ウクライナ危機を見ると、どうしても思い出すことがある。
12月8日は、太平洋戦争を始めた日。
しかし、その前に中国との長い戦争があったことを考えない人がいる。
昭和12年7月7日、七夕の夜、盧溝橋で日中戦争が始まったことは、以前書いた。
その後は……?
これは下記
軍医が見た華中最前線という特別企画からである。
そして、南京攻略。
中国の子どもたちーー
私の生れる前のことだけれど……
そして、俳優佐野周二も兵隊だった。
以上の写真は、下記より
ウクライナ危機を見ると、どうしても思い出すことがある。
12月8日は、太平洋戦争を始めた日。
しかし、その前に中国との長い戦争があったことを考えない人がいる。
昭和12年7月7日、七夕の夜、盧溝橋で日中戦争が始まったことは、以前書いた。
その後は……?
これは下記
軍医が見た華中最前線という特別企画からである。
そして、南京攻略。
中国の子どもたちーー
私の生れる前のことだけれど……
そして、俳優佐野周二も兵隊だった。
以上の写真は、下記より
写真は大きな力を持っていると感じる写真たちです。
実体験で知らないとは言え、私たちはまだ、
戦争時代の話に感応する世代ですが、
どんどん「記憶」が風化していくような状況ですね。
途方に暮れるような思いで、
ニュースに触れる昨今です。
その前にあった中国との戦争が形骸化しています。
日本が日清、日露戦争に勝ったことが勘違いの始まり。
勝ったことで日本は最強、何をやっても許されると。
中国で思うようにことが進まないと真珠湾攻撃から東南アジア。
最後は神風が吹けば日本は勝てるという非科学的な言葉。
日本は先の戦争から何も学んでいない。
それが如術に出ているのが最近の政治家です。
ゼロ戦や特攻隊に涙した為政者もいましたが、
あれは、エリートたちの話。
このような子どもたちにこそ、涙するべき。
ほんとの姿は、中国で暴虐の限りを尽くし、
韓国を長く植民地にしたことを忘れ、
それこそ真摯な反省が見られないから、
中国や韓国から反日感情が抜けないのでしょう。
これは、大戦後の日本の姿でもあり、日本の子どもたちの姿でもあったのですから。
新聞記者のは、どうしても日本兵の行軍や束の間の休みーーこちら側から写したものが多いようです。
卯木さんご一家は軍人一家ですね。
というより、男はみんな戦うため(人を殺すため)の人間にならなければならない時代だったのでしょう。
大戦の始まった年に、私も生まれましたが……
太平洋戦争を始めたのは日本、
今の北と同じように、世界から経済制裁を受け、物資もないくせに、アメリカに挑んだ。
それをよく考えれば、いま何が大事なのか、
為政者も分かっていいはずですが、
戦後生まればかりですからね。
朝鮮半島を長いあいだ植民地にし、日本名を名乗らせ、
中国全土を荒らし回り…
それでも勝てなかった。
その矛先をアメリカに向けた。
そして、今はアメリカの言いなり。
国会答弁を聞いても、こっかいまでフリガナのしてある答弁書を読んでいるだけの人、知性はもとより、学校でなにを学んできたのか。
北のミサイルより、そちらのほうが不安です。
日中戦争は仕掛けた戦争だったと言われます。
私たちまだ子供のころ終戦になり、以降闇雲に働いてきました、でもつらくはなかった。少なくとも平和な日本でくらせたので最も良い時代に生きてきたと私は思っています。
でも終末を迎へようとしているとき、またやきな臭いにおいがしてきたことには本当に悔しくてなりません。
こんにちは。
戦争は経験していません。
父も伯父も戦争に行って何とか生き延びて帰ってきました。戦争の話は一切聞いたことがありません。
小さい頃、近くにやみ市があり、数軒先の家の二階に進駐軍が住み、チョコレートをもらったことは鮮烈に覚えています。
またきな臭いにおいが漂い始めていますね。
そうですね、終戦のとき満洲にいた私ども家族は、
ソ連の侵攻によって、大変な目に遭ったと
話には聞いておりますが、小さかったもので。
なにもかも失くして引き揚げてきて、
その後の生活は貧しくても、不幸ではなかったように思います。
なにか信じられるものがあったからでしょう。
ここへ来て、大きな不安にかられるのは、きな臭いからでしょう。
父も、根こそぎ動員で終戦の年に現地召集となり、
そのままシベリアへ抑留されました。
帰国してから、シベリアの寒さや、通信兵として覚えたツーツートンは、話しましたが、それ以外のことはなにも。だから、どこの師団にいたのかも知らず、もっと聞いておけばよかったと。
やはり、離せなかったのだと思います。
幼いころの進駐軍の兵隊や、パンパンらしき人の姿は、よく見かけました。
なんとか平和裡に解決の道はないのかと願うばかりです。