近年暖冬の影響でめったに雪の積もらないことを考えながら、半ば叶わぬ夢と思っていたのですが

嬉しいことに年明けた途端、
雪景色の舞鶴に行く用事ができ
それも舞鶴滞在中に波浪警報が発令され
期待に胸膨らませて三方五湖周辺の宿を探したところ

越前蟹と河豚の季節で二人以上との条件付ばかり

それでも諦めずになんとか見つけられたのが
小浜の市街地から少し離れた安納の浜辺の旅館





雪の量は少ないながらも台風並みの荒天で
夜中は浜辺に打ち寄せる怒涛の波音と暴風雪の音に寝られないほど

寝不足でも喜びながら展望浴場から朝陽を眺め



砂浜に打ち寄せる波の音を楽しんでから

常神岬を経由して日向に到着





雪景色は無理だったけど
健さんが乗ってた漁船と同じ名前の漁船を発見



たぶんこの家の漁船をお借りしたんだろうなと勝手に想像して一人で喜んでおりました(笑)

 






蛍が子供を連れて日向に到着した時に
真っ先に向かった灯台に行き波しぶきを浴びてから





ロケ隊の泊まっていた久々子のホテルの浜辺に移動





腹の底にまで響く日本海の荒波を楽しんでこの日の旅をしめくくりました。

もう今年は見納めかなと思っていたところ
この週末(2月11日)に日本海沿岸に大雪警報が発令されたと聞き

居ても立っても居られなくなり
前日の夜遅くに東京から戻ってきたばかりなのに

奈良の家を飛び出してしまいました。

アプリで調べていた京都からの快速敦賀行きは
遅延していて予定していた小浜線への乗り換えは無理そう

どうしようと思っていたらサンダーバードがあることを知って飛び乗り敦賀に到着

驚くほど雪の積もった敦賀駅前を眺めながら
こんな千載一遇のチャンスに日帰りなんかしたら、きっと死ぬまで後悔しちゃうだろうなと

以前、いつか日向で泊まろうと思っていた日向橋の袂の民宿(入舟)に電話して一人でも泊まれませんかと訊ねたところ、大雪で駐車するスペースがないからと断られたのを、電車なのでタクシーで行くから大丈夫ですと答えると、小浜線は動いてないから日向に来るのは無理だと大雪の処理で困っているところをネバリ続けとうとう了解を取り付けることができちゃいました♪

決めゼリフは、『健さんの映画が好きで・・・』
との一言だったのか

『こんな大雪の日に何をしに・・』と訝る若女将を電話に出てくれた大女将が説得してくれたようでした。

助かった〜!と飛び上がりたい気分でしたよ〜♪


ところが大雪の影響で小浜線が運休してて大焦り





諦めずにネットでJRの運行状況を調べると午後から再開できるかもとの情報にホームで待っていたところ



12時20分の電車の表示が出たのを確認して

駅の立ち食いうどんをかきこんで電車に乗車しました。


(京都・大阪への昆布を運ぶ北廻船で賑わった土地なのでおぼろ昆布が名物)

ラッセル車が除雪した跡もない腰高程の雪の積もった線路を走り出し

このままで大丈夫なのかなぁ?と思っていた不安が的中し



敦賀からたった二駅目の粟野の駅で雪の壁に遮られて動かなくなり立往生

 

https://www.youtube.com/watch?v=JHuz8M2cCQs

https://www.youtube.com/watch?v=gO5F1xyXuvg

https://www.youtube.com/watch?v=0ZJ-Jt-fWOg



それから小一時間ほどしてから到着した除雪隊による人力での除雪が終わったと思ったら今度は美浜駅のポイントが雪で切り替わらなくなったとの情報が入り

もしかしたら美浜に辿り着けないかも

と再び不安な思いを抱いたものの

『敦賀に戻ってレンタカー借りてでも行くぞ』と心に決めた途端、

ようやく再開の目処が立ち美浜で電車を降り、

大雪の中駅前で待機していたタクシーに飛び乗って『日向までお願いします!』と告げた時の嬉しかったこと

 

