Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

"できる人が、できる時に、できることをする" 2019 台風19号水害 【静岡&長野】

2020-02-18 17:47:01 | 生き甲斐

2019年10月

 

自治会の役員として

地元の秋祭り(10月13日)で布団太鼓の山車を引いた余韻に浸ってた頃

 

台風19号の被害が続々と伝わってきて

全国各地で土砂崩れや堤防の決壊で甚大な被害を蒙っているのを知り

 

これは一刻も早く現地に行かなければ

情報を集めていたところ

 

ほとんどの被災地が地元のボランティア限定で

県外からの受け入れをしていない中で

 

被害が広範囲にわたり人手が集まらずに困っていた

富士山の裾野で火山性の軽石による土砂で老人ホームが埋まってしまった被災地があり

一刻も早い復旧がのぞまれていると知り

 

開設されたばかりのボラセンに電話して

『県外からなんですけど、お手伝いできますか?』と聞くと

「是非お願いします」との快諾を得て

 

奈良市の社協に飛んでってボランティア保険に加入して

高速道路の減免申請をして

(2019年からネットで申請用紙を印刷して各自が準備するシステムになりました)

 

社員さんに『申し訳ない! 台風19号の災害ボランティアし行ってくるので数日休みますね。』と断りを入れ

翌朝のボラセンの受付開始時刻に間に合うようにと

夜9時半に奈良の自宅を出発

今回は、初の軽トラでの遠出のため

3時間後の0:24に新東名の岡崎S.A.に到着

な、なんと晩御飯を食べてるのに

体力勝負だからな!と自分に言い聞かせ夜食をガッツリ食べちゃいました

岡崎なので八丁味噌ラーメンとチャーハンセット

岡崎から2時間後、駿河湾沼津S.A.到着して

無理やり軽トラの中で4時間ほど仮眠

 

ホントはいざという時のためにテントと寝袋も持参してたんだけど

睡魔に勝てず、テント張るのも面倒になって

マニュアルなのでギアをローに入れてサイドブレーキを畳み

助手席に足を投げ出してドアにもたれかかりながらの仮眠

イヤ~ 正直辛かったぁ

実はそんな寝不足状態でしたが

ボラセンの受付開始時刻に間に合るようにと

S.A.のコンビニで朝食とその日の活動中用の昼食を調達

 

なんせカーナビのない軽トラのこと

スマホのマップアプリからの道案内でようやく駿東郡小山町のボラセンに到着

活動先となった老人ホームは 足柄峠のすぐ近く

↓写真の奥にみえる建物の中に

富士山の火山性土砂(ようするに軽石のような感じ)が

山肌から崩れて建物のガラスを割り

一階部分が埋まってしまったんだそうです。

運よく入所者は二階に避難していて全員無事

軽い土砂とはいえ一階部分を埋めてしまっていたのですが

 

またまた運よく近くの裾野の自衛隊によって土砂の掻き出し作業が行われ

その後の泥を拭き取るのがボランティアの活動となりました。

 

施設の職員と我々ボランティアの総勢100名ほどで

雑巾による床・壁の拭き取りと

雑巾をすすぐためのバケツと水の補給と交換

汚れた水を集めて一輪車で外の側溝に廃棄の班に分かれての作業となりました。

 

最初は、とても一日で終わらないだろうと思っていたのですが

ボランティアは休む暇も惜しんで作業するもんだから

なんと午後3時に完了してしまい

 

ボラセンに戻って続きの作業がないかと尋ねると

小山町でのボランティアのニーズがなくなったと聞き

 

さて、どうしようかと長野県の状況をスマホで調べてみたところ

千曲川の越水と決壊による甚大な被害を受けた

千曲市で軽トラの持ち込みを募集しているのを知り

ボラセンに電話して

『県外なんですけど、お手伝いできますか?』と聞くと

『遠方からすみません。よろしければお願いします』との快諾を得たため

 

翌日は千曲市で活動することにしようと

とりあえず長野に向かうための高速に乗るために通過する御殿場の銭湯を探し

汗と泥を洗い流してすっきり

寝不足もあってか、湯船に浸かってすっかりリラックスしてしまい

睡魔が襲ってきましたが

翌日のボラセンの受付に間に合うようにと

またまた御殿場からのルートを探ると・・・

 

須走から高速に乗れることがわかったのに

つい裾野方面にすすんでしまい気が付いたら富士ICのすぐ近く

 

仕方なく別ルートを探すと

新東名の新清水でおりて国道52号線で身延山下から甲府に抜ける道が案内され

 

富士川を源流方面に沿ってひたすら走り

南部町の冨澤で休憩(御殿場の銭湯を出て約1時間半後)

 

夜8時になんとか八ヶ岳S.A.に到着して晩御飯

お昼もコンビニで買ったオニギリだけだったのでハラペコだったけど

ヘタにお腹が膨らむと眠気に襲われて居眠り運転しちゃうかも

と我慢してました。

 

直接千曲市まで走ろうかとも思ったけど

宿がみつからなさそうだったので

また軽トラの座席での仮眠はあまりに辛いな

松本のホテルに泊まることにしたため

ガッツリと豚丼をいただいちゃいました(笑)

そうこうしてようやく松本に到着し

ホテルから買い出しに外出する元気もなく

ホテルの自販機でビールとチューハイを5本ほど買って

ホテルの部屋で独り打ち上げ

翌朝も、ボラセンの受付時間に間に合うようにと

7時半にホテルを出発

水害の被災地ではレストランもみつからないかも

と、姥捨S.Aで朝食を済ませ昼食用のオニギリを購入

朝から 長野名物 山賊焼き定食を食べちゃいました~

 

この日は、軽トラをフル活用してもらおうと

ニーズ待ちしていたところ

 

なぜか、女性3名と男は自分ひとりの4人グループで

独居老人(女性)宅での水に浸かった家財道具などの処分をする作業を拝命

 

一人の30代と思われる女性ボランティアの方は

やはり災害ボランティアの達成感に生きがいを感じ

これまでにも各地で活動してきた様子で

軽乗用車にスコップ、一輪車その他の道具類を積み込んで

前日も長野市で決壊した土砂の被災地で活動していたんだそうでした。

 

そのほかの2名は、

なんと地元千曲市の女子短大1年生(まだ高校生にしかみえない19歳

自分たちの家は被害を受けなかったので

初めて災害ボランティアに参加してきたとのこと

 

その4名で千曲川の堤防下ある被災された一戸建て住宅に到着

 

家主は70代の半ばほどの女性でしたが

衣類や女性の持ち物(下着や衣類ほか)を取り扱うため

気を遣わせないようにとのボラセンの配慮(女性のボランティアを割り当て)に

感心させられましたねぇ(そういう要望だったのかもしれませんが

実際には、水浸しになった畳や布団、ベッドに家具もあって

結構力仕事もありましたが

軽トラに満載して 地域の空き地までを

10往復ほどして

なんとかあとは被災者の方と身内の方で片付けられるところまで作業して完了

 

朝、初対面の知らない者同士なのに

同じ気持ちで活動していると

夕方にはすっかり旧知の友達のようになれちゃうですよぉ

 

もうツーカーって感じに(笑)

 

それから作業道具を積み込んでボラセンに帰ろうと

年長者として被災者の方に

『まだまだこれからも大変だと思いますが、どうぞ頑張ってください』と

お別れの挨拶をしたところ

 

被災された方も感謝の気持ちが高まって言葉にならず

頭を深く下げられた様子から

心からのお礼を気持ちが伝わってきて

初めてのボランティアで被災者の方から喜ばれたことに感激した

女子短大生の二人も ボランティアに慣れてるはずの人も

みんなで目頭を熱くしてしまい、なかなかその場を離れられなくなっちゃいました。

そんな出来事もありましたが

ボラセンに戻って女性リーダーに活動報告をお願いして

軽トラを洗っていたところ

 

その3名が出てきたものの

なかなか解散できない様子

 

『奈良からいらしてたんですか

『まだしばらくこちらにいらっしゃるんですか

とか

『昨日は長野市に行ってきたんですけど、被害が大きすぎてニーズがいっぱいでした』

と、まだまだ話しをしたそうな気持が伝わってきたのですが

 

娘のような若い女性から声かけられて恥ずかしかったのと

汗だくで泥まみれで、その上お腹がペコペコで

『今日は一緒に活動できてとっても嬉しかったです♪ ありがとうございました。またどこかでお会いできたらいいですね

と災害ボランティアフリークの常套句で

本心は後ろ髪をひかれる思いで見送ったのですが

 

あの充実感と達成感をあじわったら

ボランティアやめられなくなっちゃうだろうな

 

その日の宿は、昼ごはんを食べながら

ネットで探した格安の旅館に直接電話して予約を済ませていたため

とりあえず汗と泥を洗い流そうと

千曲市がボランティアのために無料提供してくれていた 戸倉温泉

この辺り、天然温泉が湧いているところで

この戸倉観世温泉も 素晴らしい泉質ながら市民温泉なんですヨ

とってもいいお湯でした

 

またまた地図アプリを使って旅館をみつけ

レトロな和室にチェックイン

一泊素泊まりでなんとたったの3500円ほどだったので

スーパーを探して食糧を持ち込んで

いつものようにひとり打ち上げパーティー

 

予約では、素泊まりだったんだけど

チェックインの時に女将さんに 水害ボランティアに来てると話たところ

『わざわざありがとうございます。自分たちは何もお手伝いできないので

せめてボランティアの方に朝食を差し上げたいのですがよろしいですか?』とのお話

 

