ライブを見に行く。
会場のステージに、ミュージシャンがいる。
自分は客として、そのミュージシャンに何を期待するか、そのミュージシャンの何を見に、何を聴きにいくか。
それって、実は大きなポイント。
例えば、クラプトンならギターソロを中心に見る。聴く。
ディランなら、どんな曲をどんな風に演奏するか、また、歌い方が楽しみ。
ブライアン・ウィルソンなら、そのサウンドを生でどう再現するかが楽しみ。
などなど、ミュージシャンによって、ライブの客として期待するものは千差万別であろう。
今日、野沢享司さんのライブを見に行ってきた。オープニングアクトはレイチさん。
レイチさんのライブはこれまでに何度も見てるので、楽しむのは彼の語り、そしてどんな選曲をするか・・を中心に見ることが多い。自分にとってそのスタンスは、レイチさんのライブの楽しみ方である。
また、そういう見方で、レイチさんのライブは私には十分楽しめる。トークが臨機応変でウィットに富んでいるし、時には中学時代に作った曲なども披露してくるから、どんな曲をひっさげて出てくるかという楽しみがある。
一方野沢さんの場合。
実は野沢さんの曲は、私はこれまでほとんど知らないできた。
だから、これを機会に野沢さんの曲を歌を味わってみよう・・そんなテーマで見に行った。
ところが、ライブが始まってみると、野沢さんのギターテクニックに驚き、歌や曲を聴くよりもギターテクニックを中心に見たり聴いたりしてる自分がいた。
ともかく、歌いながらもひっきりなしに指が動き、そのコードワークに目が釘付けになった。
歌いながら、よくこんなにコードワークができるものだ・・と、圧倒された。
それでいて、リズムも安定している。
さすがプロと思った。
おかげで、歌を聴いたり、楽曲を味わうことが少しおろそかになってしまったような気がする。ともかく、そのギターワークに耳がいった。
いや、そのボーカルにも味があるし、ハーモニカも上手い。
選曲のセンスも意外性があって楽しく、また、なんといっても選曲した曲の野沢さん流の調理法にもセンスがある。
その点は間違いない。
例えば「上を向いて歩こう」「ゲットバック」「カム・トゥゲザー」などの調理法は、独自のものがあるし、面白い。
でも、曲が始まると、私の目と耳は、自然と野沢さんのギターワークの方に行ってしまった。
あれだけギターが弾けたらいいだろうなあ。
歌を味わって聴くというより、ついついギター中心に聴いてしまい、歌に対しての自分のベクトルが最初の予定よりもおろそかになってしまったような気がして口惜しい。
野沢さんの音楽は、歌とギター演奏の重要性がイコールなんだなあ・・と思った。
だから次回野沢さんのライブを見る機会があれば、その時は歌の方に自分のベクトルを向けて聴いてみたいと思った。
歌いながらのギター演奏が、あれだけテクニックがあると、たいがいの人が、そのギターワークに耳を奪われるのではないだろうか。
自分には、歌いながらはもちろん、ギターに専念したとしても、あれだけのギター演奏はできないだろう。
この日記の冒頭でも触れたが、客としてライブを見にいった時、そのミュージシャンのどこに注目するか。どこを楽しみに行くか。それを把握しておくのって、実はけっこう大事。あらためて、そう思った。
蛇足だが、及川恒平さんが客席にいらっしゃって、私のリクエストで「面影橋から」をマイク無しで弾き語りしてくれたのは、嬉しかったなあ。
実を言うと、私は自分の席でレイチさんからギターを借りて、及川さんに聴こえるように何気にわざと「面影橋から」のメロディを弾いて、ちょっかい(?)ださせてもらったのだった(爆)。
そうしたら、私が弾く「面影橋から」のメロディに、作者である及川さんがしっかり(?)反応してくれた・・ってわけだ。
及川さん、ありがとうございました!
70年代当時、あんなに憧れてた「プロのフォークシンガー」達に、こうして身近に会って、お話しなどもさせてもらうことができ、本当に嬉しい。
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