☆台風キヨリマスケド・・・☆
今日の最高気温。
予想じゃ40度らしいス。
最近、そんな数字を見ても
そんなにビビらなくなってしまったのは
ただ単に
感覚がマヒしているだけでしょーか。
っちゅーか。
台風まで来よりますネ。
しかも明日の精霊流しの時間帯・・・。
めっちゃ危うくないッ?!
おとーたん、
いくらあの世に戻りたくなかけんって、
台風まで呼び寄せんちゃ・・・。
ということで
はい、ほんだい。
・・・
昨日の予定はBBQ!
企画運営担当カズさん!
連携プレイもバッチリです。
まず、朝イチのゴミ出しは
一番下の弟が自らかって出てくれまして。
へっ?
そんな反応する事でもないと?
いえいえ、
我が家にしてみたら
今年度最優秀新人賞並みの
すごいデキゴトですから。
で、
昼過ぎからBBQの準備を
着々と・・・。
・・・
お肉以上にタノシミだったのは
この日のためにとっておいた
jinkyu兄さまのお酒!
大好評!!
おとーさん、おいしいねー!
・・・
暗くなってきたら・・・
・・・
そんな感じで我が家の初盆初日が
終わっていきました・・・。
・・・
アタシはというと
昨日のうちに
完全燃焼してしまったらしく。←はえーよ。
朝からイタタマレナイほどの
顔面&全身ジンマシンに
悶絶しております、はい・・・。
(お薬サン、はよ効いてぇぇぇぇーーーーー。)
<おまけ>
父の車。
昨日のうちに
カズさんが全部やってくれまして。
・・・
「おかーさん、車内清掃別料金ですけんっ!」
って
ハハ相手に毒づいておりました。
そんなカズさんは
今日は
おひとり様にて帰省中・・・。
ごめんさー。
だって、今日はお寺さんくるしサー。←屁理屈。
だって、初盆やしサー。←屁理屈。
だって、だって、だってサー。
てな具合で
本日、完全別行動中の我が家です。
・・・
どーか、
台風直撃しませんように・・・。
☆8月13日☆
「ねぇねぇ、やっぱりなんか寂しくない?!」
って
仏壇周りを見ながら
そうゆーてるのはハハ。
ちなみに
何が寂しいのかってゆーと
灯り系(盆提灯)が寂しい。
・・・らしい。
てかおかーたん。
これ以上、
キンキラキンキラしたら
まるで
「祝開店!的パチンコ屋」さん状態。
そして
これ以上
品物増やす必要性も
皆無ですから。
ささやかに
かわいらしくいこうじゃない、
ね、
おとうさん。
・・・
ということで
たぶん、
すでに今、
「父実家なう。」
・・・かな。
おかえり、
おとーさん!!
15日には
ちゃんと天国帰れるごと
お船の準備もバッチリよー!
そんな感じの実家にて。
またもや
父のこんなメモ発見。
「ココロのトレーニング。」
父もやってたんかなー。
やってたんだろなー。
じゃぁ、
アタシもやってみようかな。
・・・
3秒吸って
2秒止め
5秒吐く。
1日5分。
・・・
続けれる自信ありまてん。←ないんかい。
<おまけ>
人間様があわただしくしてるもんで
お犬さまは
こんな感じ。
・
・
・
・
・
・
☆あと1週間☆
せっせ、せっせと
つくってます。
おはながみ。
・・・で
紙のおはな。
しかも、
これ、
「あとは広げるだけ~」の状態にしたヤツが
100円ショップで売ってるってゆーから
便利な世の中になったもんです。
・・・
で、
100円ショップでこーた
あれやこれ。
・・・を
駆使して
ハハが
モーレツに取り掛かっているのが
コレ。
精霊船つくり。
・・・
これには
寅もひきずりこまれて
大変なこったです。←ひとごとかい。・・・By.寅。
・・・
島原のおばちゃんの時みたく
豪華にはできんけど。
まぁ、
素朴やけど
こんなん手作り感満載なのもいいよねー。
しかも
さいしょのうちは
かわいいマゴズ2人で抱えれるくらいの
ちっちゃいやつ。
・・・のつもりだったのが
いつのまにやら
こんなんなってしもーてからに
子供2人で運ぶのはちょっと重たかやろかねー。
・・・とはいえ。
素人ながら
ここまで作り上げるハハは
やっぱ元保母さんなだけはあるなー。
と
そんなところを微塵も受け継いでいないアホタロは
うらやましくもあるのであります。
・・・
これを一番見てほしいひとが
いない。
・・・っていうのが
実は一番サミシイかも。
おとーさん、
お盆、ちゃんと帰ってきてねー。
迷わんごとねー。
<おまけ>
作る担当にはなれないアホタロ。
もっぱら食べる担当。
・・・ということで。
これまた100円ショップで購入。
お盆にBBQするのダ!
これは
カズさんの提案。
「お父さんも絶対よろこぶて!」
ということで
どんなにくそ暑くてもやるらしい。
大蔵省はカズさん。
っちゅーことで
かわいい紙皿はめいっこちゃんたちが喜ぶやろー。
ぷらっちっく(プラスチック)のワイングラスは
アタシが喜ぶやろー。
てな感じで
お盆の準備も着々と進んでおりますyo。
さぁ!
ますます忙しくなるぞ!!
おとーさーーーーーーん!
てつだってっ!!←無理ゆーな。・・・By.チチ。
☆1回目ということは2回目もあるワケだけど☆
めいっこちゃんたちへ
媚びを売る。←表現がどーだか。
「オバちゃん」という立場も
大変なものです。←なんだかんだで楽しみなくせ。
・・・ということで。
お盆に帰ってくる2人のめいっこちゃんへ。
ハハと雑貨屋さんで選んでみた。
喜んでくれるといいなぁ。
・・・
父の最期には
結局間に合わなかった
たった2人のマゴちゃんだったわけですが。
父が
いつもは言わないような事を突然言い出したのは、
入院3週間後。
「あいたかなぁ・・・。」
ぼそっとね。
この時ばかりは
アタシの娘だか息子だか
100%かわいいにちがいない←なにをこんきょに・・・。
孫の顔を見せてあげれない事への
激しい後悔の気持ちが
それこそ
ぶわーーーーーっっ!!!!!
・・・と込み上げてきた事。
いやというほど
あの感じが忘れられない。
いったん胃袋に入った
苦い青汁が
逆流してこみあげてくるよなあの感じ。←どんな感じだよ。おえー。
・・・
この
チチの
何度目かの弱音発言があった週は
左腕のシャントが詰まってしまったため
もう一方の右腕にシャントを作るための
手術の説明があったり。
で、
翌日には手術が行われたり。
・・・かと思ったら
その日の夜には
大量の下血を起こしてしまったり。
そのために
絶食期間がさらに長引く事になったり。
その絶食のせいで
高カロリーの点滴を1日中せんといけんくなったり。
とにかく
1日1日・・・
1日1日が
父にとって過酷な日々だったというのは
いうまでもなく。
つらそうに顔をゆがめ
笑顔がまったくなくなってしまった
あの父の顔。
こうして3月が終わっていったのです。
<おまけ>
とつぜんですけど。
かずさんをさがせ。
すぐわかるって?
あはは。
すんません。
ちいっとばかし
よかかっこしぃしとります。
これが
父も大好きだった自慢の息子です。
☆父の納骨無事におわりました☆
また一つの区切り。
これで
父とのお別れ、何度目か。
お別れっていうても、
お別れじゃないんだろうけど。
ま、
気持ちの上でね。
・・・
でも
実家かえって
「おとーさん、おはよう。」
「おとーさん、おやすみ、またあした。」
「おとーさん、黒霧こーてきたよ。」
「おとーさん・・・」
っつって
ポンポンする骨壺が
もうなくなってしもーた。←コラ、たたくな、たたくな。
・・・
実家では
お盆を前に
またまたなにかと
忙しく動き回るハハ。
・・・の隣で
父を想いながら
描いてみた。
・
・
・
「わー、にてない!!」・・・By.ハハ。
・・・。
あはは・・・。
たしかに・・・。
クレヨン入れ始めたら
どんどんかけ離れた感じのチチになってしもた。
ま、
いいか。←いいのか?
おとうさん、
納骨されて息くるしゅーない?
ばーちゃんと喧嘩しよらんか
カズさんが心配しよらすよ。
おとうさん、
納骨されてさみしゅーない?←サミシイのはアンタでしょーが。
時々会いにくるけん
「そこにーわたしはいませんー、ねむってなんかーいませんー」
・・・とか言わんでね。
おねがいね。
<おまけ>
チチが透析に通うときにいつも着てたセーター。
ハハが処分しようとしてたのを
死守!!!!!
ハハってば
そゆとこドライなんだけん
こまったもんス。
あぶねー、あぶねー。
チチを探すように
チチのセーターのにおいをずっと嗅いでたキャンディー。
せつなかー。
たまらんわ。
☆互いの認識を確認する作業☆
日によって意識がクリアな日と。
朦朧としている日と。
とにかくイライラして落ち着かない日と。
この時は
きっと
父の中でも
いろんな感情と戦ってた時期ではなかろうかと。
勝手な憶測だけども。
・・・
そうこうしてたら
主治医の先生から
最終的にどこまでの治療を希望するか
たぶん3択だったかと思うっちゃけど。
言うてみれば
「究極の選択」を迫られ。
そこで
週末はだぁくんにも帰省してもらって
家族会議@実家。
もちろん、
その家族会議には父はおらず・・・。
そこで家族としての意思をみんなで共有しつつ
思いを1つにしたわけやけど。
結局
「この処置をしないと死にます。」
って
いざ
しかも
突然
突きつけられると
そんなんドラマで見るような
美しいほどの「共通の意思」とやらは
いとも簡単に揺らぐわけで。
どんな姿であっても生きていてほしい。
でも、
苦しそうな父の姿を見るのはつらい。
てなかんじで
とにかく
いろんな思いで
いろんな感情で
目が回りそうになりながらも
「しっかりしないと。しっかりしなきゃ。ちゃんとやらなきゃ。」
そんな
なんの腹の足しにもならんような
取るに足らないプライドみたいな
よくわからない長女の責任感のようなものだけで
毎日を生きていたような気がする。
うん
今となっては。
・・・
あけて翌週。
透析スケジュールは
月・水・金・・・へと戻ったけど。
貧血がどうしても回復せず。
結局
またもや輸血。
おとーたん、
きつかったねー・・・。
きつい思いさせてしもて
ごめんね。
<おまけ>
今日は月命日。
5月は過ぎるのがとにかく遅く感じたけど。
6月はあっという間だったよーな。
けど、
考えてみたら
父がいなくなって
「まだ2か月しかたってない」という事実。
・・・
和菓子好きな父に
福岡土産。
「おとーさん、もう食べたっ?」
そう仏壇の父に聞きながら
「おー、どーやらもう食べたごたるばい。」
っていいながら←ゆーとらんわ。・・・By.チチ。
みんなで1個ずつ。
「おいしかなぁー。」って言いつつ
おいしそうにお菓子を食べる父の笑顔をおもいながら・・・。
みんなで1個ずつ・・・。
☆入院2週目☆
透析のためにつくっている
手首のシャントが詰まっているという事実。
月・水・金・・・の予定の透析が
コンスタントにできないのも
この詰まりのせいだというコトと
すでに
何が起きてもおかしくない状況であるという説明を
主治医の先生から受ける。
この時、
先生の一言一言は
確かに
耳に入ってきていたし
言ってることも理解はできた。
・・・
自分の中で
ただただ淡々と
ひたすら粛々と
その事実を
受け止めていたように
受け止めようとしていたように
今となっては
そう思うんだけど
そして
そう思いたいんだけど
その時は
まるで
ドラマの1シーンのような。
いいかえれば
まるで
ヒトゴトのような。
・・・
似てる場面に遭遇したコトがあるかと言われたら
あっくんの命をつないでくださった救命救急の先生に
「今夜が山です。あとは本人の生きたいという気持ち次第です。」
と言われたときの
あの心持ちによく似ていたような
そんな気がする・・・
・・・いまとなっては。
・・・
翌日、
首から血管をとって
そこからの透析がスタート。
このときは
父の意識も比較的クリアだったので
夜眠れないコトを訴えてきたり
薬のコトを気にするそぶりを見せたり