まあ、なんと心の優しい宿なのかと感激しちゃいました

翌日は、前日一緒に活動したボランティアの方から聞いていた

堤防が決壊して大被害を受けている長野市でも

県外からのボランティアの受付を始めたことを知り

 

せっかく長野までボランティアしたくて来てるんだから

よりお役に立てそうなニーズをみつけようと

臨時のボラセンに向かったところ

 

受付時間前からこの様子

行列が長くて これは時間をロスするなぁ

と思っていたところ

 

大型バスの駐車場方面から

『受付は車内でしますから、本日からボランティアが入れるようになった豊野に行っていただける方はバスに乗車してください』

と声をかけられ

 

『これはヘトヘトになるまで活動できるぞぉ』と

すかさずバスに乗り込んでしまいました。

 

長野市は千曲川が決壊した場所の下流にあるため

大量の土砂が流れ込み

半端ない被害を受けたため

長野県じゅうの公務員や社協の職員が集められ

コーディネーターをしてるのですが

 

いかんせん、不慣れなのか要領が悪いのか

バスの中の担当者はいい加減でイライラさせられるし

座席の順にメンバー構成とリーダーが決められて

適当に『はい、じゃあリーダーお願いします!』と

いかにもボランティア初心者を指名

 

サテライトも初日だからか

道具や資材の受け渡しも全くダメ

 

ようやく割り振られたニーズ先に行くと

『もう自分たちで処理できるからボランティアはいりません』と断られ

サテライトに電話すると

 

その隣の家が人手が足りないから入ってくれと言われ

不慣れなリーダーはメンバーに指示もできずに

てんでバラバラに各自で作業をはじめたのですが・・・

なかなかの豪邸で4・50名のボランティアがいたのですが

家主なのか、その家族なのか

まるで自分の使用人にように指図されてビックリ

 

そのうえ、リーダーは常識を知らないのか

昼の休憩(といっても座る場所もなく道端に立ったままでしたが)の時も

一緒に来ていた会社の同僚のメンバーとSNSにあげるつもりで記念撮影

 

前日の活動がとても良かったので心底ガッカリしちゃいましたが

他のボランティアの人たちと心が通じ合えたのがせめてもの救いでした。

 

結局、午後3時頃になって雨がひどくなってきてその日の活動は中断

翌日も大雨の予報で活動できずボラセンも受付しないとの連絡を受けて

今回の活動を終了することにしました。

長野市でも無料提供されている温泉があったので

とても貴重な公民館にあるという松代温泉に行き

とりあえず汗を流して 奈良に向かおうと思っていたのですが

ぬるめのお湯に ゆっくりと浸かったからか

それまでの疲れが一気に出てしまい

これから450キロを運転して帰るのは無謀かも

と、もう一泊することにしちゃいました。

 

前日の旅館はその日は満室で部屋がとれず

同じ上山田温泉のホテルに泊まり

これまたスーパーで買った食材で ひとり打ち上げ

酒の勢いで爆睡したおかげか

早朝に目が覚めたたので

 

一気に奈良まで帰ろうと

外を眺めていると

温泉の裏山になにやら建物があるのを発見

これは行ってみなければと登ってみたところ

善光寺の別院と書いてあるけれど

いかにも怪しげなお寺や 子宝に夫婦和合の神さまやら

日本歴史館なる B級施設があってビックリ

ググッてみたところ

上山田温泉って長野では珍しい歓楽街が売りの温泉だったんだそうです。

昔は、農協やらなんやらと団体さんで大賑わいしてたんでしょうねぇ

 

そのまま載せたら捕まりそうなご神体(?)に苦笑しながら 上山田温泉とはお別れし

高速のIC近くで朝食を食べ

長野道、中央道をひた走り

懐かしの駒ケ根で休憩して

約6時間後に奈良に到着

遅めの昼食は 大好物のラーメンの大盛り

 

総走行距離は 1,313.2キロメートルでした。

 

今回もいろんなことがあったけど

いっぱい優しい人達に会えたし 自己満足できて良かったなぁってお話でした。

 

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”できる人が、できる時に、できることをする in 2017”【平成29年7月九州北部豪雨被災地での水害ボラ】

2018-06-22 17:30:14 | 生き甲斐

 

いまからほぼ1年前の 2017年7月のこと

またまた九州が豪雨で甚大な被害を被ったことを知らされ

 

熊本地震の時に、タイミングを見計らっていたままで

結局何もできずに過ごしてしまい、とっても後悔していたこともあって

 

今回は後悔しないようにと

直近の出張予定を依頼元にお願いして延期してもらい

駆け足で現地に出かけてまいりました。

 

最初に、被災地のボラセンが開設されているか確認してから

県外からのボランティアを受け入れてくれるかを調べ

(大分県の日田市が県外からの受け入れを表明)

 

現地での宿泊先を調べてから(道の駅に野営できるスペースが提供されていた)

次に交通手段を考えて(今回も、大阪南港からフェリーを使うことに)

旅程を組んで(大阪~【フェリー】~別府~【大分自動車道】~日田IC)

フェリーの予約を入れ

 

地元の社会福祉協議会へ走り 

ボランティア活動保険に加入して

 

次に 現地までの高速道路の無料通行許可証を発行してもらい

その日の夕方のフェリーに乗り込んだのですが・・・

 

出航時刻が差し迫っていたこともあって

大阪天保山から南港までのトンネルを抜けようと車を走らせていたところ

 

 覆面パトカーに捕まっちゃいました

『運転手さん、速度標識見えませんでした?』

『ここの制限速度何キロか知ってますか?』

と言われ

『いや、これから九州へ水害のボランティアにフェリーで行くとこで、

出航に間に合わせようとちょっと焦ってたから』

と説明すると

 

『それはご苦労様です。』と言われたものの

しっかり違反キップ切られてしましました~

 

 

普段だったら、気落ちしてしまうところなのに

この日は、これからの活動のことで意気揚々としていたこともあって

『ま、過ぎたことはしゃーない!罰金払ったらいいだけやんか』

と、モチベーションは下がりませんでしたヨ

 

そんな残念なハプニングに遭遇してしまったものの

メゲずにフェリーに乗り込み

無事、別府に到着

 

途中のSAで朝食を摂って 日田のボラセンに到着しました

初日は、この日田市の被災地で活動

 

最初に、いま問題になっている集落の空家が泥で埋もれてしまったため

ガレキや汚泥を袋詰めにしてトラックへの積み込み

 

次に、いつもながらの橋桁に流木がひっかかり

堰き止められて溢れ出した水と泥に埋もれた

農機具を共同で使用できるライスセンターでの作業

(この日は、少し離れた集落での後片付けでしたが、この麦わら帽子のオジサンと一緒に活動しました)

 

丁度梅雨が明けたばかりで、猛暑で有名な土地らしく

(日田市は連続猛暑日で日本一なんだそうです)

 

汗と泥でズクズクになりながら作業を終了して

この日の宿営地に予定していた”うきは”の道の駅に移動

ネットで、この場所が宿営地として提供されているのを確認して

テント一式を車に積み込んでました。

 

すでに数張のテントがあり

何人かが道の駅の洗面台で身体を拭いたり作業着を洗ってしていましたが

隣のテントの人に尋ねると

朝倉市のボラセンで日帰り温泉の入浴券を貰えると聞いて

ボラセンを探してみたものの

 

まだ作業に追われて忙しそうにしてるのをみて

邪魔しにようにと途中でみかけた筑紫川温泉に行ってみたところ

被災者向けに無料で開放されているものの

 

自分は好きで来ているボランティアなんだから

入浴料を払ってもいいやと入ってみましたが

ヌルヌルとしたいいお湯でしたよ~♪

 

温泉からの帰り道に

復旧したばかりのスーパーをみつけ

惣菜やお弁当で夕食を済ませ

前日がフェリーで寝不足だったし、作業で疲れてたので

早めに休もうと思ったのですが・・・

真夏の平地に近い場所でのテントは暑くてたまらず

その上、同じ道の駅の駐車場に野営している機動隊員達が

身体と服や靴を洗うために行き来するのが深夜まで続き

 

更に追い打ちをかけるように道の駅の横を走る国道210号線が

坂の上にあるもんだから、下から登ってくるトラックのエンジン音が耳に着き

とうとうほとんど寝られずに夜を明かしてしまい

ヘタレだな~と思いつつ、その日以降はテントでの野営を諦めることにしちゃいました。

このワゴン車も全国から集まってきていたボランティア達の車ばかり

定年後のシルバー世代で

熊本地震からずっと九州で活動してる人が何人もいて

許されるなら、そんな生き方もいいなぁと、正直ちょっぴり羨ましかったです。

 

そして2日目は、野営地で得た情報から

被害が甚大で先行きの見えないと聞いていた朝倉市のボラセンに行くことにしました。

なんせ、主要な国道は勿論のこと、大分自動車道も寸断されていて

行方不明者の捜索が続いていることもあって

ボラセンから市が準備したマイクロバスで甚大な被害を蒙った杷木地区での活動となりました。

 

筑紫川に向かって山裾に広がる集落を土砂が襲ったため

床下だけにとどまらず、床上まで土砂に埋もれた家だらけで

この日も半端ない作業となりました。

杷木地区の惨状を見ると

まだまだ山ほど作業が残っていると思ったものの

翌日からの週末で、

全国からやまほどボランティアが集まるとすると

移動だけでも大渋滞となって思ったように活動できないなと判断。

 

TVのニュースでは、山間部で道路が寸断されて

それまでボランティアが入れなかった東峰村のボラセンが、翌日から開設されると聞き

朝倉市も一日だけで終了することとしてしまいました。

 

