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中越地震15年「当たり前にサッカーができることに感謝」奮闘中のアルビレックス新潟U-15長岡

2019年11月01日 20時00分00秒 | アルビレックス新潟育成チーム
2019年10月23日付 毎日新聞新潟版 


最大震度7を観測し、68人が犠牲となった2004年10月の新潟県中越地震から23日で15年。
被害の大きかった同県長岡市では、サッカーJ2新潟の下部組織、アルビレックス新潟U-15長岡の選手たちが、サッカーができることに感謝しながら、将来のJリーガーを目指して練習に励んでいる。

チームは15年に誕生した。長岡市や近隣に住む中学生で構成され、今季は新潟県1部リーグで優勝した。

地震が起きた年に生まれた選手は中学3年生になった。
彼らの人生は復興の歩みと重なるが、選手には地震の記憶はなく、家族から話を聞いたりするなどして当時の様子を知った。

長岡市の越塚ダイ選手(15)は地震で自宅が半壊した。
「(地震当時)道が通れない状態だったり、家の近くがひどかったりしたと聞いて驚いた。
守り、支えてくれた親に感謝したい」という。
姉崎俊介選手(15)は「当時はひどい状況だったと思う。
当たり前にサッカーができることに感謝しないといけない」と述べ、小熊陸斗選手(14)は「当時の映像と比べると、この15年の復興はすごいと感じた」と話す。

震度6強だった同県小千谷市から通う山田康之亮選手(14)は地震後の05年3月生まれ。
発生時、家族は震度7を観測した同県川口町(現長岡市)に住んでいたが、地震後、母方の実家がある小千谷市に移った。
山田選手は「地震の被害の痕跡はまだ周りにある。
日常に感謝して全力でプレーしたい」と思いを込める。

越塚選手の父丈治さん(43)は「感謝できる人になってほしい」、山田選手の父高史さん(47)も「被災した時は支援をいただいた。
配慮ができる人になってほしい」と子供たちの成長を願う。

チーム発足時から指導する堀沢清監督(48)と、山崎良輔コーチ(29)は長岡市出身。
堀沢監督は04年は新潟の育成普及部のスタッフで、出張先の同県上越市で地震に遭った。
後日、新潟の選手と小千谷市の学校を訪問した時、ブルーシートがかかった多くの建物を目の当たりにして衝撃を受けた。
堀沢監督は「今も全国各地でいろいろな被害が起きている。
サッカーができる環境に感謝してほしい」と常々選手に説いている。

地震当時、中学2年だった山崎コーチは強烈な揺れに驚き、裸足のまま家の外に飛び出した。
家族と最寄りの温泉施設に自主避難し、不安な気持ちになったという。
選手には「我慢や耐えることも大事。そういう強さを持ってほしい」と期待している。

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