道すがら

健さんが好きで大雪の日に夜叉の舞台の日向を訪れることをずっと夢見ていたことを伝え

『もしタクシーがなかったら、歩いて行くつもりだったんですよ』

と伝えると

『この雪の中を歩いたら、3・4時間はかかっちゃうんじゃないですか!』

と言われ、電車も動いてくれてタクシーにも乗れて

”天は我に味方してくれたな”とますます嬉しくなっちゃいました

 

 

そうして早瀬を過ぎ、日向に入った途端に飛び込んできたのがこの風景

長年待ち望んでいたこのシンシンと雪の降る光景に出会い

『あ、すみません太鼓橋の手前でいいですから!』と

焦る気持ちを抑えるのに どんだけ苦労したか(笑)


宿に行って日向に到着したことを言っておこうと思いながらも

この雪景色を目に焼きつけておかないとと

一分一秒も勿体ない気がして

集落を歩き回ってしまいました。




小一時間ほど歩き回ってから

健さんやビートたけし氏、田中邦衛さん、田中裕子さんやいしだあゆみさんの歩いてた

路地にある酒屋さんに立ち寄り

地酒を買いながら御年80代半ばのお店に方に

撮影時のエピソードを聞いて、またまた大喜び

早く冷や酒を飲みたくなって宿へと向かいました。

「敦賀に出てた娘から、小浜線が雪で立ち往生してるって連絡があったから・・・」

「それにしてもわざわざこんな大雪の日に・・・」

と揶揄されながらも

 

夜叉こと、雪の日向が眺めたいと伝えていたからか

集落や日向湖が見える角部屋に通され

これまた大喜び


スマホにダウンロードしておいたYaKsa(夜叉)のオリジナルサウンドトラックをかけ

地酒を飲みながらずっと外を眺めていましたが

まさに至福のひとときでした





当日の飛び込みで

それも一人だけだったので

申し訳なさそうに「少し割高になりますけど、その分料理は奮発しますから」と言ってたとおり

 

たったひとりなのに この量

昭和30年代生まれとしては

食べ残しは罪悪と教育されてきたので

一品づつ片付けていったところ

お腹いっぱいで食べきれなくなり

御飯と汁ものは勿論のこと

鰤の照り焼きと河豚の唐揚げ

も手を付けないで残してしまいました~

 

タッパー持っていくんだった~

 

夜中にも風が吹き

窓ガラスに当たる雪の音に何度も目を覚ましましたが

日向で夜を過ごせる喜びの方が大きくて

朝も早起きしてしまいました

 

朝ご飯を済ませ

部屋でのんびり過ごす気になんてなれる筈もなく

早々をチェックアウトして海岸線を歩くことにしたのですが・・・

(早瀬漁港)

(久々子湖への水路)

(早瀬海岸と数年前に歩いた近畿自然歩道)

(ロケ隊が滞在していたホテル:女将に尋ねたらいしだあゆみさんと田中裕子さんが卓球してたのを覚えてますと話してくれました) 

実は、この辺りでタクシーを呼んだのですが

運悪く敦賀まで出払っていたり、大雪でお休みしてたりと断られてしまい。

歩いて美浜駅まで向かうこととなりました。

なんとか3時間ほどで駅に到着し

まだ雪で遅れていた小浜行に電車に乗車
(初めて訪れた旅をリピートするつもりでした)

小浜駅に到着して(↓電車の屋根の雪の厚さにビックリ)

前回は、駅前の商店街で飲み屋を探し、旬の寒ブリで冷や酒を堪能したのですが

この日は前夜にいただいたので 

 

丁度到着したばかりの若江線(鯖街道を走るバス)に乗車しちゃいました

最近は、バスのチェーンもモダンになって

昔のようにジャラジャラと音を立てないのがちょっぴり残念でした。

(猛吹雪の中、温かいバスの車内であの音を聞きながらウトウトするのが好きでした

ビックリするような

ほぼホワイトアウト状態の中をバスは黙々とひた走り

無事に近江今津駅に到着

 

夜叉とは全く関係ないんですけど

折角近江今津に来たんだしと

琵琶湖周航の歌資料館で来館者の合唱する歌声を聞きながら

今回の旅を終えることにしました

 

 

 

