暖かい風のない日に、清澄(きよすみ)庭園へ行ってみることにした。
一人で、シルバーカーと連れ立って、今回は地下鉄の乗り換えあり。えっちらおっちら。
入ったところの眺め。池が二つあるようだが、写真では定かではない。
こういうの、築山というのだろう。
石に植物が生えている。
あ、これ、たぶんトベラ。
(この写真はパンフレットより)
磯渡りとか。私は途中まででも大変だった。これでも昔はひらりひらりと。
立ち往生していたら、鯉?が寄ってきた。
亀ちゃんも必死で来てくれる。泳ぐ姿が可愛い~♪
涼亭とやら。あそこまでは行けそうにないな。
涼亭の床下の石垣が面白い。
ベンチがあったので、座る。ここまで来て、スカイツリーを撮っててもしようがないだろうに。
ずっと昔は紀伊国屋門左衛門の庭だったとか。その後は久世大和守の下屋敷。明治には岩崎弥太郎の邸だった。
左側が江戸時代5番、右側が現在の地図、5番。
帰ろうか。あ、芭蕉の句碑がある。(つづく)
一人で、シルバーカーと連れ立って、今回は地下鉄の乗り換えあり。えっちらおっちら。
入ったところの眺め。池が二つあるようだが、写真では定かではない。
こういうの、築山というのだろう。
石に植物が生えている。
あ、これ、たぶんトベラ。
(この写真はパンフレットより)
磯渡りとか。私は途中まででも大変だった。これでも昔はひらりひらりと。
立ち往生していたら、鯉?が寄ってきた。
亀ちゃんも必死で来てくれる。泳ぐ姿が可愛い~♪
涼亭とやら。あそこまでは行けそうにないな。
涼亭の床下の石垣が面白い。
ベンチがあったので、座る。ここまで来て、スカイツリーを撮っててもしようがないだろうに。
ずっと昔は紀伊国屋門左衛門の庭だったとか。その後は久世大和守の下屋敷。明治には岩崎弥太郎の邸だった。
左側が江戸時代5番、右側が現在の地図、5番。
帰ろうか。あ、芭蕉の句碑がある。(つづく)
錚々たる方達ばかり、
素敵、立派が肯けます。
清澄庭園、涼風亭と
名前もまた清々しいですね。
水のある風景は気持ちよく感じられます。
↓
抜けたブログ、とても参考になりましたし、勉強にもなりました。
涼風亭ではなく、涼亭でした。
慌てて直したのですが、コメントのほうが早かったようです。
以前は、姉の要望で行ったことはあるのですが、あまり興味ももてなかったのです。
今、行ける範囲の所を探しつつ、冒険をしております。
写真がいまいちで…。
北海道には歴史の教科書に出てくるようなものは、函館五稜郭ぐらいかな・・・^^
したっけ。
三菱財閥の創始者岩崎弥太郎・・・私は岡山県高梁市のベンガラと銅山の街として知られる吹屋へ行った時にこの名前を知りました。
吹屋の街並みはそれは素敵なんですよ!
ここにある広兼邸は「八墓村」などの撮影に使われたお屋敷です。
ここの銅山が岩崎弥太郎が持っていたと聞きました。
お金儲けが上手かったのでしょうね~
八つ墓村に広兼邸とかが出ていたのですか。
あの頃、横溝に夢中で、読んで震え、観て震えでした。
大抵、旧家のお屋敷が出てきました。
セットではないから、よけい重厚で怖かったのでしょう。
岩崎弥太郎は、名前だけ聞いていて、調べてみたら、お金儲けの才に恵まれていたようで。
この清澄庭園のほかに、六義園まで買っているのです。じつは、庭園の中では、六義園が一番好きですが、私の脚では遠い!
まさに栄耀栄華を極めた人ですね。
とんちゃんさんへ、が抜けました。
函館は、西洋風の素敵な港街を思い浮かべます。五稜郭も有名ですね。
小説では、お登勢とか、冬の派閥などで、
北海道の開拓に携わった武士たちの奮闘が書かれてますね。
お天気が良い日に素敵な池があるところに出かけるのもいいですねえ。
そうそうたる方々の邸宅だったと言うのも頷けますね。
おはようございます。
立派なお庭と思ったら、紀伊国屋門左衛門、久世大和守の下屋敷、岩崎弥太郎の邸ですか?そうそうたるメンバーです。りっぱなはずです。
鯉や亀さん餌がもらえると急いでやってきたのでしょうね?!
持ち主の名前を見て、なるほど!と納得しました。
個人のこうした立派な邸宅や庭園などは、相続の関係で
なかなか後世には残せないことが多いようですが、
こちらの庭園はきちんと管理されて、残されているのは素晴らしいですね。
涼亭は池に浮かんだ格好で、夏の暑さもずいぶん違うでしょうね。
お茶室もありそうですね。
鯉や亀さんが急いでやって来るところ、可愛いですね♪