「沖縄戦」から未来に向かって 第2回③
太田氏と曽野氏の論争だけにとどまらず、対立する「鉄の暴風」と「ある神話の背景」全体の矛盾点には空白があり、その空白を埋めない限り矛盾は解消できないと前述しました。そしてその空白とは、集団自決のキーパーソンである渡嘉敷村長の存在であることも提示しました。
また曽野氏もこの第2回では直接的ではないにしろ、「鉄の暴風」の取材時に元渡嘉敷村長が含まれていた以上、元村長の存在や言動が最重要であるとの認識がうかがわれます。
そういった曽野氏の主張に対する太田氏の反論は、残念ながら元住民の中に渡嘉敷村長がいたということを「思い出した」だけで、より具体的な内容はまったく提示しておりません。
提示した矛盾や空白を解消するために、本来であれば太田氏自身の反論、あるいは元渡嘉敷村長や太田氏への直接的な取材等が有効な手段ではありますが、ご両人とも既に亡くなられており、事実上不可能な状態となっております。
そういったわけで、残された作業は複数ある史料を駆使して空白を埋め、仮説を提示することだけしかありませんので、前回は「元村長は自決命令を聞いていないが、自決命令が出たという噂やデマは信じていた」という仮説を提示しました。
今回はその仮説を前提にして「鉄の暴風」と「ある神話の背景」に生じた矛盾を解消していきたいと思います。
集団自決において渡嘉敷村長がキーパーソンであることは、この論争が行われていた以前から既に分かっていたことでした。
村長であったという公的な立場でありますが、集団自決が決行される直前に村長や村の有力者と思われる人物が集まり、具体的な内容は不明ながら何らかの相談をして、その後村長の「天皇陛下万歳」という号令で手榴弾の起動操作が始まっているのです。
これら一連の行動は元村長や当事者の証言で複数確認されておりますので、明らかな事実と認定しても間違いはないと思われます。
つまり渡嘉敷村長はその一部始終どころか、最初から最後まで村長を中心にして集団自決が決行されたといっても過言ではありません。
ただし決行直前はどうだったのか、ということに関しては実のところ、元村長自ら具体的な証言や史料を残しておりません。残していないがゆえに、今回のような矛盾や論争が起こったともいえるのですが、これ以上は追求いたしません。
そのような人物が「自決命令は聞いていないが、命令が出たという噂やデマを信じた」ということなのですから、ここからさらにもう一つの仮説を導き出せることが可能になると思われます。
それは渡嘉敷村長と同じ考えが決行直前の「共通認識」だったのではないか、という仮説です。つまり村長までもが「信じた」のだから、他の住民も「信じてもおかしくはない」ということであり、集団自決を実行に移した要因の一つではないか、ということにもなるでしょう。
しかし、そういった共通認識がどれぐらい広がっていたのか、どの程度の割合だったのかについて考察することは、事実上不可能であるというほかはありません。
「村の有力者たちが協議していました。村長、前村長、真喜屋先生に、現校長、防衛隊の何名か、それに私です。敵はA高地に迫っていました。後方に下がろうにも、そこはもう海です。自決する他ないのです。中には最後まで闘おうと、主張した人もいました。特に防衛隊は、闘うために妻子を片づけようではないか、と言っていました。(元渡嘉敷郵便局長)」(沖縄県教育委員会編「沖縄県史第10巻各論編9沖縄戦記録2」 国書刊行会 1974年)
上記の証言では赤松大尉の自決命令があったにせよ無かったにせよ、あるいは軍からの自決命令が噂やデマの類いであったにせよ、自らの意思で集団自決を実行しようという意見や、むしろ米軍と戦おうという意見もあったということが垣間見ることができます。
このような考える時間さえ与えられない緊迫した状況のなかで、「移動しなさい」「避難しなさい」「集合しなさい」といった軍や村からの命令または指示が、いつの間にか何らかの作用によって「自決しなさい」という噂やデマになり、最終的には確固たる事実として拡散されていったのではないのでしょうか。そうでもしない限り、渡嘉敷村長や村の有力者たちをはじめとする住民たちが、赤松大尉あるいは軍から自決命令が出たことを「信じる」ことはなかったと思われます。
噂やデマが「信じられた」ということは、別の観点からすれば何らかの理由によって事実へと「変換」されたことになったのですから、その「変換された瞬間を考察」することで、集団自決はどのようにして始まったのかという実像が解明されると思われます。
そういった意味では非常に重要な要素ではありますが、ここでは太田氏と曽野氏の論争を中心にした考察を行っておりますので、混乱を避けるためにそのラインに沿ったものを続けたいと思います。
噂やデマが事実に変換された「瞬間」を、太田氏と曽野氏の論争あるいは「鉄の暴風」と「ある神話の背景」の対立から見出すとすれば、赤松大尉の自決命令が既成事実として描写された「鉄の暴風」以外にはありません。
つまりは「いつ、誰がどのようにして変換させたのか」ということになり、対立する著作物や論争の矛盾を解消することにもつながります。元々「鉄の暴風」に疑義を提示したのが「ある神話の背景」なのですから、当然といえば当然なのかもしれません。
このように「変換した瞬間」を主軸にして考察した場合、「鉄の暴風」からは二つの仮説を提示することが可能だと思われます。
一つ目は「当事者たちが変換した」場合です。
二つ目は「編集スタッフが変換した」場合です。
「当事者たちが変換した」場合は「誤認」だということが結論づけされます。
「編集スタッフが変換した」場合は「捏造」だということが結論づけされます。
この件に関しての詳細な考察は次回以降に続きます。