ブックメモリー

とりとめなく書いてます(/・ω・)/ブーン
読んだ本の感想、作家について、日々考えていることなどなど。

上着は応援ユニフォーム・ズボンはコスプレ②

2019年10月27日 18時18分11秒 | 雑記

大前提として、コスプレを否定したわけではないということを先に述べておきたい。

それを踏まえ、
「上着はセーフ、だがズボンをセットにするとアウト」
私が導き出した結論だ。
これはラグビーや野球、サッカーなどのスポーツをレプリカユニフォームを着つけて応戦するときのことを述べている。

アウトというのは言葉が強いが、レプリカユニフォームというのは概して上着しか販売していない。
今まであまり意識したことがなかったのだがポッケのない短パンがどうしても必要だったときに、ラグビー日本代表のレプリカユニフォームに目をつけたときに気が付いた。ズボン(のレプリカユニフォーム)がない。

「日本代表のユニフォームを着て応援しよう!」とはいうが、なるほど。
熾烈を通り越した競争を勝ち残って選出された代表選手、あるいはプロ選手の試合着は、上は―あくまでレプリカだが―まあ許されるが、下はアウトなのだ。やはりアウトというと言葉が強いようだが少なくとも、公式的には不許可で販売はしてくれない。
どうしてもなりきって応援したければ似たようなもので代用するか、自作するしかない。一気にハードルがあがる。

つまり、やはりそれはコスプレ(なりきり)の領域となる。

コスプレにもいろいろな考え方などが存在するのだろうが、基本的にはそのキャラ(や、もの、こと、事象)になりきらねばならない。
漫画の主人公に扮するならもちろん漫画を読んでいることは大前提以前、キャラの特徴、仕草、決めポーズ(台詞)などをきちんと見極め習得する必要がある。
ここでモノマネという言葉も浮かぶが、ものまねはコスプレをしなくてもできる。また、目的が人を面白がらせることであるためクオリティ度外視の場合もある。
また、運動会の踊り(お遊戯)も基本的には衣装は体操着の上から何かを羽織る程度で済ますことが多い。しかし運動会の踊りはものまねではないので過酷な練習を課される。それは練習の成果を披露することが目的で、面白がらせることが目的ではないからだ。

つまり、以下はそれぞれ似て非なるものといえそうだ
1.ユニフォームを着てのスポーツ応援
2.お遊戯
3.コスプレ
4.ものまね

このあたりに公式が公式許可コスプレを許さない理由が見えてとれる。なりきると楽しく応援はできない。なぜならそれなりのクオリティが必要だからだ。応援したいが試合どころではない。観るのではなく観られることを意識しなければならない。

そんなことを今ウェールズ対南アフリカのラグビーの試合を見ながら書いている。
やはりどちらの国の選手のユニフォームにもポッケはついていない。
しかし応援はできるが、この選手たちになりきることはできない。
当たり前のことなのだがなぜか寂しくなった。なぜだろう、とても距離を感じるのだ。

ちなみにポッケのない短パンを私は無事に手に入れることができたのだが、諸事情により予定日に使うことはなかった。
やるせなさの行き場がない。

上着は応援ユニフォーム・ズボンはコスプレ

2019年10月26日 09時18分29秒 | 雑記


数か月前、私はポッケのついていない短パンを探し求めてひとり、ショッピングモールをさまよっていた。


ズボンにポッケは基本的には必須である。
なぜそんな不便極まりないものを必死になって探し回ってたのか・・・ともかく、そう、とにかく私はポッケのない短パンが早急に必要であった。

いくかの店をまわったあと得たのはそういった類のものはありそうでないという事実のみ。ほとほと疲れ果てていた。
残念ながらなかったからはい、そうですかと済む問題ではない。とにかく確実に3日後までにはポッケのない短パンを用意しなければならない。
そのとき私はおなかも空いていてかなり追い詰められていた。

そんなときに目に留まったのが、催事場のラグビーワールドカップの特設ショップだった。

そのときはまだ大会開幕直前。「タイミングがあえばニュージーランドのハカは観たい」くらいの認識だったがせっかくなので
ユニホームを着せられたマネキンを見る。
桜のマークが可愛らしい赤と白のストライプ。おや?
私は気がついてはいけないことに気が付いてしまった。イケナイと思いながらもユニフォームの上着から、ズボン、つまり短パン部分に視線をやる。

ない。ポッケが・・・ない!

助かった!長い旅もここで終わり。
レプリカユニフォームである。少々―のちに少々ではない金額に震えた―良いお値段であることは間違いないだろうが、ここであったが百年目。
買ってはやくラーメンを食べにいこうと決意した。
特設ショップ内は幸い、店員さんのほかにお客さんも何人かいた。店員さんは他のお客さんの接客で忙しい。これ幸いと棚を物色する。
しかしいくらショップ内の棚を見回しても、ズボンがない。上着(シャツ)しかない。
おかしい。まさか売り切れてしまったか。私は焦った。棚を行ったりきたりする。やはりない。店員さんに聞こうとも思ったがそんなハードルが高いことは腹ペコな今は無理難題に近い。

そうか、上着のほうが高いからみなズボンに流れたのか・・・
しばらく棚をかき回したあと、いいかげん私は悟った。
それでとぼとぼとショップを後にする。これでまた振り出しに戻ってしまったと嘆きながら。