長年、ずっと夢見ていた雪の日向での1泊2日の旅

素敵でしたよ~

 

いまにも路地から 修治や蛍子 啓太や冬子に 矢島まで

飛び出てきそうな妄想にどっぷりと浸れて大満足

 

 

ところが実は、帰路の電車の中では

夢が叶ってしまったことから虚無感に襲われてしまい

 

当面の目標を見失って

しばらく何もする気になれなかったのですが・・・

 

 

今回の旅で見つけた地酒

 飲み残した分を家に持ち帰っていたため

晩酌にと冷や酒で飲んでみたところ

ただの本醸造なのに

フルーティーでキレッキレで後味も最高の美酒だとわかり大焦り

なんでもっと買っておかなかったのかと大後悔

 

そして話は次へと続くのでした。。。

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門前の小僧習わぬ経を読む

2017-01-05 18:30:00 | 健さん【高倉健】

 

2017年の三が日

いつもの映画三昧させていただきました。

 

”夜叉”

 

”冬の華”

”駅”

”幸福の黄色いハンカチ”

 

恒例の健さん映画を観て新年を過ごさせていただいたのですが・・・

 

映像を観ながら、健さんのみならず

出演者全員のセリフを完璧に覚えてしまった自分にビックリ

 

それぞれのシーン毎に 

登場者が声を発する前に 諳んじてました~

 

 

 

そりゃまあ

毎年毎年、飽きもせず何回も何回も観てるからなんで

 

これぞ“門前の小僧習わぬ経を読む”って感じ

 

 

ところが、こんな状態になっても 

これからもず~っとお正月になったらこれらの映画を観続けるつもり

 

なんせすっかり肌身に刷り込まれてしまっているため

これらの映画を観なかったら新年を迎えた気分になれなくて

気を病んでしまうかも

 

なんちゃって

 

 

 

 

あと ようやく念願の”YaKsa(夜叉)"

ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACKが手に入りました

 

 

 

 

 

何年か前に、中古CDを見つけたんだけど

そのうちもしかしたら新品がみつかるかもと思っていたら

 

その中古を買った人物が、たぶんダビングしてから

今度は中古を25,000円で販売しようとしているのを見つけて超ビックリ

 

足元みすぎだっちゅ~の

(ずっと売れずに残ってるので、誰も買わずに終わるかも)

 

 

諦めきれずに

定期的に”夜叉”、”オリジナルサウンドトラック”で検索していたところ

偶然にもLPを発見して

今度は迷わず即座に注文した次第です。

 

 

レコード用のターンテーブルが手元にないので

USBで出力できるターンテーブルの購入を検討中

 

 

 もう廃番になって久しいので

ダビングしてもなんの問題もないと思うので

 

我こそは夜叉のファンだって方がいらっしゃいましたら

声かけてみてくださいね

 

 

あと、もうひとつ余談ですが

夜叉の撮影の時にロケ隊が泊まってた宿

 

ず~っと日向の橋を渡ったところの高台にあるホテル

(とろばこ錦波だったかな)

と思い込んでて

2013年に倒産して 昔の話を聞くこともできなくなっちゃったな

諦めていたのですが

 

今回映画を観なおして

エンドロールまでしっかりと目に焼き付けていたところ

”久々子 ひろせ”の文字を発見して

急いでネット検索してみたところ

 

久々子海岸にある 海のホテルひろせのFB記事を見つけ

メッセージを送ったところ

女将さんから返信があって大喜びしているところです

 

 

LPといい、撮影隊の泊まった宿といい

諦めずにいることの大切さを学ばせていただきました。

 

 

 

 

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回想 ”夜叉”の舞台を訪ねた旅

2012-11-21 18:52:48 | 健さん【高倉健】

2010年の冬

元旦に自宅で映画”夜叉”のDVDを観てしまったことから 

その映像の美しさとBGM、そしてあの映画の中で醸し出された

えもいわれぬ雰囲気に酔いしれ

 

三が日だというのに

ネットでロケ地探しに没頭し ようやく見つけた”日向”という地名

 

そこがどんな場所なのかも知らず

ただただ真冬の荒れ狂う日本海と居酒屋”蛍”に恋焦がれてしまい

いても立ってもいられなくなって飛び出してきた無謀なヤツ

 

