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2009季のアルビレックス新潟

2020年06月19日 18時00分00秒 | アルビレックス新潟
サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の回顧特集に倣って。

2009Jリーグディビジョン1のアルビレックス新潟は、大島秀夫とペドロ ジュニオールと矢野貴章の3トップ、「4-3-3」布陣で席巻した第23節までが「幸福な時間」でした。
第19節時点で、なんと新潟は2位。
1位の鹿島アントラーズとは勝点10差と離されていたものの、残り15節で追いつき追い越せるのではないかという願望込みの感触を抱いていました。
〝お笑い要員〟ジウトンの存在もあって、2005Jリーグディビジョン1第2ステージで逸したチャンピオンの称号を獲れそうな勢いがありました。

それが予期しなかったガンバ大阪のペドロ強奪で、夢は潰れたという…
3トップをもう編成できず、得点奪取力が低下、勝点獲得ペースも低下。
7位までが賞金をもらえるのに、それも叶わずに8位で終戦。

ペドロが引き抜かれなかったとしても、今考えれば、リーグ制覇は出来なかった可能性が濃厚です。
夏場から、新潟の「4-3-3」は相手チームの研究と対策で、それまでよりも機能しなくなってきたので。
とはいえ、8位まで順位を落とすに至ってなかったとは思います。

腹が立つのは、奪っていったガ大阪がペドロを使いこなせなったこと。
新潟での活躍が色褪せるほどに。

新潟に限った話じゃなく、大多数のJクラブは結果を出している選手を引き抜かれるのが常です。
でもそれはシーズンが終わった後なのが定番。
それがしかし、2009シーズンは夏場でしたからね。
ここ3シーズンは、DAZNマネーのおかげでシーズン半ばで強奪していく・されていく件数が増えましたが、当時は稀でした。

今でも、ペドロが第34節前新潟でプレーしていたらどうなっていたか、時たま妄想します。


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