このため、その夜からの宿に決めていた日田駅前のホテルに行く前に

朝倉市のシンボル”三連水車”に立ち寄ってみましたが

その周囲は、いまだ手つかずの状況でした。

 

3日目は開通したばかりの国道を走って宝珠山サテライトに到着

(このサテライトに向かうまでの道はこんな感じでした)

ボラセン開設初日で、週末とあって山ほどのボランティアが集まり

この日は、宝珠山駅近くの民家の床下の泥上げ作業で

グループ約20名のリーダーを拝命

 

開始直後は、夫婦や家族連れの参加者をのぞき

みな初対面でよそよそしく接しているのですが

昼の休憩時間にはもうすっかり溶け込んで仲良しになってました。

 

水害の被災地でのボランティア活動

3K(キツイ、汚い、危険)そのものなのですが

だからこそ、そんな場所に集まり、協働して汗を流して喜びを共有するのがクセになっちゃうですよね

週明けには瀬戸内での現場仕事の予定が入っていたため

平成29年7月九州北部豪雨被災地でのボランティア活動はここまでとなりました。

 

”できる人が、できる時に、できることをする”

 

これからも 

気負うことなく、身体の動く限り続けていきたいと思っているところです。

 

とはいえ、最近の異常気象によって

毎年のように全国各地で発生している豪雨災害が

これ以上を起こりませんように 

 

 

 

 

【付 録】

 

いつものことながら、現地のことを何も知らずに猪突猛進で向かってしまうため

その場でその土地の文化や歴史を学ばせていただいております。

 

今回訪れた場所や食べ物をご紹介させていただきますね

大分県日田市は、九州の交通の要で天領地だったとのことで

こんなに立派な祇園の曳山行事がありました。

 

 

こちらは、テントでの野営を諦めて泊まった日田駅前のホテルで

地元の名物として紹介してもらった”日田チャンポン”

この野菜の量に大感激して、2泊中の夕食はこのチャンポンでした(笑)

 

”咸宜園”ってご存知ですか?

有名な吉田松陰の松下村塾同様、江戸時代後期の私塾でした。

豆田町(豪商の家屋の並ぶ地域)

 

日田から北上すると

あの”青の洞門”がありました。

菊池寛の”恩讐の彼方”がノンフィクションだと思い込んでたら

実は、托鉢勧進によって集めた浄財で石工を雇い完成させた日本初の有料道路だそうでした。

 

”耶馬渓の一目八景”

耶馬渓とはココのことを指してると思ってたら

これはその一部だと知ってビックリ

 

 

羅漢寺

ここを訪れるまで、このお寺のことを知らなかったため

凄いお寺があるものだなぁと感心したのですが

すぐ横に古いリフトがあって、その昔は頂上は動物園だったんだとか

誰でも行けるようになって良かったのか

険しい山を登ってしか行けない方がもっと霊験あらたかなのと違うのかなぁ

との印象でした。

 

 

 

宇佐神宮

名前は聞いたことがあったし、全国の八幡宮の総本社と知っていましたが

”二拝四拍手一礼”の作法にビックリ!

出雲式だし、奈良の大和神社といい

天皇家とは異なる太古の昔からの神となると

やはり卑弥呼が祀られているのではとの思いを強くしました。

 

 

この日は、翌日の瀬戸内での仕事に向かうため

国東半島からのフェリーで本州に渡ることにしでました

 

以前から、山口県の徳山に行くと気になってたフェリーだったので

この機会に乗船することができて嬉しかったですね~

(ただ、競争がないので運賃は高めでした)

 

 

 

 

 

Comments (2)
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東日本大震災の被災地を訪ね鎮魂と地場産業復興支援の旅を企画してみました!

2016-01-21 20:12:31 | 生き甲斐
 
以前このブログでも記事としてご紹介させていただきました
 
”奈良市東日本大震災復興支援ボランティアバス”
に同時期に参加した第一クールの仲間に向けて
この企画を提案してみました
 
すでに賛同いただいて参加者も集まりつつありますが
 
G.W.の混雑を避けるようにと
平日を含む日程でもあり
 
勤め人のみなさんには難しいかな?との思いもあり
 
 
それならば一般公募もしようと思い立ち
新たな記事とさせていただきました。
 
 
元のプランが奈良市を起点にしているため
関空からLCCのピーチを使うように日程を組んでいますが
 
時間に余裕がある方であれば
名古屋から太平洋フェリーを使う方法もありますし
 
その他の地域にお住まいの方でも 
別途、仙台までお越しいただければ
仙台から合流いただけるようにいたします。
 
 
 
この季節気仙沼辺りはまだ肌寒いのですが
桜が開花する頃で
とっても綺麗なんです。
 
 
 震災直後に訪れた時
津波と火災で地獄絵図そのものの悲惨な状況でしたが
 
活動を終えて現地を離れる時
気仙沼市鹿折小学校の校庭に咲いていた桜が
あまりにも美しく
いまでも目に焼き付いています。
 
きっと一生の思い出に残る旅となることと思います。
 
おひとりでも多くのご参加を心よりお待ちしていおります。
 
注意: 催行旅行ではありません。
参加中の遅延、事故その他は参加者の自己責任でお願いいたします。
 
 
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
 
【原文をそのままコピーしています】
 
東日本大震災から5年目を迎える2016年の春
ボラバスで活動した気仙沼市鹿折を再訪してみようかと思い立ち
久しぶりにメールングリストを使いご連絡させていただきました。
 
企画の内容としては、4月下旬(GW前)に関空からLCCのピーチを使って仙台まで飛び、
仙台空港からレンタカー(orマイクロバス)を使って
石巻、女川、南三陸町と三陸海岸沿いに北上し、気仙沼、陸前高田まで
被災地の現状を視察しながら鎮魂と地場産業復興支援の旅を考えています。
 
(※できれば仮設住宅でのお手伝いができればと考えていますが、具体的な活動はできないかもしれません)
 
期間: 2016年4月21日~24日(3泊4日)
 
※最終日は早朝に仙台出発となります。
 
 
詳細の内容につきましては、
ご参集いただける人数によって決めたいと思いますが、
費用等につきましては以下をご参考下さい。
 
①交通費:
 
往路 ピーチ利用 4月21日(木)07:20発 ¥5,100(諸経費込)
復路 ピーチ利用 4月24日(日)09:10発 ¥5,050(諸経費込)
現地レンタカー レンタカー代は負担します。
 
ワゴン車以上の参加者となった場合、マイクロバスをレンタルして私が運転します。
(2012年にボラバス仲間で再訪した際も私がマイクロバスを運転していまし、経験豊富ですからご安心下さい)
(レンタカー代は私の会社からの寄付でまかないます) 
ガソリン代・高速料金のみワリカンでお願いします。
 
【備考】関空リムジンバス往復 学園前発着 ¥3,900 
往路 04:30学園前発のリムジンで第二ターミナルまで行けます
 
 
②宿泊費:
 
 
可能な限り公共の宿利用予定(合宿型式での自炊も考えています。) 
例:一関市千厩みなみ交流センター(素泊まり¥2,500/泊程度) 
または からくわ荘(1泊2食¥6,500)
【備考】食費は合宿の場合、食材購入代金をワリカンとさせていただきます。
 
 
ー 暫定日程 ー
 
                 第一日目 4月21日(木)09:00 仙台空港発(レンタカー)
                             11:00 常磐自動車道で塩釜(松島)へ移動
                                   瑞巌寺拝観・松島で昼食
                             14:00 石巻着(日和山または洞源院にて鎮魂の祈り)
                             17:00 女川町・雄勝町・大川小学校跡地・南三陸町(投宿)
                                 夕食
                 第二日目 4月22日(金)07:30 朝食
                             08:00 宿発
                                 三陸海岸を走り気仙沼まで
                             12:00 気仙沼着昼食 港周辺散策(鹿折も)
                             15:00 陸前高田 奇跡の一本松
                             17:00 一関千厩みなみ交流センター
                                 自炊・夕食
                 第三日目 4月23日(土)07:00 朝食準備・朝食
                             08:00 交流センター出発
                             10:00 平泉 中尊寺拝観
                             12:00 昼食
                             14:00 仙台または多賀城・名取 堤防と魚市場 
                             17:00 宿(未定)
                 第四日目 4月24日(日)07:30 仙台空港着
                             09:10 仙台発(ピーチ組)
                             10:30 関空着 解散
 
 
参加ご希望の方は、コメントからご連絡下さい(公開しませんのでご安心下さい)
 
定員: 30名(マイクロバス満席まで)です。
 
 
 
定員となり次第締め切らせていただきます。
 
 
 
 
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台風18号災害ボランティア活動に参加してきました!(小浜&若狭)

2013-09-24 17:48:03 | 生き甲斐

最初に被災者のみなさまに

心よりお悔やみ申し上げます。

 

金銭的にも、精神的にも

凡人からは想像もできないほど大変なことと思いますが

(心の)痛みや苦しみをバネにして

頑張ってください

 

さて、先にご案内のとおり

今回の台風18号での河川氾濫及び土砂流出被害の

災害ボランティア活動に参加させていただいてきましたので

ちょっぴりご報告させていただきますネ。

 

18日午前中にネットで情報を探してみたところ

未だ京都府内は、地域住民の方のみの受付で

他府県からの受け入れはしていない様子

 

ならばと一般の受け入れを表明していた福井県のVCに連絡を取ってみたところ

「お手伝いいただけたら助かります」とのお話だったので

まづは、高浜町営の国民宿舎を宿泊先として確保

 

夕方仕事を終えてから

ホームセンターに走り とりあえず必要な装備を揃え

 