前日からの暴風雪警報下の猛吹雪の中

京都・敦賀と電車を乗り継ぎ、ようやく美浜駅に降り立ったものの

 

映画の中に出ていたツバメのエンブレムのついた国鉄バスは

時代の流れですでに廃止となって久しい様子

 

いまは地域の足としてコミュニティバスがあるとわかったものの

当然のことながら 一日に数本しか運行しておらず

時刻表をみると、次のバスまであと2時間近く待たなければならない

 

さて、どうしようか? ふと、駅前のロータリーを眺めてみると

寂れた駅にぴったりの場末感を漂わせた駅前食堂が眼に入る

 

ならば出発時刻までの時間潰しにと

道に積もった雪に足をとられぬよう注意しながらも 一瞬の躊躇もなく暖簾をくぐる

 

 

外観から想像していたとおり昭和の匂いがたっぷりとただよう駅前食堂

 

入り口近くに置かれた 石油ストーブ

 

店の奥にはカウンターがあり、内側には湯気を立てるオデンの容器と

ホワイドボードに書かれた肴のメニューが目にとまり

 

これは飲むしかない!と 

すかさずカウンターのイスを下げながら

「うー! 冷えるね~。(ひと息おいて) とりあえず熱燗もらおか」

「は~い♪ 熱燗やね」と明るい返事

 

一升瓶からコクコクと音を立てながらアルマイトの容器に酒を注ぎ

オデン鍋の厚みのある木の蓋をほんの少しずらしてできた空間の片隅に

そっと沈めたのを見計らって

 

店に入ったと同時に、実はしっかりと脳裏に焼き付けておいたホワイトボードの品書き

わざとらしくもう一度目をやりながら

 

「オッ! 寒ブリに生エビがあるやんか。 そしたらそこら適当に盛ってもらおかな」  

 

ほどなくしてカウンター越しにガラスのコップが手渡され 

オデン鍋から取り出したアルマイトの燗酒の取っ手を持って

「ほな、どうぞ」

「おっ! うん。 ありがと」 

と、つい頬をゆるませながらコップを差し出し、すっかりご満悦

 

熱くなったガラスのコップを人差し指と親指の先で持ち

唇を尖らせながら 慎重に口を寄せ、ズズッとすする

「うわ! 旨っま! たまらんな~♪」

 

思わず出てしまった声を耳にして 微笑む年のころ三十代半ばの女将

 

 

熱燗を口にしたのを見計らって

 

「お待たせいたしました」

どこにでもありそうな白地に紺の模様の描かれた瀬戸物の刺身皿に

無造作に並べられた刺身の盛り合わせが出てきた

 

見栄えはよくないものの、いかにも地元で獲れた新鮮そうな寒ブリの

厚い切り身を箸でつまみ

軽くワサビ醤油につけて頬張ったとたん

えもいわれぬ美味にビックリ!

 

無言で首をふりながら

美味しさに感動している様を表現してしまう

 

大雪の日に朝から熱燗を注文する客が珍しかったのか

なにげに見慣れぬヨソ者を伺う様子にほだされて

 

問わず語りに

「高倉健さん主演の”夜叉”って映画に惚れちゃってね。その舞台が観たくてこれから日向に行く」

と話していた

 

(三文小説&脚本風描写はココでおしまい 

 

 

そんな変わったお客が印象的だったのか 

翌年の冬に訪れた時にお店に入ったら、しっかり覚えててくれてたんですよ

 

「去年も大雪が降った時にきてくれたお客さんですよね?」って(笑)

 

 

その年は、日向からまた美浜駅まで戻ってから

来たときと同じルートで帰りたくなかったので、汽車で小浜まで行き

 

駅前の商店街を俳諧してみつけた居酒屋で

寒ブリとか日本海の魚貝類を肴に、

”夜叉”のシーンとついさきほど訪れた日向の風景を重ね合わせて

思い出に浸っちゃったのが災いして(言い訳です)

ついついお銚子を傾けすぎてしまって

 

居酒屋に入るまで鉄路で舞鶴から京都に出ようと思ってたのを

急遽変更してJRバスで鯖街道から近江今津に出て京都に戻ったんだったな~

 

汽車の車中では曇ったガラスを手で拭きながら車窓から日本海を眺め

バスの車中ではタイヤに巻いたチェーンが鳴らすジャラジャラという音を聴きながら

いつしか酒の酔いも手伝って、ついコクリコクリと

 

それもまた なかなかオツなものでしたヨ

 

 

 さて、この冬はどーやって行こ?

