当時、養護学校、重症児の入る学校は仙台市に一つだけ
通うためには、自家用車、タクシー、家族に送ってもらう、でした
昭和56年この年から重度の子供たちの通学バスが配置された。
このばすに乗るには親が一緒に乗らなければならないのです。それは
障害が重く何かあったら大変で、寝たきりの方お座りできない方、たとえお座りできても手を離すとどこへ転がり込むか? それで必ず親付きが条件でした
一台のバスは仙台中から通学する方を乗せるので全員が下りるまでかなりの時間を要したのです、
帰りなど抱っこして出発するのですが、
親たちは気持ちよく眠ってしまい、あっと子供から手を放しそうになり
びっくりすることが度々ありました。2年から
我が家はうーちゃんの姉たちが学校から帰るころになるため
自家用車で通学をすることになりました。
私は運転免許を取っていたのでおおたすかり
今後、車はうーさんを育てるための必要不可欠の移動手段となっていきます。
帰宅後母少しの休憩と家事です早めの夕食を終えうーさんの簡単な訓練があります
うーさんの車のナンバーは彼の生年月日 12月14日
1980年 普通車、車椅子ごと乗れる車は市場に出でいませんでした
2007年 ラクテス~初めて車椅子ごと乗れるスロープ付きなので快適になる
12年後、体も車椅子も大きくなりつぎの
2019年 シェンター車椅子使用者リモコンによるリフトなので83歳の私でも
一人で乗降させれて助かります。年々快適な走行ができ、車の構造?の
進歩は急速に技術が高まり時代の流れを感じるこの頃です。
後どのくらい乗れるか分からないけど、無事故無違反をこれこれからも
貫きうーさんの大切な足となって移動しよう