仕事の引継ぎ 移動車両への積み込みを完了したのが 19日の午前1時

久々の出動に興奮して なかなか寝付けなかったものの

なんとか2時間程度微睡めたので 4時起きして朝食を済ませ

5時に出発

カーナビをセットすると 高速優先で移動距離195キロ 高速料金5400円

 

そらアカンがな~

ってことで一般道、距離優先にして

阪奈道路→24号線バイパス→木津バイパス→京奈和道→大久保バイパス

→観月橋→師団街道→川端通りを経由してR367を北上

大原を抜けて途中トンネルから鯖街道を朽木に北上しようと思ってたら

”土砂崩れにより通行止め”の看板が

 

仕方がないのでレインボーロードで和邇まで出て

湖西道路で今津まで出て若狭街道から

熊川宿を抜けて若狭(上中)に出て

(途中みかけた、仮設トイレを運搬中の尾張一宮ナンバーのトラック)

 

丹後街道に沿って小浜市のVCのある東小浜駅に無事到着しちゃいました

(到着時刻 午前7時半過ぎ 奈良からの所要時間 約3時間でした)

 

 当然のことながら

災害VCの扱いに慣れていないためか

どこかからヘルプに来てたボランティアコーディネーターが

取り仕切ってるんだけど

 

これがまた経験不足なのか要領悪くて

登録もマッチングもオリエンテーションも 「・・・・・ 」って感じで

ちょっとイライラさせられちゃいましたが

 

なんとか2度目のマッチングでようやく活動開始

 

この被災地は北川の支流の江古川地区

山裾の田園地帯を流れる川が増水して

大型の流木等が橋に引っかかったために

溢れた水によって住宅地を水没させてしまったようでした。

数少ない経験ですが

平地で水害に遭う場所には、こうした橋が原因で

流木やゴミで流れが滞り、溢れてしまうケースがほとんどでした

 

この地域は、新築の新興住宅地ばかりが床上浸水してしまったため

畳やジュータン、家具、布団類はもとより

家電製品のほとんどが被害に遭ったため

 

災害から3日後とあって、運搬と搬出が主な作業となりました。

 

作業完了後 VCでいただいたのがコレ↓ 

日帰り温泉の御招待券と

赤い羽根の水

 なんでか赤いからカープらしい(笑)

 

この日の宿は

前述のとおり

ネットで見つけた 高浜町営 国民宿舎

食事を頼まないと1泊4300円だったので 一瞬失敗したかな~って思ったけど

風光明媚な場所で なかなか良かったですヨ

この辺りの海岸線

韓国からのプラスチック等の廃棄物も沢山流れ着いているようでしたが

今回の災害で広範囲に水没した福知山を流れる

由良川からの稲刈りあとの藁等が普段でも漂着しているのだとか

 

若狭一帯は、夏になると海水浴が売りの場所なので大変です

 この日は、宿の夕食は事前予約分しか準備していないとのことで

近くのスーパーで適当に買い出ししてきたもの

 

昼の肉体労働のせいなのか夜の7時前にはスッカリできあがって

部屋でウダウダと 自分も写していただいちゃってたローカルニュースを観ていたところ

フロントからの電話で「お客様がおいでですか」とか

 

実は、昼間同じグループで活動した地元の方が訪ねてきてくれたんですよ~

作業の合間にちょこちょこっとお話しただけだったんだけど

 

奈良から来たヘンなオッサンに

なんだかとっても感動していただいちゃって

ゆっくりと話がしたかったとか

 

なんだか恥ずかしい思いもあったけど

こんな出会いがまた嬉しくてクセになっちゃってるんですね~

 

そうそう、この周辺のみなさん

ロシアのタンカー”ナホトカ号”の

原油流出の時、それこそ総出で油の処理をしてこられたんですヨ

それも極寒の真冬の日本海で

 

まったく頭が下がっちゃいます

 

 

翌日は、小浜の被害がさほどシリアスでない様子を知り

前日の作業終了後に電話しておいた若狭町に行ってみました

ネットで調べてみた時には

募集人数も小浜の方が倍ほどあったんだけど

実は被害は若狭の方が大きかったことを知りました

 

この日も、マッチングで

「その気できてるんで、できるだけ重労働の場所に行かせてください」ってお願いして

三方の土砂が流れ込んだお宅へ

 

この水路(?)は、山水が流れる場所で

上流の砂防ダムがすでに満杯となっていたため

大雨で流されてきた土砂が そのまま流されてきて

↑この直角に曲がったコーナーで土砂がせき止められ

両側のブロック塀まで土砂で埋め尽くされ

溢れ出ていたものの、その荷重に耐えきれずブロック塀を倒し

一気に上流に向かって右側のお宅に流れ込んだとのことでした。

 

幸いにも、土砂は家屋の床板の下でとまったため

床下浸水で収まったのですが、庭を覆い尽くしてしまった土砂の掻きだしが

作業内容となりました。

この日のボランティアが6名(うち女性2名)

地元の業者のみなさんなのか有志なのか5名ほどの方々と

ダンプ+ユンボ+ショベルカー

そして被災者の家族の方の なかなかの大所帯でしたが

4日目にもかかわらず完了することはできませんでした

この日のボランティアのメンバーは

全て個人参加の方々ばかり

 

ヤル気に満ち溢れているので

うら若き女性2名も

泥にまみれることを厭わず

丸一日スコップを握りしめ黙々と作業する様子を見ながら

 

これがあるから

災害ボランティアやめられないんだよな~って

感慨に耽っちゃいました

 

この日作業終了後にVCでいただいたのが

名水”瓜割の水”に

若狭町の公営施設 パレアの入浴券

 

泥まみれ汗まみれなので

とっても嬉しかったです

そうそう、この施設まで案内してきてくれた

一緒に作業したグループの女性が

「今晩泊まるとこあるんですか? よかったらウチに泊まりますか?」

ってオファーしていただいちゃいました

 

 

超お言葉に甘えたかったのですが

この日は、30数年ぶりに敦賀で人と合う約束があったので

丁重にお断りして(実は、恥ずかしいから素っ気なく対応しちゃったんですよ)

 

そうして2日目の夜は、予定していた敦賀で一泊し

翌日からは3連休なので

相当数のボランティアが集まるだろうと予測していたことと

土砂崩れで通行止めとなっている常神半島が回復しなければ

新たなニーズもあまり増えないかなと思い

 

早朝に三方五湖周辺を下見してみました。

大好きな夜叉の舞台 日向(ひるが)は

途中の道路に一部土砂崩れした跡をみかけたものの

家屋への被害はなさそうな様子

 

しかしながら 三方五湖有料道路は通行止め

 

被害状況は予測の域を出ないものの

常神半島の先端近くまで走ってみたら

やはり遊子付近で通行止めとなっていました。

 

 

 

そんな訳で

前日一緒に活動した名古屋からのボランティアの方と待ち合わせていたVCまで行き

とりあえず連休は多くの人出が確保できると思い 

この日は参加せずに帰ることを決めちゃいました。

 

そうそう、前日自宅に泊まりませんか?ってお誘いいただいた方が

わざわざお昼にってオニギリを握ってくれたそうで

これまたとてもありがたかったのですが

作業もせずにいただいては、あまりに申し訳なかったので

「どなたか今日一緒に活動される方に渡してあげてください」って

お願いしちゃいました。

 

いつも素敵な人達に出会えて

心の洗濯させていただいてます

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

さて、ボラバスでの心の清らかな人々との出会い

喜びを共感する楽しみも捨てきれないのですが

 

タイミングによっては 平日でも自由になる自分にとって

災害が発生した直後でも動ける利点と

自分の車で さまざまな機材も運べることに重点を置くようになってしまい

個人参加の方により一層の喜びを感じるようになりました

 

一期一会であることをわかっているからこそ

そのひと時を大切にするように心がけるからなのでしょうか

 

午後になると

最初にボラセンで会った頃の 固さもほぐれ

お互いをより尊重するようになるような気がします

 

なんといっても

元々協調性のない人間で グループで行動すると徒党を組むような気になって

それがまたとっても苦手な性格なのも理由のひとつなんですけどね

 

 

 

 

さて話題を変えて 今回持参した装備をご紹介しちゃうと

 

高圧洗浄機

ホースリール 30m

延長コード 10m x 3ケ

スコップ

雑巾、軍手、ゴム手袋

雨具(ヤッケ)

キャメルバッグとクッキング用水筒(?)

ジェットボイル

ウエットティッシュー

防塵マスク&ネット付ハット

 

その他 写真に残していませんでしたが工具一式

 

テスター、電工関係

ドライバー、スパナ等一般工具

デジタルサーモメター他

 

少々の車や機械、電化製品程度なら直せるかな って

 

 

あと

阿蘇の時にとっても有益だなって実感した

1,200Lくらいの水タンクにエンジンポンプにノズルも欲しいんだけど

そうなるとそこそこシッカリしたトラックがいるなぁ 

って欲しいものが広がるばかり

 

これからはより一層頑張って仕事して 

資金を稼ごうと心しているところです!

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台風18号 災害ボランティア情報を収集しています!

2013-09-17 18:17:23 | 生き甲斐

 

この度の大型台風18号

またまた各地に甚大なる被害をもたらしてしまいました。

 

 

少し前までの予定では

いまごろ またまた遠方に出稼ぎにでかけている筈なのに

偶然にも日本に滞在していることから

ニーズがあれば ボランティア活動に参加してこようかと考えているところです!