 

どーせだから熱燗をもっと美味しくいただくために

猛吹雪の中、京都から鯖街道を歩いてくってのは・・・

 

 

ないな! やっぱし(爆)

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男が男に惚れる

2012-11-20 18:36:14 | 健さん【高倉健】

といっても 

そっち(?)の気は、全くもって微塵もありませんので 

くれぐれも誤解なきようお願いいたします(笑)

 

 

では、本日、なぜこのタイトルにしたかというと

 

 

昼休みに

なぜか冬の訪れとともに思い出してしまう大好きな映画”夜叉”の予告編を

ついついYoutubeで観てしまい

 

 

http://www.youtube.com/watch?v=agSGos6fkZc

 

 

その流れで

大好きな健さん関連のチャンネルを見続けて

 

やっぱオレは健さんに心酔して惚れ込んじゃったんだな 

って再認識しちゃったからなんです

 

http://www.youtube.com/watch?v=6Z0sT04xTv8&feature=related

 

http://www.youtube.com/watch?v=C1RW2EqBXzQ&feature=relmfu

 

http://www.youtube.com/watch?v=NlGUTaeo4c8&feature=relmfu

 

http://www.youtube.com/watch?v=oFNP7vYWRbQ&feature=relmfu

 

http://www.youtube.com/watch?v=9WRZqgGkQpM&feature=relmfu

 

http://www.youtube.com/watch?v=FhgaUMaMBRw&feature=relmfu

 

いや~  やっぱ健さん最高

 

映画の中の健さんもいいんだけど ロケや現場に携わった人達からもあんなに慕われて

その人となりに心から魅了されちゃってま~す

 

前にも書いたかもしれないけど、30年ほど前のこと、

自分が暮らしてた南海の孤島に、偶然ロケで来ていた邦さん(田中邦衛)と

何日か過ごす機会があって、何度も健さんのことを自慢げに話してたもんだから

当時はまだ健さん出演の映画を観たことがなかったのに、すっかり刷り込まれちゃいました

(この話、自分の中ではムッチャ自慢なんす

 

 

あの不器用な語り口もまた 味を増してくれちゃうんだよな~ 

 

 

 

早く冬になってくれないかな~ 

 

よ~し 今年も日向に行くぞ~ (すっかり毎年の恒例行事)

 

荒れ狂う日本海の浜辺(久々子海岸)に佇み 

防波堤で打ち砕かれた波しぶきと雪混じりの寒風を全身に受け止めながら

目を細めて”夜叉”のシーンを回想し

冷えた身体を縮こませながら 美浜駅前の場末感たっぷりの赤提灯の縄暖簾をくぐり

割烹着の女将相手に コップ酒の熱燗を傾けるど~(寒ブリの刺身を肴に)

 

(↑はいつもの妄想シーン  普段はラフなくせに結構描写が細かいかも(爆))

(実際には、赤提灯も縄暖簾も割烹着の女将も残念ながらいないんですが・・・) 

 

健さん好きの方

よろしければご一緒しませんか

 

日本に居て、若狭に暴風雪警報が発令したら

平日でも、急遽お休みとって間違いなく行っちゃってると思いま~す

 

 

 

【追 記】

実は、いまの自分は大好きな”夜叉”を撮影した時の健さんと同じ歳。

”まだまだいけるじゃん ” と思ってんのは たぶん自分だけだろうな

 

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映画”夜叉”の舞台を訪ねる旅

2011-01-11 16:17:30 | 健さん【高倉健】

【まだ夜叉をご覧になっていない方のため、この記事では映画自体の内容には全く触れていませんので予めご了承ください

 

約1年前の2010年元旦

恒例のビデオ(DVD)三昧のお正月を迎えようと、年末にレンタルしてきたDVD中に

この作品を入れてしまったのが運のツキ(?)

