
ユネスコ「世界の記憶」
上野三碑(こうずけさんぴ)
その中のひとつ
多胡碑(たごひ)
にやってきたよ


多胡碑はここ
石碑の里公園内に設置されている
三つの碑を回ってくれる
無料のシャトルバスも
運行されている

(イヌは乗れないけどね
)


上野三碑は飛鳥・奈良時代に造立された
天武天皇の時代(681年)に
山上碑(やまのうえひ)
和銅4年(711年)に
多胡碑(たごひ)
(和銅は元明天皇の時代のことで元明天皇は女帝
天武天皇と持統天皇の息子の奥方なんだって
)

奈良時代初期の神亀3年(726年)に
金井沢碑(かないざわひ)
の三つの石碑の総称
これが多胡碑


三つの中から
チェスターの社会科見学の
まず一つ目に選んだのは
ちょっとした訳がある

この支えを借りて立っている榎
🌳
これは羊(ひつじ)さまの榎という老木

なんと多胡碑は羊さまと
呼ばれているんだそうな
🐏
多胡碑の銘文には
以下のような感じで刻まれていて
位 太 宣 成 良 弁
石 政 左 多 郡 官
上 官 中 胡 并 符
尊 二 弁 郡 三 上
右 品 正 和 郡 野
太 穂 五 銅 内 国
臣 積 位 四 三 片
正 親 下 年 百 𦊆
二 王 多 三 戸 郡
位 左 治 月 郡 緑
藤 太 比 九 成 野
原 臣 真 日 給 郡
尊 正 人 甲 羊 甘
二 寅
※穂積親王の穂積は石碑にはそれぞれ
しめすへんに恵
しめすへんに責
ちょっと変換できなかったよ

現代語訳には
朝廷の弁官局から命令があった
上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から
三百戸を分けて新たに郡をつくり
羊に支配を任せる
郡の名は多胡郡としなさい
和銅4(711)年3月9日甲寅に
命令が伝えられた
左中弁正五位下多治比真人(三宅麻呂)
太政官の二品穂積親王
左太臣正二位石上(麻呂)尊
右太臣正二位藤原(不比等)尊
とある
新しい郡をつくって
羊に支配を任せたって

羊ってどんな人だったんだろう❔

飛鳥時代の古代上野国の
豪族の地域経営に
渡来人(新羅系)が
参画していたそうだから
羊さんは渡来人だったのかもね

いずれにしても
羊が地域経営を任されていたなら
きっとそれをまとめていたのは
ボーダーコリーのように
賢かったに違いない



そんなわけで
上野三碑の中でまず最初に
多胡碑を社会科見学に
選んだってわけ

ちょっと勝手に大作になっちゃったな

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