【 7/9、昭島-大月IC-笹子峠-笹子雁ヶ腹摺山-笹子峠-矢立の杉-大峠】
6:30に昭島を出発。大月ICから一般道・峠道を走行して7:40に笹子峠に到着。
準備後、峠駐車場-1020mを7:50に出発。一山目は高低差340mのピストンです。
隧道の上にある笹子峠に出ました。
左折して笹子雁ヶ腹摺山に向かいます。
いきなりの急登で稜線に登ります。
ここから富士山は望めません。
整備された尾根道を辿ります。
尾根道と新道分岐で、景色を期待して尾根道を進みます。
小さなアップダウンの尾根が続きます。
林間から御巣鷹山のアンテナが見えました。
新道合流点に出て山頂まで一本となりました。
送電塔に出ました。初めて視界が広がり富士山が見られました。
鉄塔に干渉されながら撮影。雪がほぼ消えかけていますね。
山頂下の急登で高低差100mを登ります。
8:45に山梨百名山・笹子雁ヶ腹摺山-1358mに到着。
で山梨百名山。渡り鳥であるガンが、その腹をするようにして尾根を飛んでいくことからその名がついた
と言われる。大月市には当山のほか、雁ヶ腹摺山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山という山もある。古くは、東北東側
の米沢山(1357m)や、お坊山(1421m)なども含めた一帯が笹子嶺と称した。また、米沢山とはほぼ
同標高であり、笹子側からみると尾根筋が横に広がって見える。台形の山容から笹子御殿という名もある。
山頂からの富士山の眺めは秀麗富嶽十二景の一つに選ばれている。西側の甲府盆地や南アルプスの展望も
良い。山頂のほぼ真下に中央自動車道の笹子トンネルが通じている。山頂西側には東京電力の東山梨変電
所に電力を送る超高圧送電線の西群馬幹線があり、高さ100m近い鉄塔が続いている。富嶽十二景:四番
木々の間から富士山が確認できました。
秀麗富嶽十二景(しゅうれいふがくじゅうにけい)とは、大月市域内にあり、富士山を望む優れた景観
がある場所として、山梨県大月市が1992年に定めた12の山域(山頂)。大月市のふるさと創生事業と
して観光促進や自然保護に活用するために定められた。大月市から見て南南西方向にある富士山は三ツ峠
山等の山々がその裾野を隠すことになるが、これを富士山が十二単を身につけているように見えるとして
12の数字をとって十二景が選ばれた。選定は大月市出身の山岳写真家白籏史朗を中心に行われ、1990年に
白簱による撮影が行われた。大月市の主催による秀麗富嶽十二景写真コンテストが毎年開催されている。
1番山頂から12番山頂まで番号がつけられており、2つの山頂が1つとして数えられているものもある。
山頂として数えれば19峰が選ばれている。
9:00に下山開始。鉄塔下で雲に覆われ始めた富士山を撮影。
雲に覆われ始めた富士山。次の雁ヶ腹摺山では隠れてしまいそうです。
笹子雁ヶ腹摺山を振り返ります。
帰路は新道を下ります。
片斜面の緩やかな登山道になりました。
第二の鉄塔下を通過。
笹子峠に近づきました。
右折して駐車場に向かうと天神祠がありました。登山と交通安全お参りします。
9:40に登山口に帰着。高低差340m、1時間50分のピストンでした。
靴を履き替えて次の大峠に向かいます。
笹子峠隧道を見学。やはりクマ注意の掲示あり。
途中に見えた矢立の杉に立寄ります。
峠の頂上から少し東へくだった沢沿いに立っている。樹高約28m、根廻り14.8m、目通幹囲9m、幹は
地上約22mで折損し中は上まで空洞となっている。梢頭の数枝は風害によって白骨化している上に、幹
の空洞内は昭和4年の火災で木炭化している。この木は甲斐国誌、甲斐叢記などの古い本に記され、江戸
時代末期の浮世絵師・葛飾北斎や二代目歌川広重の名画にも残されているなど、古来有名な木であると
ともに、スギの巨樹として県下有数なものである。また、樹齢1000年を超す矢立ての杉は、戦国時代
合戦に赴く武士が必勝を祈願して、この木に矢を射ったことからその名前がついたと云われている。
甲州街道が開通して人々の往来も盛んになり、旅人たちの憩いの場となった。
枝葉で全容は確認できませんが、立派な杉です。
矢立ての杉は、歌手の杉良太郎さんの歌にも唄われた縁あって杉の近くには、杉良太郎氏により寄贈さ
れた身代り両面地蔵菩薩が祀られております。毎年年事大祭が行われ、杉良太郎・伍代夏子ご夫妻が揃
ってご祈祷されています。身代わり両面地蔵は、人々の平和と幸福をいつも見守って下さっております。
見学後、次の雁ヶ腹摺山-姥子山へ登るため、大峠に向かいます。
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