天上天下唯我独尊

夢に生き、夢のように生きる人の世を
憐れと思へば、罪幸もなし・・・

四行詩集 ~無花果の実り~ 8

2008-02-03 20:28:47 | 「無花果の実り」
1.調律笛は調律笛だから、絶対正しいなどと言う者は指揮者はおろか演奏家にもなれない。
  法律は法律だから、絶対正しいなどと言う者は政治家は勿論、役人にもなれない。
  調子笛は調子を鳴らすだけで、調子を定めているのではないだろう?
  法律は道義を示すだけで、道義は自然に成立するものではないか?
「聖人の事を挙ぐるや、憂を加へず、其の所以を察するのみ。今、万人もて鐘を調すれば、之を律に比すること能はず。真に知る者一人を得ればすなわち足る。説者の論も、また猶の此の如き也。真に其の法を得れば、すなわち多きを用う所無し。夫れ車の能く千里に転ずる所以は、其の要、三寸の轄に在るを以て也。夫れ人に勧むれども使むること能はず、人に禁ずれども止むること能はざるは、其の由る所の者理に非ざれば也(淮南子/第17巻)」

2.熟練の調律師は、一つの音さえ定まれば、そこから完璧に音律を整える。
  オクターブが合わなくてもよいなんて、それでも調律したといえるのか。
  一国民の行動を規制する原則と、一国の外交原則が矛盾するなんて、それでも法律といえるのか。
  調律は一つの音だけ行っても意味がない。法律は矛盾があるなら無効だ。
「言え、『主は我々をお集めになり、真理でお裁きになる。本当によく裁くお方、よく知るお方である』(コーラン34:26)」

3.演奏しないから、調子笛は規定の音程をいつまでも保つことが出来る。
  実際に政治を行わないから、朝廷は完全な制度・法律を保つことができる。
  実際に使用する楽器は、そのうち多少なりとも調律が乱れてくる。 
  実権を握っている政府に完全を求めてはならないし、朝廷に政務を委ねれば、すべてが乱れる。
「お前達のもとにあるものは滅び、神の御元にあるものは残る。耐え忍ぶ者には、その行った最善のものに応じて、我らが報酬を与えてやる(コーラン16:96)」

4.調律笛などは、七つの音が出れば十分だが、演奏する楽器はそれでは足りない。
  朝廷などは、七つの省庁があれば十分だが、幕府がそれでは国事が滞る。
  演奏する楽器が壊れても、調律笛があるから、音が途切れることなく済む。
  幕府が崩壊しても、朝廷が残っていれば、いつでもすぐに再建することができる。
「七つの天と大地と、そこにある一切のものは、神を讃える。神の栄光を讃えないものは何もない。ただお前達には、それらの賛美がわからないだけである。まことに神は寛大にして寛容なお方。汝がコーランを読む時、我らは、汝と来世を信じない者共との間に、目に見えぬ幕を張った。また、我らは彼らに理解させないために、心に覆いをかけ、その耳を鈍くしてやった。何時がコーランの中でただ主のことをのみ念ずるとき、彼らは嫌って背を向けるであろう(コーラン17:44)」

5.音律を指定しても、それを鳴らして聞かせなければ、誰もそれに合わせることができない。
  律令を制定しても、それを朝廷で具現化しなければ、誰もそれに倣うことができない。
  音を鳴らさなければ、楽譜などいくら書き記しても全く無意味ではないか。
  法令典範をいくら定めても、それを完全に実現するものが一つもなければ、全く効果はない。

6.主音が定まって、初めて音階が伸べられる。主君がいて、初めて階級が生じる。
  音楽家なら、主音とは、上にもあるが、本来は下にあるものだと知っている。
  政を知る者なら、主君とは、上ではなく、下にいるものだと知っている。
  上から和声を支配しようとしても、煩がられるだけで、徒労に終わる。
「あなたがたも知っているとおり、異邦人の統治者たちは彼らは支配し、偉い人達は彼らの上に権力を振るいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなた方の間で人の先に立ちたいと思う者は、みなの僕になりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人の為、購いの代価として、自分の命を与えるためであるのと同じです(マタイ伝20:25)」

7.ハ長調の第一音はハ、第二はニ、第三はホ、第四はヘ、第五はト、第六はイ、第七はロ。
  王道は第一に食料、二に経済、三に祭祀、四に土木、五に教育、六に法務、七に外交。
  曲調の明暗も、聴き手の喜怒哀楽も、第三音と第六音によって決る。
  王朝の将来も、民が笑うか泣くかも、ただ祭司と判事が道に明るいか暗いかで決る。

8.指揮者なら、正しい音律を示してみよ。指導者なら、正しい道義を語ってみよ。
  指揮者が音律を知らないのに、どうして奏者が正しく演奏できようか。
  指導者が道義を知らないのに、どうして臣官が正しく振舞えようか。
  演奏が乱れているのに、一体誰がそれにあわせて唄い踊ると言うのか。
「孔子曰く、君子誤り言へば、すなわち民辞と為し、誤り動けば、すなわち民則と為す。君子言ふこと辞を過たず、動くこと則を過たざれば、百姓命ぜずして敬恭す。斯くの如ければ、すなわち能く其の身を敬す。能く其の身を敬すれば、すなわち能く其の親を成す也、と(礼記/第27章)」

9.旋律は無く、伴奏だけがあるなんて、一体どうやって唄えばよいのか。
  模範は無く、罰則だけがあるなんて、一体どうやって生きればよいのか。
  旋律は必ずしも伴奏を必要としないが、伴奏があるなら旋律がなければなるまい。
  教令は必ずしも罰則を必要としないが、教令無くして罰則があるのは許されまい。
「孔子曰く、教えずして殺す、之を虐と謂ひ、戒めずして成るを見る、之を暴と謂ひ、令を慢にして期を致す、之を賊と謂ふ(論語/第20章)」
  
10.美しい旋律が歌われていると、みながそれに耳を傾けて、口ずさむようになる。
  美しい生き方をしている人がいると、みなが注目して、真似するようになる。
  誰もが歌えるように、旋律があまり高音域でもいけないが、低すぎてもいけない。
  教令は同じ困難でも、忍ぶことを求めるよりは、義に生きることの方が人々を奮い立たせる。
「故に曰く、楽は楽なり。君子は其の徳を得るを楽しみ、小人は其の欲を得るを楽しむ。徳を以て欲を制すればすなわち楽しみて乱れず。欲を以て徳を忘るれば、すなわち惑ひて楽しまず。是の故に君子は情に反りて以て其の志を和らげ、楽を広めて以て其の教えを成す。楽行はれて民、方に向かふ。以て道を観るべし(礼記/第19章)」

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