さて、王政と宗教が結ばれ、その間に法律が生まれた。
宗教は、法律が生まれたとき、
「これは神から授かったもの」と宣った。
宗教はまた身籠って、道徳を生んだ。
道徳は心を養うものとなり、法律は言葉を耕すものとなった。
やがて、法律は刑罰を神への貢物とした。
対して道徳は、禁欲を奉げた。
しかし、神は道徳とその捧げものには目を綻ばせたが、法律とその捧げものには目も留められなかった。
これは法律の立場からすれば理解し難く、耐え難いことでもあった。
また彼からすれば、自分が道徳の番人のように思われていることも許せなかった。
それをお察しになり、主は法律に言われた。
「なぜ、お前は俯いているのか?
お前のしていることが正しいのなら、世の中は良くなり、お前は誰からも称賛される筈ではないか?
しかし、実際世の中は悪くなって人が穏やかに暮らしにくくなっているとしたら、お前は根本的に間違ったことをしているということだ。
だが慌てない方がよい。お前が私に背を向けて、飛び出した途端にお前が大量に拵えた罪が追いかけてくるであろう。
罪はお前にしがみついて離れず、お前は罪と永遠に結ばれ、それを養い治めなければならない。」
主の諭しも空しく、やがて法律は道徳を議論に誘い出し、
二人きりになった時、不意に襲いかかって道徳を殺してしまった。
主は法律に尋ねられた。
「お前の弟である道徳は、どこにいったのか。」
法律は言った。
「知りません。私は道徳の護衛なのでしょうか。」
主は言われた。
「全身返り血塗れでシラを切るのか!ついにお前はやらかしたな!
聞こえる、呻き声がする!お前の弟の血である善が、
生きる場所を探してわたしに向かって叫んでいる!
もう、お前は呪われてしまった。
道徳なくして法律などあり得ないというのに!
今後お前がいくら耕しても、言葉はもはや、国や平和のために作物を生じさせることはない。
寧ろ私の後ろ盾と道徳を失ったお前が作った法文や命令など、砂のように崩れて、正直な人々からすれば迷惑でしかなくなる。
そうやって、善良なものが妨げられ、法を破ったり掻い潜るものがのさばるのを横目に見ながら、お前は言葉の上で酔ったようにふらつき、定まった住処も持てない流浪人となる。」
法律は主に言った。
「主よ、どうかお待ちください!
私のせいで世の中がどんどん悪くなっていくなど、そのような恐ろしい未来は見るに耐えません。
あなたに背き、弟を手にかけた私は、渇き切った言葉の上をさまよい歩く追放者となる罰を甘んじて受けます。
しかし、あなたの後ろ盾を失った私に出会った者は、自然や自由の名のもと私に襲い掛かり、私を抹消しようとするのではないでしょうか?」
主は彼に言われた。
「実の弟を殺したものが、自分は殺されたくないと縋るなど恥知らずにも程がある。
だがまあ、お前まで消えてしまうと世の人は安心することができないであろうから、私は布令しておこう。法律を害する者、法律を否定する者は私が速やかに始末する」
主は、法律と出会った者が、だれも彼に危害を加えないように、法律に〈自然合意〉という保護符を授けられた。
こうして命だけは救われたものの、法律は信仰と道徳から切り離されて、砂漠の様な言葉の上を永遠に彷徨い続けることになった。
さて政治は再び宗教と結ばれた。
宗教は男の子を産み、その子を倫理と名づけた。
法律が道徳を殺したので、彼女は
「神が、道徳の代わりに別の子孫を授けてくださいました」と言った。
倫理にもまた、男の子が生まれた。
倫理は彼の名を礼儀と呼んだ。
そのころ、人々は主なる神が居られることを自然と知るようになった。
(創世記4章)