時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

旅行記「萩の城下の夢語り」「萩、笠山の遠い記憶」発表。

2006年09月28日 | 
自分のホームページ「時代屋小歌」で、旅行記の新作「萩・3部作」を、やっと公開できた。
(私のホームページは、このブログのトップのBookmarkから行けます。
 一応アドレスを記しておきます→ http://homepage2.nifty.com/oborokage/ )


萩は昔の面影を今にとどめる、風流な街だった。
歴史を感じさせられる街だ。

それに比べて東京はどうだろう。
再開発の名のもとに、古い建物を次々と消滅させてきた。
まあ、日本の首都であるがための仕方がない点もあるだろう。
だが、あまりにも古い景観を否定しすぎてはいないだろうか。
今では古い景観を眺めるためには、テーマパークみたいな場所に行かねばお目にかかれなくなってしまっている。
街づくりをする時、何もかも今の基準に当てはめなくてもいいのではないだろうか。
今の基準が必要なものと、古いものの良さを残すというバランス感覚があってもいいと思っている。

その点、萩は、思っていた以上に古い佇まいを残している感じがした。

萩に住む人たちは、自分の街の歴史を誇りに思っているのかもしれない。
だから、こんなにも古い佇まいが保存されているのだろう。
実際、萩には、住民が誇りに思うだけの歴史や価値がある。

これがもし東京だったら、高杉晋作や桂小五郎をはじめとする志士たちの生家は、とうに壊されていたのではあるまいか。
もしくは、どこかに移転させられていたことだろう。
移転させられてしまっては、価値も興味も落ちてしまう。


私の学生時代、萩は、修学旅行の定番の場所だった。
萩は、修学旅行とは別の個人旅行で行って、自分の思いのままに散策してみる価値がある街だ。
幕末・維新のファンにとっては、なおさらだ。
マストと言ってもいい。

討幕側のファンにとっては必須の場所であるが、佐幕側のファンにとっても、訪れる価値はある。

あの時代、討幕側、佐幕側、どっちが正しかったかという問題に対しては正解はない。
どちらにも正義はあった。
誰もが、国の行く末を案じ、命がけで生きた。
そこに善悪の区別なんかつけたくない。善悪は、無いといってもいいと思う。

はっきりしていることは、彼等が命がけで動かした時代の道筋の上に、今の我々は居るということだ。

そう考えると、我々も今の時代を大切にしなきゃいけない。
過去のためにも、現在のためにも。
そして、未来のためにも。







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