2021年の東京五輪の聖火リレーが始まった。
その様子の映像を見て私は思った。
今までの五輪で、そのたびに各国の聖火リレーを見てきたけど、今回は・・こんなに悲しい聖火リレーを私はこれまで見たことがない・・・と。
少なくても私が見てきた中では、最も不安で寂しい聖火リレーかもしれない。
これで・・・やったうちに入るのだろうか。
ここまでしても、こんな状況でも、やらなければいけないことなのだろうか…。
本来なら五輪は、開催国の勢いや盛り上がり、文化や技術など色んな面を世界にアピールできる場でもある。
今回の聖火リレーの状態が、現状の日本の姿として世界に発信されてしまうわけで…。しかも、しっかり密になっている状態も報道されているはず。
日本だって、コロナにはさんざん苦しめられている国。感染の危険性をわかってる国民のはずなのに、密になっている。
さらに、2021年現在、日本はまだ国産ワクチンも完成できてない国。
そんな国が五輪の開催国なのだ。
よく考えてほしい。日本は、五輪に対応したコロナ対策ができてるのだろうか?ということを。
医療体制も、政策も、そして国民の意識も。
海外からの客は受け入れ断念でも、各国の選手やスタッフは来なければいけない。
外国は、安心して選手を派遣してくれるだろうか。不安に思ってもおかしくない。
五輪は、開催国やIOCの意向や都合だけでできるイベントじゃないはず。
参加国の意向、都合、さらには心情だってあるはず。
開催国とIOC、そして参加国の総意でできるものではないだろうか。
こういう五輪、貴方は日本人として世界に誇れるだろうか。私はむしろ悲しい。
逆効果のアピールにならないか心配。
これでいいのだろうか。
安倍前総理が、マリオの恰好で世界に東京五輪のアピールをした時のことを思い出すと、切なくなる。
あの時は盛り上がったよね。ちょっと誇らしくも思えた。
それが・・今回の日本での聖火リレーの映像を見て、他国の人はどう思うだろうか。
他国の人になったつもりで、イマジンしてみてほしい。
本当は日本だって、こういう寂しい聖火リレーなどしたくなかったし、コロナがなければ、それなりに誇れるような聖火リレーの盛り上がりも見せられたろうし、五輪にからむ大掛かりな演出も披露できたはず。
そのへんは世界の人も分かっているだろうとは思うけど・・。
ただ、ただ、悲しく寂しい。
現在の状況で、五輪をやってしまうことが。
不完全な五輪であっても、「開催した」ことにカウントされてしまうことが。
日本の体質として、一度決まると止まらない公共事業があるが、なにやらそれを思い出してしまった。