 

昨日の今日なので

まだまだボラセンを立ち上げたばかりで

実際のニーズがわかりませんが

 

全社協のサイトを観ると

http://www.saigaivc.com/%E8%A2%AB%E7%81%BD%E5%9C%B0%E6%94%AF%E6%8F%B4-%E7%81%BD%E5%AE%B3v%E6%83%85%E5%A0%B1/%E5%8F%B0%E9%A2%A818%E5%8F%B7-%E7%AC%AC1%E5%A0%B1-%E5%B9%B3%E6%88%9025%E5%B9%B49%E6%9C%8817%E6%97%A5/

京都府が

亀岡市、福知山市、南丹市、舞鶴市、(京都市は現在協議中)

福井県は

小浜市、若狭町

 

でボラセンが設置または設置に向けた準備が始められたようです。

 

まだ夏休み中の大学生もいるだろうし

県内からのボランティアしか受け付けない自治体もあるので

今少し状況を見極めたいなと考えているところです。

 

人口は少ないとか、若者のいない過疎地とか

アクセスの不便な土地で

県外からの人間にもニーズがあるようだったら

 

人手の確保しにくい平日の2・3日程度

一汗かいてこようかなと思っているのですが

 

今回の災害の被災地やボラセンの詳しい情報等ご存知の方いらっしゃいましたら

「ドコソコが人手が足りなくて困ってるヨ!」とか

「水がなくて泥水の洗浄に困ってるみたい」とか

「アソコにはもう人手が足りてる!」など

お気軽にコメント等いただけたらと願い

ブログの記事として投稿してみました。

 

 

みなさまの情報を心待ちにいたしております。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

Comments (2)
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できる人が できる時に できることをする

2013-03-12 18:42:39 | 生き甲斐

いつもロムしていただいているみなさま

忙しさを口実に しばらく投稿もせず失礼いたしました。

 

実は、このところ

国内での仕事の依頼が重なり 東奔西走してもいたのですが

 

 

とっておきのブログのネタもなく ジッと身を潜めていました(ウソつけ)

 

 

そんなある日

とある辛子明太子地方で30年来の旧知の仲間と集まる機会を設けていただいて

気のおけない友人達とのんびりとお酒を飲んでいたところ

 

その席上で

ある提案がなされたのです

 

「駒ケ根もいいけど、そろそろ仙台あたりで集まるのもいいんじゃない?」と

 

これぞまさしく冷水を浴びせられた(目を覚まさせられた)って感じでした

 

 

ボラバスの仲間達は、

今年もボラバスネットとして東北に行こうと着々と準備を進めているのですが

 

自分は、今年は日程を合わせるのが困難そうなので

約束していて直前でドタキャンなんてことになったら申し訳ないし

 

去年の企画では募集の倍ほどの応募があったとのことを聞き

新たに参加しようとする人達を優先してもらうべきと考えてしまい

 

・・・・・

 

なーんて うわべだけの言い訳して体裁を繕ってはダメですよね

 

正直に打ち明けると

先日、久々に打ち合わせに参加したところ、

無責任なコメンテーターのように物知り顔して好き勝手自己主張するだけの人間がいたり

なんだか組織ありきみたいな運営にもちょっと違和感を感じてしまって

モチベーションがすっかり下がってしまいました

 

去年のボラバスに参加し、現地で共に汗を流し

意気投合してとっても仲良くなれた人もいたので 非常に残念な気持ちを拭いきれないのですが

我慢して参加してもきっと良い結果にはならないだろうとの思いから

今年はボラバスの活動に参加することを見送ることにしちゃったのです。

 

昨年のこと、当初は「なんとか10人くらい集まったらマイクロバスでも借りて活動して来よう

そんな風に気軽に仲間内だけで企画していたものが

新聞等を通じて一般公募をするようになり 地元の行政を巻き込むような動きになって

すっかり形を変えてしまったのが、一匹狼で動くことに慣れた自分には受け入れられなくなった要因だと感じています。

 

要するに自分に”協調性がない”ってのが一番悪いんです

 

(あくまでも個人的な感想なので、こうして書いておいてとっても無責任だと思いますが、できれば聞き流してくださいね)

(特に、ボラバスに参加しようと思われている方は、活動してきっと満足されると思いますから是非ご応募してみてください)

(緻密なほど綿密な計画を立て、神経質なほど周到な準備をして実施されますのでご安心してご参加ください。)

 

そんなわけで 今年は自分ひとりで

適当に時間に余裕ができたら

公共交通機関か、またまたフェリー使ってオートバイで 南相馬辺りに行って

時間の許す限り、個人参加で活動してこよう って

 

単独行の山歩き同様、自己完結で済ませようと思っていただけで

仲間を誘おうとは思っていませんでした

 

 

でもよくよく考えてみたら

 

そうだよね~

これまでにも声をかけるつもりで

仲間内のメーリングリストでは「今度は、どこそこに活動に行ってきま~す」と宣言してたものの

特に反応がない気がして

仲間と集う(誘う)という行為をすっかり疎かにしちゃってました

 

 

 こう言ってはなんですが

いつもこんな気儘に好き勝手ばっかしてるヤツの方がおかしいよね

                

 

 事前に綿密に計画を立て

活動の日時を設定し 家族の了解、職場からお休みをいただいて

ようやく参加できるのが普通ですよね

 

 

と言うこと(?)で

そんな声(「みんなで東北に行こう!」って提案)に後押しされ

早速計画を立ててみました

 

 

当初は、○年海外協力隊の同期の仲間での計画と考えていましたが

そんなところに垣根を作る理由もないので

 

「よし! 私も参加してみよう!」って方がいらっしゃいましたら

是非とも気楽にご連絡ください。

 

あと、G.W.には 前述のとおりニーズのある東北のボラセンに行って

不器用なんで災害復旧活動(ようするに泥あげとか瓦礫撤去)を探して個人参加する予定です。

http://shakyo-onagawa.or.jp/fukko/2013/03/ishihama/

↑ こんな感じのニーズがあったら嬉しいんだけど

 

 

もし

自分もボランティアしてみたい! って思われたら 声かけてください。

お連れしますからネ

 

 

【追  記】

調べてみると、大震災直後と異なり現地のニーズも随分変わってきたようです。

自分にとっては

コミュニティー作りのような、人を和ませるようなことはできないし

 

”ボランティアしたいんだったらやらせてやるよ”的な

単なる無償のマンパワーとして求められているようなのには参加できないかな

 

こんなことを言ってはいけないのかもしれないけど

既に去年あたりから

”ボランティアさせてやるから参加費を払え”みたいなのとか

民間のバス会社が 営利目的でツアーを組んでるのとかもできはじめ

好意を踏みにじるような印象を持ってしまう怪しげな企画も多々存在するように感じていました。

 

 

親切の押し売りをするつもりはないけど

こんな自分でも、少しでもお役に立てて、その行為を喜んでくれる人がいると思えばこそ

劣悪な環境で過ごすことも

泥まみれになることも 筋肉痛になることも厭わない

 

が基本ですよね

 

 

現在のニーズを調べれば調べるほど

災害直後の活動とは違って 難しいな~ってのが正直な感想です。

 

 

 

 

 

さてと

いつものことながら すっかり本題からずれてしまいましたね

 

 

今回ご紹介というか 希望者を募りたかったのは こちらの企画です。

 

 

ひとりでも多くのみなさまからの ご連絡お待ち申し上げております。

 

 

”東北復興支援ツアー 2013”

 

              計画の趣旨:      未曽有の大震災から2年が経過し、これまで復興支援の気持ちを持ちながらも

                                    さまざまな事情によって、これまで現実に動くことのできなかったみなさんに現地を訪問する機会を設け、

                  被災地で鎮魂の祈りを捧げるとともに、今後も継続して東北を支援してゆく決意を新たにする。

 

              参加条件:       志のある方ならどなたでも

 

              最少催行人数(目標):    ①マイクロバス利用の場合             10名   (定員:28名まで)

                                              ②普通車&ワゴン利用の場合           4名  (定員:9名まで)

 

       日  時:                 ①          第一案   2013年 9月21日~23日

                                          ②          第二案   2013年 7月13日~15日

                                          ③          第三案 2013年  その他ご希望の日があればご連絡ください。  (例: G.W.とか) 

 

       移動手段:

                             仙台まで  各自

                            仙台~仙台           マイクロバス借上

 

                       仙台までの往復交通費(参考です。 航空券はLCC利用)

 

                               東 京                     新幹線   22,000(はやぶさ)    高速バス 8,000

                               名古屋  航空機   23,000         新幹線40,000     高速バス 19,000 フェリー 18,000

                大 阪     航空券   9,920(ピーチ)   新幹線 44,000   高速バス 25、000

                               博 多     航空機   20,000         新幹線 60,000

                               新 潟                       新幹線   35,000   JR 17,000(会津若松経由) 高速バス 9,000

                           

 

              宿泊先(案)

                             松 島         石 巻         気仙沼       一 関

                            

            日   程(暫定案)

                  1日目   

                       仙台空港集合

                       JR仙台駅Pick Up

                       多賀城・石巻・女川視察

                       塩 釜

 

                             その他: 観光地         松島       瑞巌寺

 

                  2日目

                        車上より被災状況視察及び人的被害の大きかった被災地にて鎮魂の祈りを捧げる

 

                           1)雄勝町

                          2)南三陸町

                          3)気仙沼

                          4)陸前高田

 

                          気仙沼 または 一関 泊  (公共施設での宿泊も考えています)           

 

                   3日目

                                                仙台へ移動 解散

 

                 【備考: 短時間でも実際に復興活動できることがあれば日程に組み込みたいと思います】 

 

 

                    参加費:  あくまでも実費を人数で割って精算します。

                 目安は、前述の仙台までの交通費+以下の概算費用をご参照ください。                 

 

                  概算費用内訳(食費を除く、仙台~仙台の費用  人数によって多少増減あります)

 

                          レンタカー借上費                           80,000円/48時間  20名参加の場合               4,000円

                          燃料及び高速通行料                      30,000円              20名参加の場合               1,500円

                                         宿 泊 費                  1泊目                                                                          5,000円                                                                        

                                         2泊目                                                       5,000円

                                                                        合計                      15,500円

                                        (公共施設を利用した場合、合計8,000円程度)

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Superstorm SANDY RED CROSS活動状況

2012-11-08 12:35:27 | 生き甲斐

先日、貴重なコメントをいただきましたので

Superstorm SANDYの追加情報をお知らせします。

 

 

今朝ほど RED CROSSから以下のメールが届きました。

活動内容は、主にShelter(避難所)の運営と

支援物資(毛布、食料その他)の配布等のようです。

 

スライド写真の説明を読むと、多くのボランティアも活躍しているようです。

 

当面の仕事の段取りが済んで、自由にできる時間が確保でき、

且つ、まだ現地でボランティアのニーズがあるようであれば

自分も飛んでゆこうかと考えているところです。

 

できることなら、トモダチ作戦のお礼がしたいですよね!