むなしくラーメンをすすりながらも、往生際悪く某フリマアプリでおさがりを検索する。
だが、不思議なことにレプリカユニフォームのズボンはどこにもない。
さすがにここで私も気がついた・・・もしかしてズボンのレプリカはそもそも売っていないのでは、ということに。

収穫ゼロの寂しい帰り道、あれこれ思いを巡らし、私なりのある持論に達した。
それすなわち「上着はセーフ、だがズボンをセットにするとアウト」

レプリカユニフォームも上だけきつければ「応援着」だが、レプリカのズボンまでセットで履いてしまうこと、
それはもはや「コスプレ」で、ある一線を超えることなのだ。
思えばプロ野球のグッズ売り場でもレプリカユニフォーム(上着)しか観たことがない。ズボン(パンツ)はない。


つづく






ブームに乗るのは命がけータピオカ片手の猛者ー②

2019年10月25日 22時26分38秒 | 雑記

しつこいようだがブームに乗りたい。


タピオカ、インスタ、ナイトプール、花椒、イイねダンス云々。
貧弱な私の脳内データではこれくらいしか流行り(ったもの)が思い浮かばないのだが、
ブーム、あるいはブームにうまく乗っている人というのはとにかく揶揄されがちであるが私はうらやましくってしかたない
揶揄するなんてとんでもないこと。そう、最前線ひた走る彼らに対する私の嫉妬心はあまりにも醜い。

私だってイイねダンス踊りたい。タピオカ片手にさっそうと原宿を闊歩したい。
ナイトプールで写真をとってインスタグラムにアップしたかったなどなど。

そんなにやりたければ一人でやればイイだろ、と思うだろう。
別に一人でやるのは構わない。
だが、今までの経験則からそれらが一切様にならないから困っているのだ。

タピオカ屋さんに並んで、注文し、購入することはオトナなのでさすがにできる。
だが、そこからが問題だ。飲みながら原宿をぶらぶらするにも様になるにはそれなりに姿が決まっていなければそれはもう
タピッているとは言えない
もさもさとした服装、野暮ったい大きなリュック。写真をとろうとスマホを探すも、どこに入れたか忘れあわあわとタピオカドリンクを右手左手に持ち替えながらリュックサックをかき回す・・・挙句、手ぶれ修正機能がある程度ついているはずなのにブレる写真・・・
これはタピッているとは言えない

思えば、小学生高学年のころからそれなりに周囲のブームに乗ろうと頑張ってみては徒労に終わることが多かった。
あるときミルキーペンが流行り、親に土下座する勢いで頼み込んで買ってもらったのだが、それをうまく使いこなせない。
なぜだろう。友人たちはそのペンをもってしてノートをおしゃれに、いきいきと着飾らせている。
お手紙もミルキーペンでかわいく書いて、可愛く折ってくれるのだ。
でも、私にはなぜかそれらがどうしてもできない。

なぜだろう。なぜだろう。焦っても、どうしよもならずあえなくペンは筆箱の下に沈んでゆく。
やがて自室のペン立てに格納―と、いう名の放置―されたそれは、視界に入るたび私を責めるようだった。
流行ものをうまく使いこなせない。それが私である。

だからこそ、私は簡単にぼっちでも乗れそうなブームを逃すわけにはいかないのだ。



2019-10-25 17:58:29 初投稿
2019-10-25 22:26:38 修正



ブームに乗るのは命がけータピオカ片手の猛者ー

2019年10月24日 21時43分20秒 | 雑記

ありとあらゆるブームに乗れないので、とにかく乗れそうなものがあるとなんとかしがみつこうとするのが私である。

先月、増税を控え小売店などは「増税前に買いだめ!」と宣伝し特売セールをするところも多かった。
これはチャンス
タピオカ片手に渋谷を闊歩することは無理だが、増税前に買いだめはすることくらいは私にだってできる。
これで職場で困ったときに話す世間話のネタができるではないか。
「だから、トイレットペーパーは絶対に使うかな、って思って。買いだめしておいたんですよ」
これはおいしい。ブームに乗れた上に、職場での雑談のネタも1つ増えてしまうではないか。

そんなわけで、ブームに乗りたいという野望と職場での雑談ネタゲットという下心とともに、旦那に買いだめをしたいから買い物に行こう!と提案したわけなのだが、結果即「そんな何円かのことで」と鼻であしらわれた。
よく考えたら8パーになるときも同じ返しをされた気がする。

このようにブームに乗っかるというのは他人の嘲笑に如何に耐えうるかという鬼のようなメンタルが必要になってくるのである。

そう、ブームに乗るということは実は命がけなのだ。
道をあるけば皆タピタピしている今日この頃、その全員が私には99レべの猛者に見える。

タピオカははじめから諦めていた。
そう、だからこそ増税前の買いだめにかけていたのに・・・
当然ながら触れると壊れるどころか爆発するほどもろい私のメンタルは即やられ、
買いだめもできず、
雑談ネタもゲットできず。
残ったのは割れた私のグラスハートのみだった。

そうは言っても積もればそれが20,30円となるわけでこれはもやし1袋分に相当する。もやしがあればなんでもできる。
これは相当なことではないか・・・

と、気が付いたときにはもう10月になっていた。
寒さが日々増してきたが、私の懐はもともと寒い。