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都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

京都と西田幾太郎〈2〉 『新潮45』 (2014年第6月号)佐伯啓思著

2014-10-02 19:05:26 | 抜粋
『新潮45』 (2014年第6月号)佐伯啓思著.「反・幸福論」第41回 ”京都と西田幾太郎 ”p.322-330
副題 : 西田のような哲学は京都からしか生まれなかったことは間違いない。決して東京では生まれない。

"小見出し” "常に権威は海外に" から引用
 日本の人文社会科学系の学問は基本的に西洋から導入され輸入学問です。だからどうしてもアメリカ、ヨーロッパが「本場」であって、日本の学者はそれを紹介したり、持ち込んだり、「本場」のふんどしで相撲をとらせてもらっているのです。哲学も政治学も経済学も社会学もおおよそこういう傾向を強くもっていました。これは西洋に追いつくことを目標と心得た近代日本の学問の宿命でした。
 最初からこういうバイアスがかかっているのです。日本の人文社会科学は決して自前の言葉で語り、自前の議論をしてきたわけではないのです。常に権威は海外にあったのです。その上で、欧米あたりの著名な学者を呼んできてシンポジウムをやっても、いややればやるほど、「われわれ」の自前の思考が衰弱してゆき、ますます「本場」の亜流になってしまうでしょう。多くの場合、単なる「権威づけ」に終わってしまうのです。しかもこの「権威」を得るために海外からの招待者には大枚が支払われる。このもっともらしい体裁の背後にある「奴隷根性」というべきものこそが大きな問題なのではないでしょうか。
 もちろん、人文社会科学においても、グローバルな共通語や共通の議論はありえます。しかし、討論者はその国の文化や歴史や習俗といった目に見えない背景を背負っています。だから、たとえば「民主政治」といった言葉を使っても、それが内包する意喋は日本やアメリカや欧州や中国やアラブではまったく違うのです。(P.327)
(それぞれの国)の社会的、文化的風土がわかっていないと理解しがたいことなのです。(P.327)

「自然」という言葉にせよ、「自由」や「コミユニティ」や「社会」にせよ、あるいは「神」や「絶対者」にせよ同じことで、これらはそれぞれの国の文化的、歴史的背景から切り離すことができません。(P.328)

「開かれたシンポジウム」などよりも、一人で自己の経験をもとにして、己の内にある深淵を覗き込むことで、その底に普遍的なものを見出そうとした西田の思索です。私には、そのことの方がほるかに意味深いことだと思われるのです。(P.328)

『新潮45』 (2014年第6月号)佐伯啓思著.「反・幸福論」第41回 ”京都と西田幾太郎”  副題(西田のような哲学は京都からしか生まれなかったことは間違いない。決して東京では生まれない。p.327-328)から抜粋 
斜体字の部分は私が覚えのメモを挿入しています。
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