でも
かと思えば
少しぼんやりしている日もあったり
日々の透析もだけど
それに加えて
下血した箇所の止血処置を幾度か繰り返され
体力的にも精神的にも
グッタリしていた時期。
でも
退院するつもりで
そのつもりで
前を向いていた時期。
父も
母も
私も
カズさんも
弟たちみんなも。
<おまけ>
父の足をマッサージする母。
・・・
たぶん、
アタシの一生の中においても
こんなに父の手足をさすっていた時間は
あとにも先にも
このとき以外なかろうかと。
毎日のいろんな疲れで
さすりながらついつウトウトしてしもーて
父の横で
一緒に寝入ってしまったコトですら
今となっては
アタシにとって
愛おしく
大切な
誰にも邪魔されずに
父と過ごせた
大事な宝物の時間。
でも。
思うのは
居眠りこいたりせんで
もっと
しんけんに
いっしょうけんめい
さすってやってりゃよかったな。
・・・って事です。
☆それはまるでイタチゴッコのような☆
「帯状疱疹完治にかかる期間は約2週間」。
その診断のもと
2週間も病院におれば家に帰ることができると
信じて疑わなかった
入院から1週間後。
マサカのデキゴト。
父下血。
からの
輸血。
「輸血はすーごとなかなぁ・・・。」
という父に
「輸血せんと今のおとーさんには血が足りんのよっ!」
「ありがたくいただいて輸血してもらおう。」
そう説得しつつ
結局・・・
おそらく50日間ほどの入院中、
3回くらい輸血をくりかえしたよーな・・・。
そして下血からの貧血による
朦朧とした感じも
日々ひどくなる1週間。
思えば、この1週間は父にとってもとってもキツイ週だったかと。
まぁ、
どの週もいろんな意味できつかったんだろうけど。
そして
このころくらいから
今思うと
遺言のよーなコトを言い出した父。
突然、
「お母さんは優しかなぁ・・・。」
って
本人を目の前に
そんな歯の浮くようなセリフ
シンケンシラハギリモードで言うなんて
おっとろし。
「いやーん、照れるぅ、アタシのおらんところで2人きりん時ゆーてやらんね。」
と
照れ隠しみたく←オマエが照れるな。
ジョーダン交えて
答えたアホタロ。←やけん、お前に言うたんやなかぞ。・・・By.チチ。
ほんとは
「そうね、私もお父さんのコト大好きよー。」
って
母にゆーてもらいたかったのかもしれんなー。
「おえー、そんなセリフ、はずかしゅーしてよう言いきれんよ。」
って
父がおってもおらんでも
きっと
母はそう言うのだろうけど。
・・・
翌日には
「お前はチャント独り立ちできるのか?」
と
病室に来た寅へコトバをかけていた父。
自分の体がどんなにきつくて
気持ちがついていけずにめちゃくちゃ辛くても
どんな時も家族への思いが溢れていた父。
・・・
「今は人のコトより自分の心配しときんしゃいyo。」
と
これまた
アタシが横から割って入り←いつも苦し紛れでヤラカス悪い癖。
寅との会話もなんだかうやむやになってしまったのは
今となっては
アタシの中に残る
ちょこっと胸がキュッとなるくらいの
小さな後悔ではあるんだけど。
・・・
そして
3月20日。
「お父さんは死んでしまうとやろうか。何も悪いコトはしてないとに。」
そして
3月22日。
「じいちゃんが夢に出てくる。よばれよっとやろうか。」
・・・
この言葉には
いささか
アタシの特異で得意な←・・・。
オモシロジョーダン返しを
ナイスタイミングでやらかすコトもできず
思わず息を飲んで
一瞬フリーズ。
こう言われたらこう答えよう。的な
傾向と対策。
もすこし自分の中で練っておくべきやったな。
<おまけ>
四十九日の法要が済んで
夕刻のころ。
なにはなしてんだか。←綾姉の悪口サ。・・・By.おとこども。
☆オトンの闘病ふりかえり☆
四十九日も無事に終え。
少しだけ
ほんの少しだけ
気持ちが落ち着いてきたので。
記憶がまだクリアなうちに
父の最期までの記録を。
思い立った時に始めないと
きっと
記憶もアイマイになるから。
それは嫌だから。
・・・
2017年~2018年の年末年始。
