8月9日午前零時、ソ連軍は三方面からいっせいに満洲へ侵攻した。
終戦と同時に怒った中国人の暴動、そしてソ連軍の侵攻によって、日本人居留民は苛酷な生活を強いられた。
撃ち合いの流れ弾がガラス窓を破って家の中に入ってきたり、ソ連兵の昼夜かまわずの強奪、強姦のため、我が家は屋根の上で2か月隠れ棲んだという。
奥地から新京、奉天に着のみ着のまま逃れてきた人たちは、学校などに収容された。衣食も足りず、戦争チフス(敗戦病とも)に罹り、多くの人々が名もなく死んでいった。
校庭や公園に巨大な穴が掘られ、遺体ですぐいっぱいになったという。
小学生だった姉が、満洲では立ち葵がよく咲いていてね、と話していた。立ち葵を見ると、満洲が終焉するときの悲惨さを想い出すのである。