 

【備考: Nor'easterの影響で寒気団がおりてきて、いまだ続く停電により

耐寒用の資材配布のニーズが生じているようです】

 

 

(詳細は、Web siteをご覧ください)

http://www.redcross.org/

 

(現地の活動状況は、こちら ↓ で写真と説明がなされています)

http://www.redcross.org/news/galleries/Photos-Red-Cross-Responds-to-Hurricane-Sandy

(Nor'easter関連はこちら↓)

http://www.redcross.org/news/article/Relief-Operation-Continues-as-Noreaster-Nears

 

 

今朝ほど送られれてきたメールの写しです。

Having trouble viewing this message? Click here.
 
American Red Cross You are amazing
     
 
Dear M,

My sincere thanks for your generosity over the past ten days. The outpouring of support for the families impacted by Superstorm Sandy has been extraordinary. Whether you have given a financial gift, donated life-saving blood, or volunteered your time, I’m so grateful to so many compassionate people like you in the Red Cross community, as we provide emergency relief and help millions of families recover and get back to their lives. On behalf of the families and individuals we’ve served and will continue to serve in the days and weeks ahead, thank you.
Slideshow
We are making a difference together. To date, you have helped us provide more than 61,000 overnight shelter stays, serve 3.2 million meals and snacks to cold and hungry families and distribute more than 121,000 relief items such as warm blankets, cold weather gear, clean-up kits and hygiene kits. We have activated our entire fleet of 323 Emergency Response Vehicles to bring meals, water, information and emotional support to impacted communities and we have deployed nearly 5,900 trained Red Cross workers to support relief efforts.

Our work is far from over, but from the bottom of my heart, thank you. We'll continue to post updates for those affected by the storm and for our caring Red Cross community on our website.

You are at the heart of our mission to relieve suffering, wherever and whenever we're needed, and I am so grateful for your support.

Gail McGovern
President and CEO, American Red Cross
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阿蘇からとっても嬉しいお便りが届きました♪

2012-11-06 12:18:35 | 生き甲斐

昨夜のこと

我が家に帰ってみると 本日、↓の往復はがきが届いたとのこと

 

 

どこからだろう?と思いつつ、裏返してみると

阿蘇市の社協(災害ボラセン)からの案内でした。

 

先の水害後の災害復興支援活動に参加したボランティアに対しての

”ボランティア感謝祭”

をしていただけるんだそうです


 

内容をよく見てみると・・・

あか牛のふるまい&商店街感謝セールが企画されている様子




感謝のイベントを兼ねて 

きっと地元への思いいれを持ったボランティア参加者を呼んで

地域活性&復興経済支援(商店街での購買)を期待されているんでしょうネ

 

さてはて 11月18日か~! どうしよ~?

 

と悩んだものの

返事はできれば11月6日までに欲しいって書いてあるんですけど

ウチに届いたのは 11月5日ですよ~(笑)

 

現地で活動に参加した期間はたったの3日間だけでしたが

 

短い間ながら とっても内容の濃い日々を過ごさせていただいて

YMCAで寝食をともにした仲間や 一緒に活動したボランティアの人達にも

再会したくてたまらないんだけど

 

偶然にも、昔の仲間2・3人で、近々宮崎の友達に会いに行こうって約束もしてるで

タイミングが合うんだったら文句なしなんだけど

あまりにも直前すぎて みんなで集まるのはやっぱちょっと無理かな~

 

 

それとも、YMCAの宿舎で知り合って 一緒に何箇所かで活動して

意気投合した西宮のTさんに会えるんだったら 飛んでっちゃうんだけど

(もし、このブログ見つけたら是非ご連絡ください)

 

そんな嬉しい便りがあったというご報告でした。

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NY Brooklyn 地区のSANDY被災状況(11月2日)

2012-11-05 13:06:34 | 生き甲斐

【コメントいただきました方へ】

コメント欄でも記載しましたが、念のためこちらにも追記しておきます。

因みにコレ↓はNYのRED CROSS URLです。

http://www.nyredcross.org/

 

〈QUOTE〉

URLは、こちらです。↓

http://newsroom.redcross.org/

Newsですので、毎日のように記事の内容が更新されているようです。
どのような活動がなされたか、事細かく報告されています。

ここから寄付できると思いますが
もしまだ問題あれば、お手数ですがまたコメントいただければと思います。

よろしくお願いいたします。

〈UNQUOTE〉

 

 

 

11月2日早朝

Philadelphiaの空港近くにあるHotelを出発し

JFKに向かったときの状況についてご報告します。

 

I-95(Interstate)及びNJ Turnpikeは ほぼ被害なし

(途中のS.A.は閉鎖しているところもありましたが、道路は完全に復旧していました)

NYに近づくにつれ 電光掲示板に 11月3日+は Strictly Enforcedの表示がなされていました。

 

NJ Turnpike北向きからのJFK側へのルート(Staten島経由)である Exit 13付近

NJからStaten 島に渡る Gotham Bridgeも特に渋滞もせずに通過できました。

 

Staten 島内のExitは、場所によって閉鎖されていて

またパトカーが注意喚起の回転灯を目立たせながら数箇所で停車していましたが

特に渋滞は発生しておらず  Staten島からBrooklynに渡る Verrazono Brgも

普段よりむしろガラガラの感じで通行できました。

 

 

Brooklynに入り Belt Pwyを通行していると 

道路には軍関係の車両 空には軍の輸送ヘリ 海には巡視船が目立ち始めました。 

 

Exit 6Sで Belt Pkwyを下りて Surf Ave.を走ってみると

ショベルカーで道路の表面の砂を取り除いた跡が見られるものの

一帯が完全に停電している様子で 信号も真っ暗なまま

 

ほとんど人影は見当たらず いたるところにパトカーと警官の姿ばかりが目立つように

フェンスにたまったゴミの高さから Storm Surgeによる高潮の規模が想像できました。

 

↓ は 海岸に面した表通りのSurf Ave.から一筋奥に入ったMermaid Ave.

ほぼ全ての路地に警官が立って警戒していました。

(停電で住民のほとんどが避難しているため、防犯のために配備されている模様)

道路わきに停車している全ての車は 潮に使って動かなくなってしまったよう。

 こlの周辺だけでも数百台が埃を被ったまま放置されていました。

 

商店の並ぶ辺りは、すでに住民達の手で瓦礫を運び出していました。

 

 

Coney IslandのBeachの遊歩道 West 10th St.

普段は、ウッドデッキの散策路も 大量の砂が堆積しています。

NJのAtlantic City周辺は、同じようなアミューズメントパークや

遊歩道が高潮で壊滅的打撃を受けたのに比べると

Coney Islandはまだ修復はし易い印象でした。

昔から、映画によく登場する Coney Islandのアミューズメントパーク

当然のことながら人影はなく 静まり返っていました。

 

Ocean Pkwyには除去された砂が未だ山積みになっているものの

被災後、まだ二日しかたってないのに、ほぼ路面は復旧していて、その迅速な対応に驚かされます。

(アメリカには積雪時の除雪車が山ほどあり、慣れているからかもしれませんが)

 

地下鉄の高架下(ブライトンビーチ駅付近)も

停電しているため警官が交通整理していました。

 

 

 

高架下には地下鉄が停まっているため、通勤のためのバスを待つ人々で溢れていました。 

 

写真には残してありませんでしたが

Long IsloandのJFKより東南(Long Beach方面等)は

Pkwyから下りて一般道となるのですが

そこでは、警察車両はじめ、電気や水道他の復旧工事にあたる車両が

道を埋め尽くしていて

一般車両は、到底入り込めるような状況ではありませんでした。

 Coney Islandの比ではない被害下にあるものと想像されました。

 

 

東日本大震災での津波の被害と比較すると

まづ、今回のSandyは、カリブ海で発生した頃からNewsで事前に注意喚起がなされ

NYCでは、このBrooklyn周辺は Zone Aとして早くから避難勧告が出されていたこと、

また、高潮が防潮堤を乗越えて水が侵入してしまったものの

津波のような勢いはなく、建物も人的にも被害が最小に抑えられたように思われました。

 

 

日本の場合

たとえ町が壊滅状態になっても、暴動や略奪が発生するようなことはありませんが、

残念なことに、アメリカの特に低所得者層の人々が多く暮らす地域では

災害の発生時に治安が悪化してしまうようで、数々の事件がNewsでも報道されていましたが

なによりも停電となった地域では、各ブロック毎に複数の警官を置くほど

警戒しないといけない光景を目の当たりにして

容易に災害復興支援ボランティア活動もできない気がしました。

 

取り急ぎ 以上SANDY関連の追加報告まで

Comments (2)
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ボランティア活動は断念しました

2012-11-02 05:25:22 | 生き甲斐

前日の記事を書いてから

災害復興支援のボランティアが活動できる場所がないかと調べてみましたが

 

被災直後でもあるからか

なかなか容易に見つけられず

(日本でも、ボラセンが準備されるには或る程度の時間が必要ですもんね)

 

なんとか見つかったのがNYの赤十字が募集していたこちらの活動 ↓

11月1日の朝7時から夜8時までのボランティア募集の記事

ところが、朝の7時までにLong Islandの赤十字に集合とあって

どう考えても間に合わないことが判明!