 

いや違った  正確には天啓とでも申しましょうか

1985年公開のコノ↑映画にすっかりハマり込んでしまいました

 

なんせ、その昔から、気に入った映画をみつけると、ついそのロケ地を訪ねて

より一層感動を深めたくなる性分なんです

 

ということで、去年もコノ地方に大雪警報が出た途端

居ても立ってもいられなくなって訪れてきたのですが、いく度に気分はすっかり高倉健(爆)

 

とうわけで、一昨日、どうやら大雪になりそうとの天気予報を見て

心躍らせながら喜び勇んで行ってきました~

(本当は、豪雪になった大晦日に行きたかったんだけどネ)

 

5時起きして、やっぱこの旅に特急は似合わないって思い普通電車を乗り継ぐことに

(これは、京都駅から乗ったびわこレジャー号:湖西線敦賀行き)

 

京都駅のホームで電車を待つ頃から チラホラと見え始めた雪も

湖西線を北上するに従い、どんどん厚みを増してきて

比良山辺りもすっかり真っ白

一時顔をのぞかせた太陽も姿を隠し、猛吹雪となって 胸は高鳴るばかり 

 

と喜んでいたら マキノを過ぎた頃から雪の量が減り始め敦賀ではほとんど雪の影なし

約1時間の待ち時間があったので、駅の待合室にあった立ち食いうどん店で軽めの昼食

ニシンソバを頼んでしまいましたが、おぼろ(昆布)うどんが正解のようでした

知らなかったけど、敦賀は昆布製品が有名なようで、昆布出汁のきいたツユは

美味しかったですよぉ~

 

ということで、軽く小腹を満たして 小浜線に乗車

ワンマンカーでこれぞローカル線って感じですけど

トイレも完備しているし、座席もなかなかオシャレな車両なんですヨ

敦賀から美浜に抜ける間は、こんな感じ

去年は、可哀想に野生の鹿がはねられていました

約25分ほどで気山駅に到着

もちろん無人駅ですが、しっかりホームが除雪されていてビックリ

県道244号線をトボトボと歩き しばらくすると三方五湖のひとつ久々子湖が見え始め

300年前に造られたという久々子湖と水月湖をつなぐ浦見川(水路)に

渡り鳥が、川の流れに身を任せてのんびりと漂っていました(笑)

↑コレは久々子湖(汽水湖)

紅葉の季節になるとこの水路が観光船の景勝地のひとつとなるそうです

やがてレインボーラインの料金所を過ぎると

オォー! 目的地”日向”の文字が

その昔はきっと陸の孤島だったのでしょうが、

その後、ご多分にもれず、地方行政のバラマキ公共事業によって

膨大な予算を使った漁港整備が実施され、周回道路ができたようです

 

ま、地元の人にとっては、長年の悲願でもあったかもしれません

この日は時計回りで日向橋に向かうことにしてみました

これが水月湖との隧道(嵯峨隧道) 1709年に鍬入れして、1934年に完成したらしいです

日向集落より望む矢筈山と雪谷山(たぶん)

アチコチで見かけた蛸壺 

日向の集落(昔は京都の伊根のように、その昔は舟屋だった名残がいまでも見受けられます)

道路が整備されるまでは、これが集落のメインストリート

古き良き昭和の木造家屋もあって 昭和好きのワタシは、つい気分もルンルン♪に

村の神社(金毘羅)の古木跡 台風かなにかで折れた跡から新しい芽が出てきている様子

生命力の強さが感じられて、眺めているだけでも力がもらえるようでした

これが日向橋

映画でも、ここのシーンがふんだんに出てきて、とても印象に残る場所なのですが・・・

いまでは車も通れるようなしっかりした橋に変わっていました

(この橋の下で1月の第三日曜に、奇祭:水中綱引きが行われるそうです)

