ブックメモリー

とりとめなく書いてます(/・ω・)/ブーン
読んだ本の感想、作家について、日々考えていることなどなど。

占いハラスメント/人はみんなハラスメントで構成されている

2019年10月14日 09時51分30秒 | 雑記


世の中ハラスメントがあふれている、という書き出しにも既視感があるほど、世の中ハラスメントにあふれている。
うんざりされているところ大変申し訳ないのだが、ハラスメントハラスメント連呼すること自体がもうハラスメントだと、ハラスメントがハラスメントによってハラスメントされるその前に、あともう一つだけこの世にハラスメントを生み出したい。
すなわちそれは「占いハラスメント」略して「占ハラ」。

こんな経験はないだろうか。朝、忙しくバタバタと出かける準備をしているときふと時計代わりにつけていたテレビから明るいアナウンサーの声で「○ガツ生まれのお友だち、今日のあなたは大凶です♡ 細かいミスを連発して周りからの信頼を全て失いそう。ラッキーアイテムは花柄のハンカチ。それでは今日も一日、いってらっしゃい♡」
と、聞こえたことは。

思えば、小学生のときから私はこの占ハラに酷く悩まされていた。
ああ、今日私は大凶かと嘆き悲しむ・・・と思えば、その次の日は兄貴が大凶、兄貴の身を案じる羽目になり、次の日は父や祖母が、気になるあの人が、隣の家の親切なねーちゃんが・・・と気が気でない日々が続き、やっと他の人の身を案じる必要がないときは単に自分ターンのいう有様である。
そのループは延々と続き同時進行で毎日毎日「黄色いリボンを付けたお友だちといると吉だよ!」「大きな声で苦手な人に挨拶してみよう!」などという無理ゲーを押し付けられるのだ。

これをハラスメントと言わず一体なんだというのだろう・・・と、言いたいところだが
この占いハラスメントは割り合い簡単に回避することができる。

流行りの言葉で言えば「嫌なら見なきゃいい」のだ。

朝からどん底に突き落とされたくなければテレビを観なければ良し。
雑誌等に無邪気に掲載されているページはそっと閉じれば良し。
一番困るのは大きな町にある電光掲示板にデカデカと掲載されるときだが、そのときも目を逸らすか閉じれば良いのだ。


自分でほぼ完全に回避できるということは、これはハラスメントではないのかもしれない
しかしハラスメントの定義はなかなか複雑で、相手が嫌だと思ったらもうハラスメントである、という。

ならば小さい頃、苦手なゴーヤを猛烈に食べさせてきた両親の私に対する仕打ちはニガハラでは?
しかしいつまで経っても最後の一口を食べきれず椅子に座り、親の家事業務を妨害していた私は親に対して何ハラ?育児拒否ハラ?



うっかりすると「美人ハラスメント」「高身長ハラスメント」なんて言葉まででてきそうで怖い。
「根暗ハラスメント」「無表情ハラスメント」「すっぴんハラスメント」などと言われたらもう大変。
表情が暗すぎてうざい、あなたは人を不快にさせている、あなたが思っていなくてもそれはね、アウトなんですハラスメントなんです
なんて言われたら私はもう生きていけない。

こんなことをグダグダ考えていると、人はひとり1人ハラスメントの塊ではないかなぁ、と。
お互い他人に対し、ハラスメントをぶん投げ合い、ぶん殴りあいをしながら人生を生き抜いていく・・・のかもしれない。

2019-10-14 09:51:30 追記

吉村昭との出会い

2019年10月14日 00時22分06秒 | 読書


吉村昭という作家を知ったのは、受験のとき。
現代文のテスト問題として、さながら稲妻のようにわたくしの前に現れたのであった。
授業そっちの家で、いつか全文を読みたいと作家名をメモをしたが、そのメモをなくし、長い間胸のつかえとなって非常に苦しめられた。
再会できたきっかけは思い出せないが、とにかく嬉しかったことだけは覚えている。

本題とはそれるのだが、現代文の問題は中途半端に文章をのっけるから腹立たしいことこの上ない。
問題解かなきゃいけないのに、話がたまらなく興味を引かれるものだった場合、ものすごいフラストレーションになる。
責任とって全文載せて欲しい。引用する側にそれくらいの意気込みはないものか?


吉村昭の本は現在でも本屋に行けばたくさんならんでおり、著書を手に入れるのは簡単だ。
だが、それはほとんど記録文学ものに限られる。
どうしても欲しいとずっと思って探していた吉村昭のある短編集は、どこの本屋に行ってもない。
(さっさと聞けば良かったのだが)ある日書店の店員さんに声をかけてみた。店員さんはわざわざ
他の店の在庫も見てくれたようだが、返ってきた言葉は「絶版」と何とも悲しいお言葉。

結局アマ○ンのお世話になりました。最近はメル○リなんかも便利ですね。


記録文学を否定するつもりはないのだけれど、吉村昭の作品については記録文学以外の短編がとても好きで心を揺さぶられる。
どの作品が好きかということはこれからたくさん書いて行きたいなと思うのだけれど、一方で短編やエッセイは似たような話が
多くちょっと「あれ?」と思うこともあるのでそれについても書いていけたらな、と。
また、記録文学と歴史書の違いがイマイチわからなかったので、ブログにちまちま書き綴りながら勉強していければ。

ちなみに私の吉村昭、最近の激押し一番星は『老人と柵』。
「蛍(中公文庫)」という短編集に収録されています。