 

そうこうしてたら

日本から11月2日の帰国便が確保できたのと連絡があり

残念ながら今回の滞在での活動を諦めてしまいました。

 

大口を叩いておいて 恥ずかしい限りです。。。

 

その後TVの報道を観ていると

日が経つにつれ 各地の状況が伝わってくるようになって

被害は益々甚大なものとなっています。

 

死者は昨日の時点で54名だったのが さきほど(現地11月2日朝4時)の情報では

94名となっていました。

 

また、昨日の募金から

赤十字から今回の災害の追加情報がメールで送られてきました。



赤十字の活動内容や被害の情報など

より正確なニュースソースとして読ませていただいています。








ただ、私の偏見ですが

今回もっとも被害の大きかったNJの海岸の地域は

自分も過去に何度かドライブした地域で

日本のTVでは どのような映像が流れているかわかりませんが

 

元々砂洲のような土地で

豪華なボートやヨットを自宅の横に係留したりできるような

富裕層の別荘や定年等でリタイアした富裕層の住宅地が多くを占め

もちろん家屋財産を失って困っていることとは思うものの

災害保険等で求償できる被災者が多いように感じています。

 

またAtlantic Cityは

東のラスベガスと呼ばれるカジノで有名な場所で

 

被害自体は、東日本大震災の被害を思い起こさせるような悲惨な状況ですが

日本の津波での被災地とは 違うような印象を持っています。

 

それよりも個人的な印象としてですが、

映像としてはあまり流されていないような気がしますが

 

NYのLong IslandやQueensの火災の発生した地区などは

元々アジア・中近東等のどちらkと言うと貧困層が多く暮らす地域で

いち早く手を差し伸べる必要があるように感じています。

(たぶん赤十字もその辺りから、あの地域を重点的に援助しているような気がします)

 

もちろん、それ以外にも 内陸部にかかわらず、倒木で被災した地区などもあり

簡単に線引きはできませんが・・・

 

 

おっと! もう そろそろJFKに向かわないと!

 

搭乗予定時刻までには まだまだ時間があるのですが

マンハッタンが地下鉄やトンネルの浸水で孤立状態になっているため

とてつもない渋滞が起こっているとの情報もあったので

 

 

いずれにしても、一度日本に帰ってから仕切り直ししたいと思います。

 

 

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これも天から与えられた使命なのかも(ハリケーン サンディ災害復興支援)

2012-10-31 17:23:34 | 生き甲斐

本日、無事仕事が完了し

日本に帰国便の手配を依頼しているのですが

 

JFKはいまだほんの一部しか復旧しておらず

デルタのHPをみても最悪11月7日くらいまで席が取れないことも

予想されているようです。

 

一応日本には

当初予定のJFKからのフライト確保が困難な場合

バルチモアかワシントンまで車で移動することも可能なのでと

メールで伝えてしまったのですが

 

TVから流されてくる Hurricane (Superstorm) Sandyの

惨状はますます悲惨さを増すばかり

 

アメリカの国力からすれば

たちまち復興してしまうだろうとの気がするものの

このタイミングでこの場にに居る自分が 

なぜだか偶然を通り越して、宿命的な気がして

 

もし 足止めされるようであれば

現地で災害復興支援のお手伝いでもしようかとネットサーフィンをはじめました。

 

といっても、被災直後でもあり

泥あげ作業などの体制も整っていないようなので

 

さきほど、Yahoo知恵袋で

NJに暮らす肉親と連絡が取れなくて、助けを求めてる投稿をみつけたので

さっそく返事を送ってみました。

 

いずれにしても、仕事の契約上からも

一度は日本に帰らないといけないのですが

 

もし帰国後時間が作れるようなら

できるだけ早く戻ってきて 泥あげでもしようかなと考えているところです

 

とりあえずは、こちらの赤十字が募金を募っているので

送金してみました。

 

今晩の夕食を我慢したつもりの ほんの少額なんですけどね

https://american.redcross.org/site/Donation2?df_id=4974&4974.donation=form1&s_src=RSG00000E000&s_subsrc=ggp-pub

 

http://www.redcross.org/news/press-release/Red-Cross-Responding-to-Hurricane-Sandy

 

もしよろしければ 募金してあげてください。

 

東日本大震災の時も

アメリカはじめ世界各国からボランティアが来てくれてたし

 

あと 実はアメリカの経済状態は結構大変なことになっていて

巷には Lay Off (一時解雇)されている人で溢れかえっているんです。

 

大統領選が目前に迫っていることもあって

選挙運動のつもりで スタンドプレイ的な援助もあるかもしれませんが

今回の災害で困っている人が沢山いると想像しています。

 

 

偽善者で、ロムしていただいている方々にはホントに申し訳ないと思いつつ

この記事をみて ひとりでも多くの手が差し伸べられればと願って

 このまま投稿させていただきますネ 

 

送金手続きが終わると こんなお礼&送金確認が届きます。

(クレジットカードだと募金できないかもしれません。 

その時はアマゾンからの送金を利用してみてください)

 

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After Sandy

2012-10-30 08:26:34 | 生き甲斐

 いつまでも同じネタで引っ張ってすみません

 

今日も午前中はホテルで缶詰のまま過ごしそうなんで

(倒れた木で切断された電線などもあって、へたに出歩くのもできない状況なんです)

とりあえず最新情報をお伝えしたいと思います。

 

それから、まだこれから被害の出そうな地域にお住まいの方々にとっては

まだ”AFTER”ではないでしょうが・・・

 

とりあえずHurricane Sandyは、Landfall(上陸)と同時に

Superstorm (Tropical low pressure:熱帯低気圧)となり

大西洋沿岸(特にNJの海岸線)に大きな傷跡を残し

依然強烈な勢いを保ったまま、Great Lake(五大湖)方面に向かっているようです

(8時現在、PA:ペンシルバニア通過中)

日本でもニュースでNYの映像が流れているようですが

Storm Surgeで高潮となり

 

NJ沿岸がいまだに水に浸かっている他、

マンハッタンとNJを結ぶハドソン川下のトンネル(Holland Tunnelかな?)や

ブルックリンとを結ぶ地下鉄構内が浸水したり

Queensでは火災や停電で大きな被害が出ている様子です。

(停電は、NJ,PA,DW、NY他、広域に亘って発生しています)

 

 

なんといっても驚かされるのが

この雪 ↓

あまりに巨大な渦により 五大湖の北の寒気が反時計回りに流れ込み

ウエスト・バージニアを中心に大雪を降らせているようです。

Sandyの通過した各州の知事や市長も昨日からTVで

地域住民への注意喚起に追われています

 

記憶に残るのがNYのブルームバーク市長のもので

『救助に向かう人々にも危険を生じてしまうので、くれぐれも無謀な行動は慎んでください』

とか 『911は、あくまでも緊急事態でのみ使用し、それ以外は311を使ってください』

というもの


 

 

さきほどのTV報道によると

Phillyの観光名所のひとつんPenn's Landingあたりも高潮で水に浸かった模様

 

ウチの職場もDelaware川に面したNavy Yard内の造船所

今回の仕事の船は、まだDrydockの中だったんだけど・・・

 

もしかしたら水が堰を越えて浸水しちゃってるかも

 

いずれにしても天災の恐ろしさを再認識されているところです。

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Hurricane Sandy その後

2012-10-29 09:36:18 | 生き甲斐

或る程度の予測はしてたけど

 

やっぱし

今日29日(月曜日)と30日(火曜日)の仕事がお休みになってしまいました

 

今回のSANDY、 実は 昨年の史上最大と言われたハリケーンIRENE (アイリーン)を

上回る規模とのことで

State of Emergencyの発令はもちろんのこと

ほとんどの交通機関は運休となって

TVでも 『不急不要の外出は控えるように”』と 早朝から言い続けています。

 

お隣のDelaware州は、朝の5時に州内のすべての道路の閉鎖が伝えられ

NYCも 朝早くから ブルームバーグ市長がTVでZone Aの避難勧告を伝えていて

どんな風になっちゃうのかな~って 少々気になってきちゃいました

 

JFKが水浸しとかになったら 帰国がまた伸びちゃうのかな~? とか

それよりもNYまでの道路は大丈夫なんかな? とか

 

ま、ジタバタしたところで なるようにしかならないので

所詮、最終的には運命に任せるしかないもんね

 

今回のハリケーン

水辺の地域は ストーム・サージによる水害が恐れられています。

ここPhiladelphiaは、一応内陸部なんだけど

デラウエア川に面していることもから、

去年のアイリーンでも市街地が水に浸かったらしくて

 

