単車で走っていると、こんな看板が有りまして…
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.23.59-225x300.jpg)
こんなのを見つけると行ってしまう私です。
軽トラで行けるような細い道を行きます。
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.24.01-225x300.jpg)
目の前に見えるこんもりしたところですね。
道から少し行くと、看板が見えます。
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.21.24-300x225.jpg)
今回は内容も薄くなるので、看板の内容を 文字認識です。
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.23.59-225x300.jpg)
こんなのを見つけると行ってしまう私です。
軽トラで行けるような細い道を行きます。
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.24.01-225x300.jpg)
目の前に見えるこんもりしたところですね。
道から少し行くと、看板が見えます。
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.21.24-300x225.jpg)
今回は内容も薄くなるので、看板の内容を 文字認識です。
市指定文化財 史跡 最上廃寺塔跡 最上廃寺は、紀の川市桃山町最上の河岸段丘 上に所在する飛鳥・白鳳時代の寺院跡である。 は、 昭和五十五年より三ヶ年に亘る県教育委員会 の発掘調査では、以前から露出していた塔心礎 【※この説明板の裏手西側約5m、石塔群の中 ほどに現存】のほか塔基壇版築が確認されている。 その他の伽藍は確認できなかったが、単弁の蓮 華文を特徴とする軒丸瓦二種類のほか、博仏(型 に粘土をはめて作った素焼きの仏像)も出土し ている。 県下の古代寺院の中で、 飛鳥時代後期の坂田 寺式軒丸瓦が使用された西国分廃寺(岩出市) 北山廃寺(紀の川市)とともに、最上廃寺は、 紀伊国で最も古い寺院に位置付けられる。また、 三寺院が旧那賀郡内に集中することから、紀伊 国における初期仏教文化の普及を考える上でも 貴重な寺院跡である 紀の川市教育委員会
と有るはずです。
これが多分、塔心ってやつだと思いますが…
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.22.22-225x300.jpg)
草かどうか判断できないくらい
荒れています(^^ゞ
現在は墓地となってまして、
昔は火葬場も有ったんだな って感じの場所になってますので、
あまりおすすめ出来る 場所では無いですね。
これが多分、塔心ってやつだと思いますが…
![](https://batasyan.com/wp-content/uploads/2022/07/s2022-07-18-13.22.22-225x300.jpg)
草かどうか判断できないくらい
荒れています(^^ゞ
現在は墓地となってまして、
昔は火葬場も有ったんだな って感じの場所になってますので、
あまりおすすめ出来る 場所では無いですね。
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