日向漁港の突堤  『しかし、雪全然ないじゃん!』と 思っていたら

突然猛吹雪状態に 

幸運(?)にも、風上に向かってほとんど目も開けられないほどの嵐になりました

日本海の荒波を写真に収めた途端に吹雪がピタっと止まり

名残を惜しみながら日向をあとにして 久々子湖へ

冬季は観光船も休業です

早瀬川側からみた早瀬漁港と日本海

こじんまりとした早瀬海岸を歩いていたら・・・

オォ~  素晴らしい  海岸線に沿って自然歩道があるじゃん

ということでダーレもいない 自然歩道を歩いてみました

岩場の海岸線を抜けると 突然なにやら洞窟が

扉を開けて中に入ってみたら、賽ノ河原のように石が積んであるのを見て

退散してしまいました   なんせ苦手なんですよ  あの手の場所

なんとな~く、怨霊がいそうというか、怨念がこもっていそうで

少し歩くと ”立ち入り禁止”の看板と奥深かそうな洞窟が

”ダメ”って言われると さきほどの背筋が凍るような思いも忘れて

むっちゃ入りたくなってしまうんですよね  天の邪鬼としては

 

でも、なかなかの景勝地で、心は癒されました

 

ありゃ? あんなところに石像が

近付いてみたら、とっても柔和な表情をした弘法さんでした

 

その後、久々子海水浴場から松原海水浴場の砂浜を歩き、

荒れ狂う冬の日本海のパノラマ風景をゆっくりと時間をかけて堪能して美浜駅に

 

雪道用の防水・防寒ブーツだったので、予想以上に足が疲れてしまいましたが

心身ともにとても満足できたとっても有意義な一日で、

”来年もまたきっと来るぞ!”と誓いを新たにすることができました

 

これは美浜町のキャラ へしこちゃん  糠漬けの樽に巻かれてってどーよ って感じ(笑)

さすが雪国  ラッセル車が出番を待っていました

駅前にあった歴史を感じさせる農協の倉庫

 

小浜線のダイヤは、1時間から2時間に1本だけ

駅に到着した時には1時間弱の待ち時間があったので、駅前の食堂へ

懐かしいアルマイトの容器の燗酒を2杯とオデンと甘エビの刺身

残念ながら この日は寒ブリがなかったため、

そこそこで切り上げて、敦賀まで戻ることにしました

 

25年ほど前に何度か来てるんだけど こんな町だったかな?って感じ

昼から開いている店もほとんどなく、ようやく見つけた水産物を扱っている店に入り

待望の寒ブリとシメサバを注文  お銚子(大)2本で 4千円弱

(画面上の寒ブリが1600円、下のシメサバが900円!)

味もそこそこな上に、盛りつけからしてお粗末すぎてガックリ なのにムチャ高額

店員の質も低いし、コストパフォーマンス最悪で

もう二度とくるもんかと いうのが正直な印象でした  

 

ま、何事も勉強勉強(負け惜しみ)

『のんびりと敦賀で日本海の魚を堪能しよう』と思っていた気持ちがそがれ

早めの電車で京都に戻りました

ライトアップされた京都タワーを眺めながら ふと考えてみたら・・・ 

今日はまともな食事をしていないじゃん!

 

ってことで、前から気になっていた たかばしの第一旭の本店に行ってきました~

いつも大行列なのに この日は5人程度しか並んでなくて超ラッキー

名物の特製ラーメン+ギョーザ+大瓶ビールでお腹いっぱい

 

いい気分になってフラフラと近鉄急行に乗り込んで、さて居眠りでもと体制を整えてたら

 

向かいの座席の客が、次々とお客が乗り込んでくるのに全く席を譲らないのを発見

 

すっかり気分は健さんだったので

「スマン! そんなん目の前にして、黙っとる自分が我慢でけへんねん!」

「しっかりつめて、他の人も座らしたってくれんか!」

 

と、半分脅してしまいました~  

 

それからの車中はすっかり沈黙

気まずい空気に 「オイオイ、またやっちまったよ」と思ったけど 

座ることができたオネーチャンが電車を降りるときに近寄ってきて

「ありがとうございまいした。嬉しかったです」って言ってくれて  

 

いや~やっぱ健さんは偉大だな と改めて認識した次第です(意味不明)

 

 

それにしても、ホント、有意義な一日だったなぁ~

Comments (12)
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