
パブロ・クルーズの「トゥナイト・マイ・ラブ」という曲に関する私の「旅の思い出」は、前述の千葉での記憶だけではなかった。
それは・・・学生時代に、当時入っていたアウトドアサークルの合宿で、能登に旅した時のことだ。
ちなみに当時の私は、メインの音楽サークルだけでなく、もうひとつアウトドアサークルにも入っていたのだ。
能登へ向かう夜行列車は超満員で、私を含むサークルのメンバーたちは席に座れないばかりか、通路まで人でビッシリ埋まる車内を、一晩中立ちっぱなしの状態で過ごし、疲労困憊の末に能登に着いた。能登は・・遠かった。
現地では、現地に実家がある先輩の家に立ち寄り、その後合宿のルートとして、フェリーで、ある島に渡った。
その島の名前は、能登島。
フェリーはその後廃止されたらしいのだが、私たちが乗った時期は、・・もしかしたら廃止直前の頃だったかもしれない。
ゆっくり海上を進むフェリーに乗って、甲板に立ち、手すりによっかかり、私は海原を見ていた。
空にあって地球を照らす太陽は、心持ち低い位置にあった。
海原には太陽が写り、おだやかな海面の波たちは陽光を照り返し、キラキラ輝いていた。
その様ときたら、海面に太陽が漂っているかのようであった。
美しかった。
そんな海原と太陽の照り返しと、大きな空や、向こうに続く海岸線を見てると、私はサークル仲間の中にいることを忘れ、たった一人で旅しているような気分になった。
そして、何を考えるでもなく、ただただその美しい景色に癒され、和んでいた。
そんな私の頭の中に鳴り響き、頭の中を流れるその曲のメロディやサウンドに合わせ、口ずさんでいた楽曲があった。
それこそ・・・パブロクルーズの「トゥナイト・マイ・ラブ」であった。
この曲には元々「広がり」を感じていたのだが、能登島に向かうフェリーの甲板から見ていた景色もまた、広がりのある景色だった。
広がりのある景色の中で、穏やかな気持ちで広がりのある楽曲を口ずさむことで、その曲は更にどこまでも広がっていくかのように思えた。
太陽の照り返しをたたえた海原は、「トゥナイトマイラブ」の収録されていたアルバムジャケットの裏表紙の風景とオーバーラップして見えていた。
思うに、人生には、今自分が体験していることや見ている光景、そしてその中にいるリアルタイムの自分が、この先忘れられない一場面、一光景の一つとして、今後の自分の人生において長く・・ずっと記憶されていくだろうなという予感がすることがある。
国木田独歩の小説に「忘れえぬ人々」という作品があったが、この場合「忘れえぬ光景」であり「忘れえぬ瞬間」でもある。
この能登島に渡るフェリーから見る風景、その中にいる自分、そしてその時自分が口ずさんでいる曲・・といういくつもの要素もまた、一体となって長く記憶に残っていくだろうという予感があった。
で、それは現実のものとなった。
「トゥナイト・マイ・ラブ」のイントロ、サビのメロディ、そしてメロディアスなピアノ、そして終盤のストリングス・・・聴くたびに、私は能登島に渡るフェリーから眺めていた風景を思い出す。
ストリングスの広がりは、太陽を照り返して輝く海面を、はるか先まで進んで響いていくような気がした。
この時の合宿では私はカメラを持っていってない。
おかげで、この旅の写真は一枚もない。今考えると、悔やまれるばかりだ。
能登島では、あちこち巡ったが、ある海辺の岩場に佇んだ時に、岩場に妙なものを見つけた。
それは・・とても大きな・・・まるで恐竜サイズの骨であった。
背骨らしきものと、肋骨らしきものが見えた。肉はなかった。
岩場に打ち上げられていたその巨大骨は、半分海面に出て、半分は海中にあった。
岩場の岩に引っかかって、波に持っていかれないで、その場に残っていたようだった。
まるで、岩場と一体化したがっているようにも思えた。
あの巨大骨は、なんだったのだろう・・・恐竜のわけはないので、鯨クラスの生物の骨とでも考えなければ説明がつかなかった。
そうじゃなかったとしたら、一体何の骨だったのか・・・という疑問は残る。
ザブンザブンと音をたてて岩場に打ち寄せる波を浴び、そしてその波が引いてゆくたびに、その骨は姿を少し見せたり、だいぶ見せたりしていた。
骨となったその生物は原型をまったくとどめていなかったし、当然何の反応もしないし、ましてや自らの生存音・・・鳴き声(?)も発しない。
ただ、岩場に打ち上げられたままの状態で、巨大な骨姿を無言で晒し続けていたのだった。
骨が何もしゃべれない代わりに、岩場と同化した骨に打ち寄せる波が、骨の気持ちを代弁して音を立てているかのようにも思えた。
その光景もまた、忘れられぬ光景の一つとして、長く私の頭の中に残っていくであろうことを・・・その時予感したものだった。
フェリーの甲板から海を見下ろしながら頭の中に流れていた「トゥナイト・マイ・ラブ」は、その岩場の巨大骨の光景には、全く似つかわしくないものであった。
人っけの全くない岩場で物言わぬ巨大骨が晒され続けている光景は、なんとも空しい光景であった。
フェリーで「トゥナイト・マイ・ラブ」を口ずさみながら見てた「美しくて広がりのある風景」とは、対照的であった。
なぜかその光景が頭に残り、能登島に泊まって本土に帰る時のフェリーでは、「トゥナイト・マイ・ラブ」は頭の中に流れてこなかった。
「トゥナイト・マイ・ラブ」で高揚した心を、巨大骨が沈めた・・・そんな感じだったような気もしている。
あの骨はどんな経緯であそこに打ち上げられたのだろう。
で、その後、あの骨はどうなったのだろう。
当時からすでに、世の中から忘れさられているかのようだったし、まさに「時間の外」にいる感じだったのだが、その後あの骨は、絶え間なくひいては寄せる波にいつしかさらわれ、海中に帰っていったのか。
それとも、人間によって引き上げられたか。
あるいは・・・その後もずっとそこに残されたまま、やがてバラバラになり朽ち果てていったのか。
それは・・・今となっては、分からない。
知ってるのは海と空だけなのかもしれない。
とりあえず言えるのは、あの巨大骨はともかく、「トゥナイト・マイ・ラブ」が、能登島に渡る私の心を大いに躍動させてくれたのは間違いない。
やはり、この曲は、私にとっては「忘れえぬ曲」であり続けることだろう。
そして、好きであり続けるだろう。
これからも。
あの能登島の記憶と共に。
あの広がった海原を輝かせた照り返しと共に。
そして。
私にとって、そんな「忘れえぬ曲」を作りだしたパブロ・クルーズというバンドは、再結成されて、・・・何十年かぶりに・・・再びこの日本にやってくる!
それは、この夏だ。