ザンネンながら病院で過ごすことになった父。
それでも
1月15日には退院。
そして1月20日には
みんなそろって
少し遅れてのお正月。
これで
少しだけホッとできるかなぁ。
・・・と思った矢先の
2月27日。
間質性肺炎再燃。
さらに翌月3月入ってすぐに
帯状疱疹。
高熱によるものからか
発言理解できず。
食事も介助がないと不可。
で。
そのまま入院決定。
病室からの眺め。
殺風景極まりなし。
ただ
熱が少しひいてくると
テレビを眺める元気もでてくる。
ダイスキな
前川さんの「タビ好き」鑑賞ちゅう。
・・・
この時は
義母の施設入居申請うんぬんかんぬんで
アタシ自身も
同時進行で
やらんといけんことが
あれもこれも
それもこれもで
相当テンパッテタ時。
それでも
おなじように時は過ぎるし
どうにもならんと思うても
どうにかやるしかないんやと
阿呆なりに
学習する時期なわけです。
そして
このときは
今までくりかえしてきた入院の時みたく
また時間がたてば
退院できるものだと
疑うことなく信じていた時。
<おまけ>
四十九日の法要の日。
海を眺めながらビールをかっくらう。
父とできなかった心残りの1つ。
☆お礼の言葉☆
「恕」おもいやり
この言葉は父の好きな言葉でした。
”真面目”を絵に描いたような父でした。
その厳格な姿は、我が家の大黒柱として大きな存在でした。
幼少の頃から苦労が絶えず、大好きな勉学が思う存分できなかった・・・
そんな思いからでしょうか。
私達5人の子供達には不自由なく勉学に励んで欲しいと
それぞれ希望する学校へ進ませてくれました。
大きな父の愛情に包まれて、私達は幸せでした。
不器用な人でしたから、素直な愛情表現が下手でしたが
誰よりも母の事を愛していました。
最期のその時までの間、病との闘いは想像を絶するほどの辛さであったと思いますが
病室で母から介護を受けながら過ごせた時間は、
父にとっても幸福なひとときであったに違いありません。
父亡き今、姿や形はなくとも、父の教えや与えられた沢山の「恕」を感じながら
またそれらをこれから生きていく為の糧として
大切にしていきたいと思っております。
***
6月19日。
今日は
父の四十九日。
今日1日、
忙しく走り回っていたけど
ずっと父の事ばかり考えてた1日だったよーな気がする。
そして。
この
「お礼の言葉」は
会葬礼につけたものなんだけども
どうしても
父の生きた証のようなものを
形にして
最後に
お別れに来てくださった皆さんに
お伝えしたくて
私なりに
一生懸命に考えて
ない脳みそを絞り出して作った文章。
こんなん作文書く作業なんて
いつぶりやろ。
ですけど
印刷前に
校閲担当のおねいさんから電話あって
「表現がそぐわない部分はこちらで手を加えさせていただきます~。」
で
みなさまのお手元に届きました
あのような文章とあいなりました。
「瞼の裏にうかんでまいります。」
・・・とか
そんなん余裕のあるよな気分にはまだなれんわっ!!
・・・とか思ったりもしたけど
ま、
ショガナイ。
ということで
テイヨク整えられた「お礼の言葉」となりまして。
・・・
これ書いたのは
実は
一番心も体もダメージバリバリの時やったから
ゆーてみれば
いちばんしんどかった時。
あの時のなんともいえないあの感情。
つかみどころのない
自分の気持ちをもてあますようなあの感情。
まさに
・
・
・
瞼の裏に浮かんでまいりますわ・・・。←おいっ。
お父さん、
よかタビを!!
***
昨日からの地震で
ココロが不安になってる方が多くいらっしゃることと思います。
ニュースを見聞きするたび犠牲となった方々の事を思うと胸が締め付けられます。
miちゃんさんと連絡が取れたときは
肩の力が抜けて
足の裏がぞわぞわするような感覚に見舞われました。
(なんともわかりにくい表現ですんません。ホッとしてという意味。)
まだまだ余震におびえる日々かとは思いますが
1日も早くみなさんが元通りの生活に戻れますように・・・。
***
1日を無事に生きるって事自体が、
奇跡。