[kho of aza]で、想像しています。
自分のなかで、空っぽとはどういうことか自問自答を繰り返しています。
僕自身は常にいっぱいに詰まっている感じが好きです。たとえば僕はどこかに出かける時にはカバンにいっぱい荷物をいれて出かけます。読みかけの本を2冊、MDプレーヤーとディスク、ノート、筆記用品。そういったものでカバンは重くなります。それら持ち物が全て出先で使われることはありません。しかし持っていってないと不安というか、手持ち無沙汰になるのを恐れているようです。
そうかといって空っぽというものにはひかれないというわけでは全くなく、常にきれいにしたい身軽にいたい。そういった欲求が常にあります。余白をうらやむ自分がいて、ときおり自分の持ち物を整理して売りに出したり、人に譲ったりします。
買い物も衝動で買うものはあまりなく、気持ちがどうしてもひかれるものしか購入できません。
僕自身呼吸に焦点がいったのには、それ自身がシンプルで力強いからです。呼吸はどこでもできるものです。しかしどこにいようとしなければ死んでしまいます。呼吸ができるかが人間の生命をにぎっているのです。
その呼吸から、「クウ」という言葉が浮かんできました。呼吸は空気とかかわっている。その空気は目に見えない。空間と人はよく言葉にするが、そのときその人の頭にあるのは空っぽの空間です。
その空っぽというものはどういうものなのか。自分の中身~こころ、頭の中~は充満している。いろんな考え、気になったこと、気にしてしまうこと。その外側に空間があるのか。その空間~からっぽ~の状態というのは気持ちがいいのではないか?
中身が詰まっているとあまり心地よくありません。しかし中身がない状態というのはスカっとしていて軽く、シンプルなのではなかろうか。
そしてその空間をしきるその外側には「殻」があるのだろうか?「空」と「殻」は読みが一緒なのに果たしている役割はちがう。
それの何に僕はひかれるのだろうか?そういったものは可視化できるのだろうか?それについてなにか考えられることが目にできるのだろうか?
今それが表出してきているとはまだ思えません。当日ぎりぎりまで時間はありますので、「クウ」が出てくるように空白を空ける日々にしたいと考えております。
秋紀
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