
最近、「エレックレコードの時代」というボックスが出ている。
ボックスの内訳は、エレックレコードの事について書かれた本と、当時放送禁止にされたエレックの曲の入ったCD、そしてエレックのライブラリーを記した本・・の3点セットだ。
入手できるのは本屋さんだ。
で、一番の目玉は、なんといっても、エレックレコードについて書かれた本だろう。
なにしろ、著者が門谷憲二さんだ。
門谷さんは、ケメ、泉谷しげるなどに作品を提供したり、「唄の市」を開催したり、エレックのたちあげに貢献した、いわば「70年代フォーク」の生き証人であり、当事者でもある。
本人にはそんな気はなかったかもしれないが、結果として「70年代フォークの仕掛け人」の1人になった人である。
この本では、門谷さんがいかにしてエレックと関わることになっていったかが詳しく述べられており、若かりし頃の泉谷しげる、古井戸などのエピソードが満載。
門谷さんの若かりし頃はどんな時代だったのか、その時代の中で どんないきさつでエレックに関わるようになっていったか、エレックのアーティスト達の若かりし頃の姿、そしてエレックの終焉・・・などが書かれている。
エレックの若いアーティスト達との付き合いは、ある時は微笑ましく、ある時は緊張感があり、またある時は感動的でさえある。
若い頃の泉谷しげるの天衣無縫さ、古井戸のチャボのピュアで繊細な姿、ピピ&コットを預かった時のいきさつ、ケメがなぜソロでデビューすることになったか、などなど。
もちろん、まだまだある。
拓郎、加奈やん、生田、・・など他にもたくさんの名前がふんだんに出てくる。
そして、もちろん、浅沼氏の存在。
浅沼氏に関しては、私はこの本を読むまであまり多くは知らないできた。
もちろん、彼がエレックのキーパーソンであることは当時も知っていたし、実際エレックのアルバムを買うと、その中での浅沼氏は抜群の存在感を持っていた。
だが、実際にはどんな人だったのかは、よく把握していなかった。
エレックの親玉みたいなイメージしかなかった。
この本を読むと、浅沼氏はちゃんとした戦略を持った優れたプロデューサーだったことがわかる。
この本を読んで私は浅沼氏を見直してしまった。←偉そうに(笑)。
浅沼氏が活躍し、エレックが段々波に乗っていくくだりは、ファンとしては本当に面白い。
ただ、優れている人は野望も持つものだ。
それが違う方向に向いていってしまうと・・・そこにエレックの崩壊が始まったのかもしれない。
エレックの崩壊。そのへんもしっかり書かれている。
このへんは、場面によっては非常に生々しい。
当時、エレックファンだった自分にとっては、読んでて辛い箇所もある。
でも、それも現実だったのだ・・。
この、エレックの崩壊のシーンに関しては、著者があえて書いていない事柄も多いようだ。
そりゃ、現場に居合わせた人にとってみれば、書きたくないこともあるだろう。
そのへんは、分かる・・。
悲喜こもごもの、エレックの時代。
一時代を築いたのはまちがいないし、エレックは今に続くスターを輩出した。
今やJーポップと呼ばれてすっかり国内市場を獲得している日本の音楽市場に与えた影響は大きい。
エレックは、日本の音楽の開拓者でもあった。
最近、70年代フォークが見直されてきている。
エレックは、その中の核の一つであるのは明白。
エレックの音楽をこよなく愛した私としては、今のリバイバルは単純に嬉しいし、感慨深いものがある。
ただ、あえて言わせてもらえば、今の再評価&リバイバル状態が高じて あまりに神格化されてしまわないことを望みたい。
自分がなぜエレックが好きだったかというと、それは等身大の音楽に思えたからだ。
あまりに神格化されてしまうと、それはもう等身大ではなくなる。
そうなると、またエレックは本質的な良さを失い、遠い所に行ってしまうか、壊れるか冬眠するしかなくなるように思う。
これは、リアルタイムでエレックの音楽を愛した私の 単なる「たわごと」かもしれない。
でも、好きだったがための「切実な願い」でもある。
ともあれ、この「エレックレコードの時代」という本。
当時の音楽シーンに興味や思い入れがある人にとっては、たまらない本であることは間違いない。
当時、エレックは目の前にあったように感じた。部屋の中にもあったし、世の中にもあった。
今、エレックは、また目の前に・・、ほら、この本の中にある。
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