セキセイのピーちゃん、食後はとにかく何処かへ潜りたい時期。

亡き母の月命日です。
会えるものなら会いたいです。
生前、「死んだら親のところへ行きたいな」と言っていましたから、祖父母のもとにいるんだろうと思います。
母は亡くなる1年前に40年振りで、子供の頃の思い出に残っている”お母ちゃん”に戻りました。
それまではいがみ合うことの多い関係でしたが、言い争った記憶は殆ど消えてしまいました。
母が入院中に突然の立ち退き要求がありました。
年収1千万に目が眩み、法に抵触していることを忘れた賃貸のオーナーさん。
人のいいオーナーを炊きつけた〇〇建託。
常軌を逸したのかと思ったオーナーの奥様。
常識的にも数人の弁護士に尋ねても我が家が立ち退く正当な理由は一つもなく・・・
ましてや母が大腿骨骨折の手術で入院し要介護3となり、専門の病院でリハビリ中だった。
生まれて初めての入院が母には辛すぎて軽度の認知症となっても、自分の帰るところを覚えていた。
私とあの家で暮らしていること、母自身が転んだ自分の部屋、これだけは忘れることはなかった。
理学療法士の方3人、介護保険のケアマネージャーさん、介護用品の業者の方などが自宅に来て母のために準備をしていた。
そんな時にチンピラのような営業マンや、お金のためなら脅しのような文書を送ってくる司法書士たち。
母には一切知らせず戦っていた。母が知ったら生きる気力を失ってしまうから。
リハビリを終えて戻ってきた母の介護、母との暮らしは楽しかった。
二月ほどして別の病気で入院した母の主治医から余命を宣告された。
涙が止まらなかった。
母が最も怖がっていた病名だったので伝えなかった。本人は「歳をとると嫌だね~」と意外に明るかったから・・・
私も「お母ちゃんは歳だからね、あちこち悪くなるよね」と普通に振る舞っていた。
末期の癌である母を痛みや不快感、心配事から守ることしか考えなかった。
この切なく悲しい時期にオーナーの奥様が信じられないことを思いついた。
端的に記すと、いきなり電話して来てお見舞いの言葉などなく母の様態を知りたいようだった。
奥様は、母の意識がない状態だったら・・・引っ越しを・・・と言う残酷さ。
これには私も覚悟を決めた。母の娘として、平凡に生きる人間として、大きな怒りを覚えた。
オーナー側を訴えるための証拠固めをしていたが、民事ではなく刑事で訴えることが出来る状況になった。
弁護士によると敗訴はありえないとのこと。オーナー側は懲役2年となる。
世間から見れば立ち退き問題で民事訴訟などはよくあること、しかし刑事訴訟は違う。
覚悟も証拠も固めていたら、オーナー側の司法書士が突然手紙を送ってきた。辞退したという。
自分たちが民事から刑事に踏み込んだことに気づいたようだった。
お金で心が狂ったオーナー側は弁護士でも雇うかと思っていた、私は裁判を始めて欲しかった、そうすれば弁護士に一任して母と過ごす時間が増えるから。母の余命も伝えてある、母を無事に看取れたら、それだけでいい。立ち退き料など求めてはいない。オーナー側に比べたらかなり貧乏だが、
お金欲しさで住んでいたわけではない。
オーナー側は優れた司法書士を雇用した。まともな人だった。法を守る人だった。
今年の2月7日に母が静かに旅立った。
私は此処に引っ越してきた。
費用はオーナー側に払って頂いた。敷金も返して頂いた。
私はお金が欲しくてあそこに住んでいたのではないので、余計なナントカ料など請求しなかった。
・・・だから貧乏なんだね。

亡き母の月命日です。
会えるものなら会いたいです。
生前、「死んだら親のところへ行きたいな」と言っていましたから、祖父母のもとにいるんだろうと思います。
母は亡くなる1年前に40年振りで、子供の頃の思い出に残っている”お母ちゃん”に戻りました。
それまではいがみ合うことの多い関係でしたが、言い争った記憶は殆ど消えてしまいました。
母が入院中に突然の立ち退き要求がありました。
年収1千万に目が眩み、法に抵触していることを忘れた賃貸のオーナーさん。
人のいいオーナーを炊きつけた〇〇建託。
常軌を逸したのかと思ったオーナーの奥様。
常識的にも数人の弁護士に尋ねても我が家が立ち退く正当な理由は一つもなく・・・
ましてや母が大腿骨骨折の手術で入院し要介護3となり、専門の病院でリハビリ中だった。
生まれて初めての入院が母には辛すぎて軽度の認知症となっても、自分の帰るところを覚えていた。
私とあの家で暮らしていること、母自身が転んだ自分の部屋、これだけは忘れることはなかった。
理学療法士の方3人、介護保険のケアマネージャーさん、介護用品の業者の方などが自宅に来て母のために準備をしていた。
そんな時にチンピラのような営業マンや、お金のためなら脅しのような文書を送ってくる司法書士たち。
母には一切知らせず戦っていた。母が知ったら生きる気力を失ってしまうから。
リハビリを終えて戻ってきた母の介護、母との暮らしは楽しかった。
二月ほどして別の病気で入院した母の主治医から余命を宣告された。
涙が止まらなかった。
母が最も怖がっていた病名だったので伝えなかった。本人は「歳をとると嫌だね~」と意外に明るかったから・・・
私も「お母ちゃんは歳だからね、あちこち悪くなるよね」と普通に振る舞っていた。
末期の癌である母を痛みや不快感、心配事から守ることしか考えなかった。
この切なく悲しい時期にオーナーの奥様が信じられないことを思いついた。
端的に記すと、いきなり電話して来てお見舞いの言葉などなく母の様態を知りたいようだった。
奥様は、母の意識がない状態だったら・・・引っ越しを・・・と言う残酷さ。
これには私も覚悟を決めた。母の娘として、平凡に生きる人間として、大きな怒りを覚えた。
オーナー側を訴えるための証拠固めをしていたが、民事ではなく刑事で訴えることが出来る状況になった。
弁護士によると敗訴はありえないとのこと。オーナー側は懲役2年となる。
世間から見れば立ち退き問題で民事訴訟などはよくあること、しかし刑事訴訟は違う。
覚悟も証拠も固めていたら、オーナー側の司法書士が突然手紙を送ってきた。辞退したという。
自分たちが民事から刑事に踏み込んだことに気づいたようだった。
お金で心が狂ったオーナー側は弁護士でも雇うかと思っていた、私は裁判を始めて欲しかった、そうすれば弁護士に一任して母と過ごす時間が増えるから。母の余命も伝えてある、母を無事に看取れたら、それだけでいい。立ち退き料など求めてはいない。オーナー側に比べたらかなり貧乏だが、
お金欲しさで住んでいたわけではない。
オーナー側は優れた司法書士を雇用した。まともな人だった。法を守る人だった。
今年の2月7日に母が静かに旅立った。
私は此処に引っ越してきた。
費用はオーナー側に払って頂いた。敷金も返して頂いた。
私はお金が欲しくてあそこに住んでいたのではないので、余計なナントカ料など請求しなかった。
・・・だから貧乏なんだね。