状況によっては いまいるホテルのある空港周辺もDelaware川に近いし

河川敷にようなところなんで、

そのうちMandatory(避難勧告)が発令されちゃうのかも





なんとなーく不安を感じて

とりあえず電気を必要としない

食料品を買い込んできちゃいました

といっても

食べる必要が生じなかったら 日本にお土産に持って帰られるかな?って

クッキーや タコスばっかし

季節がら、ハロウイーン向けOREOがあったんで すかさず買い物籠にいれちゃいました(笑)

そして主食としては、先月のメキシコ行きでお気に入りになっちゃったタコス


このチップスみたいな ドライタイプも

サルサソースにディップしていただくと 結構はまる味なんですよ





Hurricaneは、今日の午後から本格的に雨も風も強くなる模様

 

身体もなまっちゃうんで あとでホテルのジムで汗流してきたいと思いつつ

さきほどから またワイン飲み始めてしましました

 

停電しちゃったらダメだけど

明日もお休みになっちゃって 超ヒマしてると思うんで

またHurricane情報をお伝えしたいと思います。

 

 

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Hurricane Sandy

2012-10-28 09:54:41 | 生き甲斐

というのも
どうやら東海岸上陸では史上最大級の大型のハリケーン SANDAYが直撃するらしく

TVでも注意の呼びかけばかり

 

いま滞在中のホテルでも

各部屋にコピーしたハリケーン情報が配られました

とくに降雨量が激しいらしくて

洪水を怖れての土嚢づくりが報道されちゃっています

 

↓ は Weather Channelのマンハッタン周辺の避難先のニュース

ここPhiladelphiaでも Mandatoryが発令された時のことなど

なかなか事細かに記された注意喚起がなされているんですよ。

 

停電となってしばらく電源が復旧しない事態も想定されるので

自己判断でホテルに残られるゲストは非常食を準備してくださいとか

 

今日は晴れたら 紅葉狩りに出かけようと思っていたのが

そんなわけでホテルで缶詰してることにしちゃいました


今回は、梅酒が気にいっちゃって

3L入りのワインが しっかり残ってるんで

アルコールはなんとか なるかな?

 

ということで

することもないので 朝の4時から飲んだくれちゃってます(笑)

 

昨日、写真左端の Garmin Montana 650tを買っちゃったんで

この機会に しっかりと取扱に慣れておこっと

昨日、ハリケーン情報を聞いて

と思って 山道具を買いに行ってきちゃいました

 

あとは、 見ごたえのある映画があるとうれしいんだけど・・・



そうそう

ウチの(日本にいる)奥さん(おったんかいな!?って思わないように)によると

”嵐を呼ぶ男”とのこと

 

実際jには 自然災害だけじゃなくて 

職場や仕事でも それまでの体制をひっくりかえしちゃったり

歴史に残るような大事件とかにも、なぜか幾度か現場の近くにいちゃったりして

つけられた なーんか あんまし嬉しくない称号(?)なんですけどね

 

思い起こせば

海外での自然災害では

古くは 1982年に トンガ王国に到着後、約1月目に

本島がほぼ壊滅するくらいの大型台風に襲われちゃったし

 

1988年にはフィリピンのレイテ島で暮らしてた頃

75年ぶりとかの これまた大型台風に襲われ

約半年近く 停電・断水生活を送ったり

(電柱が倒れると、電線が盗まれちゃって復旧にムチャクチャ時間がかかっちゃうんです)

 

ここPhiladelphiaでは

State of Emergencyの発令された 大雪にも何度か遭遇

たしか、ここのブログでも書いたけど

チリトリ使っての雪かきは辛かったな~

 

 

 

さて、今回はどんなかな?

 

火曜にNYに出て 水曜のフライトで帰国するつもりだったけど

どうやら 火曜にPhiladelphia付近を通過するような予報

 

とすると・・・

いつ帰れるのか 未定になっちゃいました

 

 

とりあえず、

次の予定入れてなくて 良かった~って感じです 

 

 

なんといっても

あまり大きな被害となりませんよーに 

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台風被害

2012-10-01 20:58:15 | 生き甲斐

 

先月は、前半のみの出稼ぎ生活だったので

久々に日本で大型台風に遭遇することになってしまいました

 

家自体は結構頑丈なつくりなので

少々の台風でも心配していなかったのですが

 

石垣の上に建っている蔵に少々被害が。。。

 

ウチの蔵 築60年ほどの漆喰の蔵が

一応、東蔵 中蔵 西蔵と 3つあるのですが

 

今回の台風で、西蔵の北壁の板張りが強風で飛ばされ

雨に曝されて 土壁の一部も崩されてしまいました

 

修繕するには石垣の下から足場を組むしか方法がないのですが

蔵の屋根までとなると

高さ約8~10メートルくらいありそう

 

 

そんな光景を目の当たりにして出勤したところ

偶然というのか めったにログインしないFacebookを開けた途端

 

香港人の知人というより、とっても尊敬する方からチャットでメッセージが!

 

「かなり大型の台風みたいだったけど、奈良やご自身の家族や家屋に被害なかった?」

との声かけをいただいてビックリしちゃいました

 

この知人

元は私と同じ商船士官なのですが

30代の後半で、ヨーロッパのグローバル企業の香港支社長となり

その後、一時不遇の時代があったものの

デンマークの企業グループの香港&中国の代理店として

デンマーク王室からの感謝状まで受けた人物。

 

香港では湾仔(ワンチャイ)の高層ビルにオフィスを構え

香港島の高台に家を持ち、ビンテージクラスのベンツをはじめ

世界に数台しかない車や高級時計のコレクターでもある香港の富裕層のひとり

(車や時計は、香港人にとって単なる贅沢ではなくて一種の蓄財なのですが)

 

90年代後半に、造船業界にも中国が台頭するようになってからは

上海にメインオフィスを持つ現地法人を設立し

いまでは従業員も百人以上抱えているとか

 

 

ますます手の届かない存在になってしまったと思っているのに

わが社の唯一のギフトカレンダーが届くと

欠かさずにお礼の電話をしてくるし

 

香港に行ったら、家族連れで食事に招待してくれるし

SMMやMarintech Chinaなどの展示会でこちらを見かけると

飛んできて、いろんな業界の話をしてくれて、またまた食事に連れていってもらったり

最近ではFacebookで探し出して、友達に誘ってもらいました

 

これがまた、私より年上なのにすっごい童顔で いつも元気いっぱい

金持ちでハイソな雰囲気を漂わせているものの

傲慢さなど微塵もなく、虚栄もはらず、

人の話をいつも真剣に聞き、上っ面だけではなく、即座に対応してくれちゃうんです

 

去年も、ロシアから中国製の機械の引き合いがあり、彼に相談したところ

すぐに上海の担当者からメールがあり

ほとんどボラアンティアのように儲けを乗せずにオファーしてくれたおかげで

わが社もすぐに受注できちゃいました

 

中国製品に対しては、以前からあまり熱心に売り込みをかけていませんが

その気になってネット販売でもすれば そこそこ仕事として成り立つと思うものの

どーも熱が入らないんですよね~ 悪いんだけど

 

 

おっと、また話が横道に逸れそう!

 

 

では、話を戻して

たしか彼と初めて会ったのが 1994年の春

当時、いまからでは信じられないほど未開発で無法地帯だった中国の黎明期(?)に

広州の造船所で仕事をしてたのですが

さまざまなトラブルに遭遇し、悩み苦しんでいたときに

救いの手を差し伸べてくれた人物

 

実は、私がビジネス上、もっとも尊敬し、憧れている人物で

起業してからは目標としていた方なのです

 

台風被害を聞かれて

つい正直に蔵が壊れた話をしてしまいましたが

 

『大丈夫です。 心配はいりません!』

『それよりも、先日のSMM(Hamburug)の帰りにモナコに遊びに行ったみたいですね

『楽しい写真をFacebookで拝見しましたヨ』って 話題を変えて

 

『今月は、シンガポールに商談に行くつもり。』

『それから、最近新しい分野の仕事も始めて先月はメキシコに行ってました』

『まだまだ安定はしてないけど、充実した日々を送ってます』って報告したら

 

『それは良かった 順調に事業が展開してゆくよう応援していますよ

って励ましてもらっちゃいました

 

以前にも、ハンブルグでデンマーク王室からの感謝状の授与式があると聞いて馳せ参じ

遠くからその様子を眺めていたあとで

”おめでとうございます”って握手しに行ったときに

『最初は、こちらから中国への窓口をしますと懸命に売り込んでも

どの国も全く相手にしてくれなかったんだけどね。一社、二社と段々と増えていったと思ったら

そのうちアチラから代理店をして欲しいってお願いされるようになっちゃった』

って話してくれたのを心にしっかりと刻んでいるんですヨ。 一応(笑)

 

 

それにしても この私

日本では なぜかいつも疎まれるようになっちゃうんだけど

海外には 心から信頼してくれる人がいっぱいいるのは なんでなのでしょう

 

 

知らないうちに 日本人の島国根性を丸出しにしたような

立場でしかものの言えない(口の利き方を知らない)社員や

閉鎖的で仲良しクラブのような会社付き合い(接待とかおべっか使い)を

小馬鹿にした態度をとってるのかな~?

 

 

もういい歳になっちゃったし 今更直しようもないことなので

このままで、残りの短い人生を生きてゆくことにしてもいいよね?

 

って、いったいブログ使って誰に承諾を得ようとしてるんだか(爆)

 

久しぶりに台風の話題をとおして

香港の知人と話しができ、モチベーションがあがったという

これも一種の ”災い転じて福となす”かなって そんなお話でした。 

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