最近、あらためて気がついたこと。
見たり、聴いたり、味わったり、、、私たちの身体的な感覚、五感には、
記憶という機能がセットになっている。
何か新しいものを見たり、聴いたり、、、感覚にとってそれが初めて触れる何かであると、
新鮮なものとして認識され、学習し、蓄積されるし、初めてでないものは、今までの記憶が知識を
発揮する。
例えば、ちょっと久しぶりに聴く音楽は、ただ懐かしいと思うだけではなく、過去にそれを、いつどこで聴いたりのか、五感は知らず知らずに「検索」しにいっている。
いつ聴いたのかではなく、むしろ、それをよく聴いていたときの、心理状態を思い出すのは
なぜだろうかと思う。
不安でいっぱいだった頃によく聴いた音楽は、大好きな曲であっても、そのときの感情まで蘇ってしまうので、聞きにくい。
おいしそうな匂いに惹かれるのも、過去に、その香りに満ちたおいしい料理を
食べたことがあるからだろう。
最近、ネットのレシピを検索しながら、手探りでお料理をするようになった。
家族から教わる機会はほとんどなかったし、都会に出てきて覚えた美味しい料理もたくさんある。
しかし、やはり育った家庭の味は忘がたい。食材を手掛かりに、いろいろ試してみる。
最近、八宝菜とか、あんかけとかの味を作れるようになった。
今まで、そういうものは、○○の素、という中間素材を利用していたので、調味料の組合せで作ることはなかった。
しかし、作ってみると、意外に簡単だった。
そして、きざみ生姜が、八宝菜のなかでどんな役割を果たしているのかとか、塩や醤油、砂糖などが
そのように調和すればおいしいのかなど、味わいながら解明されていくのがおもしろい。
それも、舌の感覚、記憶の機能のおかげなのだ。
自分の不完全な料理の味と、子供の頃に食べた料理の記憶とを比べて、何が足りないのか、どうすればおいしくなるか、、、感覚が記憶の機能をもちあわせてくれるおかげで、そういう試行錯誤ができる。
記憶には、ありがたくないものもあるし、
主観が支配し、色づけをしているものなので、客観的には歪んでいる場合もあるのだが、、、
感覚と記憶が、こんなにも密接につながっていることに、考えさせられた。
いつか、もっと深めたことを書いてみたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます